老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

具不退転

2024-01-01 15:47:22 | 老いの光影


1992 具不退転

筑波山を眺めながら初日の出
1024年が始まる。

「具不退転」の気持ちで、要介護老人たちの移動支援サービスに挑む。
安全を隣に乗せる心がけを忘れずに「命」を運ぶ。
普通自動車運転免許証を返納された地域の高齢者。
いつでもどこでも、自由に通院や買い物ができる地域の高齢者の足になれれば、と思う。

齢71から72になる、辰男の年。

60日以上もblogが途絶え、画面は黒から白に変わり果てた。
1024年になったことをキッカケにpcに向かう。

これからは一日生きるごとに、終焉が一日近づく。
そう思うと今日という時間を無駄にせず「生きる」。

小さな幸福感に浸れるような出来事に遭遇したいものだ。
物忘れは増えた、とwifeから苦言され
近いうちに頭の中をMRIで覗いて見なければ、と思い
認知症専門医に受診することにした。

読むこと書くことを続け、頭の中が「錆」ないようにしたい。
拙いblogに再度挑む。

よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桜木紫乃『家族じまい』集英... | トップ |  蜉蝣(かげろう)はその日だ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

老いの光影」カテゴリの最新記事