故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

桃源郷

2018-05-31 06:25:39 | よもやま話

さすがに、桃源郷の絵はありません。
雪解け水が落つる写真を掲載することにしました。


新入社員研修で、秋田に行きました。
40年前の4月のことでした。
籾の乾燥機に必要と思われる消火器を売るのが、ミッションでした。
代理店のセールスマンに同行していただきました。
水をはり始めた田んぼを抜けて行きました。
あたかも湖の上を滑るように車は走っていきました。
緑の林をいくつか抜けて、その家はありました。
忽然と現れた家は、緑に囲まれ庭の木々と融合していました。

今日のタイトルは、「桃源郷」です。
私は、中国の故事に描かれた桃源郷を見た思いにかられました。
籾摺り機は買わねけど、腿摺りきは買ってやる。
と主人は、にこにこしながら私をからかいました。
一向に仕事の話は、始まりませんでした。
代々受け継がれた春画を見せていただきました。

「桃源」(桃源郷ともいう)とは、
(陶淵明の「桃花源記」に書かれた理想郷から)俗世間を離れた別天地。仙境。武陵桃源。桃源郷。
(広辞苑より)

それから二週間、毎日農家を訪ねました。
忙しくなるちょっと前だったのか、どこでもお茶を勧めてくれました。
燻りガッコや自慢の漬物がお茶請けでした。
どの農家でも、仕事の話は出ませんでした。
「おめたち、馬鹿と言われてもわかんめ」と秋田弁で、ばっちゃんにからかわれました。
初心な新入社員を困らせては、面白がっていました。

長女が婚した相手の故郷が、秋田の秘境と言われる山里でした。
ちょうど6月のこの頃、山菜が獲れるからおいでと、招待を受けて訪ねました。
数年前までマタギをされていたお父さんが、山を案内してくれました。
今では、スノーモービルで熊を追うと聞きました。
一の矢、二の矢、三の矢で仕留めると聞きました。
どの矢も、雪深い山頂でひたすら待つ、マタギの鉄砲のことです。

一人で村を散策しました。
畑にも、庭にも色とりどりの花で溢れていました。
木に咲く花、野に咲く花がいっせいに咲いていました。
村は、花でむせるようでした。
どのうちにも引かれた水路は、雪解け水で流れはとても速かった。
これも桃源郷と感じました。
池には鯉が飼われ、納屋には漬物樽がいくつもありました。
樽のつけ汁をなめさせていただきました。苦味が効いた強い塩味でした。

2016年3月30日投稿記事「めんそーれ」を参照してください。
山形県酒田市出身の友人に、
「すし」と「すす」の発音を実演してもらったことがありました。
すしが「すす」に聞こえ、すすが「すし」に聞こえました。
違いを分かるように説明しながら、発音してもらって何とかわかったかな。
と記憶しています。
寒いから、あまり口を大きく開けないで喋るとそうなると聞きました。
(記事「めんそーれ」より抜粋)

秋田県は、人口減少で農業継承に苦労していると聞きました。
私が住んでいるこの辺りは、4月末から5月初めにかけて花が溢れます。
秋田の秘境は、遅れること一月。
明日から、桃源郷を訪ねる旅になります。
駆け足の旅ですが、ここだけは行きたいと思います。
長女に、「私に断りもせず、勝手に行って、私の立場も考えてよ」と怒られるでしょうか。

人有りて 開けし里も 花むせび

2018年5月31日
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3つのグループ

2018-05-30 02:25:25 | プロジェクトエンジニアー

山吹は実をつけぬと詠むなかれ。
絵のタイトルは、「山吹のいつかはつける実ひとつ」です。


転職の話は随分書いた。
辞めた会社のこれはという方とは、今でも行き来している。
昨日も、1時半に起きだし160Kmを走り、霞ケ浦の近くでゴルフをやって来た。
大学を卒業後、入社した会社で世話になった方々と遊んできた。
気分が良かったのか、霞ケ浦で獲れた魚の加工品を、ここの友人への土産にした。
一石二鳥。

