龍田 樹(たつた たつき) の 【 徒然ブツブツ日記 】

目についたこと気になることをブツブツと語っていきます。たまぁ~に神霊的情報も有り。更新はかなり気ままですので悪しからず。

Roots拾遺(その14)

2010-07-23 10:27:04 | 南北朝 “roots”
ナイチンゲール様へ

A1
工藤氏系図(祐経流) この系図では、工藤貞行の後にも、貞尚→祐景→祐氏→貞朝と続いております。
 
◆貞行の長女加伊寿には福寿という妹がおり、後に福寿は母の志蓮尼より黒石石名坂の地を相続しています。推測でしかありませんが、貞行の後に連なるこれらの子孫は福寿に男子が生まれて、その地で栄えた工藤氏の系統なのかもしれません。

◆また、津軽に異状に工藤姓が多いのは、明治初頭の“国民皆姓”の際に、「おらには苗字はねえけんど、おらの先祖は工藤の殿様の家来だったそんだ」ということで、工藤姓を名乗った人々もあったかと思います。

A2




◆上の三つが工藤氏の代表的家紋です。一番上は“庵木瓜”ですが、工藤祐経を祖とする伊東家に伝わる兜にもしっかりと家紋が記されています。
 このブログの読者の方に、この“庵木瓜”が家紋だという方がいらっしゃるのですが、この方はお父様から常々「この庵木瓜はな、本家にしか許されないんだ」とおっしゃっていたそうです。“庵木瓜”を家紋に持っている祐経流の工藤さんの方が少ないのかもしれません。

◆ちなみに、鎌倉幕府の有力御家人の工藤氏には、工藤祐経・宇佐美祐茂兄弟と、工藤景光・行光親子の二流があります。祐経流は後の青森県に敷衍し、景光流は後の岩手県に敷衍します。祐経も景光も先祖は同じで、六代目前の工藤継景です。
 
◆僕の母方の家紋は“丸ニ木瓜”だったと思います。津軽はこの“丸ニ木瓜”が比較的多いと思います。ナイチンゲールさんのご先祖様と私の母方の工藤はもしかしたら同族だったかもしれませんよ。おそらく工藤貞行の家紋はこの“丸ニ木瓜”だったのでは?と考えております。

◆ナイチンゲールさんのお父様の系統が、青森県のどこに住んでいたかが判れば更に判明することもあると思います。
 ちなみに、後に工藤貞行は外ヶ浜の尻八舘を中心とした地区も所領として授けられますが、郷土史家の沼館愛三氏は、その尻八舘はシリベチ舘であり、今の青森市の東南にあった古舘ではないかと推測しています。
 沼館氏は、そのシリベチ舘は、斉明朝に北征を行った阿倍比羅夫が政庁を置いたという“後方羊諦政所”ではないか、とも推測しています。

おはつです

2010-07-22 22:45:58 | お返事や連絡版
873さん、ナイチンゲールさん、おはつです。コメントありがとうございました。

このブログに、相曾氏ルートと工藤氏ルートの両方から、お二人に同時に辿りついて頂いたのもかなり奇しき御縁だと思っております。

なぜなら、私にとって“工藤貞行”は『私の遺言』と同じだからです。

私が妻と結婚したのも、身よりも知り合いも無いこの地に定住することになったのも、会社を辞め今の仕事をすることになったのも、Sさんに出会ったのも、このブログを始めたのも、ブログを通して知り合った人達も、僕にとって全ては“工藤氏”の導きであり、“工藤貞行”に出会うためのものであったからです。

故あって詳しくは書けませんが、このブログなんて、始めた頃から“工藤氏”の縁に導かれていたことが2年後に判明して、唖然としたりしているのです。
しかも、ナイチンゲールさんのコメントの中に、“工藤貞行”について僕が考えている、或る“仮説”を裏付けることが書かれていたので、かなりビックリしているのです。

