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新生 森友学園 新体制の声明!

2017-03-31 00:27:41 | 日記

   熊たちもなにかに驚いているようなのですが……

今宵ははやく寝ようかと思っていていたのですが、メールを開けてないのに気がつき、
そして開いたのがまずかったのでした。
表題の件については、終りのほうに書かせていただきました。 

◆ 郷原弁護士のメルマガの配信があり(このところ続いてます)、28日判決で予想どおり
不当敗訴になった「『刑事裁判の意味』が問われる『夢の街』株相場操縦事件」 につい
ての解説かと思ったら「籠池氏『告発』をめぐる“二つの重大な謎” でした。
籠池事件に興味をお持ちの方は是非とも、上記の記事をお読みいただけたらと。 

そして、その記事の最後の部分です。
「今後、東京地検特捜部は、何らかの「無理筋」の事件を無理やり仕立て挙げて捜査を
行い、偽証告発に向けての動きをアシストするというようなこともあり得るのであろうか。
そして、検察庁を所管する法務省は、これからテロ等準備罪と称する「共謀罪」の国会
審議が本格化する中で、与党サイドの全面協力を得る必要がある。このような状況に
おいて、籠池氏の「告発」をめぐって起きた「2つの不可解な動き」には、何やら不気味
なものを感じる」。

◆ 菅野完(たもつ)さんという方をご存知でしょうか?
だいぶ前になりますが、確かどなたかが「こんな本を読みました」といって、菅野さんが
書かれた本、『日本会議の研究』 を紹介していただいたことがありました。ぼくもそこで
紹介していただいてなかったら、この本を手にすることもなかったはずです。ほんとうに
感謝しているところです。 

数日前でしたか、お昼のテレビの報道系帯番組で、菅野さんが生中継で突然クローズ
アップされたことがありました。そのときぼくは見ていて、あの菅野さんだとすぐに理解
して驚くとともに、どういう経緯でこうなっているのか興味しんしんなのでした。その後
菅野さんのツイッターによったり、ブログにお邪魔させていただいたりしていますのです。
ツイッターにはこのところ、忘れない限り毎日のように寄らせていただいてます。

菅野さんのツイッターは超過激です。菅野さんの本を読むなりして、その人品骨柄に
について多少なりとも予備知識をもたずにそのツイートに接した場合、たぶん拒否
反応をもってしまうのではないかとおもいます。また、菅野さんは住所・電話番号なども
公開されていて心配になります。おもいきり自由なかたなのだと感じています。そして
また、真理と自由、などといったことばを思いだしたりするのですが。 

菅野完さんの ブログトップページ sugano.ne.jp
こんな記事も 佐藤優と東京新聞と水道橋博士がめっちゃかっこいい件 
こんなサイトも ハーバービジネス オンライン

◆ 表題の「新生 森友学園 新体制の声明」です。
学校法人森友学園 籠池町浪・新理事長の「塚本幼稚園、新体制の声明

この件についても菅野さんのツイートで知りました。そしてその声明をよんで驚くとともに
なんだか嬉しくなりましたですね。
そこに至る過程にはいくつかの出会いがあり、その結果としての新体制への道筋なの
だと思います。たぶん、菅野さんの影響もあったのではないかと推量するのです。

そしてこの新体制へ生まれ変わるという営みは、現在にとどまることを許容されるはずも
ない、という意味あいを含意した継続的意志としての決意表明でもあるはずです。
ですからこの声明が、この内容で十分なのであるということではまったくなく、さまざまな
さらなる批判を真摯に受け止める中で自己総括と自己改革を停滞することなく、不断に
淡々と遂行するということでしかないとおもうのです。

新約聖書には“悔い改め”という言葉が大事な場面にでてきます。ギリシャ語では
“メタ ノイア” というのだそうです。聖書を読む人の間では有名なことばのようです。
そして、この
「悔い改め」という日本語に訳されていることばの原語の意味あいとしては、
「視点、思い、考えを変える」「方向転換をする」という意味なのだそうです。

その意味は多分、前方へ、明日に向かっての方向へと視点を変える、変えさせられた。
なにかによって、そのなにかとの出会いによって前へと、方向転換しようという決意を
生ぜしめたのだとおもうのです。ぼくはこの声明をよむなかで、まさしくほんとうにメタ
ノイアという現実が新生森友学園に、奇跡的にといっても言い過ぎではないように生起
したのだと思うのです。ともかくお互いさまに、“過ちては改むるに憚ること勿れ”の人生
だと思うのです。と、ぼくがいうのもほんとうに的外れで筋違いなことなのですが。
(また聖書のことばを引用してしまいスミマセン)

◆ 本田由紀さんのツイッターにもときどき寄らせていただくことにしました。
以前、寄ったことがあるのですが、こんどまた、菅野さんのリツイートから寄りました。
本田由紀さんがリツイート 3月29日
駐日デンマーク大使館‏ @DanishEmbTokyo 
デンマークでは、全ての17歳までの子どもに月額14,000円-22,000円の手当を、18歳
以降は働いていない学生(大学院生を含む)に月額10万円程度の給付金を全員に支給
しています。医療・教育も無料。経済状況に関わらず誰もが社会人になるまで望む教育を
受けることができます。
 本田由紀さん wiki 本田さんのツイッター @hahaguma

上記本田さんのウイキペディアの履歴を読んでいたら、東大に移る前に「日本労働研究機構」
所属となっています。この呼称はそれ以前は「雇用促進事業団職業研究所」だったはずです。
その機構の名前を見ているなかで、いろいろな懐かしい想い出などを想起したのです。
というのも、 個人的にもですけど、このグループの関係者でも2名のかたがそこに所属してい
たことがあった組織でもあるわけです。 ……どなたかわかりますでしょうか?
 

