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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【浅草橋~両国】(③勝海舟生誕の地~回向院編)はとてもオススメ!

2017年07月17日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「②両国橋~吉良邸編」に引き続き、「③勝海舟生誕の地~回向院編」について紹介したいと思います♪

両国公園に行くと、勝海舟の生誕地ということでその説明が充実していました♪
勉強になります♪


↑両国公園


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明


↑勝海舟の説明

勝海舟については特に坂本龍馬等との出会いや江戸城無血開城が興味深いですね。

ここで、お昼ご飯になり、お弁当が配られました♪
9つに分けられ、色鮮やかで嬉しいですね♪
参加者がお年寄りが多いためか量は少な目ですね^_^;)
旧東海道ウォーキングとは違ってお茶は各自調達です。


↑弁当

それから芥川龍之介の文学碑がありました♪
龍之介は生まれは築地のようですが、母が生後七ヶ月で発病したため、母方の芥川家の兄が住むこの両国に引き取られ、ここで育ち、13歳に養子となったようです。
龍之介は優秀で当時の旧制第一高等学校へ無試験で入学でき、東京帝国大学英文科に入学し卒業したようです♪
それは知りませんでしたね^_^)


↑芥川龍之介の文学碑


↑芥川龍之介の文学碑の説明

 それから回向院へ行きました。


↑回向院の入口

 回向院とは、俗に振袖火事と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を将軍徳川家綱によって葬った万人塚が始まりとのことです。

 あまりの惨事のため、遺体の多くが身元不明や引き取り手がない状態で、こうした遺体を葬るためにここ本所両国に無縁塚を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されたとのことです。

 その後、有縁・無縁・人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変、人災による被災者・海難事故による溺死者・遊女・水子・刑死者・犬や猫などの諸動物などありとあらゆる生命が埋葬供養されているとのことです。


↑回向院の説明


↑回向院の説明

また現在の念仏堂は2016年にグッドデザイン賞を受賞し、竹林などがある美しい建物で素晴らしいと思います♪


↑グッドデザイン賞の説明

 それから、実は1833年(天保4年)から76年間、この回向院で勧進相撲が行われていたようです。

 ちなみに江戸幕府は1684年(貞享元年)から春と秋の2場所の勧進相撲として深川(現在の門前仲町)の富岡八幡宮で始めていますが、1833年からはこの回向院へ移ったようです。

 その後、1909年(明治42年)にこの両国に国技館が建設され、32本の柱をドーム状に集めた鉄骨の建物で大鉄傘とも呼ばれ1万3千人収容の当時最大規模の競技場だったようです。

 その後、戦後に蔵前国技館などで興行が行われ、1985年(昭和60年)にJR両国駅北側に新国技館が完成し、再び両国で大相撲が行われるようになったとのことです。

そういう歴史があったんですね♪
勉強になります^_^)


↑旧国技館跡の説明


↑国技館(大鉄傘)跡の説明


↑国技館(大鉄傘)の説明

それから、この回向院の敷地にはその相撲関係の「力塚」の石碑などがありましたね♪


↑力塚


↑力塚


↑力塚


↑力塚の説明

そして回向院には色々な供養碑がありました。
当時から様々な災害等があったことが分かるとともに、当時の様子を理解でき勉強になります。


↑回向院の中


↑海難供養碑の説明

 そんな中に、鼠小僧の供養基があるのには驚きました!
まさに罪人も供養されているんですね。

 当時はやはり犯罪者には墓を作ることが禁止されていたようですが、歌舞伎や狂言での成功によって、祈願対象物として鼠小僧の墓の必要性が生じたようです。

 ちなみに鼠小僧は15年間で3180両を主に大名屋敷から盗んだようです。
現在の永田町の中屋敷で捕まったようで、1797年(寛政9年)に生まれ、1832年(天保3年)8月19日に浅草で処刑されたようです。

 なぜなかなか捕まらなかったのかというと、大名屋敷は治外法権で町奉行は関与することができなかったためのようです。
武家屋敷にのみ押し入ったため、庶民からは義賊扱いだったようです。

 また幕末の戯作者「河竹 黙阿弥」が権力者である大名家に自在に侵入し被権力者側である庶民に盗んだ金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出したことから人気に火がつき、演劇界においては現在まで続く当り狂言の一つのようです。


↑鼠小僧の墓

 その供養基の前には石があり、多くの方が熱心にそれを削って御利益としているようでした。
もしかして削っているのは泥棒なのではないかと思いましたが^_^;)、財布や袂に入れておけば金回りが良くなる、あるいは持病が治るともいわれているようです。
そう信じたいです^_^;)
 あまりにも人気のため、この欠き石は数年ごとに建て替えられ続け、現在までに数百基にも及んでいるようです。


↑鼠小僧の墓の説明

そのほか、回向院の中には犬や猫などの動物の供養基もあるようでした。


↑回向院の中

 回向院では改めて昔からいろんな災害があることを理解し、今後もそれらを克服してより良い社会にする必要があるなぁと痛感しました。
改めて回向院では供養させて頂きました。

次回は「④旧安田庭園~東京都慰霊堂編」をお届け致します♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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