その“仮説”はブログには書いていませんが、小説の骨子になることなのです。
全く記録に無いことなので僕の想像で設定したことなのですが、恐らく、工藤のご先祖様が「その考えでいいんだよ」と、同族の子孫の方を通じて教えてくれたのだと思っています。
ナイチンゲールさん、改めてありがとうございました。
ナイチンゲールさんの御質問には改めてお答え致しますので少しお待ち下さいませ。

873さん、新田義貞に味方した愛曾氏という武将がいたのですが、僕はこの愛曾氏が相曾氏の祖先ではないかと考えています。
現在の縁は前世のものもありますが、七八百年前のご先祖様の御縁によるものもあるんだということを痛感しているこの頃です。

立候補の重さ

2010-07-15 09:18:05 | 雑感
柔道と政治の二足の鞋を履くつもりで、履けると勘違いして立候補した人が、楽々と早々と当選する一方で、全盲の身で教師という職を捨て、退路を断って出馬した人が落選しました。

谷氏が政治も柔道も両立出来ると考えていることは、裏を返せば、柔道も政治も甘く見ているのではないかと思えてなりません。

裕福で失うものが何もない彼女が立候補し、政権与党のフォローを受け恵まれた環境で選挙活動したことと、不自由な体ながら生活基盤の全てを投げうった彼が弱小政党から立候補し草の根で選挙活動したことを比べれば、その立候補と選挙活動の重さはまるで違うと思います。

恵まれた環境に暮らして、エスカレーターに乗るようにスルスルと議員になった人が二足の鞋を履いて一体何をするつもりなのでしょう?
一体何が出来るのでしょう?

人生を賭けて安楽な道を捨て、不自由な体に対する批判を覚悟して日本の為にと立候補した候補が当選出来なかったことは自分のことのように悔しく思えますし、有名人の知名度や好感度に流されてしまう日本の現状と日本人の軽さに、私は深く絶望しています。

政局

2010-07-14 16:26:40 | “時事”コラム
キジさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

しかし、今回の選挙ですが、僕の見立てでは興石は落ちるハズだったんですけど、僅差の僅差で落ちませんでしたね。
しかも!参議院議長になるのではないかという噂が流れているではありませんか!
これこそ小沢派懐柔策の第一弾ですかね?(笑)

民主党の政局は、第1に第三極と連立出来るか?、第2に小沢が強制起訴されるかどうかの2つにかかっていますね。

民主党が、どことも連立を組めなければ、政権与党とは名ばかりの、予算関連法案も通すことも出来ない貧弱内閣ですし、なんと言っても8月には日米合意しなければならない普天間問題などの爆弾を抱えていますから、失策すれば野党の一斉攻撃によって、キジさんのご期待通り年内中の解散総選挙も可能性として否定出来ません。

また、小沢が強制起訴されて離党ないし議員辞職すれば、小沢派の議員の動向によっては民主党は数的に衆議院でもピンチになります。

更に良いことに、あの法相が参議院落ちて、議員じゃないのに閣僚に留まることが、かなり批判されてますから、小沢が強制起訴された場合にも「指揮権発動」なんて超法規的処置は絶対に取れません(笑)

選挙管理内閣が、その最大の使命である選挙に大敗し、大敗の現況を作った張本人の首相が長期政権を夢見てるってんですから、片腹痛い限りです(笑)
まともに法案を通す力もない政権与党がどうやって長期政権を維持するつもりなんだか???まったくもってお笑い草です

世間では「自民が勝ったのではない。民主党のオウンゴールなのだ」なんてしたり顔で云われていますが、そもそも民主党がインチキなマニフェストを振りかざして衆院選で勝ったのがまぐれだったということを忘れてはいけません。

しかもこれまで、ミンミン蝉のように「民意民意」と叫んでいた政党が、うつろいやすい民意に翻弄されて民意を読み間違って選挙に負けたのも面白いですが、現在の民主党は、権力にしがみつくために自らの民意無視の姿勢を隠そうともしなくなっています。

しかし、2人区大敗の張本人はどっかへ雲隠して出てこないし(笑)、八方塞がりのまま内輪揉めしている民主党を見ているのは…正直、面白いです。

民主党終りの始まり

2010-07-11 22:09:19 | “時事”コラム
いや~。今日は枕を高くして眠れそうです。
これで選挙後の連立組み換えや、民主党の代表選が楽しみです。
まさに、民主党の終りの始まりです!