今日のタイトル、歳をとったら「3つのグループ」に属せよと教えられた。
何処にも気の合わぬ人はいるもの。
その人がいるグループとだけ付き合うと、息が詰まってしまう。
人生の予防線のようにも思うが、実はそうではない。
自ら動くことで、視野が広がり楽しくなる。
3つのグループ、つまり多くの人と付き合うのは疲れることである。
案の定、昨夜は足がつった。

今朝も同じ時間に起きだした。
これも書こう、あれも書こうと次から次にタイトルが浮かんできた。
久しぶりの感覚である。
高揚感があるというか、頭の中がすっきりしている。
今度いく秋田の山間(やまあい)は、今が花盛りである。
妻に見せてあげたい。
犬を飼い始めて、引きこもりがちな先輩を引っ張り出すことにもなった。
象潟の有耶無耶の関も見ることができる。
大学時代の友人と、40年ぶりに会える。

若い時、こんな処世術(3つのグループに属す)を会得していたらと、残念でならない。
所謂、残念でもない。気づくことができたから。
可愛い子には旅をさせろとは、こういうことなんじゃないだろうかと思う。
身の回りで学ぶことも大事だが、
見知らぬ土地で見たこと、会って話した人の考え方の斬新さに気づくことが、
子供の視野を広げるのだろう。

歳をとったら、経験値から「迷惑をかける」ことを恐れるようになる。
誰でも歳をとることから逃れられない。
70歳を過ぎたら、免許更新で、認知症の検査が加わる。
歳をとるごとに、自分の運転技術に自信を持つようにもなると言う。
周りの人との乖離が始まる。
同時にマイペース(頑固)にもなっている。
いつまでも車で移動しなくても、乗り物はいっぱいある。
車の維持費を考えたら、タクシーを使う方が安いこともある。
おまけに老人への優遇措置もある。

目立たぬ色の服なんか捨てて、派手な色の服装にする。
ヨーロッパを旅した時、老人ほどカラフルな洋服を着ているなと思った。
道路を横断する速度が遅くなってきます。
ドライバーが気付いてくれる色にしなければならない。
このあたりの辻で、枯葉マークの車を見たらいったん様子をみます。
枯葉マークの車にとって、公共道路もあぜ道と一緒で、おらだけの道なのです。
急に飛び出し、急に曲がります。
その方が悪いんじゃない。
歳をとると視野が狭まり、運転技術は向上一方(意識の上では)ですから。

歳とった あの人だけと 思うなかれ

2018年5月30日
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動物を飼う

2018-05-29 00:29:15 | よもやま話

文字通り、ありがとなジン君。


今日のタイトルは、「動物を飼う」です。
物心がついた頃、家には猫、牛、鶏がいた。
耕運機を買うまでは、牛に鋤きを引かせて田んぼを耕していた。
鶏は、卵を産んでくれた。卵は貴重な蛋白源であり、子供達の弁当のおかずになった。
猫は、勝手に住んでいた。餌は、家族の食べ残しだったように思う。
家に貯めこむ穀物や野菜を鼠から守る役目があったのだろう。
動物を飼っていると、家族総出で出かけられない。
家族で出かけるなんて思いもしなかったから、気にもしなかった。

横浜に住んでいる頃、犬を飼って欲しいと息子が言った。
一軒家に住むようになったから、それも良いかなと思い飼い始めた。
息子も忙しくなり犬の世話ができなくなって、親が犬の面倒をみるようになった。
孫が出来、犬は孫が泣くのを心配そうに周りを回っていた。
孫に乗っかかられても、迷惑そうな顔をするだけで、犬は怒りもしなかった。
犬に連れられて散歩に出たり、遠出もするようになった。
子供が忙しくなって、犬は夫婦のかすがいになった。
家族で出かけるとなると、犬も一緒にとなって限られた場所になり、長い距離の移動は不可能になった。
犬は天寿を全うした。看取って、骨にした。
犬の介護は、壮絶だった。息子と娘がよくやった。

