老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

救急搬送され入院

2022-08-31 17:11:01 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1905 救急搬送され入院

29日、胸痛から苦しく
救急搬送
コロナ病棟に入院した

肺炎も併発

スマホの入力慣れず


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かなり辛い「コロナウイルス感染」

2022-08-27 16:41:38 | 阿呆者
1904 かなり辛い「コロナウイルス感染」


県から送られてきた在宅療養期間中の食料救援物資 ”助かりました”

自分だけはコロナウイルス感染しない、と思
っていたが、ベッドに臥床してしまった。
自分は21日38.5℃の熱症状になり、翌日抗
原検査実施し「陽性」反応が出た。

いまは平熱になっても頭と躰はしんどいです。
躰全体、「怠く」何もやる気が起こらない。
頭はスッキリせず、舌は白くなり正常な味覚
は失われ、苦さと塩辛さが混じっています。

スムーズに社会復帰できるのか、不安です。
外へも出れず「籠の鳥」状態にあり、人間外
へ出れないのは、精神的に辛いものです。
気持ちが塞いでしまいます。
自分以上にwifeは躰が辛く、立っているのが
やっとです。それでも辛さをこらえ、食事と
洗濯をしてくれ、自分の不甲斐なさと感謝し
ています。

元気なのはbeagle元気だけです。散歩ができ
ないのが辛そうです。

ようやくPCに向かうことができた。


何もすることなく寝ています
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コロナウイルス感染 陽性

2022-08-19 12:29:08 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録

大雨の阿武隈川 どこから多量の泥水が流れ込んでくるのか 

1903 waif コロナウイルス感染 陽性

wifeは咳、味覚障害、発熱があり、本日近く
の病院で抗原検査をしたところ「陽性」の結
果になりコロナウイルス感染者となった。
自分は濃厚接触者となり、8月28日までは自
宅療養及び待機となった。まだ、自分は発熱
、咳、味覚を感じない、といった症状はない。
感染は覚悟しなければならないが、どこで感
染したかは、見当がつかない。

 8月26日 自治医大学附属病院腎臓外科の
受診は、「電話診察」に切り替えとなり、処
方箋は病院からかかりつけ薬局に処方箋を送
信してくれることで落ち着いた。隣市に住む
妹に薬の受け取りをお願いした。

 他人事ではなく、自分の事となってしまっ
た。

 陸の孤島になったような感じで、10日間も
自宅に籠る形となった。これで自分が感染し
たら自宅待機期間は延びてしまう。
 幸い8月の在宅訪問はお盆前に終えたので、
本当に良かった。

 wifeはいまベッドに臥床状態。
家事はwifeに任せきりだったので、慣れない
ことをやるので、「大変」の二文字。
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生かされた生命(いのち)

2022-08-18 14:04:47 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1902 生かされた生命(いのち)


               自治医科大学付属病院(栃木県下野市)

 NPO法人「難病患者支援の会」は、海外
での生体腎移植で臓器売買が行われた疑いが
あると報道され、憤りを覚える。
 腎臓の機能が働かなくなり、死ぬまで人工
透析をしなければならない躰。多くの透析患
者は腎臓移植を望むも、なかなか難しい状況
にある。藁をもすがる思いで、腎臓提供の話
があれば海外であっても命の危険と隣り合わ
せにあっても多額の腎臓移植の金を支払い、
手術を受ける。術後順調にいっても、体調が
良くなく腎臓外科に受診しても、治療は難し
く再び人工透析に戻る人もいる。最悪の場合
は、死亡したり重症になった人もいる。
 東南アジアでは、子供たちが携帯電話欲し
さに腎臓を売ることが横行し、そこには貧困
と人権の問題が根深く関わっています。

 わが国の透析患者数は年々増加し,2020年
末の施設調査結果による透析患者数は 347,671
人になる。

 自分も14年前、2008年8月26日まで人工透
析患者であった。54歳になったばかりの8月27
日に腎臓移植の手術を受け、成功し人工透析
に戻ることなく今日まで生きてきた。健康管
理や免疫抑制剤などの服用を怠ったりすると
再び透析に戻ることになる、と主治医からも
話された。