選挙区も通ったし、民主党壊滅だし、いいことずくめです。

しかし開票速報もテレビ局によってまちまちですねぇ。
現在の状況ですが、NHKでは、「民主36・自民42」なのに、朝日は「民主39・自民40」です。
朝日はさっきまで民主が上回わる予想を出していました。
やっぱ朝日って偏向してますね~。

でもまっいいや、民主惨敗だし、小沢ガールズもダメそうなんで。
現職法務大臣が落選したら内閣にも責任問題ありですね。

Roots拾遺(その13)

2010-07-11 08:28:06 | 南北朝 “roots”
最近、“姓名のルーツを知る”みたいなブログを見たら、ネットで入手出来るありとあらゆる資料を繋ぎ合わせて書き写しているブログをみつけました。

丸っきりの引き写しを繋ぎ合わせている文章なのですが、引用先を全く明記せず、さも自分のオリジナルであるかのようにして書いているのは如何なものかと思いました。
しかも、引用元が間違っていることも、そのまま間違った状態で引用しているのです。
これはいけませんねぇ。間違いがドンドン拡大して行くではありませんか。

その間違いとは、『工藤氏は、現在の青森県上北郡東北町に下向し、その地に厨川城を造り、後年厨川工藤氏を名乗った』というもので、これはとんでもない間違いです。
東北町に厨川なんて地名はないし、厨川城なんて存在していません。
これはおそらく岩手県の厨川柵と混同しているのでしょう。
また、二系統ある奥州工藤氏のことも混同しています。

奥州工藤氏は、現在の青森県に敷衍した名久井工藤氏と、岩手県に敷衍した厨川工藤氏の二流あり、名久井工藤氏は工藤祐経の流れ、厨川工藤氏は工藤景光の流れです。
その六代前の先祖は一緒なのですが、そこから分かれたのです。

さて、本題ですが、創作過程で判明したことがあります。

一点目は、工藤氏がいつ陸奥奥方に入部したか?です。
(陸奥奥方とは、糠部と津軽の当時の総称)
このことについては、どんな資料にも「ハッキリしたことは不明」と書かれていますが、この度はっきりしたことが判りました。
(詳しいことを書くと他のブログにパクられかねないので詳細は書きませんが…)
工藤祐経の系統が文治五年(1189)に津軽に入部しています。
その人物の名前も官職もハッキリしました。
これで、名久井工藤氏から津軽工藤氏の流れも解明出来そうです。

二点目は、鞭指ノ荘についてです。
これも僕の中では結論が出ているのですが、パクられたくないので全部は書きません。

まず、当時の八戸と呼称された場所は、現在の行政区分とは違っていただろうとうこと。
八戸は、その呼称が鎌倉時代の初期と後期には名前が違っていた可能性もあります。

次に、当時は川には橋がほとんど架っていないため、川によって行政区分がされていただろうということです。
馬渕川の川沿いに点在する当時の城や舘は全て対岸に対する防備であり、ということは川の右岸と左岸は行政区分が違うということを示しています。

そして、最後に重要なことは、『鞭指』の言葉の意味と、その言葉が、ある方向を示しているということです。
鞭指ノ荘について、詳細な考察をしているブログもありましたが、そのブログでは、鞭指ノ荘は、僻地で石高の少ない青森県ではなく、宮城県周辺だったのではないか?という推論をしていますが、私は鞭指ノ荘は陸奥国糠部にあったと考えています。
またそのブログでは、鞭指ノ荘は七戸ではないのか?という推論もされていましたが、「九戸四門の制」は平安時代後期には既に定められているので、私は「戸」と呼称されている地域と鞭指ノ荘は重ならないと考えています。