コメント (2)
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ぼくにとっての“証人喚問”……

2017-03-25 00:31:35 | 日記

               

昨日の記事を読みました。
ぼくも、なんでもいいから、ここに投稿したい気持ちにはなっていたのですが……。

そして、その記事の一部ですが、
「昨日の籠池氏の証人喚問には驚きました。
彼の証言が根も葉もないことなら、首相夫妻は即刻名誉毀損で訴えるべきです。
単に否定しているだけ、ということが全てを物語っていますね」
……まったく同感です。 

昨日のテレビ中継はずっと見ました。きょうはながら見と、やめた見の半々でしたが、疲れた……。
なんでかな~なのですけど、消耗だな~という虚無感とか、ひとごとではないというがらにもない自省性とか……。

そして、そこでぼくが類比的にそうぞうしてしまった、というより思い浮かんでしまった場面は新約聖書に書きとめられているいくつかの場面でした。あのイエス・キリストと弟子たちとの、またその周りにいた人達とのいくつものやり取りの場面でした。そうした場面での理解と無理解、共感と反発、愛情と無関心、真面目と不真面目、関わりと無視といった関係性としてのさまざまな物語が、聖書の記者たちによって証言されている情景があるわけです。

そしてまた、キリストが十字架にかけられるまえに、時の官憲によって逮捕され総督邸に連行されたキリストは、そこでさまざまな形での嘲弄や暴行をうけるわけです。そしてその後、十字架に手足を釘で打ちつけられて絶命してという過程をたどることになるわけです。そして聖書には、その過程でのキリストが言われた数回のことばが書きとめられているわけです。

それはキリストの生涯を総括し象徴するようなことばだと思うのですが、息を引きとるだいぶ前のことばとしてキリストが言われたのは、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」ということばなのだそうです。そしてその後、最期のことばとして「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、聖書ではそのように証言されているわけです。

なんだか、自分でもわかりもしないことごとを書きました。でも、ぼくがわかっているかどうかではなく、聖書にはそのように書かれていることだけは確かなわけです。そしてぼくが類比的だというように感じたことは、証人喚問のすべてのやり取りが上述した様な聖書の場面でのやり取りとなんだか近似的なように感じられてしまったということなのでした。ただここで誤解をさけたいのは、その証人喚問での敵味方関係的な二者関係という枠組みをは、ここでは外すというか該当しないということです。聖書物語への類比というのは、ぼく自身も含めたひと総体対キリストという共存的・対話的・弁証法的な枠組みになるわけです。なんだかじぶんでも意味不明かもしれません。(スミマセン)

聖書のことばをこの投稿で2回も続けて書いてしまいました。なにを書いても自由ですといっても、キリスト教・宗教に違和感を感じられているかたがいたらすみませんです。ぼくは「迷える子羊」「stray sheep ストレイシープ」なのです。ぼくの一番の願いとしては、じぶんにとってほんとうに「ほんとうのこと」を、感じて(信頼)、理解して(認識)、信じられたら(告白)、という道筋をなんとかして、ということなのですが。もちろんこの、信頼、認識、告白という言葉も、ここでは限定的な意味合いで使わせていただいています。ここでも、“類比性”がキーワードなのですが……。

◆  少し前に、ツイッターをすこしばかりうろついたなかで出会った、気になったツイートのコピペです。

澤田愛子 3月24日 富山医科薬科大学医学部看護学科元教授(生命倫理、死の臨床、精神看護学)

強権を振りかざし民間人を「偽証罪だぞ」と脅し続ける自公の議員へ。もう一度言いたい。国民は今籠池さんとあなた方のどっちに好感を持っていると思うか。ネトウヨなどを除いて前者ですよ。その教育観や思想が嫌いでも、国民はもう捨てるもののない籠池さんの側についてしまった。これやばくない?

国民の多数は昨日の証人喚問を見た。喚問後、自公議員は安倍と昭恵夫人を守る為に一斉に籠池氏をペテン師に貶めこの問題を終わらせようとしている、右派メディアがこれに加勢。が、偽証すれば罰せられる状態で真摯に答えた籠池氏の側に国民は誠意を感じた。聴いてた人は彼が真実を語ったと感じている

中沢けい 3月24日 法政大学文学部日本文学科教授・作家

「行政府の最高責任者である内閣総理大臣の私と」「大阪のけったいなおっさん」どっちを信用するのか?そりゃ、当然「大阪のけったいなおっさん」です。だって内閣総理大臣のように警察を含む行政への指揮権持ってないんですもの。偽証罪で逮捕するぞなんて「大阪のけったいおっさん」は言えません。

中野晃一 3月24日 上智大学国際教養学部教授(政治学)4連続ツイート

数で劣る立憲野党が、足元をすくわれないように細心の注意を払いつつ、慎重かつ着実に政権を追い詰めているのは、実に心強いですね。でも最後は、私たちに立証責任があるのではなくて、政権側に説明責任があることを、皆さんお忘れなく。

議会や国民に対して説明を拒み、証拠を隠し、記録を消して逃げ切れれば、うまくしてやった政権の勝ち、ということになりません。これだけ「法の支配」の観点から歪んでいる国有地の払い下げが行われた時に、説明責任を果たせない政権は、国民やメディア、そして野党が退陣を求めるのが当然です。

