『帝国ホテル(旧)』は、なぜ関東大地震で被災しなかったか・・・・「構造学者 建築を誤まる」

2009-12-13 17:44:24 | 構造の考え方
[註 追加 21.50][図版更改 14日 0.53]
大正12年(1923年)9月1日は、関東大地震の発生した日ですが、その日、竣工式を行なっていたのが『帝国ホテル(旧)』でした(着工は大正8年:1919年)。

この建物の設計については、当時の「専門家:構造学者」の多くが危険視していましたが、被害はありませんでした。

その翌年、大正13年、雑誌『科学知識』(大正13年1月号)に、F・L ライトの右腕として建築にかかわった遠藤 新(えんどう あらた)が、『帝国ホテルの構造について』と題する小論を寄稿しています。

彼はそのなかで、「構造学者 建築を誤まる」として、地震後の東京の建築は必ず悪くなる、と心配しています。
まことに核心を突いています。東京どころか、日本中の建築がおかしくなったのですから・・・。

   雑誌『科学知識』の関東大地震の前年、大正11年4月号には、
    F・L ライト自身が、「新帝国ホテルと建築家の使命」と題して寄稿し、
   何を考えて設計したかを述べています(訳 遠藤 新)。

『帝国ホテルの構造について』において、遠藤 新は、
沼沢地に等しかった東京・日比谷での、当時の「専門家の常識」をくつがえす構築の工夫について詳述し、
あるいはまた、
「鉄筋コンクリートは木に準じて使うべし」、「柔道の理論は建築にも当て嵌まる」など、
当時はもちろん、現在の専門家は決して考え及ばない、瞠目すべき考え方をも記しています。

また、当時の建築(構造)界が、震災後、こぞって建物の「剛体化」へと動いていた様子や、
F・L ライトは、初め構造学を専修した人で、明快な構造学の見識のある人物であったこと、なども紹介されています。

一読すると、F・L ライトが(遠藤 新 もまた)、ものごとへの対し方・考え方がいかに柔軟であったか、いかに構造についてセンスがよかったか、よく分ります。

当初、抜粋し、概略をまとめて紹介しようかとも考えたのですが、全文を紹介した方がよいと判断し、「遠藤 新 作品集」から、そのままスキャンして転載することにします。鮮明でなく、また文語体で読みにくいかもしれません。

なお、ライトの『新帝国ホテルと建築家の使命』も、機会をみて紹介します。

   これから1週間ほど、仮称「建築技術史年表・試案」作成の思案のため、
   お休みをいただきます。
   なお、18日には、ちょうど1ヶ月経ちますので、「木を活かす・・・協議会」へ、
   「資料公開開示」の督促をする予定にしています。

   註 帝国ホテルの平面図等は、下記をご覧ください。[追加 21.50]
      「再び、設計の思想・・・・旧帝国ホテルのロビーに見る」



コメント (1)
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