老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

自分の足で歩く

2022-08-17 03:51:45 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1901 「猫」と「犬」そして「自分」



独古牧場 干し草のところで2匹の可愛い子猫 ピンボケがあり残念



車窓から外を眺め何を思う、犬は窓から首を出し
景色を見るのではなく、外の匂いを嗅いでいる・・・・



月に一度のシャンプー。9歳4ヶ月 beagle元気
老いは隠せない、耳の淵が「白く」なってきた



季節外れの風景だが、この風景はお気に入り
南湖公園(白河市)

 
 自分は猫も犬も好き、にんげんも好き。
「ニンゲン」に生まれ、ひかり新幹線よりも
速く時は過ぎ、気がついたら老いの季節。
昔話「浦島太郎」を思い出した。玉手箱を開
けたら一挙に白髪となった浦島太郎。まだま
だ(人生の)時間はある、と思っているうち
に、70歳を迎えた。
 どんな出来事に遭遇するか。頭と足の動き
は鈍くなってきたが、自分の足で歩いていく。

老いてから、自分の誕生日を迎えるたび、
亡き母を思い出す。親不孝な自分だった、と
反省する。終戦の7年後に生まれた自分は、
貧農であったため粉ミルクを買うこともでき
子育ては苦労した、といつも母は話していた。
米のとぎ水と山羊の乳で育てた。八ヶ月で生
まれ、超未熟児。鶏の毛を剥ぎ取った状態の
赤ん坊だった。歩き始めたのは二歳を過ぎて
から。そのせいか土踏まずは形成されず、べ
た足であった。病弱だった幼少期。

いまこうして、病気を抱えながらも70の
齡を迎えることができたのは、目に見えぬ
多くの人のお陰である。自分だけの力で生
きてきたのではない。感謝の一言に尽きる。
(長々と自分のことを書いてしまった)。

 隣で元気はいびきをかき気持ちよく寝てい
る。幸せな風景である。小さな幸せを重ね往
きながら、「時をかける」老人になりたい。