フィクション『同族会社を辞め、一から出直しオババが生き延びる方法』

同族会社の情けから脱出し、我が信ずる道を歩む決心をしたオババ。情報の洪水をうまく泳ぎ抜く方法を雑多な人々から教えを乞う。

2020年8月31日

2020-08-31 22:48:40 | 美しく生きるという事

これまでの8月とは全く異なった今年の8月が終わった。

8月の風情もなく、ひたすら暑いだけ。

人から感覚や感情を失わせた。

夏とも呼べなかった。

しかし、さすがに最後の最後に力を振り絞って風を吹かせたようだ。

今夜も暑いと思ったかい?おっとどっこい、冷たい風を吹いてやる。おまえたち、暑いと思って油断して薄着しているからきっと震え上がるぜ。

そう、急におなかの具合がおかしくなってしまった。

毎日のエアコンは体調を狂わせる。

この8月最後の冷気だって体調が狂ってしまう。

明日から9月だが、それは今日の続きである。

しかしそれはきっと新鮮だろう。

そう、毎日が新しい。

ではさようなら、2020年8月31日さん。

 

 

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気温37℃の世界に生きて

2020-08-20 23:18:00 | 美しく生きるという事

ぬるいお風呂?

自分の体温より高くてのぼせそう。

気力も体力も奪われ、楽しみも悲しみも感じなくなり、

ただ大気と同化する。

こんな状況で、どう美しく生きればいいんだよ。

あまりに惨めな状況は、

ある種、美学に通じるものがありそう。

観賞用としてね。

ひたすら会社に忠実に生きる私は、

きっとそれこそ美しいに違いないね☺️

 

 

 

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落差あるよね~

2020-08-14 10:52:14 | 美しく生きるという事

認知症、と言う症状があります。

誰も逃れられない運命でしょうか。

オババも考えていますよ、自分がそうなってちまたを徘徊している姿を。

家族が慌てて会議を開き、私をどうしようか、と頭を悩ませる場面を。

老人ホームに入れるか、家で介護するか。

あーあ、若い頃はそれなりに華やいだ人生を歩んでいたのにね。

ぼけたらただの…何だろう、迷惑な老人?

『活発で明るく社交的で若い頃はバリバリ仕事をこなし海外旅行が趣味でした』

と言う人が認知症になり、家族が嘆いている、ということを聞きます。

家族にとっては信じたくない事実なのでしょうね。

赤の他人である私だって信じたくありません。

方や、若い頃から偏屈で変わり者で友人付き合いもほぼせず、

しかし年を取ったら前述の方と同じように認知症になったら、他者からどのように言われるのでしょうか。

…元々、存在感があまりなかったのだから…これまでと変わらないんじゃない?…

 

若い頃をどう生きたかが、認知症という病気の前には無力である。

それがオババにはとても切なくて悲しいことです。

どうしてそのようなことが人間に与えられたか、と言う理由は私は知りません。

ただ、それが人間なのだ、という気はしています。

昔の人間たちもどうにかして自分の生きる意味を探っていましたが、

おそらく何の回答も得られていないことでしょう。

オババもたくさん考えてきましたが、何も答えは見つかりません。

見えるのはせいぜい明日か週末か、ま、月末くらい。

先のことはわからないのです。

今、与えられている環境は、これまでの自分の成果です。

もし、他者に何かを望まれているなら、

精一杯それに応えていくのが、私の努めであろう、と考えます。

 

 

 

 

 

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キッチンの引き出しから後ろに落ちたものを拾ってみたら。

2020-08-10 21:09:07 | 美しく生きるという事

リビングルームはエアコンが効いていても、キッチンは暑いです。

そんな中、引き出しを開けて中のものを見ていました。

引き出しの奥の方には普段使わないものがなんとなく薄汚れて鎮座しています。

そして、あ、何かが引っかかっている。

取らなければ。

もしかしたら、何か後ろに落ちているかもしれない。

と思いついたので、引き出しと引き出しの隙間に手を突っ込み探ろうとしました。

普通、引き出しは引き抜けるものなのですが、うちのは古くてなぜだか引き抜けない。

なので私が手を突っ込むしか、取る方法がないのです。

手が届かないかもしれないからトングを持ちました。

トングで面白いようにものが取れます。

ビニール袋、割り箸、ハンカチ、フキン……。

あれあれ、どれだけ落っこちているんだ?

取れたものはキッチンの隅に積み上げていきますが、だんだん山になっていきます。

いったい、どれだけ落ちていたんだろう。

そういえば、スーパーでもらいすぎたビニール袋を何かというとどんどん突っ込んでいました。

そして後ろの隙間から裏に落っこちていたんですね。

よくもまあ今日まで気づかなかったものだ。

そして、疑問に思っていたこと、

本当にこの引き出しは引き抜けないのだろうか?

裏からよく見たら、プラスチックのバネのようなストッパーらしきものがあるではありませんか。

そして、それを押し上げてやったら、想像通り引き出しは抜けました。

あーあ。

引き抜いた後には割り箸だけが残されていました。

私が手を突っ込んでトングでほとんどのものをつかみ取っていたのでした。

そして私の腕には赤い痕が残されました。

打撲のようなものですね。

なんだか笑えます。

でも私、とっても詩的なことを思いついていました。

引き出しとは記憶だ。今日体験したことをどんどん突っ込んでいく。

毎日引き出しに突っ込む。

記憶はいくらでも入っていく。入らないと言うことはない。

私は、この引き出しにはいくら入れても入らなくなることがない、と思っている。

だから毎日突っ込む。

ただ、昨日入れたことは忘れています。

そしたら、記憶は、入れたら初めに入れたものはどんどん下に落ちていっていたんです。

あるとき、何の気なしに引き出しの奥を見てみたら、

すっかり忘れていた過去が山積みになっていました。

私は素手で触りたくないのでトングを使って一つつまんでみました。

それは、記憶の山の隅っこで薄汚くなった、見るもおぞましい過去でした。

……という話です。

嫌なことがあったら、何かに入れて蓋を閉めればなかったことにできる、

と信じていましたが、とんでもない、

どこかにずっと溜まっていたのですよ。

だからね、引き出しにはしまわずに、

その場でどうにかした方がいいですね。

 

 

 

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