僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~比叡山延暦寺 無動寺明王堂・辨天堂~

2018-09-22 08:39:39 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 比叡山延暦寺には「東塔」「西塔」「横川」という3つのエリアがありますが、東塔の無動寺谷に「無動寺」という塔頭があります。
東塔の一谷とはいっても無動寺谷は別格扱いとなっており、別名「南山」とも呼ばれ周辺には幾つかの塔頭が点在しています。

また比叡山には「三大弁財天」と呼ばれる弁財天を祀る辨天が3つあり、それは西塔の「箕淵弁財天」と横川の「箸塚弁財天」、そして無動寺にある「無動寺弁財天」だとされています。
3つの弁財天ではそれぞれ御朱印が頂け、今回の無動寺参拝でやっと3つ目の弁財天にお参りできたことになります。



無動寺は東塔の駐車場からだと歩く距離が少しあると聞いていましたので、最短距離となる坂本ケーブルに乗って行くコースを選びました。
猛暑になりそうでしたから気温が上がる前に歩き出したいこともあって、坂本ケーブルには始発に間に合うように車を走らせます。

ケーブルは10名少々の方が乗車されており、寺院関係で働いている方の出勤ケーブルなのかと思えてしまうほど、みなさん顔を合わせるたびに挨拶を交わされています。
何とも和やかな雰囲気のケーブルではありましたが、崖側の席に座ったため車窓から見る直下の崖が怖く感じてしまいます。
地震でもあったらそれこそケーブルごと谷へ落ちてしまいそうな崖沿いを運行するケーブルです。



坂本ケーブル駅を降りると東塔と無動寺の分かれ道になりますが、無動寺方面へ歩きだしたのは当方のみです。
一之鳥居を抜けた後は一人で心細く山道を下っていくことになりました。



不思議なのは塔頭エリアへ向かっているにも関わらず、鳥居が続くこと。
麓の日吉大社の影響が強いのかもしれませんが、いま比叡山延暦寺の山中にいるとは思えないような参道を歩き続けます。



三之鳥居までくるとその奥に「閼伽井」がありました。
内部には入れませんが、近くにいるとボコボコを水が湧く音が聞こえてくるのは周囲が静かなだけによく響きます。
無動寺は千日回峰行で重要な修行の堂となっており、この閼伽井には堂入りの際に大きな役割があります。



無動寺明王堂は5年700日の回峰行を満行した行者が9日間の“断食・断水・断眠・断臥”の堂入りの荒行を行う堂とされています。
まさに命をかけた荒行の行者は、食べず飲まず眠らず横にならずで真言を唱え続ける四無行の行をおこなうだけでなく、日に日に衰弱していく体で午前2時にはこの閼伽井まで来て不動明王に供える水を汲みに来なければなりません。
行者は水をお供えするだけで飲むことは許されてはいませんので、全ての欲求を断ち切る意志の強靭さがなければ到底出来ることではないのでしょう。



そういう聖なる閼伽井ですから無動寺までの参道は綺麗に掃き清められてありました。
帰りに若い僧が掃いているところに出会いましたが、長い山道を掃いていくのは大変そうだなと思いつつも、それが修行の一つなのかと思い納得する。

無動寺エリアはそれほど広大な谷ではありませんが、堂宇を巡ろうとすると勾配が強く、一旦下まで降りてしまうと今度は登ってくるのが大変です。
境内の下からの道は、最後にこの石段を登りきれば無動寺明王堂へ行くことが出来ます。



明王堂の横に鐘楼がありましたが、無動寺は観光寺ではありませんので梵鐘を撞くことは出来ず、決められた時間に僧の方が撞かれているようです。
銘を見ようとするも薄くなっていて読み取れなかったものの、梵鐘の下や周囲は綺麗に掃き清められているのに感心致します。



本堂の横には阿闍梨の石像と祠があります。
鳥居が山王鳥居になっているのは日吉大社の影響なのでしょう。
比叡山の麓の坂本の一帯には日吉神社を始めとして寺院が密集していますので、神仏信仰の聖地であることを強く感じられる地域です。



明王堂では外陣で参拝することができるため、外陣へ入らせていただき、線香をあげさせていただきます。
内陣では朝のお務めなのでしょうか、一人の僧の方が静かに読教されている姿がみえます。