議院内閣制は、責任内閣制とも呼ばれますが、それは内閣が議会を通じて国民に対して、説明責任を負うからです。これは裁判ではないですから、「有罪」かどうかではなく「無責任」で充分アウトです。そもそも、野党にもメディアにも捜査権ないですから、有罪の立証は極めて難しいのが当たり前。

野党が慎重にいくことには賛成ですが、捜査当局が動かないからといって(特捜って何してるんでしょうね)国民やメディアまでもが立証責任を負う検察の気分になる必要はありません。「なに国家権力や財産を私物化してるんだよ。おかしいだろ、これ!」でいいのです。説明を、さもなくば退陣を。

内田樹 3月24日 武道家・神戸女学院大学名誉教授(フランス現代思想)

国会中継見逃しましたが、総理夫人は携帯を水没させたそうですね。よくもこんな三文芝居の台本書くなあ。昨日のファックスも官邸の誰かが書いているんでしょうけれど、ここまで来るともう「言い逃れシナリオ」書かされている人たちも「やけくそ」みたいですね。痛ましい

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がんばれ籠池理事長??

2017-03-24 00:47:02 | 日記

昨日の籠池氏の証人喚問には驚きました。

彼の証言が根も葉もないことなら、首相夫妻は即刻名誉毀損で訴えるべきです。

単に否定しているだけ、ということが全てを物語っていますね。

以下は私の空想です。

籠池氏は学園に対する夫妻の熱意を受け、小学校建設がスムーズに進むよう夫人に働きかけた。夫人は夫に頼み夫は理財局長に財務省事務次官の椅子をぶらさげつつ、話をもちかけた。

舞い上がった局長は「どうせ自分の土地じゃなし」と、税収不足に悩む国とは思えぬ、籠池氏もびっくりの国有地大バーゲンで応じた。

ところが事が露見したとたん、皆手のひらを返し、局長から「10日間身を隠せ」と言われた籠池氏は身の危険を感じ、捨て身の勝負に出た。


さて、この物語の結末やいかに・・

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Nさんありがとうございます。

2017-03-15 08:23:09 | 日記

Nさん素晴らしい記事をありがとうございます。

ブログを開設して本当に良かったと思いました。

メンバーだけでなく同じような事情を抱える見知らぬ人が、これで勇気づけられるかもしれません。

また、Nさんの痛みがお子さんの成長の糧となっていたことにある種の感慨を覚えました。辛いだけの歳月ではなかったことは、大きな救いにもなったのではないでしょうか。

とはいえ、今回はあくまでトライアルのようで、これから本格的なスケジュールをたてて治療に取り組むのでしょうからできるだけ健康を保たねばならないと思います。くれぐれもご自愛下さい。

そして治療が本当に終了した暁には、皆で快気祝いをしましょう。

 

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「三四郎池」美禰子さんと三四郎!

2017-03-12 00:23:58 | 日記



Nさん、アップしていただいてある「三四郎池」の写真を、お借りします。
Nさんの数日前の記事、「Nです。退院を報告します」を読ませていただきました。
じつに分かりやすくて詳細な病状報告であり、闘病記とも言えるように思います。
Nさんの治療の現在と、事故後から今までの、ぼくが知ることのなかった過程を
教えていただくことができました。また文章表現が分かりやすくすばらしいので、
Nさんの現状の全体像についてぼくなりによく理解することができます。

とにかく、大変な症状をずっとかかえてこられたわけです。痛みというのは、本人
以外には理解不能なことだと思います。ほんとうにお気の毒です!ということば
いがいにはなにもありません。

ぼくが数年前にテニスで腰を痛めた時に、近所の整形外科ではもうテニスは無理
ですよと言われて、慌てて九段坂上にある整形外科に特化した様な病院で検査の
結果、痛みが取れたらその前でも、できるようだったらいつでもやっていいですよ、
と言われたことがありました。

その頃は、歩いて横断歩道を渡るときでもたいへんな苦痛があったのです。テニス
が再びできるなどとは100%考えられなかった。痛みの怖さが常にあったのを憶え
てはいます。でもその痛みは、今では想い出の中の痛みでしかないですね。その
頃の痛みの質、その激しさは、また痛くってみないと分からない!このことは確かな
ことだと思います。

先日のNさんの施術の結果が、そしてこれからの治療が、さらに良い方向に向かっ
いきますようにと、こころからお祈りをするしだいです。

ところで、Nさんのその文章の冒頭には、
「東京大学構内の『三四郎池』です。『迷える子羊ね』なんて言われたら……」、
と書かれています。ぼくはこの文章の意味が実は、よくわからなかったのです。
ここ以外の文章は、ぼくなりにほんとうに分かりやすく読みやすかったのですけど。

ぼくが分らなかったのは、「三四郎池」と「迷える子羊」の結びつきでした。その関係性が
理解できなくて、なにかの譬えなのか、それとも看護師さんとの話のなかでその関係性に
について聞いたことなのか、それとも、Nさんの自己意識(聖書に即した)としての「迷える
子羊」としてのことがらなのか、いったいどういうことなのか、意味が分りませんでした。

たとえば僕にとってのことを言ってみますと、「三四郎池」には何度もいったことがあるけど、
そこで「迷える子羊」を関連づけるようななにかに思い当たることはまったくなかったわけ
です。
ぼくにとってはいつでもそうなのですが、その「迷える子羊」という言葉を聖書とか何かの
文章の中で目にしたときにはかならず、それはぼく自身のことであるという方に意識が向
いてしまうのです。まあそういった自己意識は、ぼくの過去から現在にいたる現実存在の
過程がその通りでもあるので、そういう意識の流れはぼくにとってまったく自然なことです。
つまりぼくは、「迷える子羊」そのものなのですね。そしてこうした自己意識は、無くなるよ
うにしなければならない、残された時間がすくないのだから何とかしなければというじかく
もつよくありつづけているげんざいなのですが。 