 自分は、宝くじに当たったような幸運に巡
りあい生体腎臓移植を受けた。腎臓を快く提
供してくれた妹を始め、医師を始め医療スタ
ッフの多大なる協力、支援により自分の生命
(いのち)は生かされ、こうして「いま」も
生きていることに、本当に心底感謝の気持ち
であり、「いのち」の大切さを感じています。
 
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自分の足で歩く

2022-08-17 03:51:45 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1901 「猫」と「犬」そして「自分」



独古牧場 干し草のところで2匹の可愛い子猫 ピンボケがあり残念



車窓から外を眺め何を思う、犬は窓から首を出し
景色を見るのではなく、外の匂いを嗅いでいる・・・・



月に一度のシャンプー。9歳4ヶ月 beagle元気
老いは隠せない、耳の淵が「白く」なってきた



季節外れの風景だが、この風景はお気に入り
南湖公園(白河市)

 
 自分は猫も犬も好き、にんげんも好き。
「ニンゲン」に生まれ、ひかり新幹線よりも
速く時は過ぎ、気がついたら老いの季節。
昔話「浦島太郎」を思い出した。玉手箱を開
けたら一挙に白髪となった浦島太郎。まだま
だ(人生の)時間はある、と思っているうち
に、70歳を迎えた。
 どんな出来事に遭遇するか。頭と足の動き
は鈍くなってきたが、自分の足で歩いていく。

老いてから、自分の誕生日を迎えるたび、
亡き母を思い出す。親不孝な自分だった、と
反省する。終戦の7年後に生まれた自分は、
貧農であったため粉ミルクを買うこともでき
子育ては苦労した、といつも母は話していた。
米のとぎ水と山羊の乳で育てた。八ヶ月で生
まれ、超未熟児。鶏の毛を剥ぎ取った状態の
赤ん坊だった。歩き始めたのは二歳を過ぎて
から。そのせいか土踏まずは形成されず、べ
た足であった。病弱だった幼少期。

いまこうして、病気を抱えながらも70の
齡を迎えることができたのは、目に見えぬ
多くの人のお陰である。自分だけの力で生
きてきたのではない。感謝の一言に尽きる。
(長々と自分のことを書いてしまった)。

 隣で元気はいびきをかき気持ちよく寝てい
る。幸せな風景である。小さな幸せを重ね往
きながら、「時をかける」老人になりたい。
 
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老いふけるのではなく、老いをふかめて往く

2022-08-16 11:51:41 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち


令和4年8月12日産まれた子牛(雌牛)、ふらつきながらも懸命に歩いていた(8月12日撮影) 



独古牧場 365日乳牛のお世話をし、「乳」を搾っている。介護と同じく休みがない。

1900 70歳からの『老い楽の詩』

 後頭部の一部は「不毛地帯」となった
 緑内障のため左右の目は、真横が視野狭窄で
 「見えなくなった」
 ちらほら「短期記憶障害」がまだらに出現

 明日、8月17日で「70歳」の老いを迎える。
こうしてPCに向かい、仕事ができるのは後何
年であろうか。そんなことを思うよりも、最
後の十年何ができたか。

 まだ子牛の毛は濡れていた。親牛はもう傍
にはいない。自分の足で立ち、歩き生きてい
く。子牛に見倣い、自分も下肢の筋力低下に
負けることなく歩くのだ。
 高村光太郎 『牛』は、高校生のときに出
会った。
 牛のように我が路を、周囲に振り回される
ことなく、他人を羨み後悔することなく諦め
ず自分の足で歩く。