平安時代から蝦夷の馬はブランドとして確立しており、馬は売り手に莫大な富をもたらすと共に、騎馬戦が中心の当時馬が供給されなくては戦が出来ず、「糠部俊馬」は国家的な戦略物資でした。
九世紀始めには、人々は争って「糠部俊馬」を買い求めていました。
名馬のブランドとして「戸立」(へだち)という言葉があったということは、糠部の戸制が名馬の供給先であったことを明白に表しています。
源頼朝が後白川院に、糠部産の名馬20頭を献上し、院は「戸立」その馬の「戸立」に興味を持たれたこと、また、宇治川の合戦で戦陣争いした、梶原景季と佐々木高綱の乗っていた馬が、「三戸立」「七戸立」だったと伝えられていることは、いかに「糠部俊馬」が珍重されていたかを物語っています。

糠部は「糠部俊馬」という国家的戦略物資の供給地なのですから、幕府有力御家人が地頭に配置されるのは当然です。

また津軽についてですが、岩木川の最終河口地の十三湊は当時の日宋貿易港の一つでした。
当時、津軽十三湊は国策上の国際貿易港だったのです。
津軽の城や舘はそのほとんどが岩木川沿岸に配置されていますが、これは岩木川が十三湊の輸送路になっていたからです。
国際貿易港とその輸送路を持つ津軽に、幕府有力御家人が地頭に配置されるは当然です。
だからこそ、鎌倉幕府後期には、幕府執権北条氏が、陸奥奥方(津軽・糠部)全域を得宗領にして独占したのです。

現代人はどうしても現在の感覚で中世も考えてしまいがちですが、中世における津軽と糠部は、国家戦略上極めて重要な地域であり、現代人の認識のように「最北端の僻地である青森県」とみなしていては中世史は解明出来ません。

“ふんわり”のヨーグルト味

2010-07-07 20:46:05 | 雑感
きのう、食パンのヨーグルト乗せが旨い!と書きましたが、今日、コンビニに食パン買いに行ったら、夏限定で“ふんわり”のヨーグルト味が発売されていました。

わお!これはヨーグルトをオンする必要がないではありませんか!(笑)

早速買ったのは言うまでもありませんが、その食感にヨーグルトフレーバーが絶妙なマッチングでかなり旨かったです。
冷蔵庫で冷やして食ったら更に旨そうです。

ねずみさんへ

2010-07-06 22:22:34 | お返事や連絡版
頂いたコメントは取りあえず非公開にさせて頂きました(笑)

ゆっくり痩せた方がリバウンドしにくいですから、ゆっくり行きましょう~。

ひもじさ対策ですが、トーストしない食パンにヨーグルトをのっけて食べるとかなり満足感がありますよ。
出来るだけゆっくり食べましょう~。
また、ノンカロリー炭酸ドリンクでお腹を膨らますのもアリです。

僕は更に1㎏痩せましたが、ここに来て食欲が出て来て少し困っています。
しかし!この飢えこそ、体内脂肪がエネルギーとして消費されているのだ!と思って頑張っております。

ではねずみさんも、焦らずじっくり頑張って下さいね。

ryoさんお久しぶりです

2010-07-02 21:42:36 | お返事や連絡版
僕の6㎏なんてまだまだ焼石に水です。
僕は身長180㎝ですが、それでも理想体重が76㎏だってんですから、気が遠くなってしまいます(笑)

これまでのダイエットでは80㎏が最低記録で、とうとう70㎏台に突入出来ないままズルスルとリバウンドしたのですねぇ。

若い頃は67㎏しかなくて、キリンとか言われてたのに(笑)

朝食抜きで、ブランチを沢山召し上がることは決して悪くはないと思います。

21時の晩ご飯を少なくとも18時に早められれば一日2食になってbestですよ。