古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

集団自決の本を読むことにしました。

2022年03月18日 21時30分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は一日中雨でした。一歩も外に出ませんでした。しかし、電動ウォーカーで、時速4キロ/2キロメートルを歩きました。午前中歩いたのですが、しんどくて途中でやめたくなりました。でも少しスピードを落として、最後まで歩きました。
 夕方「今日は外に出なかったし、歩数も歩いてない。もう一度電動ウォーカーで歩こう」と思いました。歩きはじめてみるとしんどくない。午前中とちがい、体の中に元気を感じます。時速4,4キロにあげて2キロメートル歩きました。
 年寄りは、体調や気分でずいぶん意欲がちがいます。「頑張らない。無理をして/歯を食いしばって/死力をつくして/運動をしない」ように心がけます。
 そうそう、こんな体験を聞いたことがあります。神戸の名谷で、学校関係の老人に封筒を配っていたときに聞いた話です。
「駅に行くバスに乗ろうと、バス停に向かって歩いてたときですわ。あと10メートルあまりでバス停というとき、目の前をバスが通りすぎました。〈アッ! バスが来た!!〉とバス停に走ろうとしました。そのとたん、胸が締めつけられたように痛くなり、倒れてしましました。救急車で病院に担ぎ込まれ、心臓のナントカで2週間入院し、〈一生気をつけるように〉といわれました。いまはどんなことがあっても走りません。バスが目の前を通っても。地震や火事でも。心臓なんて生まれてから今までなんともなかったのに」
 ぼくも頑張りません。でも今日は電動ウォーカー2本が軽くいけました。こういう日もあっていいかな。

 図書館で借りた本の中に『満州 集団自決』(新海均 著 2016年9月発行 河出書房新社)があります。この本を読むかどうか思案していましたが、読むことにしました。
 いまの日本の若い人たちには考えられない極限の状況下で、満蒙開拓団の老人、女、子どもたちは、集団自決をしました。日本の国家に見捨てられ、日本の軍隊に見捨てられて、侵入してきたソ連軍や、土地を収奪されて恨んでいる現地の人たちに襲われそうになった。27万人が開拓団として渡満し、8万人は生きて日本に帰ることはできませんでした。 
 60歳から70歳までの10年間、ぼくは『満蒙開拓青少年義勇軍』の方々に、開拓団体験の聞き取りをしました。兵庫県出石郡高橋村の集団自決も、体験された方に話をききました。しかし書き物の形で残すことができずに「ぼくの聞き取り」を封印しました。いまこの本を読むと、当事者でなくても、話を聞くだけでも、思いを致すだけでも、心のエネルギーが、勇気がいります。で、「読もうか。封印のままにしようか」とためらっていました。
 この本は最近(2016年)に出た本です。80年近く昔のことを、いまになっても、伝えようとする人がいる。聞き取りするだけでもつらく、何を聞いたか思い返すだけでもつらい話でも、目をそらさないで、真正面から向き合ってみよう。
 そんな気持ちで、読むことにしました。

 
コメント
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