「牛ガ自然ヲ見ル事ハ牛ガ自分ヲ見ル事ダ」


 高村光太郎 『牛』

 牛ハノロノロト歩ク

 牛ハ野デモ山デモ道デモ川デモ

 自分ノ行キタイトコロヘハ

 マッスグニ行ク

 牛ハタダデハ飛バナイ、タダデハ躍ラナイ

 ガチリ、ガチリト

 牛ハ砂ヲ掘リ土ヲ掘リ石ヲハネトバシ

 ヤツパリ牛ハノロノロト歩ク

 牛ハ急グ事ヲシナイ

 牛ハ力(チカラ)一パイニ地面ヲ頼ツテ行ク

 自分ヲ載セテイル自然ノ力(チカラ)ヲ信ジキツテ行ク

 ヒト足、ヒト足、牛ハ自分ノ道ヲ味ハツテ行ク

 フミ出ス足ハ必然ダ

 ウハノ空ノ事デハナイ

 是デモ非デモ

 出サナイデハイラレナイ足ヲ出ス

 牛ダ

 出シタガ最後

 牛ハ後ヘハカヘラナイ

 足ガ地面へメリ込ンデモカヘラナイ

 ソシテヤツパリ牛ハノロノロト歩ク


 牛ハガムシヤラデハナイ

 ケレドモカナリガムシヤラダ

 邪魔ナモノハ二本ノ角ニヒツカケル

 牛ハ非道ヲシナイ

 牛ハタダ為(シ)タイ事ヲスル

 自然ニ為(シ)タクナル事ヲスル

 牛ハ判断ヲシナイ

 ケレドモ牛ハ正直ダ

 牛ハ為(シ)タクナツテ為(シ)タ事ニ後悔ヲシナイ

 牛ノ為(シ)タ事ハ牛ノ自信ヲ強クスル

 ソレデモヤツパリ牛ハノロノロト歩ク

 何処マデモ歩ク

 自然ヲ信ジ切ツテ

 自然ニ身ヲ任シテ

 ガチリ、ガチリト自然ニツツ込ミ喰ヒ込ンデ

 遅レテモ、先ニナツテモ

 自分ノ道ヲ自分デ行ク

 雲ニモノラナイ

 雨ヲモ呼バナイ

 水ノ上ヲモ泳ガナイ

 堅ヒ大地ニ蹄(ヒヅメ)ヲツケテ

 牛ハ平凡ナ大地ヲ行ク

 ヤクザナ架空ノ地面ニダマサレナイ

 ヒトヲウラヤマシイトモ思ハナイ

 牛ハ自分ノ孤独ヲチヤント知ツテイル

 牛ハ食ベタモノヲ又食ベナガラ

 ジツト淋シサヲフンゴタへ

 サラニ深ク、サラニ大キイ孤独ノ中ニハイツテ行ク

 牛ハモウト啼イテ

 ソノ時自然ニヨビカケル

 自然ハヤツパリモウトコタヘル

 牛ハソレニアヤサレル

 ソシテヤツパリ牛ハノロノロト歩ク


 牛ハ馬鹿ニ大マカデ、カナリ無器用ダ

 思ヒ立ツテモヤルマデガ大変ダ

 ヤリハジメテモキビキビトハ行カナイ

 ケレドモ牛ハ馬鹿ニ敏感ダ

 三里サキノケダモノノ声ヲキキワケル

 最善最美ヲ直覚スル

 未来ヲ明ラカニ予感スル

 見ヨ

 牛ノ眼ハ叡智ニカガヤク

 ソノ眼ハ自然ノ形ト魂トヲ一緒ニ見ヌク

 形ノオモチヤヲ喜バナイ

 魂ノ影ニ魅セラレナイ

 ウルホヒノアルヤサシイ牛ノ眼

 マツ毛ノ長イ黒眼ガチノ牛ノ眼

 永遠ヲ日常ニヨビ生カス牛ノ眼

 牛ノ眼ハ聖者ノ眼ダ

 牛ハ自然ヲソノ通リニジツト見ル

 見ツメル

 キヨロキヨロトキヨロツカナイ

 眼ニ角モ立テナイ

 牛ガ自然ヲ見ル事ハ牛ガ自分ヲ見ル事ダ

 外ヲ見ルト一緒ニ内ガ見エ

 内ヲ見ルト一緒ニ外ガ見エル

 コレハ牛ニトツテノ努力ジヤナイ

 牛ニトツテノ当然ダ

 ソシテヤツパリ牛ハノロノロト歩ク


 牛ハ随分強情ダ

 ケレドモムヤミトハ争ハナイ

 争ハナケレバナラナイ時シカ争ハナイ

