老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

紅  葉

2020-10-31 11:43:13 | 老いびとの聲
1723 紅  葉

ときめきのときに観る紅葉
別れたときに観る紅葉
同じ紅葉を観ても
心に映るモミジは人それぞれ

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生きたように老い 老いたように死ぬ

2020-10-30 11:12:40 | 老いびとの聲

甲子温泉に向かう国道289号 車窓から紅葉を眺む

1722 生きたように老い 老いたように死ぬ

今日は金曜日なのだが仕事は少しだけで あとは休息とした
来週の月曜日 循環器内科受診する予定でいるが
いま 心臓がこわい(疲れている)

なだらかな坂でも息が切れ 休みながら歩いている
老いる前に体を動かすなど運動をしなかった「つけ」がいま回ってきた
筋肉がない 体力がない
体が年齢以上に老けているのだ

70歳を超えると疾病が増えるといわれている
70歳を超える前の自分の体は、疾病だらけで片手の指でも足りない位

来週の月曜日 弱まった心臓 
階段を昇れるような心臓になるか 主治医に聴こうと思っている

自分の弱音や愚痴のことよりも
こうして思うように体や足が動けなくなった辛さ
あらためて知る病んだ老人の気持ちが痛いように「わかる」
意欲も失せ、寝ていることがいちばん体が楽

人間、生きてきたように老い
老いたように死ぬ


自分はどう死ぬのかは
現在進行形にある老いをどう生き抜くのか
いまふがいない老いのさなかにあるけれど
体の快復を望むしかない

それでもやらねばならない仕事があるので
PCに向かったり在宅訪問をしたりしている


「仙厓和尚伝」は途中で終わっているが
回復したら続けたい、と思っています。
休筆の状態ですいません
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超鈍行列車の感覚でブログを書かせて頂きます

2020-10-22 07:53:42 | 老いびとの聲
1721 超鈍行列車の感覚でブログを書かせて頂きます

しばらく 日曜日のみブログを書かせて頂きます

心臓の調子がいまひとつ思わしくなく
倦怠感と
歩くのも1㎞歩いただけでも 心臓が疲れます
beagle genkiに引っ張ってもらっているような塩梅です

昨日、主任介護支援専門員更新研修に出席
9時00分から17時00分まで 椅子に座っていたこともあり
両足(脚)は浮腫
疲れ19時から翌日5時まで睡眠 
眼が覚めたら上瞼まで浮腫 下瞼はクマができ、浮腫

1月5日、6日にも1日かけて主任介護支援専門員更新研修がある
1月5日までにインターネットによる画像研修 27時間もPCに向かう

その研修を修了しなければ介護支援専門員の仕事を続けていくことができない

そんな泣き言や弱音を吐いても前には進まない
やるべきことが進まず
体の不調とも上手につきあうしかない

しばらく超鈍行列車の感覚でブログを書かせて頂きたい、と思います


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wifeのバースデー

2020-10-20 21:18:46 | 阿呆者
僕も家族 誕生日おめでとう!


1720 wifeの誕生日

今日はwifeの誕生日
知り合って13回目の誕生日と秋を迎えた
wife33歳のとき
自分は55歳のとき
出会いました

これからが大変です
自分は老いに入り
階段を昇るのに
心臓がドキドキパクパク

今日の夜
wifeの好きな焼き肉でした

今日のブログは私的なこと
お読み頂きありがとうございました
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脱水症

2020-10-19 05:23:14 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1719 脱水症

夏の季節でもないのに
続けざまに三人の老人が入院した

89歳のアキ婆さんは被害妄想と物忘れがごっちゃになり
息子と暮らしている。
息子が作った「団子のようなおにぎりは硬くて食べれない」
「ウンチがでない」
食べず、水分も摂らない
心配して息子はニ度ほど救急外来を受診し点滴をした
医師からは「血液検査の結果、問題ない」と言われたが
三度目の救急外来受診から総合診療科に回され入院となった。


