老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

通院の日

2023-06-30 08:49:01 | 阿呆者
1975 朝焼け


朝4時12分から33分間の散歩時の空模様

今日は自治医大附属病院腎臓外科の定期受診のため
3月45分蒲団から這い出す。
ビーグル元気と散歩

本当に暫くぶりの朝焼けに遭遇。

朝風呂は入り
家庭菜園の胡瓜2本もぎ取り
義母へのお土産。

9時診察予定
今日はとりとめのない話で終わりにします
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老い方死に方

2023-06-29 21:21:31 | 沁みる砂時計

まだ子どもなのかもしれない 
ときどきメロンソーダを食べたくなり
(飲みたくなり)、オーダーすることがある

1974 老い方死に方

にんげん、誰しもこの世に生まれ、生き、そして死ぬ
いつその生が途絶えるかは、誰もわからない。
できれば長生きし幸せに穏かに最期を迎えたい、と思う。

自分は齢70を重ね、今夏で71になる。
wifeと齢22の差があり
wifeが年金受給できる齢までと考えると87歳になる。
多病疾患(慢性腎臓病、心不全等10の既往歴を持つ)なため
87歳まで生きれるかどうか不安だけれど、そこまでは頑張りたいと思う・・・
(年金受給できる年齢が70歳に延ばされてしまうと92歳は厳しい・・・・)。

そう思っても人生の幕は突然降りることもある。
いつ死んでもいい、と言えるほど,まだ、やりきっていないことがある。

ひとそれぞれの老い方、生き方がある。
自分はどこで死を迎えるか、まだ決まっていない。
残された時間、どんな老い方をするのか、それによって死に方が左右される。
老い方と死に方はcoinの裏表のような関係にあるのかもしれない。


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似ているようで違う

2023-06-28 08:04:06 | 阿呆者
1973 心配性と物忘れ


                    季節外れの虹

97歳のお婆さんの身体介護に出かけようと家を出ようとした。

wifeから「居間の引き戸(掃き出し口))の鍵を締めたかどうかわからないので見てきて欲しい」
自分「(wifeが)見て来いよ」
wife「心配性なんだからわかっているでしょう」
玄関を開け家のなかに入り居間の引き戸の鍵は締まっていた。

アルトの助手席に乗ろうとしたら
wife「事務所(さくらさくら介護支援センター)の窓が開いているよ」「いつも忘れるんだから」
自分「締めてきたはずなのに・・・・」
wife「私は心配性で不安になるけど、物忘れが目立ち惚けてきたの・・・・」

wife「心配性と物忘れは違うよ」
また玄関を開け、事務所の窓を締めてきた。

アルトに乗ろうとしたら、玄関を締めたかどうか不安になり
戻り玄関のドアを開けようと引っ張っても開かない。
「鍵はかかっていた」
これは物忘れなのか、心配性なのか、わからなくなってきた。
コメント (2)
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「床ずれ」なしの看取り

2023-06-27 07:15:49 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1972 自分は、なかなか死ねない


               訪問診療医師とヘルパーの共同ケア

文乃さん(97歳)は
約一月前から寝たきりになる前
「自分は、なかなか死ねない」、と話していた言葉を思い出した。

先週の月曜日 初めての訪問診療のとき
医師は「あと2,3日かな」と・・・・
訪問看護師、ヘルパー、ケアマネも長男夫婦もそう思っていた。

2週目の訪問診療に医師が訪れた。
背中は猫背になり両足は「く」の字に屈曲しているため
先週は医師が一人で、腹部にプラスチック製の針が思うように刺すことができず難儀されていた(輸液500ml/日)。
看護師がいないため、手助けをしてくれる人がいない。

傍で見ていた自分も手助けはしたが、次回からはヘルパーが必要と思い
「身体介護」を入れた。

腹部に針を刺すとき文乃さんの躰を支えたり、ずれたおむつを直したりしたので、
医師としてはとても助かった、と感謝されていた。

長男がいないと、文乃さんは呼鈴を何度も叩く。
それでも来ないと大きな声で「お~ お~」と叫ぶ。

尿量は100㎖と減ってきた・・・・
食事は2週間余り口にしていない
水を含んだ脱脂綿で唇や口腔を湿らす

長男のこまめな体位交換とヘルパーの陰部、臀部、腹部をきれいにしているおかげで
(7:00,13:00,19:00の3回身体介護、週1回の訪問看護)
褥瘡(床ずれ)はできていない。