 フダンハスベテヲタダ聞イテイル

 ソシテ自分ノ仕事ヲシテイル

 生命ヲクダイテ力(チカラ)ヲ出ス

 牛ノ力(チカラ)ハ強イ

 シカシ牛ノ力(チカラ)ハ潜力(センリョク)ダ

 弾機(バネ)デハナイ

 ネジダ

 坂ニ車ヲ引キ上ゲルネジノ力(チカラ)ダ

 牛ガ邪魔者ヲツツカケテハネトバス時ハ

 キレ離レノイイ手際ダガ

 牛ノ力(チカラ)ハネバリツコイ

 邪悪ナ闘牛者(トレアドル)ノ卑劣ナ刃(ヤイバ)ニカカル時デモ

 十本二十本ノ槍ヲ総身ニ立テラレテ

 ヨロケナガラモツツカケル

 ツツカケル

 牛ノ力(チカラ)ハカウモ悲壮ダ

 牛ノ力(チカラ)ハカウモ偉大ダ

 ソレデモヤツパリ牛ハノロノロト歩ク

 何処マデモ歩ク

 歩キナガラ草ヲ食フ

 大地カラ生エテイル草ヲ食フ

 ソシテ大キナ体ヲ肥ス

 利口デヤサシイ眼ト

 ナツコイ舌ト

 カタイ爪ト

 厳粛ナ二本ノ角ト

 愛情ニ満チタ啼声(ナキゴエ)ト

 スバラシイ筋肉ト

 正直ナ涎(ヨダレ)ヲ持ツタ大キナ牛

 牛ハノロノロト歩ク

 牛ハ大地ヲフミシメテ歩ク

 牛ハ平凡ナ大地ヲ歩ク


(1913.12 高村光太郎作 「牛」 「高村光太郎詩集」および「道程」掲載より)

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「痛み」と「傷み」

2022-08-11 14:31:41 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1899 「痛み」と「傷み」



猛暑が続く、beagle元気はクーラーとお友達、冬景色で涼しさを感じれば幸いです

 深夜、wifeは急に喘息発作を繰り返し、傍
らで心配しても何もできない。「救急車を呼
ぶか」と話すが、手振りで呼ばなくてもいい、
と答えるwife。
 見ているだけで辛く、「死ぬのではないか」
と心配になった。胸が苦しく呼吸困難になり
痛々しく、仕事のストレスが溜まっただけで
なく、自分の発した言葉でwifeの心(気持ち)
を傷つけたことから喘息発作が起きてしまっ
た。

 躰の「痛み」の深層は、心の「傷み」から
発したもの。wifeの心に負担をかけてはいけ
ないのに、忘れてしまい無理をさせてしまっ
た。
 wifeは話す。「{22歳齢(とし)の差があ
り}自分との時間は他の人よりも短いよね?
齢の差があるだけ、な~んの思い出もなく、
ただ老後のために仕事をし、気が付いたら何
処も行けないみたいな人生を送るんだね」。

 wifeの言葉に詰まった。自分だけが「残り
時間が少ない」のではなく、それはwifeにと
っては「夫婦(ふたり)で過ごす時間も少な
いこと」を忘れていた。

 在宅では介護者の愚痴や悩みを聴いている
のに、肝心な家族であるwifeの愚痴や悩みに
耳を傾けず、おざなりにしてしまった。
 「躰の痛み」は目に見えぬ「悲痛な心の叫
び」に敏感にならねば、と内省せねば・・・。
beagle元気も含めふたりで過ごす時間をつく
っていこう。