読教が終わるまで外陣でじっと座っていると、室内はさほど暑くはないにも関わらず、坂の昇り降りをしたこともあってか急に汗が吹き出してくる。
格子の奥の須弥壇には不動明王立像と制多迦・矜羯羅の童子が見えるが暗すぎてシルエットしか見えない。



読教されていた僧は鈴を何度か鳴らされ五体投地をされてお務めが終わり、須弥壇にロウソクを灯されて格子を開いてくださいましたが、お不動さんは護摩行の煤で黒く詳細は見えず目だけが光っているように見える。
僧呂の方はそのまま堂を出られてしまったため堂に中に一人きりになりましたが、堂入りの行が行われる明王堂にいるとは思えないほど静かで落ち着いた外陣にしばらくの間、只々座っておりました。



無動寺で最も低い位置にあるのは玉照院。
禅宗のような門構えとなっていますが、開門時間はまだのようで門は閉じられている。



少し登ったところには大乗院があり、親鸞上人修行跡地の石碑が建てられています。
比叡山延暦寺は鎌倉仏教の祖師たちが修行していた霊山ですから、何ヶ所かに聞き馴染んだ祖師由来の修行地があります。



明王堂まで戻って今度は無動寺弁財天(辨天堂)へお参りすることにします。
比叡山3大弁財天といいますが、この無動寺弁財天は他の2弁財天と比べると群を抜いて大きな堂となっています。



無動寺谷は千日回峰行の祖といわれる相応和尚(建立大師)が開かれたとされており、辨天堂は相応和尚を守護する白蛇(弁財天)を祀る堂といわれています。
近くに沢があるのか水音がしていて、とても冷たい空気を感じます。



辨天堂を神の領域を考えるかどうかは別にして、ここには明王堂で感じるような熱のある静寂さとは違い、冷水のような気が満ちているようです。
仏を前にして感じることと、神鏡を前にして感じることには思い込みもあって少し感じ方が変わりますね。
本殿前の左右に大きな榊立てがあり、白蛇が巻きついてます。



本殿は中に入ってお参りできますので堂内で参詣させていただきました。
境内には祠が幾つかあり、「宇賀神王」「白龍弁財天」「赤井稲荷」「水掛弁財天」などが祀られています。
何かしら刃物のような気を感じてしまうような場所だなぁと思いながら辨天堂を後にします。



無動寺谷は坂本ケーブルから行くと、とにかく谷へ下るばかりになりますが、帰り道はひたすら登り道を行くことになります。
途中で出会ったのは掃除をされている若い僧が何人かだけです。

僧の方はハキハキとして挨拶をしてくださいますが、息を切らしながら山道を登る当方はなんとも滑舌の悪い挨拶となってしまいます。
やっとケーブル坂本駅まで着きましたが、ケーブルは出たばかりで次のケーブルを待つことになりますので、登ってくるケーブルをしばし待つ。



坂本ケーブルは記憶にある限りでは初めて乗ったと思っていますが、このケーブルは途中に停車駅が2つあります。
最初に連絡しておくと停めてくれるようで、「ほうらい丘」と「もたて山」の2つの駅があります。

「もたて山」駅の近くには平安時代の歌人で土佐日記の作者の紀貫之の墓碑があるそうです。
紀貫之は裳立山(標高580m)のピークから眺める琵琶湖の風景をこよなく愛したと伝わります。

「ほうらい丘」は坂本ケーブルの建設時(大正末期)に発掘された多数の石仏を祀る霊窟が車窓からも見えます。
この石仏群は、織田信長の比叡山焼き打ちで犠牲になった人々の霊を慰めるため、土地の方々が祀った石仏と伝えられているようです。



比叡山は観光化されている一面があるとはいえ、やはり巨大な霊山であることに違いはありません。
何度訪れても新たな驚きがあり、約100あるといわれる堂宇の中で参拝出来たのは一部のみです。
山中はあまりに広大なため車・バス・ケーブル・ロープウェイなどを使うことになりますが、回峰行では山中のみならず山麓の坂本や京都市内まで歩くことになりますので、それだけでも過酷な行となりますね。


コメント
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