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いまが幸せなんだ

2023-06-26 09:37:14 | 犬と人間
1971 一日一日が大切な宝物


新堂 冬樹『虹の橋からきた犬』集英社文庫


『虹の橋からきた犬』の8ページに
「犬の一日は、人間の一週間の速さで流れる。人間にはなにげない一日でも、
犬には大好きな飼い主と触れ合う一日一日が大切な宝物なのだ」。


犬と飼い主との朝夕の散歩は、なににも代えがたい貴重なひとときである。

家族のひとりである元気(beagle 10歳)は「何を考えているのか」、などと思うことがあるけれど
それは人間の勝手な考えだけで、犬は人間の感情を敏感に読みとります。

ワンマン社長であった南野は、隣の老人から子犬のゴールデン・レトリバー ”パステル”を一時的に預かったつもりが
最後まで暮らすことになった。

パステルの純粋さに触れることで、孤独な南野はこころの余裕を取り戻していく。
パステルは膀胱癌を患い、「あと、一、二カ月の余命」を宣告されたのです。

黒崎獣医師は「人間と違って犬は、遥かに我慢強い生き物です。
痛みや苦しみを、極限になるまで表に出しません。
弱っているところを見せたら・・・・飼い主を心配させたくないという思いもあります」(331ページ)

痛くても、苦しくても犬は見た目はいつもとかわらなく映るため、癌がわかったときは病状は深刻な状態であるケースがほとんどです。

先ほど自分は犬は「何を考えているのか」「悩みがあるのか」、と思うのは自分の奢りだということに気づかされた。

南野は、最期までパステルに寄り添い、「いまが幸せなんだ」と感じながら
「パステルが、あとどれくらい生きられるかわからない。
ともに過ごせる日が数ヵ月であっても十数年であっても、パステルとの一日一日を大切にしかたかった」(367ページ)

老人介護も同じである。
残りすくない時間
いま看取りの状態にある97歳の文乃さんも
「あとどれくらい生きられるかわからない」、ともに過ごせる日が僅かしかなく
一日一日が宝物のように大切な「いま」。

「生きる」「死ぬ」 その言葉や出来事をあらためて重く受け留め、文乃さんの命をみつめていきたいものです。
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名も知らぬ植物

2023-06-25 10:50:31 | 阿呆者
1970 名も知らぬ植物



暑かったり寒かったりの繰り返しで躰がおかしくなりそう
特に犬は毛皮を纏(まと)っているだけに可哀想
早朝散歩でも水の携帯は必須

阿武隈川の辺を散歩していると
無知な自分は綺麗な花に出会っても
花の名前がわからない
わからないなら知ろうと、机の前に座るわけでもない

たんぽぽの花は咲いたあと綿毛となり
風に乗り大空に旅立つ
今日はたんぽぽの花に似ていて
花が散ったあとに綿毛よりも硬い毛なのかな・・・・。

日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家でもあり「知の巨人」と言われた立花隆は
自分が知りたいと思ったことは
とことん事実と資料に基づき知を求め、一つの本にまとめあげた。

そこまで自分は野花のことを追求することはできないが
いまの仕事を終えたら
野花のことを知ろうと思う。


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発砲スチロールの「皿」に変えた

2023-06-24 08:55:24 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

blogでは紫陽花を鑑賞させていただいている。今年初めて「生」の紫陽花を観た。
生ビールと同じく紫陽花も「生」がいい。

1969 嫁に皿を投げる婆さん

寝たきりになっても 
どういうわけか 
爺に比べ婆のほうが元気である

大正14年生まれ91歳になる大熊ステは 
正岡子規と同じく
24時間臥床の生活にあっても
気に入ったおかずは食べるが 
気にいらないおかずは握りつぶす
ときには皿を投げてしまったりするので

長男嫁は 
発砲スチロールの「皿」に変えてみた
瀬戸物の皿に比べ まっすぐに飛んでこない
当たっても痛くない

長男嫁の「勝ち」。

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目もない、手足もない、ミミズ

2023-06-23 08:50:21 | 阿呆者


1968 ミミズ

昨日は大雨が降り、寒い一日であった。
今日の朝、阿武隈川の辺 散歩路を歩いていると
数多くのミミズの死骸にあった。

10分間ほどミミズの死骸を数えてみたら177匹
小さな命の終わりに心のなかで合掌した。

子どものころ「ミミズに小便をかけてはだめだ」、と親に言われたことを思い出した。

地面を這いつくばっているミミズをよく見たことがない。
ミミズは目がなく、手足もない、紐状(ひもじょう)の動物と言われ
目見えず から「メメズ」、転じて「ミミズ」と呼ばれるようになった。