(こうして書いていて、なにを書こうとしているのかわからなくなってきてしまいました)

でも、そうなのです。「迷える子羊」については、そうするしかなくて、そうすること以外に
は分かる手立てがないので、その意味を解くべく、グーグルに聞いてみることにしました。
(それにしてもグーグルは不気味すぎて末怖ろしく感じる点があります)

そして、グーグルのお陰ですぐにそれはたぶん解決したのでした。
しかしそれにしても、そういうことであったということを知っていたNさんは、素晴らしいです。
ほんとうに注意深く、丁寧に、ふかくその小説を読んでいるのですね。という思いをつよく
もちました。

といっても、このことについて知っている方にとっては、なにをもったいぶって書こうとしてい
るのかと胡散臭くおもわれていることと思います。でも、そういうことを初めて、こういう場所
で奇しくもNさんによって教えられたことが、ぼくにとってはほんとうに不思議なことなのです。
だって、ここでぼくがNさんの文章になんの疑問も感じなかったら、そうしたことを、事情を知
ることができなかったわけですから、この偶然の不思議な出会いに感謝したいのです。

そしてその事情なのですが、夏目漱石の小説『三四郎』の主人公の2人が初めて出会った
場所が「三四郎池」であったという筋書きなのだそうです。そしてその「迷える子羊」ですけど、
このことばは、この小説のキーワードになるような重要な言葉でもあるらしい、のだそうです。

そして、この小説の主人公である三四郎と美禰子の2人が、なんどもつぶやく言葉なのだそ
うです。そしてこの「迷える子羊」ということばは、この小説の中では、「 stray sheep ストレ
イシープ」「迷羊(ストレイ・シープ)」「迷える子(ストレイシープ)」などと表記さていて、この小説
の中では頻回にでてくることばなのだそうです。

ぼくも大昔、漱石の『三四郎』はよんだのです。でも面白かったという記憶以外には、なにも
記憶にのこっていません。三四郎という名前は忘れなくても、美禰子という名前は忘れてい
て、こんかい少しだけ読んでみてなんだかそういえばそんな名前がということなのです。しかも、
お恥ずかしい限りなのですが、この美禰子の読み方「みねこ」を「みやこ」としてインプットして
いました。これは、美禰子の禰は、禰宜とか権禰宜という神官の呼び名を思い出せばよかった
わけです。

でも、恥とやらのかきついでに、少し前にあの安倍さんが有名にした「云々」ですが、あの安倍
さんは、「てんでん」と読んだわけですが、ぼくは、「いいいい」と読み慣わしていましたのでした。
しかし、こうしたことをぼくは、恥であるとは露ほども、とはいかなくてもそんなには思ってはいま
せん。知らないことは知らないわけで、仕方ないことです。
もっとみっともないことは、ぼくもよくやってしまう知ったかぶりですね。しかしあの安倍さんですが、
あの時に、実は間違えてしまいましたね!などと率直に笑って言ったならば、あの安倍さんを、
今よりももう少しは信用できていたような気がするのです。いまでは99%です!

ここまで、なにを書いてきたのか……状態です。
中途退場とさせていただきます。
ただ最後に、ただNさんは、やはりあそこで1%でものうんちくを傾けていただいた方が、ぼくにと
っても助かったし時間の節約になりましたですね。また、そうしたことごとを知っている人以外の
ひとには、「三四郎池」についての印象が遠いままで終わってしまうのではないかと、すこし残念
な気がしなくもありません。しかし、でも僕にとっては正直なところ、その文章の中で教えていただ
かなくてかえって良かったと思うのです。今となっては、わざわざNさんが“謎々”として書いてくだ
さったおかげで、そこですこしウロウロさせていただいたお陰で、得ることがたくさんありました。

美禰子を“みやこ”と読み間違えたのもわかりました。またそこからの連想でほんとうに久しぶりに、
井上靖さんの短編小説『霧の道』の主人公の“三弥子”さんに、半世紀の時間を経て再会するこ
とができました。この小説を想いおこすことなど、美禰子をみやこと間違ってよんでいなかったら
ふたたび出会うこともなかったわけです。東大の構内もその昔、ときどきうろついたことがありま
した。東大の弥生門、竜岡門、文京区西片町、弥生町、本郷肴町、真砂町、白山御殿町など、
今では町名が消えてしまった所もあります。その辺の場所のほとんどは本郷…丁目、白山…丁目
という住所表記に変わってしまいました。郵便配達も大変だし、いろいろなお役所仕事としては
そうした方が管理しやすいということなのでしょうか。 

石川啄木にしても宮沢賢治や樋口一葉、その他数多くの小説の登場人物が生活した世界は、
、その大部分が旧町名となってしまったのだと思います。このグループでも、たしか東大正門から
菊坂下へ向かう途中にあるたしか森川町だったかの旅館「鳳明館」に、二度くらい合宿で泊まっ
たことがあったはずです。一度などは、東大構内を散策してから湯島を通って上野の山にいった
ことがありました。おぼろげな想い出をたどってみるとほんとうになつかしい、遠いとおい遥か昔
の、みんなが、ぼくも、生きていたはずの夢のなかのせかいのことごとになってしまいました…… 