糖尿病で目が不自由な65歳の妻が
「脱水症入院した」とラインで夫から知らせがきた
夜起きて午前中は寝ている、そんな暮らしをしている夫婦。
一日の食事は二食
十分な栄養が摂れておらず脱水症になったのかな、と予測する。

87歳の二郎爺さんは脳梗塞後遺症があり、左半身麻痺。
妻は認知症があり、焦がした鍋は数知れず。
料理をするも栄養バランスが悪く、水分も摂れていない。
入院して二週間が過ぎるも、退院のメドがない。

デイサービスを利用される老人たちも同じ。
デイサービスがお休みのとき自宅では余り水分を摂らないため
デイサービスに来た日の午前中は頭や体の動きが悪い
頭がボ~としたり、足の運びも悪い
頭に十分な水分や栄養がいかないからである。
脳梗塞の発症や再発のひきがねにもなる。

いまコロナウイルス感染対策のため
病院面会が禁止となり
入院された爺さん婆さんがどうなっているのか
気がかりである






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仙厓和尚伝❸ 義梵は十日の断食坐禅をやりとげた

2020-10-18 05:47:45 | 読む 聞く 見る
1718 仙厓和尚❸



義梵(字は仙厓)は武州東輝庵を目指し、野宿同様の九夜十日の道中を歩き着いた。
東輝庵は峻立する崖を背にしてひっそりと建つ百姓家のような庵が大小二つあるだけであった。

多くの行脚僧が入門を求め庭詰の行をしていた。
義梵は、庭詰の行がわからずに僧に入門願いをしたものだから
中年僧から庭の地面に叩きつけられたり
別の役僧は、棍棒で義梵の肩や横腹をつつく。

義梵は、負けず、空印和尚の書状を差し出したが
中年僧は「こんなものが何の役に立つ」と嘲罵(ちょうば)し、その書状をずたずたに裂き破いた。
この一年の間に、入門を許された者は一人もいなかった。

義梵は、故郷には戻れなかった。
故郷へ帰りたくなかった。
戻れない身であった。

義梵は、徹夜の坐禅と断食行を続け、五日目には動かなくなった。
糞も出なくなり、食べ物も一切受けない。
水だけは、前においた椀に顔を寄せ、唇を湿した。
六日目の夕暮れ 義梵は不意にぐらりと後ろに倒れ、崖下へころがり落ちそうになった。
常僧たちは慌てて大きな石を二つかかえ、義梵の背後に据えた。

八日目 雨が降り始め、午後からはどしゃ降りに変わり、気温は急激に下がった。
白い雨脚と滝のような流れのなかに、一つ義梵の座像が映っていた。

首座役僧が「入門は特別に取り計ろう。約束する」と話しても
義梵は、指を二本立て「あと二日坐る」、と。
先輩僧たちは、薦(こも)や茣蓙(ござ)や古蒲団を持ち出し
義梵のからだを頭から尻までぐるぐる巻きにし縄で縛り、眼鼻だけを残した。
まるで達磨のようであった。
(達磨大師は禅宗の始祖である)
こうして義梵は十日の断食坐禅をやりとげた。

七年の歳月が流れ、義梵は「東輝庵の四天王」の一人に数えられ
法器学識はいちばんと言われ麒麟児の称を受けていた。

いよいよ義梵は、月船老師から試験問題を出され、それに合格すれば
故郷の清泰寺の住職となって戻ることが約束されていた。


野宿のなかを九夜十日の道中を歩き通し
十日の断食坐禅をやりとげた仙厓義梵。
自分ならば一時間の坐禅もできない。
故郷に帰れない、戻れない身である義梵
義梵の生い立ちから考えたらそうである。
この世に生まれて欲しくなかった生きそこないの義梵であり
親、兄からも村の悪童からも蔑まれ疎まれていた。



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熟柿(ベチャ柿)

2020-10-17 05:33:33 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界

1717 熟柿(ベチャ柿)