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郵便局で「お金を『盗られた』(取られた)」・・・・

2022-08-10 04:12:50 | 阿呆者
1898 郵便局で「お金を『盗られた』(取られた)」・・・・



 物事を知らないと、損をしてしまう今の世
の中。今日16時過ぎ街の中にある郵便局に行
き、3年半余り「残高 0円」の通帳に、
44,180円入金してきた。ATMから出てきた我
が通帳を見たら、残高が「44,070円」になっ
ていた。上段に「硬貨料金」110円、と記載
されゆうちょ銀行に「盗られて」しまった。

 積んだお金は、利息がつくどころか、逆に
盗られ(取られ)目減りしてしまった。ATM
で硬貨を預払をしたときは、「預け入れ」の
ときは、硬貨枚数によって取られる料金も変
わる。硬貨枚数1~25枚のときは110円、26
~50枚 220円、51枚~100枚 330円になる。

 硬貨百円1枚、預け入れしたときは110円に
なり、通帳残高0円のときは、「ATMは自動的
にお預入れ拒否され」、通帳に入金できない
結果になるのか。そのことを郵便局の人に尋
ねたら嫌味になるのかな。

 子どもたちがコツコツと貯めたお金(貯金箱)
は、窓口に持って行った場合、51枚から100枚
までは硬貨取扱料金として550円も「盗られる
(取られる)」(50枚までは無料)。子どもた
ちの貯金意欲が失われてしまう。可哀想になっ
てくる。それにしても、なんかおかしな話・・・。

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長く感じた癌の痛み 死は一瞬

2022-08-09 05:00:43 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1897 長く感じた癌の痛み 死は一瞬



早朝の阿武隈川、たゆまな川は流れる、川は時間に似ているく

「子宮体癌」、と診断されたのはちょうど
半年前の8日だった。ひとり暮らしの彼女病
室で最期の夜明けを迎えた。69歳の若さであ
った。癌は躰のあちこちに転移し、痛みを伴
もないながらも、最後まで必死に癌と闘った。
ベッドに寝ることもできなくなり、リクライ
ニングチェアに座位の姿勢で休息をとられて
いた。

 他人(ひと)の痛みは目に見えぬだけ、痛
みの大変さ、苦痛は本人だけしかわからない。
彼女にとり癌の痛みはシルクロードのように
長く感じたのではないだろか。
 コロナウイルス感染症のため、何処(いず
こ)も肉親の病室での面会は禁止されている。
彼女も姉妹とは最後の言葉を交わすことなく
寂しく心残りだった、と思う。
 でも、眠るような穏やかな顔であったこと
がせめてものの慰めであった。

 人れ間、この世に「おぎゃあ」と生まれ、
数えきない人と交わり関わり生きる。生きて
から死するまでの過程は、四苦八苦、人生山
あり谷ありで、苦労や苦しみの連続であった
けれど、苦労や苦悩のなかに幸せを感じてき
た彼女。
 それまでの苦悩や痛み、傷みは、死により
解放された。死は一瞬で通り抜ける。死は終
わりではない。




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金網の向こう側に咲く花

2022-08-08 08:44:12 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1896 金網の向こう側に咲く花



散歩路、金網フェンスの向こう側に咲く花に遭遇した。ピンク色の花びら、自分にはわからない「あなたの名前」。
下の花びらは朽ちていたのが痛ましいかった。


たんぽぽ

原詩 狩俣 繁久
作詞 小森 香子
作曲 大西ススム

1 金網の向こうに
小さな春を作ってるタンポポ
金網の外にも
小さな春を作ってるタンポポ
光り色したタンポポは
金網があっても 金網がなくても
沖縄じゅうに春を
ふりまいたでしょう

2 デモ隊の足下に
光りの花を咲かそうとタンポポ
米兵に踏まれても
それでも花を咲かそうとタンポポ
強く生き抜くタンポポを
金網のない平和な 緑の沖縄に
みんなの願いを込めて
咲かせてやりたい

