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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草橋~両国】(②両国橋~吉良邸編)はとてもオススメ!

2017年07月10日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「①浅草橋~薬研堀不動尊編」に引き続き、「②両国橋~吉良邸編」について紹介したいと思います♪

両国橋に行きました♪

上流方面には近くに東京スカイツリーも見えましたね♪
「両国橋」と書かれている上にある丸い物体は昔の国土交通省のシンボルマークのようです♪


↑両国橋


↑両国橋から下流方面

ちなみに、江戸時代は白髭橋あたりまでが「大川」と呼ばれ、その先は「隅田川」と呼ばれていたようです。

それから、葛飾北歳が描いた両国橋の絵もありましたね♪
納涼で人々が訪れかなり賑わっていますね♪
手前が両国広小路とのことで江戸屈指の盛り場だったようです。
奥に見える橋が一の橋とのことで、弁天があり、現在の江島杉山神社とのことです♪
橋の下では舟で米を運んでいますね♪


↑葛飾北歳が描いた両国橋

また当時の両国橋の様子が分かるものがありました♪
木製でかなり大きな橋だったんですね♪


↑江戸時代当時の両国橋

 それから、両国橋の風景を特徴づけるものとして、当時は百本杭があったようです。
 1930年(昭和5年)に荒川放水路が完成するまで、隅田川には荒川・中川・綾瀬川が合流していたため水量が多く、特に両国橋付近の湾曲部ではその勢いで浸食されていたようです。
 そのため、両国橋北側には数多く杭が打たれ、水中に打ち込んだ杭の抵抗で流れを和らげ、川岸を保護していたようです。
おびただしい数の杭が打たれたので、いつしか百本杭と呼ばれ、その光景は隅田川の風物詩として人々に親しまれたようです。

 たとえば江戸時代の歌舞伎では、多くの作品の重要な場面に「両国百本杭の場」が登場するようです。
「十六夜清心」では冒頭に「稲瀬川百本杭の場」があり、稲瀬川は鎌倉を流れる川ですが、歌舞伎の中では「百本杭」とあるのでその場面は実は隅田川を舞台にしているということに気づくのです。
それほど百本杭は当時は人々に知られた場所だったんですね。


↑百本杭の説明

それから「ももんじゃ」というお店が気になりました♪
イノシシの大きなオブジェがスゴい♪
両国で9代続く老舗とのことで、シシ鍋やジビエが有名なようです♪
今度行ってみたいですね♪


↑ももんじゃ

それから、旧両国橋・広小路跡の説明がありました♪


↑旧両国橋・広小路跡の説明

旧両国橋は現在の両国橋の下流約50mの所にあったんですね♪
橋の上は盛り上がっているので、四方が展望できる絶景の場所で、近くの浅草観音堂や遠くは筑波山も見えたようです♪
ちなみに、橋の両方のたもとには火除け地として広小路が設けられ、西側(日本橋側)は「両国広小路」と呼ばれ芝居小屋や寄席、腰掛茶屋が並び、東側は「向こう両国」と呼ばれ見せ物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街だったようです。
1742年(1742年)の調査では1日に2万人以上が往来したとはスゴいです♪

それから、あの忠臣蔵の赤穂浪士が本所二ツ目の吉良邸で浅野内匠頭の仇討ちとして吉良上野助を討ち入った後は、泉岳寺への引き上げ前に、この「向こう両国」の広小路で休憩したようです♪


↑赤穂浪士休息の地の説明

 恐らく赤穂浪士たちはここから両国橋を渡って江戸城の横の現在の日比谷辺りを通って浅野内匠頭が葬られている泉岳寺へ行くのが近いとは思いますが、実は吉良上野介の長男は上杉家へ養子として継いでいて、その日比谷の上杉家からの追撃をおそれて、そのまま隅田川沿いを南下し、深川の永代橋を渡って築地方面へ進み、それから無事泉岳寺へ到着したようです。

 そして吉良邸裏門辺りに到着しました。
その裏門辺りの前に「前原伊助宅跡」がありました♪
伊助は赤穂浪士47士の一人で、吉良家の動向を探るために吉良邸裏門近くで「米屋五兵衛」と称して店を開業していたとのことです。
討ち入り直前には、亡君の人傷事件から討ち入りまでの経過を漢文体で克明に「赤城盟伝」として著していたとのことです。


↑前原伊助宅跡の説明

そして、以下の写真の辺りに吉良家の裏門があったとのことですが、普通にビルが建っていて、昔の面影はまったくありませんね^_^;)


↑吉良邸裏門の辺り

吉良邸裏門跡の説明もありました。
当時は吉良邸の敷地は東西132m南北62mもあったようで、赤穂浪士47名は表門と裏門に半分ずつ分かれて侵入したとのことです。
表門は大石内蔵介以下23名が門をよじ登り、裏門は内蔵介の長男である大石主税以下24名が破壊して侵入したようです。


↑吉良邸裏門跡の説明

それから吉良邸中央近くには「本所松坂町公園」が江戸時代の屋敷のように囲まれてあり、ここが上屋敷跡とのことです♪


↑本所松坂町公園


↑本所松坂町公園の説明

吉良邸跡の説明や井戸、吉良上野介にまつわるもの紹介、吉良上野介像、錦絵の紹介、葛飾北斎の絵の説明などがありましたね。


↑吉良邸跡の説明


↑みしるし洗いの井戸


↑吉良上野介にまつわるものの紹介


↑吉良上野介蔵


↑錦絵の紹介


↑錦絵?


↑葛飾北斎の絵の説明

また無料パンフレットも置いてあり勉強になります♪


↑無料パンフレット


↑無料パンフレット

そして、表門の方へ行ってみました♪
こちらもビルが建っています。
改めてその屋敷の大きさを実感できますね♪


↑吉良邸表門の説明


↑現在の吉良邸表門の様子

次回は「③勝海舟生誕の地~回向院編」をお届け致します♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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