老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

915 ; 犬吠埼の朝

2018-08-31 05:42:53 | 阿呆者

犬吠埼の朝

犬吠埼の海
朝陽から
生きる希望と勇気を
いただいた




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914 ; 水平線の彼方

2018-08-30 16:06:57 | 老いびとの聲
水平線の彼方

いつも朝起きたら
窓一面に海が見える
そんな海の見える家に棲みたい

碧い海の向こう
水平線の彼方
そこまで
海の上を歩けたら最高~

部屋の窓を開けると
波の音が聴こえる
潮風が肺の底まで染みわたる

魚たちはいいなあ〜
海のなかが棲み家

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913;1泊2日 犬吠埼温泉の旅

2018-08-29 20:30:20 | 阿呆者
 1泊2日 犬吠埼温泉の旅

8月30日から31日まで
1泊2日の犬吠埼温泉の旅に出かける。

10年前に妻と犬吠埼灯台を訪れた
そのときは無職であり、 血液透析をしていたときであった。

あれから10年
どんな犬吠埼の風景か、楽しみだ
犬吠埼温泉に漬かりながら太平洋を眺める

8月末で有効期間が切れてしまう
JALクポーンが36,000円分あり、
それを使い
思い切り旅に出ることにした。

beagle元気は妻の実家で過ごす

慣れないタブレットから犬吠埼の旅風景を発信できれば、と
思っているのだが・・・・
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912;うつむく後姿

2018-08-28 19:04:29 | 老いの光影 第3章
 うつむく後姿

長男夫婦は
老いた母親が寝たきりになったら旅行に行けなくなる、
ということで

飛行機で
2泊3日の北海道旅行に出かけた。

その間
91才の清子婆さんは
特別養護老人ホームに併設されている
ショートステイで生活することになった。

寝たきりから歩けるようになった婆さん

今日火曜日から木曜日まで利用する(2泊3日)

どんな顔をしているのかな
知らない処に一人で泊まる不安や気兼ね

午後のおやつ後に面会に行った

彼女も食堂のテーブルに向かい坐っていた。
会話ができる老人は誰もいなかった。

テーブルの周りに坐っている七人の老人は
誰もがテーブル板をみているのかどうかわからないけれど
うつむいたまま無言に坐っていた。

テーブルの周辺には介護員の姿はなく
ただ下をむいていた老人がいるだけ

清子婆さんは耐えられなかった


彼女は、私に話す
「泊まり(ショートステイ)は、今回限りで終わり、もうここには来ない」
「何にもせずにただ座るだけでは耐えられない」
「ずっと下をむいたままでいると、こころが閉ざされるようだ」




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911;非日常的な空間

2018-08-28 12:04:06 | 老いびとの聲
 非日常的な空間

室は
季節の移ろいを感じさせない
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910;生命を育む

2018-08-27 22:48:57 | 生老病死
 生命を育む

赤ちゃん(子ども)の生命を育む
生命を慈しむ

老人の生命を育む、と言うのだろうか

それとも
老人は生命を削って往くとき
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909;息を引き取る

2018-08-27 04:44:02 | 生老病死
 息を引き取る

「息を引き取る」とは
呼吸が止まり
亡くなる。

最期の言葉を残し
息を引き取った

手を握りながら
息を引き取った

家族に見守られ
息を引き取った

病室で
ひとり寂しく
息を引き取った


息を引き取る風景は
人それぞれ

どこで
どのように
息を引き取るか


にんげん
生れるときは
「おぎゃあ~」、と
おおきな声をだし
自分が泣く

死ぬときは
周りが泣く


生れるときは
ひとりではなかった


だから
死ぬときも
ひとりではなく
傍にいて欲しい
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908;閑話 「生」と「死」

2018-08-26 09:54:26 | 老いびとの聲
 閑話 「生」と「死」

要介護老人の「死の備え」
ひと休み


閑話 「生」と「死」について
あれこれ思いを巡らした

数多の老人の死から
生きてきたように 死ぬ

その人の「生き方」は「死に方」に現れるし
「死に方」は「生き方」にも通ずる。

まだ自分の「生き方」は中途半端で
きっと成仏しない「死」なのかな、と。

「生き方」と「死に方」は同じであるのかもしれない
生死一体

「只今ご臨終」の気持ちで
今日という日を
精一杯生きる
蝉のように
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907;要介護老人の「死の備え」(6)  家で死ねて幸せ