ここで、動物を飼う気にならない。
家族全員の二人で出かけることも多く、それこそ留守番の動物が可哀そうである。
犬や猫が嫌いではない。その証拠にカフェの大家さんの猫がなついている。
認知症で施設に入られた飼い主の身代わりが私である。
自然が豊かで、その成長の手助けや管理をすることで手一杯である。
飼い犬や飼い猫のように身近ではないが、野菜や庭木が癒してくれる。
裏の森では、早朝ほととぎすが、「早う仕事をせい」とやかましく鳴いている。
苗を植えるこの時期だけである。
夜は、みみずくかふくろうが、ホーホーと鳴いている。

動物を飼うのは、動物に役目があってのことと考える。
この辺りの犬の役目は、防犯である。
車には反応しないが、歩いていると不審者扱いで、いつまでも吠えてくる。

先輩が犬を飼い始めた。
家の中は、潤いが出たようである。
万歩計のカウント数が毎日の楽しみだった先輩は、出かけなくなった。
夫婦で出かけることもなくなった。
年間30回もこの地に来られていた先輩が来られなくなった。
時には、夫婦で来られていたのに、来られなくなった。
よって、頻繁に訪ねることにした。

動物を飼うのは、必然性があってのこと。
家族の一員であり、役目があってのこと。

犬飼って 看取るはどっち いい勝負

2018年5月29日
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仕事をとるか女をとるか(Part2)

2018-05-28 06:51:55 | よもやま話

加賀友禅の美しさも、犀川の流れがあってこそです。
糊を洗い落としても、まだ清らかな流れです。
冬の寒い朝も続く作業です。


2017年9月28日投稿記事「仕事をとるか女をとるか」では、
今では、間違いなく「女をとる」方です。
いやもっと前から「女をとる」でした。
家族が増えるごとに給料を上げるために転職しました。
(投稿記事「仕事をとるか女をとるか」より抜粋)

なんか面白そうなタイトルなので読み返してみました。
果たして、それでよいのかなと、考えてみることにしました。
私は、たまたま「女をとる」方でした。
しかし、世の中には、「仕事をとる」方もいらっしゃいます。
別の女をとる方とは異なります。

考え直した理由は、「仕事をとる」のもありかなと思うからです。
男は仕事に一生懸命になり過ぎて、
いつしか奥さんは寂しさのあまり他の男に心を奪われていた話を
友人から聞きました。

自分が出世することが、家族のためになると思い込んでいる。
仕事がおもしろすぎて、家族を置き去りにしてしまう。
男が陥りがちなことです。

女も結婚した後に、「不倫ドラマ」に嵌ります。
昼メロのほとんどが、似たようなストーリーでした。
結婚生活とは違う、純愛ものです。

出世のために、単身赴任を繰り返します。
男は、家族のためと思い込んでいました。
長年、大事な時にそして助けてほしい時に、いない人を当てにできなかった。
奥さんは、家にいない夫の替わりも務めるようになっていきました。
男は長い単身赴任が終わり、定年を迎えました。
奥様が君臨する家庭にやっと帰ってきたけれど、何となく疎まし気な雰囲気があります。
まじに、「亭主元気で留守がよい」の感じです。
男は、単身赴任生活をするうちに、自由気ままな生活に慣れてしまいました。
この場合は、二人とも努力して、また昔の生活を取り戻していただきたい。

「仕事をとる」のもありかなと思うのは、
その人しかできない事を、仕事にしている人のことです。
世の中はその人が必要なんです。
医師であったり、芸術家や職人であったりします。
極めた人の不幸です。
私は、どうぞ仕事をしてください。と送り出します。
縛ることはできない。
奥様は、必死になって支えます。
支えることができない人は、別れた方が良いのです。
どうぞ、仕事をしてくださいと送り出してあげましょう。

野村監督は、あろうことか「女をとる」方を選択した。
生え抜きの南海を出て、他球団を歩くことになった。
野草魂に火が付いたことでしょう。
「女をとる」と行動を起こしたから、後の偉大な監督の歴史が始まったようにも思います。
(投稿記事「仕事をとるか女をとるか」より抜粋)