変な夢を繰り返し見た
beagle genkiの声で目が覚め夢が消えた

どんな夢だったのか
夢か現か

林檎のように固い柿や桃は好きではない
柿も桃も 齧ったとき汁がこぼれ落ちるほど熟した物がいい

認知症のお春婆さんが夢に出てきた
お春婆さんは長女と二人暮らしをしていて
昼夜逆転、夜徘徊しまくり長女は眠れず疲労困憊にあった
木の枝から落ち熟した柿を
春婆さんはポケットに入れ持ち帰り
長女に内緒で食べた

10名定員の小規模デイサービスに事業所を変え
週6日利用するようになってから
3日目の利用で昼夜逆転も徘徊も夢の如く消失した
「死んだように老母は寝ていました」、と話す長女

老母が夜いない日もあれば気が休まる、と思い
余り気乗りをしないのだがショートステイを利用した
翌朝、ショートステイの男性スタッフから電話があった
「(朝食のとき)おかずが詰まり心配停止になった」

老母は好きな食べ物を口にしたままあの世に逝かれた
家でも手がかかり大変な老母であった
老母の面倒を見るのは施設の人も大変だったから(死んだことを)責める気はありません
家で死ねなかったことは残念だったが、悔いはありません

エンドレスの如く繰り返しその夢を見ていた
老人は住み慣れた家で死ぬことを欲している
運よく家で死んだ老人もいれば
病院や介護施設のベッドで死んだ老人もいる

老親がどこで死のうが
悲しみ泪を流してくれる人がいるか・・・・
夢か現か 感じた

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仙厓和尚伝❷

2020-10-16 03:24:14 | 読む 聞く 見る
1716 仙厓和尚伝❷



極貧にあり 三男として生まれた子は
ろくに食べさせてもらえず、躰は小さく、泣き虫であった
親からは「うまれそこない」と愚痴られた。
猿の顔に似ていたことから、兄や村の悪童からも「四国猿」と囃し立ていじめられていた。
四国猿は、普通の猿より小さかった。

「四国猿の遊びは、村はずれにある汾陽寺(ふんようじ)であった。
汾陽寺は、当時、近隣の禅寺の和尚が数か月ごと交代で住職を勤める輪番寺

四国猿は汾陽寺に野良犬が棲みつき、家に帰らなくなった。
和尚たちは雑用を言いつけるかたわら、読み書きを教えた。

11歳になったとき、当番の和尚 清泰寺の空印円虚は、自分の寺へ連れて行った。
清泰寺で頭を剃り、義梵(ぎぼん)という名を与えた。

義梵は、こまねずみのように動き働き、人の嫌がる作務(さむ)を進んで行った。
夜は膝に削ぎ竹を立てて眠気を払い、経本を読んだ。

義梵は、12歳の12月のとき
碧巌亭(へきがんてい、本堂の裏山にある小道場)で8日間、ぶっ通しの座禅を、小僧でただ一人やりとげた。
空印円虚は「梵、お前は古月祖師の亡くなられた年の生まれじゃったな。同じ日のようじゃ。
してみれば、お前は、祖師の生まれ変わりかも知れんのう」
(52頁)
この言葉が、義梵の将来を決めた。

義梵は、空印円虚の兄弟子にあたる武州東輝庵 月船和尚を訪ね行脚に出た。


今日も 自治医科大学付属病院腎臓外科受診の日
ブログを閲覧できる時間もなく失礼します
5時半過ぎに自宅を出て、帰宅は夕方になる
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仙厓和尚伝❶ 人間、皆、同じよ!

2020-10-15 12:34:42 | 読む 聞く 見る
1715 人間、皆、同じよ!