2018-08-25 03:54:01 | 生老病死
 要介護老人の「死の備え」(6)  家で死ねて幸せ

18時50分頃
肺水腫により三郎さんが
眠るようにして自宅で
永遠の眠りについた
92歳だった

長男から「息がしない」、と電話が入り
急いでキャンバスに乗り三郎さん宅に向かった
8分後には到着
三郎さんの手を握るとまだ温かった
本当に穏やかな表情だった

今日16時頃は
三番目の孫娘から好きな蒲萄を食べさせてもらい
恵比須顔の三郎さん
最期まで「自宅で死にたい」、と話され長男夫婦に看取られた

ヘルパーにおむつを取り換えてもらい
訪問看護師はエンゼルケアを
日曜日で主治医に連絡がつくかどうか杞憂したが
早く連絡がとれ、死亡確認を行うことが出来た

大の病院嫌いで
前回はSpO2が70台まで下がり
先月は急遽搬送し入院した
その後回復し退院

酸素療法となり訪問看護 訪問入浴 訪問介護を入れ
看取りの支援体制をとってきた

食べたいものを食べ
傍らには妻が居て
つねに母屋から長男嫁、長男が訪れ
家族の絆(つながり)があった

病院のベッドではなく
長年生活してきた自宅で亡くなることができた三郎さん
本当に幸せ者だった
今の世の中
なかなか自宅で死ぬことは稀である


blog741 再掲

三郎さんは
大の病院嫌い
リハビリ目的でデイサービスをプランに組んだこともあったが
デイサービスも1日だけ行ったきり

老いた妻と家で過ごす
ただそれだけ

肺に水が溜まり入院
腎臓の機能も低下し血液透析(人工透析)寸前の数値

先は長くはないと、感じた
本人は「自宅で死にたい」、という気持ち
長男夫婦に問いかけた

最期まで自宅で看よう、ということになった

自宅で看取りをされる場合
家族が最期まで自宅で看取る、という強い覚悟と
そして、本人や家族介護者を支える人たち

いままでは手すりの福祉用具しか介護サービスを利用していなかった

人生の最終コーナーでは
利用できる介護サービスを使った

 訪問看護 自立呼吸は困難となり在宅酸素となった
 訪問入浴 大の風呂好き 血圧や酸素濃度の数値をみながら入浴
      訪問入浴のスタッフ3名のなかに看護師が1名配置されているから安心
 訪問介護 ねたきり状態になり、トイレに行けなくなった。
      はじめての紙おむつ。ヘルパーによるおむつ交換とおむつ交換の仕方を教わる長男嫁
 福祉用具 介護用ベッド、エアマット

 在宅酸素の機器
 訪問診療 泌尿器科の医師

退院したときには、上記の各サービスに係る人たちが集まり
看取りの支援体制について話し合いをもった

かかりつけ医への情報とかかりつけ医からの指示は
訪問看護師とケアマネジャー(私)

最期、呼吸が苦しい状態を見て
家族は救急車を呼びたがるが
「家で死にたい」という本人の気持ちを汲み取り
気持ちがぶれることなく 看取ることが大切

それには何かあったら、専門の看取りチームがあること
長男夫婦には支えになった

孫やひ孫まで囲まれながらの「死」の看取り

繰り返しになるかもしれないが
在宅で安心して「死」ぬには

「家で死にたい」という本人の気持ち
家族の協力

本人、家族の不安を少しでも軽くさせる 
ケアマネジャーのこまめな訪問と訪問看護師、ヘルパーなどからの言葉かけ

介護は「金」がかかる (三郎さんの場合は自己負担は2割であった) 
(介護費用が厳しいときには、ケアマネジャーに相談されることが大切)
(月額にしてどの位かかるのか、ケアマネジャーに試算してもらう)

訪問系介護サービスのフル活用
かかりつけ医への情報提供となにかあったときは「かけつけてくれる」という信頼関係

夜中でもケアマネジャーや訪問看護師がかけつけてくれる事業所を選ぶこともポイント

夜間、休日に関係なく「死」は訪れる
夜間でも休日でも、時間外でもケアマネジャーと連絡が取れる
電話連絡がとれアドバイスを受けても不安
かけつけてくれ、対応してくれるケアマネジャー



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906;要介護老人の「死の備え」(5) 家で死にたい(在宅の看取り)

2018-08-24 18:15:41 | 生老病死
(地域密着型)デイサービスさくらさくら 周辺の風景 市街地にある

 要介護老人の「死の備え」(5) 家で死にたい

終戦後は、産まれるも死ぬも
「家」であった。

私はどこで産まれたか
母親に聞かずじまいで
いま思うと残念であった。



今日、我家の畳の上で「死」を迎える老人は
10人につき1人の割合

今年1月から8月までの間で永眠された方は、4人
(担当した要介護老人)


家で亡くなった人      2人(男性、男性)
サービス付き高齢者向け住宅 1人(女性)
病院            1人(女性)



家で亡くなった2人の男性の場合はともに
長男夫婦と老いた妻が 看取りを行った


利用されていた介護サービス

96才の男性は 訪問看護 地域密着型通所介護 福祉用具貸与(介護用ベッド、エアマット)
        (医療サービス) 訪問診療 


92才の男性  訪問看護 訪問入浴介護 訪問介護 福祉用具貸与(介護用ベッド、エアマット)
        (医療サービス) 在宅酸素 訪問診療


blog907、blog908で、家で亡くなった老人の様子を紹介していきたい        
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905;石のぬくもり ②