もし、自分が「目が見えず」「手足もない」としたら、生きていけるだろうか。

映画『ジョニーは戦場へ行った』 一場面 ビデオショップでレンタルできます)

『ジョニーは戦場へ行った』の小説と映画のことが浮かんだ。
戦争でジョニーは、見ることも話すことも聞くことも、そして手足も失った。

土のなかに棲み、ミミズが棲む畑は「良い土壌」である、と評価されている。
過剰な窒素肥料や殺虫薬を使うと、ミミズは棲むことができなくなる。

昨日のような大雨が降ると、大雨は酸素が少ないため土壌からミミズは這いだし
その結果、数多くのミミズが路頭に迷い、白くなり死骸となってさらけ出す。

蕁麻疹などは皮膚に痒みがあると
痒みに耐え切れずつい掻いてしまう。
痛みよりは痒い方が、にんげん耐えられない。
掻いているいるときは気持ちがいいけれど
掻いたあと「ミミズ腫れ」となって赤い傷が残ってしまう。

痒い所にはなかなか手が届かない。
お客様の痒い所に、手が届くようなサービスを施すひとは喜ばれ感謝される。

最後に蛇足になるが
ホタルミミズは蛍のように光を放すとか・・・・
まだ遭遇したことがない。




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その人の持っているやさしさや感情は失われずにある

2023-06-22 06:00:14 | 沁みる砂時計
1967 /老母親の想い、子の想い


         にんげんは外に出たがる「生き物」。「徘徊」という言葉は不適切。
         にんげん、何か目的があるから「歩く」のだ。


齢(よわい)を重ねるにつれ、物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた土田光代さん(仮名86歳)。
息子との二人暮らし。

不二雄(長男)さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、
日中は一人 家で過ごす。数年前から認知症が進み、
息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。
紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。

家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。
キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、
手つかずのご飯が残されており、夕食を食べていないことがわかる。

「長男がお腹を空かし、そろそろ帰って来るだろう」からと、
光代さんは台所に立ち肉や人参、ジャガ芋を鍋に入れガスコンロにかけ火をつける。
思いとは裏腹に、鍋は真っ黒に焦げ、その鍋はキッチン下の収納庫に置かれてあった。
その後も、味噌汁を温めようとして、鍋を焦がすことがときどきあり、
家が燃えてはいないかと心配しながら仕事している・・・・。

また浴槽の湯はりをしようと、湯を入れ始めるが、「お湯をだしていること」を忘れてしまい、
浴槽から溢れ、流れ出していることが週に1、2回ほどあった。

昨年の暮れまでは便所で用足しをされていたが、
今年に入り便所に行っても「用足の仕方」を忘れ戸惑うようになってきた。
紙パンツとパットを着けるようにしたけれども、
濡れたパットを枕下や敷布団の下に、紙おむつは箪笥のなかに隠したりしている。
それを注意すると「私ではない」と哀しい声を上げて泣くこともあった。

同居している息子、娘や息子夫婦、娘夫婦たちは、認知症を患っている親に対し、
「何もせずに“じっと”座って居て欲しい」と懇願する。
何もしないで居てくれることの方が子ども夫婦にしてみれば「助かる」のだが・・・・。
それは困難な話で、老いた親は「何かをせずにはいられない」、つまりジッとしていることができない。

子どもから世話を受けるような身になっても、老いた母親は「わが子を心配」し、
煮物や味噌汁を作ったり温めたり、浴槽の湯をはったりするのである。

物忘れなど惚けていても「家族の役に立ちたい(誰かの役に立ちたい)」という気持ちを持っている
しかし、ガスコンロに鍋をかけたことや浴槽にお湯を出していることを忘れてしまい、
反対に息子や息子嫁に対し余計に手を煩わせてしまう結果に陥ってしまう。

認知症の特徴の一つは、鍋をかけたことや浴槽にお湯を張っていたことを忘れただけでなく、
「忘れてしまった」、そのことさえも忘れてしまうのである。
「出来ていた」ことが「出来なくなった」り、ひどい物忘れにより生活に支障がでることで、
親子関係や家族関係のなかに葛藤や軋轢が生じてくる。

認知症になってしまった母に対し上手く対応できるのは難しく、問い詰めたり怒ったりしてしまいがちである。
これが「他人の親」ならば、上手くかかわることができる。
しかし、いくら「他人の関係」にあっても、認知症を抱えた人に対し、
介護職員が「命令」や「指示」、「怒ったり」するようなかかわり方をすると、
その職員には寄りつかなくなり、「家に帰る」と言い始め落ち着かなくなる。