Nさんへのコメントを書くだけのつもりが、「迷える子羊」のことから思わぬ文章になってしまいま
した。いつもながらのことですみません。でも、上記したことも中途半端になってしまいました。
この続きを書くとしたら、『三四郎』をぜんぶ読まないことには始まりませんね。

Nさん、またよろしくお願いいたします。それにしてもNさんは漱石の大ファンなのでしょうか。
その昔中学生の頃、漱石を読みふける友人がいたのをおもいだします。ぼくは漱石について
は少ししか読んでいません。ただこうしたことについては、 吉本さんも他の誰も教えてくれなか
ったです。
いや、教えてもらったのだけれども、いつもどおり忘れてしまったのだと思います。
その「三四郎池」ですが、いま調べたら、第90回五月祭は5月20日(土)、21日(日)だそうな
ので 、久しぶりに散歩してみたいとおもいます。忘れることがなかったらなのですが……

青空文庫『三四郎』。ご存知と思いますが、著作権切れで、下記で全文ただ読み可です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/794_14946.html

新約聖書 マタイによる福音書 18章10節~14節

あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに
言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのであ
る。人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。

あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九
匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけた
なら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

(日本聖書協会 口語聖書 1954年改訳)

 

 

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よかった!逆転無罪判決 最高裁

2017-03-11 01:55:17 | 日記

Nさん、おやすみなさい。
メールではご挨拶させていただいたので、コメントは明日、書かせていただきます。

実はこんなことは初めてでした。他の方はぼくとの関係でそうしたことがあったかもしれません。
という、そうしたことというのは、Nさんとぼくが時を同じくして投稿をしようとしたことなのです。
先ほどは、ほんとうにびっくり仰天してしまいました。そうなのです、新規投稿をクリックしたら、
バアーと文字が並んでいたのです。あれっ!……
でもすぐに了解できました。それから、ときどきスマホでアクセスして投稿を確認したりしたのです。
でもそのときには、ぼくもこのPCのメモ帳に記事を書いていたのです。ですからまったく時間の
ロスはありませんでした。そんなほんとうに初めてのことがあって楽しませていただいたというわけ
なのでした。

窃盗罪問われた元中国放送アナに逆転無罪判決 最高裁
千葉雄高、久保田侑暉2017年3月10日19時21分 朝日新聞デジタル

「……最高裁によると、07年以降で、一、二審とも有罪とした判決を最高裁が破棄し、
差し戻さずに無罪としたのは煙石さんで10人目という。……」
http://digital.asahi.com/articles/ASK3B4FT0K3BUTIL018.html

皆さまも、テレビのニュースでご覧になったかと思います。
昨日のテレビ解説でも、異例の最高裁判決になりそうだとは予想されていました。
そしてそのとおりになって、実にうれしいです。ほんとうに喜ばしいニュースでした。
でも、その事件の概要をテレビの解説を見たかぎりでも、その検察側の立証があまり
にも雑でお粗末だったのは明らかなように思いました。そして更に、1、2審ともに
有罪判決とされてしまったのも信じ難いことでした。

朝日の記事では、「最高検は『主張が認められなかったのは遺憾だが、最高裁の判断なので真摯に
受け止めたい』との談話を出した」とあります。こうした言葉は検察側が敗訴したときの常套句
なのだと思います。でも、このコメントはおかしいと思いますね。「遺憾」と「真摯」が同列的に
使われていることに違和感をもつのです。
「遺憾」は広辞苑だと、思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。「真摯」は、まじめで
ひたむきなさま。
最高検察庁が、もし本当にこの判決を「真摯に受け止めたい」と言うのだったら、その「遺憾」
という言葉の使い方は間違っているのではないか、と思うのです。

遺憾(⇒残念⇒口惜しいこと、無念⇒広辞苑)という言葉は、自分たちの判断(挙証責任)が否定された
ことについての、反省や総括をすることを嫌がるため息でしかないのでは。その最高検の談話は、その
最高検察庁検察官としての、自身の重職への無自覚さを象徴する言葉でしかないのでは。

そしてその言葉に決定的に欠けていることは、憲法で保障された主権者・国民である、被告とされた
当事者への視線・眼差しではないのか。つまり、そうした無自覚的な意識の欠落ではないのか。
最高検のそうした常套句には、水戸のご老公さま物語の「一件落着」のような、いつもどおりの
仕事を片づけたという職人的感覚を感じるだけ。しかし、ご老公は勧善懲悪劇の主人公だ。言ってみ
れば、この世の善悪のすべててを見通すことのできる阿弥陀様の化身・象徴だ。最高検が生まれ変わ
り真実の一件落着と言えるようになるためには、億万回もの輪廻転生が必要ではないのか、と……

この判決で、裁判官4人中、反対意見は1人。東京高検検事長だった小貫芳信裁判官。この5年間で
小貫判事の反対意見はこの1件のみ。(下記ヤフーニュースと最高裁HPに記載)

“煙石博さんの無罪を勝ちとる会”HPの「事件・裁判の経過」です。
http://enseki.noor.jp/?page_id=275

判決は、裁判官4人のうち3人の多数意見。検察官出身の小貫芳信裁判官は無罪に反対する意見を述べた。
ヤフーニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170310-00000110-jij-soci

小貫芳信裁判官の裁判官としての心構え、「事実に対しては謙虚,判断に際しては公正でありたい
と思っています」
最高裁HP http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/onuki/

小貫芳信裁判官 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B2%AB%E8%8A%B3%E4%BF%A1

 