このような挫折とも思えるようなことが起きることもあります。
傷がついた木は、一生懸命傷を治そうと糖分を注ぐそうです。
だから、傷がついた果物は美味しい。
仕事ができる人は、どこでもできるのです。
仕事場を変えた分だけ苦労します。
人の気持ちがわかるようになります。
なにくそと、さらに迫力が出るとも思われます。

人生いろいろ。
仕事を極めようと覚悟をした人も辛いことでしょう。
そんな人に惚れこんだ奥様も苦労されることでしょう。
水は、高いところから低いところへ流れます。
流れる先々で養分を含み海まで運びます。
水をせき止めると、養分ごと酸素不足になり腐ってしまうこともある。
さて、良い知恵はないものかと考えてきました。
やはり、今回も結論は出ませんでした。
またの機会に再考します。

水早し 五月雨恋し 最上川

2018年5月28日
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旅行の目的

2018-05-26 09:41:14 | よもやま話

絵のタイトルは、阿吽。
さじ加減が大事な阿吽の呼吸です。
よく見て一瞬の判断です。
旅の目的はそれぞれです。
阿吽に似合う顔立ちにしました。


今日のタイトルは、「旅行の目的」です。
この頃、やっと二人旅をするようになりました。
目的となると、あの人にもこの人にもと、普段会えない人を訪ねる旅になります。
かつては、家族と田舎を訪ねる旅でした。
旅の醍醐味は、旅の途中の出合いであり、一緒に旅するものの絆を深めることです。
そうであるはずが、出発地と目的地をつなぐ、いわば点と点をつなぐ旅になりがちです。
途中の景色を楽しめない時間との競争旅です。

かつて企業戦士の頃、年間100日は出張でした。
営業で会社を訪ねたり、現場で工場を造ったりと効率だけを重視していました。

ある時、スイス人の上司から、ドイツから出張でくる人のスケジュールについてアドバイスがありました。
午前中は、会社を訪問、午後は景勝地を訪ねる。
一日は、訪問した会社で営業、翌日は日本を知ってもらう旅と組み合わせたらどうだろうと。
ドイツ人は大いに旅を満喫されました。
結果、日本に来ることが楽しくなったようです。
私がドイツに出張した時も、そのドイツ人は休日を挟んだスケジュールを作ってくれました。
家庭に呼んでくれて、食事を一緒にしたり、彼の友人を紹介してくれました。
それからというもの、外国から出張する人のスケジュールは休日を挟むようにしました。
一緒に山登りしたり、居酒屋で飲んだりしました。
時には、ストリップ劇場に行き、夜の酒場に繰り出しカラオケをしました。
アサヒビールの本社を訪ねたら、浅草の仲見世にある浮世絵店や合羽橋の包丁の店に案内しました。
大いに興味を示し、ほとんどの人が日本の文化・文明をお土産にされました。
行き過ぎると、案内する日本人にもよりますが、夜だけを楽しみに日本に来る人もいました。
どこにもバーカはいるもので、どこでもそれをやるもんだから、いずれ奥様に離婚されました。

6月には、妻と二人で旅をします。
ひょっとしたら、先輩も混ざるかもしれません。
今回も友人に会う予定です。大学時代の友人です。実に40年ぶりとなります。
判ってきたことは、永い時をもどる懐かしい話より、今の話になるようです。
病気との苦闘であり、家族の話であったり、地域の面白いエピソードになります。
一緒にゴルフに行くことにしました。楽しみです。

点と点の移動から、線になり面になる旅ができるようになりました。
これは、経験からそうなったのか、時間にゆとりが出てきたからそうなったのか判りません。
私は、訪ねた土地の今の生きざまに興味があり、妻はその土地の歴史に興味があります。
時間軸も深くなりそうです。

仕事を忘れるリフレッシュの旅です。

峠道 別れの杉と 誰が知る

2018年5月26日
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