かかわり方によって、認知症を抱えた老人は穏やかになったり、反対に不穏になり
「徘徊」「異食(いしょく)」「弄便(ろうべん)」「失禁」「攻撃的」などの行為(生活障害)が表出してくる。

老母親の想い、子の想い、人それぞれ「想い」があり、誰かの役に立ちたい、という気持ちをもっている。
認知症の症状が進んでいっても、その人の持っているやさしさや感情は失われずにある。
そのことを理解していくことはとても大切なこと。

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もう一度人生をやり直せるなら・・・・

2023-06-21 04:46:08 | 沁みる砂時計

                    いつもと違う処から撮った阿武隈川の風景
1966 『95歳の老人の詩』

どこのだれで、どこに住んでいたのかも わからない「出典不明」の『95歳の老人の詩』

もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。

絶対にこんなに完璧な人間ではなく、
もっと、もっと、愚かな人間になろう。

この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど 殆ど無いのだ。

もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。

もっとたくさんのチャンスをつかみ、
行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、
お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、
頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、
春はもっと早くから裸足になり、
秋はもっと遅くまで裸足でいよう。

もっとたくさん冒険をし、
もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、
もっとたくさんの夕日を見て、
もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

自分に規制をひき、他人の目を気にして、
起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、
構えたり、
落ち込んだり ・・・・

もっとリラックスしよう、
もっとシンプルに生きよう、
たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、
人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。


老いの齢を重ね 人生の終わりが見え始めてきたとき
ふと、「もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 」、と思い、後悔の念を抱くこともある。
いまさら過去を振り返っても、時間は戻らない。

95歳の老人は、いま老いを生き迷える自分に
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある
その言葉は自分を勇気づけてくれた。
初心の情熱に帰り
他人の目を気にせず
いま、やりたい、と思ったことをやる。
時間は残り少ないけれど
まだまだ時間はある。

人材を育て、後継者にバトンタッチできる同志を見つける
それが最後の仕事になる
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躰(み)の置き場がない

2023-06-20 09:36:15 | 沁みる砂時計



BSNHK 『ラストドライブ』を鑑賞した。
ドイツでは元ソーシャルワーカー、元消防士、看護師などの人たちがボランティアで、ホスピスで生活して
いる末期癌などの人に対し、最後(最期)に行きたいところへは何処かを聴きだし、その願いを叶えていく。
海やレストランや自宅など本人が希望しているところへ外出することができる。
車は救急車をモデルにし酸素機器やストレッチャーなども装備されている。
砂浜を容易に移動できるタイヤが太い車いすはオランドの海岸にあるレストランで無料で貸し出しをしてく
れる。日本ならば「それは無理」、と言われるような状態でも、行きたいところへの願いを叶える。


1965 躰(み)の置き場がない


深夜0時23分に眼が覚めた。
(からだ)がだるくて眠れない。
自分の躰ではない、と思うほど
(み)の置き場がなかった。

躰は疲れ切り
ただ、ただ眠りたいはずなのに、眠れない。
起き出して、居間のソファーに背もたれながらいたが眠れない。

躰はだるく眠れない。
頭は朦朧(もうろう)とし
唇や口のなかは渇き、水を欲していた。

昨日の11時頃 文乃さん(96歳)の訪問診療があり医師が訪れていた。
自分もその場に同席させてもらった。
躰は「く」の字に曲がり、仰向けにできないだけに、輸液の針を刺すのも難儀されていた。

ここ5日間は固形物を口にせず、100ccにも満たない水を飲んでいるだけ。
500mlの輸液で命がなんとか保てる。
医師は「あと1ヶ月持てるかな・・・・(輸液を止めたら1,2週間・・・・)」

一昨日は肩呼吸をしていたが、酸素を0.5から0.75に増やしてからは落ち着いた。
血圧も安定し110~120/70~80にある(100を下回れば、要観察と言われた)。