今日の朝は11月末の寒さ
ネックウォーマーをしてよかった
玄関をでたら
那須連山から北風寒太郎がやって来たような感じ
beagle genkiだけがルンルン気分で散歩

散歩最中
幸せを感じるとは
幸せを思うときとは
幸せの価値基準はどこに求めるのか
などと考えてしまった

煩悩が強く悩みのなかにある自分

250石の馬廻り役である川越士縁焉は三十路になり、仙厓和尚に嘆く
「拙者はだめな男よ。死ぬまで、うじうじと小事煩悩に思いまどい、醜く老いさらばえてゆくであろう」
仙厓和尚は「わしはの、四十歳までは救いがたい蛆虫(うじむし)じゃったよ。小事煩悩の地獄を狂いさまいよってのう
「なんの、人間、皆、同じじゃ」

美濃国山村の貧しい作男甚八の三男として生まれた仙厓和尚
彼をみごもったときから母親は、民間堕胎薬として知られている酸漿(ほおずき)の根を煎じてしきりに飲んだが効かず
臨月をむかえてしまった。
気弱な父親は、赤子を膝の下で圧死させることができず、川へ流すこともできず、
迷った末、山へ捨てた。

二夜すぎても、赤子は凍えもせず、餓死もせず、山犬に食われこともなく、
か細くではあったが泣き声を木こりに聞かれ
親許に戻された。(48頁)

空腹のまま、襤褸布を纏うだけの粗末な状態で
寒い山奥に捨てられ二夜も過ごされた
普通ならば餓死凍死で生命尽きるはずなのに
生き抜いた赤子に きっと生きる使命があったのですね

仙厓和尚の生きざまをこれから見ていくとしょうか
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追い立てられるような・・・・・

2020-10-14 08:39:01 | 老いびとの聲
1714 追い立てられるような・・・・

(仕事で)借金はしているが
取り立てに追われてはいないけれど
なんだか時間に追い立てられような気がして
気持ちの余裕がない

階段を昇るのがきつくなり
心臓がバクバクしている
体力が落ちたな、と
思考力まで落ちぬよう気をつけねば・・・・

忙しく時間がないときほど
何故か本を手にしてしまう
平成8年発行の古い文庫本『死にとうない』仙厓和尚伝 堀和久著(新潮文庫)を読み始める



仏教は、本来、悩み生きている人間に、「人生とは」「死とは」などを教え説くはずだったが・・・
仏壇に向かい、先祖への感謝とお願いごとだけに終わっている自分

和尚が「死にとうない」、と思っては成仏ができるのであろうか、と思いながら
『死にとうない』仙厓和尚の世界に入っていくとしようか

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お金より大切なもの

2020-10-13 18:46:31 | 阿呆者
1713 お金より大切なもの


昨日は自治医科大学付属病院感染症科受診と
同じく義父も同大学付属病院泌尿器科で前立腺癌の診断を受けた。
前立腺癌の症状は落ち着き、今後は地元のクリニックで受診となった。