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Nです。退院を報告します。

2017-03-11 00:20:20 | 日記

画像は東京大学構内の「三四郎池」です。「迷える子羊ね」なんて言われたら・・・

みなさん、コメントを寄せてくださってありがとうございます。私にとって大きな励ましとなりました。
10日に無事退院しました。この朝にスマホで投稿しようと試みたのですが、いただいたコメントへの書き込みでしかログインすることができず、帰宅していま改めて書き込んでいます。

今回の入院治療の正式な名称は「脊髄刺激療法トライアル」でした。本格的に脊髄刺激療法をするかどうかを決めるための試行です。この療法を本格実施する前には必ず試行するのだそうです。
私は27年前の平成2年2月、750ccのバイクで通勤途上、交差点で四輪車との接触事故で左腕の神経を引き抜き損傷しました。半月ほどは意識が戻らず「いたいよお〜」などとわめいたいたそうです。事故の日の朝のことから意識が戻る瞬間までの記憶はありません。
数日後に医師から「左腕はもう動くことはありません」と言われましたが、その瞬間に納得しました。動く動かないはどうでもいい、とにかく痛みを取って欲しい、と訴えました。
神経叢剥離という、損傷した腕神経叢の血糊を除去する手術は受けましたが、痛み軽減に効果はありませんでした。主治医は整形外科医でしたが、痛みについては無頓着でした。
この事故で脳挫傷もしたので、脳外科の医師にも受診していました。この脳外科医が哀れんで?麻酔科の医師に僕の痛みについて相談してくれました。当時、この病院に疼痛緩和の科はありませんでした。麻酔科の医師は手術後の時間に星状神経節ブロックをしてくれました。効果はあったように思います。この頃も主治医は「ブロックは気休めだ」などと言っていました。

受傷後一年ほど経って麻酔科医が「持続硬膜外ブロック」を施行してくれました。脊髄の硬膜外に針を刺したままにして麻酔薬を投与するのです。これで、いちばんひどい痛みの頻度が減りました。左手の親指の付け根あたりにクギを刺し込まれる感覚で数分おきにありました。死んだほうがまし、と思えました。
このひどい痛みがかなり減り、なんとか仕事ができるようになりました。一級建築士やケアマネの試験に合格し、独立開業しました。
以来、近医(開業医)ペインクリニックでの神経ブロックと内服薬服用を断続的に20年以上続けてきました。

東日本大震災後には2年3ヶ月間でしたが、福島へ応援職員として赴任できました。単身赴任生活もやり通せたわけです。
今回、OT(作業療法士)の娘が、勉強会で知己を得た東京大学付属病院の医師の受診を勧めてくれました。減ってはいるけれど、僕がいつも痛みをこらえているのを見ていますから。
「今更、いい歳して新しい治療も面倒だなぁ」と、この助言を聞き流していたのですが、妻の勧めもあり外来受診したのが昨年の12月。この時「いま処方されているリリカ(神経障害性疼痛に特化した鎮痛剤)の量は、あなたの症状には少な過ぎる。1/3から1/5程度の投与量です」と指摘されいささか驚きました。そのうえで脊髄刺激療法を勧められたのです。MRIやエックス線検査も実施し、私の痛みの機序からこの療法についてもくわしく説明を受けました。

以下は今回の入院での経過です。入院当日、妻と娘が幼い孫を連れてきていましたが、医師は快く術前説明に同席させてくれました。保育園児の孫は「じいちゃん、お背中に注射するのぉ〜」とかビビっていました😳私がいまいちばん痛みを感じているのはどこなのか、どのように痛いのかを確認し、模型を使って手術と治療の詳しい説明を受けました。

翌日に手術。部分麻酔、うつ伏せになって脊髄のそばにメスが入りリード(電極)を挿入し通電しながら「どこに刺激がきますか、強さは、どのように感じますか?」など確認し、リードの位置を探っていきます。いちばんひどい痛みを感じるのは親指の付け根です。しかし、上腕から小指側に刺激をはっきり感じるのですが、親指側にはわずかにしか感じません。10度ほど位置を変えても親指側への刺激はなかなか強くなりません。それでも、最も強く感じる位置にリードは埋め込まれました。執刀した主治医から「事故の際に脊髄自体が損傷を受けていて、理想的な位置にリードが入りません。ここが最善と思われる位置です」と説明があり了解しました。
ジェネレーター(電気を送る装置。4cm四方ほど)は鎖骨の上付近にテープで固定。

八日間、脊髄刺激療法をトライアル試行しました。
電気刺激は自分でコントロールします。既存の技術を活用する手法ですが、コントローラーはiPod touchを使い、ジェネレーターとはBluetooth接続です。3種類の周波数と、振幅値(これが電流の強さのようです)をいつでも自分で選択調整し、もちろん止めることもできます。
結果として。痛みが数割は軽減したと感じました。脊髄への電気刺激は、いわゆる低周波治療を内側から通電しているような。私はペインクリニックで低周波治療を受けたことがありますが不快な感触があり続けたことはありません。しかし、脊髄に直接電気刺激を送るのは感じかたがだいぶ違います。心地良いのです。

病棟での生活はほとんど制限ありませんでした。日曜日には外出許可をもらい、歩いて上野にあるプロテスタント教会で礼拝を守ることもできました。この日には8km以上歩きましたが、何の支障もなく大きな痛みもありませんでした。

入院中に病棟の看護師さん(複数の!)から「この療法は適さないことも多いんですよね〜」なんて否定的意見を聞いて(医療従事者がこんなこと言うたらあかんやろ)驚きましたが、私には適しているように感じました。なるほど人によって適不適があるので、本格的な採用(リードとジェネレーターを身体に埋め込む)の前に「トライアル」するんですね。