1970年、日本のうたごえ歌曲集に掲載。
原詩者は70年当時中学校3年生。
受験勉強中に二階の窓から見て書いたこの詩は「沖縄の子、本土の子」という子ども文集のとびらを飾った。
原題は「ふまれてもふまれても」。

♪~金網の同こうに小さな春を…。
1970年作文集「沖縄の子本土の子」の扉を飾った詩を詩人・小森香子が補作し、
作曲家・大西進が作曲してうた新同年4/20号に楽譜を掲載。
沖縄では愛唱歌となりバスガイドに歌い継がれるようにもなった。
 原詩の狩俣繁久は目宅から数百mに米軍基地があり、
基地の内外を問わず春を伝えるタンポポを幼い頃から見てきた。
その光景を中学3年時の国語の時間に「ふまれてもふまれても」の原題で書いたもの。
長くひめゆり学徒の教師った仲宗根政善に師事し、方言研究専門の琉球大学授に。
※上記の記事はyahoo『たんぽぽ』から引用しました。

金網の向こうに咲いている花を見て
ふと、『たんぽぽ』の曲を思い出し
♪ 金網の向こうに
小さな春を作ってるタンポポ ♪ を
口ずさむ。


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 無情に「消え去った」

2022-08-07 04:53:29 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1895 無情に「消え去った」



夏のなかに「小さい秋見つけた」

 正しい手順(操作)でUSBメモリーを外
したつもりだが、USBを差し込みしたら保
存した文書は何処へ行ったのか、開くこと
ができなかった。
 USBまで認知症化し記憶が消え去った。
ああああああああ!、と唸るも後の祭り。
今度からは別のUSBまたはドキュメントに
送信せねばと反省しきり。不慣れなPC操作
は、未だに進歩せずにいる。

 朝、beagle元気と散歩のなか、路傍に薄ピ
ンクの秋桜に出会った。何故か路傍に咲く花
に魅かれ心癒されるのは老いた証拠であろう
か。
 秋桜は雨風に打たれ晒され、茎が折れても
枯れずに生き続け花を咲かせる。挫折しても
挫けず秋桜のように立ち上がり、花咲か爺さ
んのように見事な桜の花を咲かせたいものだ。
 「仕方がない」、と負け言葉で誤魔化して
きた今日までの自分。ラスト・チャンスに駆
け、福祉運輸事業(通院等乗降介助、介護タ
クシー)の申請書類作成を始めた・・・・。

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老い逝くさなか

2022-08-06 13:56:22 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1894 老い逝くさなか



夏空のなかに秋の気配を感じさせる雲。朝 beagle元気と散歩しながら空を仰ぎ見る。

 今日、8月6日 ひろしま原爆投下77年
の月日がたっても、いまなおその爪痕は深い。
夏なのに今日も雨が降り、井伏鱒二『黒い雨』
を思い出す。
 ウクライナ侵略戦争はまだ続き、核兵器使
用の危機にある。
 日本政府は戦争の危機を訴え軍事費が膨大
になり、一方で老人の年金受給額は減らされ
るなか介護保険料、国民健康保険等保険料の
自己負担は増え、さらに手にする年金額は少
なくなる。

 先日、印鑑をどこにしまったか忘れ、2時
間もかけ探し回ったが見つからなかった。wife
には小言、苦言を幾度なく浴びせられ、「ぼ
けの始まりじゃないの」、と言われる有様。
諦め「印鑑を作り直すしかない」と思ったそ
のとき本棚の隙間にある紙袋に目が留まった。
もしかしたらと思い、隙間にある紙袋に手を
入れると印鑑入れがあった。歓喜の瞬間であ
った。印鑑の置き場所をwifeに教えた。

 物忘れが始まりぼけが始まった。
耳が遠くなり、小さな声が聞こえなくなった。
先月末に耳鼻咽喉科を受診したら、「加齢性
難聴」と診断された。「補聴器はしなくても
大丈夫」、と医師は言われたが悩んでいる。
 
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