金曜日、夕方、思い立って、上野へ、
目指すは、ヴェネティアの美女。
そのふくよかな、姿、深みのある肌の色、
昨年見た、グラーナハと比較すると、
どうしても、イタリアに軍配を挙げてしまうのは、
アルプスの北には、文化が無いとの思い込みの故でしょうか、
とはいえ、こうして西洋の美術品を見るとき、
その作品の背景となった聖書の知識の有無が鑑賞の深さの違いになると、
改めて感じるのでした。
クラーナハにしても、ティチアーノにしても、
男の生首を持った女性を描いています。
それが、聖書の一場面を描いた作品。
それを知っているのと、知らないのでは、
ただの不気味な絵、あるいは、有名な絵なだけなのです。
きっと、肖像画に描かれた「教皇パウルス3世」についても、
その人について知れば、
鋭い眼光の理由も、分かるはず、
一つの絵に、たくさんの物語が含まれているのは、
宗教画も、人物画も変わりありません。
ベネティアの栄華の半輪に触れた後、
上野の山を下っていくと、寒桜の花が満開、
重厚な宗教画の重さを、少しだけ、軽くしてくれました。