最近は“蝦夷舘”廻りの朝の散歩が楽しくて仕方ありません。
“蝦夷舘”は、必ず水の便の良い場所に立地しているそうですが、この地には大小の用水堤(元は沼)が点在しています。
“舘越舘”と“第4の舘”の間には、小さな沼があるのですが、“第4の舘”が本当に“舘”だとするなら、その沼へ通じる道がなければいけません。
しかし一見したところ、“第4の舘”から沼に通じる道は、舗装路にも農道にも散策路にも見当たりません。
沼までの連絡路がなければ“第4の舘”は“舘”とは言えず、単なる高台であって“舘”というのは僕の単なる妄想ということになってしまいます。
休みの日の朝、僕は“第4の舘”の下の、田畑の周りを歩いてみることにしました。
畑に降りると舗装路を見上げるかたちになるのですが、舗装路の下は崖になっていて草むらです。
膝丈の草が生い茂っているのですが、崖に沿って小道になっているように見えます。
方向は沼の方なので、「これはもしかしたら?」と思い少し歩いてみることにしました。
歩いてみると草は生い茂っていますが、崖伝いに道になっているようです。崖の上は僕がいつも車で通っている舗装路です。
しばらく歩くと、また別の畑に出て、その先が沼でした。
やはり、“第4の舘”と沼をつなぐ道がありました。
その沼は自然公園の入り口にあるのですが、その入り口から南を見ると、すぐ正面に“舘越舘”、左に“明神舘”、右に“根岸舘”となっていますが、その沼から公園に沿って“根岸舘”に通じる道があるのです。
ということで、“第4の舘”から沼に通じる小道を通れば、“舘越舘”にも“根岸舘”にも行けるということが判明しました。
やはり、“第4の舘”と他の3つの舘は関連性があるようです。
残るは“明神舘”への最短連絡路ですが、調査散歩の結果、それも見つけたのです。
“蝦夷舘”は、必ず水の便の良い場所に立地しているそうですが、この地には大小の用水堤(元は沼)が点在しています。
“舘越舘”と“第4の舘”の間には、小さな沼があるのですが、“第4の舘”が本当に“舘”だとするなら、その沼へ通じる道がなければいけません。
しかし一見したところ、“第4の舘”から沼に通じる道は、舗装路にも農道にも散策路にも見当たりません。
沼までの連絡路がなければ“第4の舘”は“舘”とは言えず、単なる高台であって“舘”というのは僕の単なる妄想ということになってしまいます。
休みの日の朝、僕は“第4の舘”の下の、田畑の周りを歩いてみることにしました。
畑に降りると舗装路を見上げるかたちになるのですが、舗装路の下は崖になっていて草むらです。
膝丈の草が生い茂っているのですが、崖に沿って小道になっているように見えます。
方向は沼の方なので、「これはもしかしたら?」と思い少し歩いてみることにしました。
歩いてみると草は生い茂っていますが、崖伝いに道になっているようです。崖の上は僕がいつも車で通っている舗装路です。
しばらく歩くと、また別の畑に出て、その先が沼でした。
やはり、“第4の舘”と沼をつなぐ道がありました。
その沼は自然公園の入り口にあるのですが、その入り口から南を見ると、すぐ正面に“舘越舘”、左に“明神舘”、右に“根岸舘”となっていますが、その沼から公園に沿って“根岸舘”に通じる道があるのです。
ということで、“第4の舘”から沼に通じる小道を通れば、“舘越舘”にも“根岸舘”にも行けるということが判明しました。
やはり、“第4の舘”と他の3つの舘は関連性があるようです。
残るは“明神舘”への最短連絡路ですが、調査散歩の結果、それも見つけたのです。