いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

フルサトをつくる(伊藤洋志×pha)という本はとてもオススメ!

2015年03月06日 01時00分00秒 | 
「フルサトをつくる」の購入はコチラ

 「フルサトをつくる」という本は、他拠点居住のメリットや具体的な場所の探し方、家の借り方、家のつくり方、移動方法、その土地での人付き合いの考え方など和歌山県の熊野等での実体験を基に書かれたものです。

 特に、都市に住んでいる人が新たにつくるもう一つの拠点「フルサト」の視点で書かれていて、都市生活から離れ、風の音とか温泉のじわーっと来る感じとか野菜や魚の旨さを体感しながら動物的なペースや感覚で暮らせて、心身ともに健やかに生活が送れる環境があると、確かに素晴らしいなぁと思いましたね。 

 また田舎に住むと音が鮮明に聞こえるようになったり、動作に無駄が減り、本来の人間の身体感覚を引き出す効果があるとは面白いと思いました。

 それから現地の方と仲良くなり、お互いのナリワイを活かし、共同で助け合うというのもとても楽しそうで、他拠点居住は健やかで楽しい生活を送れるだけでなく地方活性化にもつながり、とても良い考え方だと思いましたね。

 著者の「伊藤洋志さん」の前著「ナリワイをつくる」もぜひ読んでみたいと思いましたね。

フルサトをつくるという本は、今後の居住について考えさせられ、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・フルサトに大事なものの多くは感覚的なものだ。たとえば、暖かさだ。人間は寒いと後ろ向きな気分になりやすい。特に級に冷え込んだ秋は要注意だ。だからフルサトは体が温まるものがあったほうがいい、温泉とか薪ストーブとかサウナとか、いい布団とかだ。なんとか主義や流行のまちづくり手法ではなく、確かな洞察と具体的な物事の集積こそが、居心地がよいフルサトをつくる。

・居心地がいい場所というのは、定住している人、定期的に長期滞在しにくる人、短期でちょくちょく遊びにくる人、それぞれを許容する土地だと思う。そういう場所が今後はにぎわっていくだろう。逆に「骨を埋めるか否か」の即断を求める土地は、住むことによほど強力なインパクトがなければ緩やかに過疎になっていくと思われる。

・フルサトにおいて必須条件は何か生業(ナリワイ)を持つこおである。つまりその土地の現在のメンバーができない技術を持つことだ。ナリワイを持つと、それを通して人と接点を持つことができる。これは高い話術能力を必要としないで人と関係性をつくるのに有効である。

・田舎に仕事なんてない、という意見もよく聞かれるが、実は雇用は少ないかもしれないが、自分で見つけ出し工夫してつくれば、むしろ仕事の素材には困らない。ナリワイとは、小さい元手で生活の中から生み出され自給につながるやればやるほど心身ともに鍛えられる仕事である。田舎こそナリワイの宝庫である。

・フルサトをつくる場所を選ぶ際に重要なポイントは「人・環境・交通」の3つだと思う。

・「人」については人の縁をうまく作ったりうまく頼ったりしていくことが一番大事だ。田舎に単に物理的に家が一軒だけあってもそこはフルサトとは呼びにくい。ときどき帰りたいと思えるような場所を作るためにはやっぱりそこにいると安心できるような人間関係のネットワークがそこにないといけない。やっぱり、自分と近い世代の移住者がすでにある程度いて、移住者同士が良い雰囲気で交流している土地が一番入りやすいんじゃないかと思う。地元の人がみんないい人ばかりだったとしても、なんだかんだ言っても同年代同士やよそから来た人同士のほうが仲良くなりやすいところはある。

・「環境」については、田舎と都会の多拠点居住をするのなら、やはり田舎でしかできないこと(家の前で焚き火をするとか近所の川で釣りをするとか畑をするとか)ができるような、人が少なくて自然が多い場所が良い。人の少ない過疎化した場所だと家を借りても家賃は安く済む。あとは温泉が好きなら温泉地の近くだとか、海が好きなら海の近くだとか、スキーやスノボが好きなら雪山の近くだとか、「定期的に通いたくなるようなコンテンツ」があると自分が通うモチベーションも上がるし友達を呼んだりもしやすい。

・「交通」は都会からの行きやすさだ。都会と田舎の拠点をうまく繋いで人を交流させるにはやっぱり都会との往復のしやすさが大事になってくる。立地によって人の流れは変わる。都会から遠いと人が来にくくなるし、どの大都市から近いかによってどの地域の人が集まるかは変わってくる。最近はLCCを使えば飛行機に安く乗れるので、LCCの路線が就航している空港の近くという選び方なんてのもありかもしれない。

・やっぱり地元の人や移住者などの「現地に住んでいる人」との交流を持つというのがとても大事だ。現地の人と仲良くなって、「あっちのみんなは元気でやっているだろうか」「そろそろまたあの人たちに会いに行くか」と思うようになると定期的に足が向くようになる。だから、この人たちと仲良くなりたい、と思えるような人が住んでいる土地を探そう。そして現地の人と一緒にただ会ったり話したりするだけではなく、できれば一緒に何かをやるのがいい。田植えを手伝うとか廃校の改修を手伝うとか、祭りなどのイベントを手伝うとか、地域おこし的なボランティアを募集していたら参加するとか、何かその地域を活性化させるようなことが一緒にできると一番良い。単にお客さんとして行くのではなく一緒に何かをすることで本当に仲良くなれるというところがある。その土地を活性化させることは自分のフルサトをより良くすることでもあるので一石二鳥だ。自分に何かスキルや特技があればそれを提供したらいいし、特に何も特技がなくても田舎は常に人手不足なのでいるだけで手伝えることはいくらでもある。都会から何かを持っていくとか都会の情報を集めるとか、都会と田舎を往復する人間だからこそ貢献できるようなこともいろいろあるはずだ。