昨日、リードを抜去。この時、主治医にききにくいこと尋ねました。「脊髄刺激療法がダメなら次の一手は?」いやな顔もせずすぐ答えてくれました。「麻薬的治療薬の投与。あるいは、試験的に始まっている、鏡を使うバーチャルリアリティ療法。さらには、阪大でやっている脳に電磁石を埋め込む・・・」最後のはちょっとご遠慮申し上げたいです😥サルにナニカを埋め込む実験を映像で見たことがあってその印象が強く残っていて・・・

このようにトライアルは終了しました。しかし、なんということでしょう!(◎_◎;)このリード線を抜いて1時間ほどした頃、年に1〜2回に減っていた、クギを刺すようなひどい痛みが左親指の付け根にきました。冷や汗が出る痛みです。食後のリリカ75mg2カプセルのうち一つを頓服代わりに服用し、しばらく横になりました。もちろん看護師さんには報告。この痛みは徐々に良くなり、ひと晩明けて快復しました。

今月末に外来を受診、痛みがどう変わったかを報告し、脊髄刺激療法を実施するのかどうか今後の治療法を決めていきます。

私の脊髄刺激療法トライアルは、試してみる意義は十分あったと思っています。周波数や出力をコントロールしてことごとく心地よく面白くも感じました。痛みがすべてなくなったわけでもないし、カラダに装置を埋め込むことの影響があるものかどうか、若干の不安もあります。でも、生きているうちに少しでも良くなる方法を試してみたいという好奇心もあります。

私の受傷時に小学生だった娘が「とうちゃんの腕を良くしたい」と思い作業療法士になったと、彼女の結婚の時に聞きました。きょうもメールで「生活の質が少しでも良くなることを祈っています」とメールくれました。良くなりたい、と私が思う動機でもあります。

また経過を報告しますね。

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塩瀬信子さん……

2017-03-09 21:23:03 | 日記

表紙ですが、また変えてみました。一日だけ一枚の葉っぱの図柄にしてみたのです。でも、どうも自由さというか、拡がりに欠けて閉鎖的で固定的な感じが気になったので、木の葉へと変えてみました。(これも横長過ぎです……)

こうしたブログのトップページの図柄のことを何と言うのでしょうか?このブログの設定欄では「デザイン⇒テンプレート」となっています。まあそうなのでしょうがでも、なにかすっきりしません。背景ということでもありそうですが、ぼくにとっては表紙というほうがピッタリします。
               
                             

それから、前々回のぼくの投稿記事のなかで、塩瀬信子さんの出身地は愛知県岡崎市?と書きましたが、名古屋市でした。先天性心疾患で、東大病院の木本外科で手術。その後、東大分院に再入院しそこで20歳のいのちを果たされたのでした。昭和33年3月31日、満20歳5カ月。そのときから、55年以上の歳月が。いったい……

               

“生きているのが” 塩瀬信子17歳

澄んだ青い空
みずみずしい緑が
秋を思わせる風にさざめく

秋のように澄んでつめたい空気
遠く町の音が
岸辺に砕ける波のように聞える 

こんなすばらしい日
生きているのがしみじみ嬉しくなる

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「森友・安倍」事件、日経新聞の読者アンケート調査

2017-03-09 00:03:11 | 日記

すこし春らしい装いにしてみようかなと、表紙を変えてみました。
どうもしっくりとしないのですが、しばらく様子をみてからまた変えてみたいとおもいます。 
tさん、また、どなたさまでも、これはいいよというお勧めがあったらどうぞ変えてください。 
でもそのように言われたからといっても、そしてあまり気にいらないなとおもっても、変えにくいですよね。 

孫崎亨さんのメルマガに下記の記事が紹介されていて驚いたので、ここで紹介させていただこうとおもいました。
なんとなんと、日本経済新聞によるアンケート調査なのです。このアンケートの結果をどのように読みとることができるのか。森友関連事件と加計学園問題の推移を注視することでしかありません。
加計学園問題もご存知と思いますが、リテラの記事です。「安倍首相に“第二の森友学園”疑惑!」http://lite-ra.com/2017/03/post-2957.html

「森友学園の国有地取得、真相どう解明?」(クイックVote) 
日本経済新聞 読者アンケート (2017/3/4 6:00)

(1)大阪市の学校法人「森友学園」の国有地取得問題の真相解明に関し、あなたはどのように考えますか
A.会計検査院の審査で十分だ
B.政府や自民党内で調査すべきだ
C.関係者を国会に参考人招致すべきだ 70 %
D.その他・わからない

(2)森友学園は大阪府からの認可を経て、4月に小学校「瑞穂の国記念小学院」を開校する予定ですが、あなたは大阪府がどのように対応したらいいと考えますか
A.認可判断を先送りにした方がいい
B.現段階で認可と判断した方がいい  
C.現段階で不認可と判断した方がいい 65 %
D.その他・わからない

(3)安倍内閣を支持しますか、しませんか
            支持しない 63.%

「日本経済新聞 読者アンケート」 上記の記事の詳細です。
http://www.nikkei.com/news/survey/vote/result/?uah=DF030320172021

次の記事も気になりました。記事についてコメントを書かせていただきました。 

中国外相“日本が心の病治し友好姿勢を”
中国の王毅外相が関係改善をめぐる日本の姿勢に注文をつけた。王毅外相は、日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」から今年で80年だと述べ、「日本には友好か対立か、定まっていない人がいる」と指摘した。王毅外相「まず日本が『心の病』を治し、中国が絶えず発展し振興する事実を受け入れる必要がある」その上で歴史認識問題も含め、日本が友好的な姿勢を示すよう求めた。 3月8日NEWS24