毎日2回(ときには3回)身体介護が入り、床ずれはできていない。

息子は吸い飲みで冷たい水を飲ませたり
冷たい水が滲みこんだ脱脂綿で唇を湿らせる

だるくて躰(み)の置き場がない文乃さん
唇、喉に水が滲みとり、笑みをみせる。

深夜の躰のだるさを感じた自分
文乃さんのことが思い浮かんだ。

「躰がだるい」「しんどい」、と訴えることもなく
ジッと横向きに寝ている。
眠っている時間が増えてきた。

ときどき目薬を点眼すると、眼は潤う。


躰は休息を欲しているのだが
躰はだるすぎて眠れない。

自分以上に
文乃さんは躰はだるくても無言のまま。

特に脚のだるさはひどく両脚を切りたいくらい。
でも、文乃さんを見倣い「へこたれてはならない」、と
そう思い、床に就いた。





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石のぬくもり

2023-06-19 09:17:16 | 沁みる砂時計
1964 石のぬくもり



路傍の石は動くことはできず
ジッと地面と空を見つめている
小石を手のひらにのせ
小石を握ってみた
小石にもぬくもりを感じた

左手は握り拳(こぶし)の如く曲がったまま拘縮
両膝は「く」の字に曲がり脚を伸ばせない
ひとりで寝返りることもできない躰
染みついた天井を一日中眺めている

老いた妻は野良に出かけ
ねたきりの夫はベッド上で留守番
黒電話は鳴ることもなく
ヘルパーが来るのを待っている

ジッと寝ている
老人の躰と心は寂しく
石のように冷たくなった躰

還暦を過ぎたヘルパーは
拘縮した左手の指をゆっくり解(ほど)き解(ほぐ)
手のひらを握り 言葉のかわりに握り返す
老人のぬくもりが微かに伝わってくる

温かいタオルで躰を拭くと
老人の肌は薄ピンク色に染まってきた

路傍に咲いていた名も知らぬ花を
小さな花瓶に飾り
「また来るね」、と手のひらを握る

{加筆修正)

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時間がざざらざらと私からこぼれる

2023-06-18 12:29:52 | 沁みる砂時計

銚子岬から臨む朝の海

1963 時間がざざらざらと私からこぼれる(再掲)blog no.1273 / 2019-11-07

高見順『死の淵より』講談社文芸文庫 の94頁に
「過去の空間」がある。


『死の淵より』に邂逅したのは (自分は)32歳のときだった

「過去の空間」の最初の連に

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残り少ない大事な時間が


咽頭癌を患い死を宣告された
作家 高見順

夏 海辺で子どもと砂遊びに戯れたとき
砂山や砂の器など作ったことを思い出す
そのとき指のすきまから砂が洩れ落ちる
何度も何度も手で砂をすくい砂の山をつくり
次に砂山の下を掘りトンネルづくりに挑む


高見順の場合
手ですくった砂が
癌で痩せ細った指のすきまから
ざらざらとこぼれ落ちる

指のすきまから落ちゆく砂も
砂時計の砂が流れ落ちてゆくのも
残り少ない砂は時間を意味する

残り少ない大事な時間の移ろいは 
無常さを感じてしまう。

{一部書き直しました}
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時間がない

2023-06-17 18:45:21 | 沁みる砂時計
1962 呼鈴


呼鈴を鳴らすと息子が飛んで来る

96歳の文乃婆さん
昨日ヘルパーに「(私は)時間がない」、と話しかけた。
文乃さん自身 そう長くは生きられない、と感じているようだ。

つねに傍に誰かが居ないと寂しくて、呼鈴を何度も打ち続ける。
口から食べなくなってきた。

毎日のようにヘルパーがサービスに訪れる時間に
自分も「おじゃま虫」をしている。
何もできないのだが、文乃さんの躰の向きを変えるとき
反対側に居て頭や躰を支える。

「水が飲みたい」、と訴えた。
長男嫁は気をきかして「ぬるめの水」を吸い飲みに入れてきた。
一口、二口飲んだあと「冷たい水」、と催促した。
長男嫁は笑いながら「冷たい水」に入れ直し、
口元に吸い飲みの先を入れ、冷たい水は喉元を通った。

文乃さんにとり 冷たい水が飲めたこと
それは生きようとする彼女の姿を感じてしまう。

文乃さんは「これが年寄りの冷や水」、だと笑いながら話す。
言葉の意味が違うことは勿論知っている。

今日は肩呼吸をされていた。
食べていなくても、卵の黄身を混ぜたような粘着質のウンチが多量に出た。
にんげん、最期が近づくと出すものは出して躰の中をきれいにする。
水も飲まなくなり、オシッコもでなくると・・・・・。

それだけに文乃さんにとり1時間10分1分1秒の時間
母屋で息子ら家族と過ごしたい、とそう思い
呼鈴を鳴らし続ける。


                 今日 早朝に出会ったハルジョン
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幸せ

2023-06-17 12:45:35 | 沁みる砂時計


1961 幸せ

幸せって
誰かを
大切にすること
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