仕事から離れ、『一億円のさようなら』を読み終えることができた。

夏代は鉄平に1億円を渡し、自由に使ってもよい
夏代も預金に1億円を入金し、そこから引き出し使うことで、
暫くは別居となり、自由に暮らすことになった。

1億円があっても豪華に使うことができず
ベンツを買うも中古車で満足する鉄平。

665頁の厚さもある文庫本
鉄平も夏代も1億円は手元に残った

1億円よりも大切なものは、家族 夫婦や親子の絆
人とのつながりも大切であった

お金は社会のため、人のために使うもの
最後に夏代は34億円の遺産を使った
娯楽小説として愉しく読めた
それでもまだ12億円が残っていた



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生きている

2020-10-12 07:10:41 | 老いびとの聲
1712生きている

今日は自治医科大学附属病院感染症科
外来受診日
ブログを書くパソコンはなく
慣れないスマホを操作

野花は路傍に咲き
鳥は空を飛ぶ
魚は海を泳ぐ
人間は大地を歩く



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夕暮れ時

2020-10-11 03:51:11 | 老い楽の詩
1711  夕暮れ時

夕暮れ時は
老いの時間
老いは喪失の時
仕事を失い
生活基盤を失う

老いを重ね
病いも抱え
不幸にも脳卒中にあたり
手足の自由を失う

記憶のピースも失い
「私は誰だ、あなたは何者だ」と
自分が誰だかわからなくなる
妻の顔も忘れてしまう

老いは砂時計
最後の一粒の砂が 音もなく落ちた瞬間
医者様は「ご臨終です」と告げた
最期は 妻に手を握られ逝きたいものだ

そう想いながら
夕暮れに染まった川の流れは
老いの風景
なんだか寂しいね

老いは喪失の時ではなく
老いは自遊の時
枯れ朽ちても春に咲く桜
自然に躰(み)をまかせ生き逝く




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白石一文『一億円のさようなら』徳間文庫

2020-10-10 07:44:45 | 読む 聞く 見る


1710 白石一文『一億円のさようなら』徳間文庫

台風14号の影響で
今日も雨
冬が近づいたような寒さ
蓄熱暖房機をonにした
浴室も暖房を入れた

秋雨は
躰も心も
寒さが滲み
寂しさもツノル


今日は白石一文『一億円のさようなら』を手にし
雨の土曜日 読み始める

1億円あったら何に使う
1億円は今の自分には「大金」だが
いざ何に使うか考えたら
そう大金でもなかった
しかし、1億円があると
小さな夢がかなえられる・・・

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南杏子『ディア・ペイシェント』幻冬舎文庫

2020-10-09 16:18:54 | 読む 聞く 見る


1709 南杏子『ディア・ペイシェント』幻冬舎文庫

『ディア・ペイシェント』絆のカルテ 
文庫本を手にする前に
貫地谷しほりさん主演 真野千晶医師役のNHKドラマを先に観た

『ディア・ペイシェント』の意味は直訳すると『親愛なる患者様』となるが、
医療の現場でも『モンスターペイシェント』という言葉がある。
『モンスターペイシェント』というのは、すべてに文句をつけるクレーマー患者であったり、
執拗に医師や看護師に対して嫌がらせをするなどの患者のことを指す。

南杏子さんは、皮肉的に「ディア」としたが、本当は「モンスター」と言葉に置き換えられる。

千晶医師の前に現れ、嫌がらせを繰り返す患者・座間敦司が、物語を展開していく。

『サイレント・ブレス』とは違うカルテの書き方になっている。

NHKドラマの方では、座間敦司は持病 糖尿病(インスリン注射)を抱えながら母の介護を行っていた。
仕事を辞め生活保護や介護サービスを拒否しながら、介護を行うもストレスも溜まり限界に達していた。
介護にも視点をあてていたたので、原作ではそこも触れているのかな、と思いながら読んだが
そこは余りふれていなかった。

『サイレント・ブレス』(幻冬舎文庫)の322頁に
千晶の父は富士河口湖町の樹海が迫る国道に真野診療所で長年、地域医療に従事してきた。
その父が千晶に話す。

「ここでたくさんの人々を看取ってきた。それで分かったのは、人はいつか必ず死ぬという
ことだ。だから、治すための医療だけじゃなくて、幸せにいきるための医療を考えてきた。
たとえ病気があっても、その病と共存して、最後まで心地よく生きられるような治療を誠実
にやってきた。その先に死があっても、それを受け入れる」


自分も病をたくさん抱え、常日頃 大学病院や地元の病院、クリニックに受診していて
待ち時間は長いが、本を読む時間としているのでそう苦痛には感じない。
入院が一番こたえる。それは在宅訪問などケアマネジャーの仕事がストップし
代わりにやる人がいないからである(居宅介護支援事業所の運営を一人でやっているため)。

病気があっても入院しないよう「健康管理」に気をつけてはいるが・・・・
薬どうしで反発しあい副作用がでたりして、新たな病気が発見されることが辛い。
一つの臓器(自分は慢性腎不全症)が悪いと、他の臓器に悪影響をもたらす。

親愛なる患者として主治医の言葉(診断)を受け容れ
病と共存しながら生きていくことかな
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