妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

好きなもの、好きなこと、
思いついたまま綴っています。

好きの範囲は人それぞれ、お注意下さい。

妄想を少しと、好きな物、好きな事を備忘録のように、

いくつかの叶った夢、 数え切れないほどの忘れ去った夢、 平凡だけど、悪くはなかったと思う日々。 変わりのないことを嘆くのでなく、 変わらないことに安堵する、 でも、目を開ければ、小さな様々なことが変わっていく、 そんな小さな変化を言葉に綴り、 週末には酒を飲み、 日々、恥ずかしい妄想を、写真とともに、更新する。 そんなブログなのです。

歴史

2010年05月26日 | 読書
ブラウザーのアクセス履歴を見ながら、同じ歳のころの自分を思い出します。
30年前、女性の裸や性的な関心へのアクセスは、印刷物でした。
硬派系の週刊誌の小さなコラムでも、想像の世界を膨らませました。
自宅で動画などは、学生が簡単に手にできるものではなく、
映画館が唯一の場所だったのです。

昭和地下劇場とか国際名画座、中野のひかり座。
とても怪しげで、貧乏学生にとって居心地の良い映画館で、
ようやく、動く裸の女性に出会えたものでした。
それでも、一番の楽しみは、雑誌で、
新刊を買うのなど、臨時収入のあったときで、
もっぱら、新古本を手にとっていたのでした。

運転免許を取得した時、
一番やりたかったことは、レンタルビデオの会員になって、
自宅で、ゆっくりと楽しむことでしたが、
それは、社会人になって、ビデオデッキを買うまでお預けでした。
それでもまだ、ビデオソフト自体は高価なもので、
やはり主流は印刷物だったと思います。
誰しも、不自由があれば、そこにビジネスは創られるもので、
神保町のダビング店が賑わっていたのもこのころです。

そんな時代を生きた私にとって、
アダルトビデオ革命史」 藤木TDC著 幻冬刊にある
製作会社や女優さん、監督の名前も記憶にあるもので
とても懐かしく、楽しく拝見しました。

よっやく、咲き始めました

2010年05月22日 | 薔薇
去年の今頃、バレンシアの花の蕾が膨らんでいました
今年は、ようやく、花芽がついたところです。
でも、ミニバラの花が咲き始めたこのごろです。
残念ながら、他の二鉢は、元気がないのが寂しいのですが。

ともあれ、バラのとなりの都わすれがさかりで、
薄紫のカワイイ花をさかせています。
少し、いつもよりも、遅い我が家のお花です。


動く女性

2010年05月13日 | 読書
30年前、女性の裸や性的な関心へのアクセスは、印刷物でした。
硬派系の週刊誌の小さなコラムでも、想像の世界を膨らませました。
自宅で動画などは、学生が簡単に手にできるものではなく、
映画館が唯一の場所だったのです。

昭和地下劇場とか国際名画座、中野のひかり座。
とても怪しげで、貧乏学生にとって居心地の良い映画館で、
ようやく、動く裸の女性に出会えたものでした。
それでも、一番の楽しみは、雑誌で、
新刊を買うのなど、臨時収入のあったときで、
もっぱら、新古本を手にとっていたのでした。

運転免許を取得した時、
一番やりたかったことは、レンタルビデオの会員になって、
自宅で、ゆっくりと楽しむことでしたが、
それは、社会人になって、ビデオデッキを買うまでお預けでした。
それでもまだ、ビデオソフト自体は高価なもので、
やはり主流は印刷物だったと思います。
誰しも、不自由があれば、そこにビジネスは創られるもので、
神保町のダビング店が賑わっていたのもこのころです。

そんな時代を生きた私にとって、
アダルトビデオ革命史」 藤木TDC著 幻冬刊にある
製作会社や女優さん、監督の名前も記憶にあるもので
とても懐かしく、楽しく拝見しました。


家庭内PKOのつもりでも、

2010年05月11日 | つぶやき
ツイッターを眺めていると、

Googleを開く、
「夫」と入力する、
とても、シュールな、検索候補が出ます。

独身の男性は、
また、こんなサイト探してきて、、、
と呆れてました。

既婚のお姉さまは
「こんな検索したしないなんて、暇な人多いのね、、、」
とのことです。

しかし、
家族サービスだと、早く帰宅すると、
妻にとっては、残業だって、
コメント、
確かになって、思うのです。

夫にとっても、
早く帰宅するのって、
ある意味、
残業より、残業だったり、するしね。

満開の都わすれ

2010年05月01日 | 薔薇
4月初旬から、
めだかの棲家の水が濁っていました。
雨が降ると、その濁りは治まります。
同じ時期、喉の痛みというか、
ざらついた感じがありました。
加湿器を付けてみても、
あまり改善しません。
空気がそれほど乾燥していないのに、
喉の調子が悪かったのです。
不思議なことに、
出社して、コーヒーを一杯飲むと、治るのです。

めだかの水は、同居しているザリ君が
水底を掻き混ぜているからだろう、
のどの不調と、それが結びつかなかったのです。
でも、冬眠から目覚めたザリ君が、
季節はずれの寒の戻りに負けてしまった後も、
水の濁りは治まりませんでした。
よくよく考えると、その原因は、黄砂だと思うのです。

例年との比較とか、時期がどうなのか、
気に留めていなかったので、わからないのですが、
確かに春先、東京にも、黄砂が届くことがあります。
ただ、それにしても、ニュースになるほどで、
これほどの変化があるとは思っていなかったのです。
今年が特別なのかもしれませんが、

ザリ君やら、メダカの動き、水の濁り、
玄関先の発泡スチロールのリンゴ箱という
とても小さな世界でも、季節の変化は明らかです。
子達の歓心を買おうと、作ったそれも、
親の私のほうが楽しんでいるのです。
女性の足元や、スカートの裾だけでなく、
身の回りの小さな出来事からも、
季節を感じるこの春です。