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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【湯島】(③湯島天神~水道橋編)はとてもオススメ!

2017年09月25日 01時00分00秒 | イベント・外出
前回の「②湯島聖堂~妻恋神社編」の続きとなります♪

それから湯島天神へ行きます♪
青銅製の鳥居が古さを感じますが、寛文7年(1667年)創建とかなり古い鳥居で珍しいですね。
関東大震災と東京大空襲を免れた運の強い神社のようです。


↑湯島天神の鳥居

湯島天神は、御宇2年(458年)1月に雄略天皇の勅命により天之手力雄命を祀る神社として創建され、南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀されたようです。
また文明10年(1478年)に太田道灌が再建し、その後、徳川家康をはじめ歴代の将軍が篤く庇護し隆盛を極めたようです。


↑湯島天神の説明


↑湯島天神の境内

ガイドさんの説明によると、この辺りは湯が出る場所だったことから「湯島」と言われるようになったようです。
海にある島ではなく、場所のことを「シマ」とも言いますが、湯が出る場所だから湯島とのことです^_^;)

境内には筆塚がありましたね♪


↑筆塚

実は江戸時代までは学問の神様はいなかったようです。
それまでは学問よりも戦いに勝つことやお金儲けが大切だったためです。
江戸中期になると豊かになり、読み・書き・算盤の寺小屋ができ、それで学問に使う筆塚もできたようです。
そして菅原道真の天神様が学問の神様としてあがめられるようになったようです♪

それから牛の像がありましたね。
これは太宰府天満宮や谷保天満宮にもありました♪
菅原道真が牛に乗って行き、牛がひざまづいた所が太宰府天満宮になったようです。


↑牛の像


↑牛の像

それから次は麟祥院(春日局の菩提寺)へ行きます♪
麟祥院は、寛永元年(1624年)、春日局の隠棲所として創建されたとのことです。
禅宗の一派で臨済宗のようです。


↑麟祥院の門

ちなみに江戸時代に門があるのは格式がある家だったようです。
宿場町の大名が泊まる本陣は必ず門がある格式高い家だったようですが、脇本陣には門がない場合もあったようです。
また玄関があるのも格がある家とのことで、それは駕籠を横に付けることができたためのようです。
ナルホド!

 敷地に入るとお地蔵さんがたくさん置いてあって驚きました。
元々は街道筋に置いてあったものですが、道路拡張で捨てる訳にも行かず、各地のお寺や神社には置かれていることが多いようです。
右頬に手を置いているのは、歯痛止めのお地蔵さんとのことです^_^;)
昔から虫歯などの歯痛はあるんですね。


↑お地蔵さん

そして奥には春日局のお墓がありました♪
墓石に丸い穴があるのには驚きましたが、これは「死んでも見ているんだよ」というメッセージとのことです^_^;)


↑春日局のお墓


↑春日局の墓の説明

それから、敷地には東洋大学発祥の地の石碑がありました!
明治20年(1887年)には井上円了が、この寺の境内の一棟を借りて東洋大学の前身でう「哲学館」を創立したとのことです♪


↑東洋大学発祥の地


そして、東京大学の中を通って、赤門へ行きます♪
ガイドさんは大正時代の赤門の写真も見せてくれます♪


↑大正時代の赤門の写真


↑現在の赤門


↑赤門の説明

この赤門は1827年に第11代将軍家斉の娘である容姫を正室に迎える際に前田家が建立したとのことです。
当時大名が将軍家から妻を迎える場合、朱塗りの紋を建立したようです。
なので、赤門は至る所にあったようです。
特に家斉は40人以上子宝に恵まれたのでたくさん赤門が造られたのでしょう^_^)

東京大学は前田家上屋敷跡で、当時は10万3千坪ほどの広さがあったようです。
現在の東京大学の敷地よりも大きかったようです。
当時の古地図では、紋の絵が書かれている敷地は将軍から大名に与えられた土地で上屋敷を表すようです。
また紋のある場所に、正門があったようです。
ちなみに前田家の中屋敷は巣鴨にあり2万坪ほどだったようです。
前田家の下屋敷は、板橋にあり21万坪もあったようです。
さすが加賀100万国の大大名ですね。

 それから参勤交代とは、参勤が江戸に来ることで、交代とは国元に帰ることだったようです。
また参勤交代で通る道は事前に老中に報告しなければならなかったようです。
大名は参勤交代中は駕籠の中にいなければなりませんでしたが、これが退屈で仕方がなかったようです。
駕籠の中でタバコの火を服に点けて遊んでいるとボヤ騒ぎになったり、本を入れすぎてその重みで駕籠が壊れてしまったこともあるようです。
また大名は退屈しのぎに馬に乗りたがったようです。
そのため人目が付かないところで馬には乗っていたようです^_^;)

それから、少し歩くと「かねやす」がありました!
「本郷も かねやすまでは 江戸の内」という川柳があったようで、
江戸時代には大火が多かったことから大火を防ぐために、土蔵造りが奨励され、屋根は茅葺きが禁じられ、瓦葺きがこの本郷の「かねやす」まで続いたようです。


↑かねやすの説明


↑かねやすの川柳

おそらくこの江戸との境目に土蔵がある「かねやす」は当時目立っていたのだと思います♪

そして東京都水道歴史館に到着し、ここの3階でお弁当をいただくこととなりました♪
ウォーキングで腹が減ったので、糖質が多いのが気になりますが弁当がよりおいしく感じます♪


↑今回の弁当

東京都水道歴史館は前回行ったことがあり、目新しいものがなかったので、省略します。

そして最後に水道橋駅近くの神田川へ行き、「お茶の水分水路」の石碑を見ました♪


↑「お茶の水分水路」の石碑

そしてガイドさんは水道が通る水道橋(駿河台)の浮世絵を見せてくれます♪
当時は木の橋で、そして神田上水として水道が通っていたんですね♪


↑浮世絵


↑神田川分水路案内図


↑水道橋の銘盤

また水道橋には当時の水道橋の絵も飾られていました♪

ということで、今回も古地図ウォーキングは、楽しく歴史や地理の勉強になりとても良かったです♪
とてもオススメです!

今回も、江戸ぶらり古地図ウォーキングは歴史や地理の勉強になり、より湯島近辺について理解を深めることができました♪
「江戸ぶらり古地図ウォーキング」湯島編もとてもオススメです!

お勧めなお話(2017年上半期)

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