2018-08-24 12:05:53 | 老いの光影 第3章
 石のぬくもり ②

介護ベッドの上で
寝返りすることもできず
ジッと天井を見つめたまま

長い一日を過ごす苦痛
屈伸することもできず
両手両足は「く」の字に拘縮したまま

硬くなってしまった老人の体は
石のように冷たい

辛夷(こぶし)の如く
握りしめた指をひと指ひと指解し
空に向って開いた手を握り返す
微かにぬくもりが伝わりはじめてくる


路傍の石はジッとしたまま
何処へも行くことができず
地べたにへばりついたまま

石の表面は
青空を見つめ
太陽に照らされ
ぬくもりの石になる

石の裏面は地べたに引っ付き
冷たいが
表面からやさしいぬくもりが
じわっとつたわり
ぬくもりの石になる


再掲
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904;要介護老人の「死の備え」(4)  延命治療を望むか否か

2018-08-24 00:00:08 | 生老病死
 要介護老人の「死の備え」(4)  延命治療を望むか否か

医療の進歩や医療制度の充実により
長寿国となったわが国。

医療技術を駆使して
死期をある程度引き延ばすことをしてきた時代があった(延命治療)


生命の最終段階になると、
体が食べ物を受け付けず
人は自然と食べなくなる。



国民皆保険の前の時代は
貧しい人たちは、病院や医院にかかることもできなかった。
点滴や胃ろうもなく
自然死のまま穏やかな最期を迎えた。



終末期にある老親に
家族は医師に「最善の治療をお願いします」、と
医師にその判断を任せてきた。

延命治療を行うことで
却って患者本人に苦しい思いをさせている場合もある。


延命治療を望むか否かは
患者本人や家族の判断によるしかない。


延命治療を望むか否かは、
元気なときに 本人は 
はっきりとした意思表示をしておく必要がある。


延命治療である
 ・心臓マッサージなどの心肺蘇生
 
 ・人工呼吸器の装着

 ・鼻チューブや胃ろうによる栄養補給、などはしたくはない



自然と食べなくなることに逆らわず
静かに穏やかに息を引き取る(自然死)

病院ではなく、住み慣れた家で死にたい


管につながれた老人を 
目の当たりにして
あなたは
何を感じ 
何を思う
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903;生きてきたように 死んでゆく

2018-08-23 22:36:52 | 阿呆者
 生きてきたように 死んでゆく

生きてきたように 老いてゆく
生きてきたように 呆けてゆく
生きてきたように 死んでゆく

老い方も 呆け方も 死に方も
その人の生き様の現れ
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902;要介護老人の「死の備え」(3) 深夜・夜明けであっても 往診できるかかりつけ医を持つ 

2018-08-23 04:00:08 | 生老病死
  要介護老人の「死の備え」(3) 

本人の状態が急変し
救急車を呼んでも
搬送中に「死」んだとき

救急隊員がかけつけたときには
生命が途絶え「死」んだとき
救急隊員から警察に通報される場合がある。

自宅で亡くなってしまっている家族を発見したら、
警察に連絡しなくてならない。
警察が現場に到着すれば
検死になってしまう。

検死になると
警察は疑うことが「商売」

いままで一生懸命
義父義母の介護を献身的に尽くしてきた息子嫁が
犯人扱いされ
本当に嫌な思いをし
後味が悪い。


救急車を呼ぶことよりも
かかりつけ医に来てもらうことが先の場合もある。



ただし病気療養中であった場合は、
たとえ亡くなられたのが自宅であっても
必ずしも検視が必要になるわけではない。


かかりつけ医がいて、
診察後24時間前後の死亡で、
治療中の病気に関連する死である場合は、
かかりつけ医が
死亡診断書を交付することができる。


自宅で 急変した(危篤状態になった)ときは
慌てないこと。
そうは言っても慌ててしまうのが人間。

そのときは、ひと呼吸をおき
  
  訪問看護サービスを利用している場合は
  訪問看護師に電話連絡する。

  訪問看護サービスを利用していない場合は、
  ケアマネジャーに電話連絡する。



訪問看護師やケアマネジャーから

かかりつけ医と連絡をとり
かかりつけ医が 訪れ 診察し
亡くなった場合は
「死亡確認」がなされる。



深夜あるいは夜明け、休日であっても
往診(在宅訪問医療)できるかかりつけ医を
持つことが大切になってくる。
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901;要介護老人の「死の備え」(2)  かかりつけ医を持つ

2018-08-22 11:50:50 | 生老病死
 要介護老人の「死の備え」(2)

在宅訪問のとき
とうの本人(要介護老人)や家族介護者に
下記のことを話しをします。

在宅介護をされていて
いつもと様子が違うとき

かかりつけの開業医(医院、クリニック)に
気軽に電話でき すぐに診てくれる医師を
持つことが大切です。

いま
(総合)病院だけしか外来受診されている人

 症状悪化により入退院の繰り返しのとき、
 老衰が進んだとき、
 余命を告知されたとき
などの老人は

かかりつけ医をつくることも大切だと
話しをします。

できれば往診をしてくれるかかりつけ医を
見つけられるともっとよいでしょう。

なぜかかりつけ医をつくることが
大切であり必要なのか

それは、本人の状態が急変し
救急車を呼んでも(総合)病院まで搬送が間に合わず
途中で「死」を想定されるとき

救急隊員がかけつけたときには
生命が途絶えたとき


そのときは「検死」になり警察が入ります
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