「上記記事について、よく調べることもしないでの、ぼくのコメントもどきです」
王毅外相が日本に対してそのように考えることについて、ぼくはそのとおりだと思います。でも、じゃあ、あなたの国はどうなのですかと問わざるをえません。まず、中国の民主化の問題。その人権抑圧・非人道的犯罪としての深刻さは”中国の病”の象徴だと思うのです。そして権力闘争の過激さ、国防費増強・覇権主義的政策・国内貧富格差増大の3点セットなど、よくわかりませんけど、中国関係のニュースを見聞きするなかで酷いなーと、いつも思うのです。 日本ではまだまだ、中国に比べたら、自由になんでも発言できる余地は残されていると思います。日本も中国も、そしてアメリカの大統領にしてもなんとかとかならないものなのかと、思うだけなのです。

しかし、北朝鮮と比較したらまだまだ、中国の方がましなわけですよね。ぼくは北朝鮮のヒトラーとも言える、独裁者・金日恩のニュース映像をみるとき、あのヒトラー政権下での抵抗運動にかかわり、ヒトラー自殺の3週間前にゲシュタポによって39歳の若さで絞首刑にされた、デイートリッヒ・ボンヘッファーのことを想起することがあります。
つまりぼくは、北朝鮮のひとたちが気の毒でしかたないのです。戦前の日本とも比較できないほどに、それ以上にその惨酷な国民支配の情況は生き残り続けてしまっています。後世の歴史家が、そうした金一族とその取り巻きによる独裁的犯罪行為をどのように記述するものか……、と思うのです。

そのボンヘッファーですが、学者の家系で育つなかで、牧師であり神学者であったにもかかわらずヒトラー暗殺計画に加わったことで、兄や義兄とともに死刑に処せられたわけです。そのながい獄中生活での手紙が『ボンヘッファー獄中書簡集』新教出版社1988年、として出版され、日本でもたくさんの読者がいます。ボンヘッファーが書き残したものは、全集のほか全ての著作が日本語で読めるはずです。ボンヘッファーファンというと少しおかしな感じがしますが、その生涯と思想、その終末論的生きかたと真理に向かっての実存的ことばに吸い寄せられる日本人は多いと思うのです。

その書簡集ですけど、なぜそうした手紙が残されたかというと、収容されていた刑務所の看守のなかにボンヘッファーの人柄に魅せられた人がいて、そのひとによって外部に届けることができたということです。ボンヘッファーの最後のことばは、「これが最後です。私にとってはいのちの始まりです」という言葉だったそうです。それから、絞首刑といってもかなり惨酷な執行方法であったということです。ちょうどあの映画『沈黙ーサイレンス』のなかでの無惨な殺され方にひとしいような状況であったと思うのです。
 デイートリッヒ・ボンへッファー httpsgooglZmh5vO wiki

「雑誌『世界』メルマガ、4月号編集後記の一部です」
「……ひるがえって、日本はどうだろうか。ヘイトスピーチまがいの会長メッセージをHPに掲げる化粧品等製造販売メーカー、代表が執筆した歴史修正主義本を客室に設置するホテルチェーン、沖縄基地建設に反対する人たちへのヘイト「報道」を垂れ流して反省の色なしのテレビ局(本号、辛・津田対談)……。

 しかし批判の声はまだ弱い。教育勅語を暗記させる「愛国心の醸成」が話題の「瑞穂の國記念小學院」建設用地への国有地売却問題は、大手メディアが重い腰を上げたことで一大スキャンダルに拡大しそうだ。トランプ政権もだが、安倍政権もかなり追いつめられているのかもしれない。国会質疑でのらりくらりはぐらかすことができずに逆ギレし、いかにも余裕のない首相の答弁を聞くとそう思えてくる。

 今国会では、過去に三度も廃案になったゾンビ「共謀罪」の新しい装いでの成立が謀られている。日本は思想の自由やプライバシーが根こそぎ奪われる警察監視国家の道を突き進むのか、それとも共謀罪に四度目の待ったをかけられるのか。見習いたいのが米国や韓国の市民の動きだ。昨年秋以来続く韓国のロウソクデモは、大統領退陣要求にとどまらず、日常の不義と闘う市民が「憲法が守られる国」へと変える、より本質的な革命を広場で実現している(本号、白楽晴氏、李起豪氏)」

 

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Nさん負けないで

2017-03-07 11:08:59 | 日記

Nさんが交通事故後遺症だとは知りませんでした。僕は2年ほど前に頸椎の脊髄を痛めて手足が一瞬でしびれ、足がふらつき今でも不安な気持ちで過ごしています。何ヵ所の病院を渡り歩いて手術すべきかいなかで大変迷いました。専門医でも意見は正反対なのです。現在、手術無しで悪化はしていないのでなんとか剣道に復帰しています。脊髄刺激療法なるものは患者会で知ったのですが自分も考えてみたことはあります。疼痛薬のリリカは最初から飲まされましたがあまり効果はなく、副作用が怖いことを知って血液循環の別の薬に変えました。僕の病名は黄色靭帯骨化性といって現状維持か悪化です。手術しかないのですがこの手術のリスクは最悪車椅子を覚悟しなければできません。

手足の痺れ痛みは、患者会では全員が悩まされています。僕は今は柔軟体操を続ける努力をしています。あまり参考にはならないでしょうが負けないで頑張ってください。

コメント (2)
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