・フルサトを探すには、とりあえずいろんな場所に行ってみよう。気に入った場所があったり仲良くなった人がいたらそこに何度も行ってみて、単なる観光ではなくそこに住んでいる人と共同で何かをやってみるのがいい。現地に親しい人ができれば泊めてもらえるようになる。そして、たまに遊びに来るだkじゃなくてもっと腰を据えてその地域に関わりたい、と思ったら、やっぱり自分の好きにできる「家」があったほうがいろんなことがやりやすいと思うようになってくる。場所が決まったら次は自由に寝泊まりできる家を作ろう。

・最初のころは、どんな土地なのか、どういう人が居るのか、何か自分の特技が活用できそうなところはないかなどを調べる。これは通えそうだというオープンな雰囲気のお店があればなおよい。そういうところには感覚の近い人が集まっていて情報が集まるからだ。土地の状況を知りながら、ここで自分の特技をどう工夫したら生かせるのかとか、どういう生活をしたらよいか、という作戦を考えると面白くなってくる。自分の気分が盛り上がるポイントを徐々に増やしていく。ちなみに、特技というのは特殊能力だけではなく、草刈りができる、車の運転ができる、自炊ができる、PCのセットアップができる、ネットで買い物ができる、というレベルでも場所によっては特技になりえる。高齢化したエリアでは、草刈りができる人がいるだけでも貴重である。なんなら日本全国高齢化していくこの時代においては、生きているというだけでどこでも特技になる。生きていること自体が本来は価値であるが、単にそれが見えにくくなってきているのが現代都市生活とも言える。東京ですら、一人暮らしのお年寄りが、自分の家の片付けをやりきれないで寝る部屋以外はゴミ部屋になってしまっているケースも珍しくない。片付けも仕事になる。

・まだまだ小屋作戦にはよいことがある。長期スパンで家をつくっていると材料がタダで手に入る確率が上がる。廃棄物は、いつのタイミングで出るか分からない。今すぐではなく、いろいろな人に声をかけたり移動中に眼を光らせておれば、家の資材に使えそうなものに出会うチャンスが増す。一軒目の小屋だけは材料を買ってひとまず住めるようにして、住みながら資材をもらえるチャンスをうかがっていく、という段階的作戦も可能だ。そもそも世の中には廃棄物が多い。急ぎでなければ捨てられる資材を気長に集めることができる。にもかかわらず資材を買うということは、集める手間を省くためにお金を使って時間を買うことと同じである。〆切に追われていなければ、資材を集める時間をかけることもできる。「余っている太陽熱温水器ないですか」、「捨てるシンクないですか」と声をかえておけば、けっこう見つかるものである。まだ使えるのに捨てられている粗大ごみの総額は全国で年間約800億円とも言われている。これは宝の山である。あくせくガツガツしなくても必要なものが手には入ることがあるのが現代の面白いところだ。

・人が集まるタイミングが決まっていて、その期間に一気に作業をしてしまいたいなどの場合は、タイミングと勢いも貴重な資産だから、多少の支出をしてでも材料を買ったほうがよい。何事も状況に応じて臨機応援にだ。その際も、ホームセンターで材料を買うよりは製材所から直接木材を仕入れたほうが質も確かでローコストだ(木材は乾燥させるために早めに買って現場に置いておくとよい)。

・pha氏は、イトウが「熊野におもろい場所があるんやけど行きましょう」と言ったときに「おっ行ってみたい」と二つ返事だったし、最初のシェアオフィスを見学したときに「ここ借りて共同運営するのどうですかね」と言ったら「いいですね、面白そう」と即答した。この即答できる瞬発力はフルサトを見つけるときにとても大事なことだ。ここで「熊野、遠いなー、うーんちょっと考えます」というかんじだと話があったこと自体忘れてしまうし、機会を逃すことが多いだろう。現代社会の日常は情報が多すぎて埋もれがちだし、一度決め損ねるとだんだん忘れられていくというのが世の常である。うっかり決めてしまって、進めながらうまくいく方法を考えていけばいい。早く決めてしまえば、時間にも余裕ができるしいろいろな手が打てる。

・今のところ僕は田舎に永住するつもりはない。別に都会に永住するつもりもなくて、まだまだいろんな場所に住んでみたいと思っている。都会は都会で楽しいし、田舎は田舎で面白いし、都会にも拠点を持ちつつ田舎にも拠点を持って、行ったり来たりして両方のいいとこ取りをしながら過ごせたら理想的だと考えている。

・熊野という地理的条件は人を制限する条件になっているのも確かだ。何より遠い。東京から車で行くと高速を飛ばしても11時間くらいかかるし、大阪や名古屋からも車で4~5時間かかる。ただ、そういう来にくい場所だからこそ「本当にそこに興味のある人だけが集まる」「よく分からんない変な人が来にくい」というフィルターとして機能している面もある。あとは動物を飼うと人が集まりやすくなるかなというのも考えている。たとえばヤギを飼うとか。イヌとかネコと違ってヤギとかは田舎でないと飼えないし、動物がいると「あの子元気かなー、あの子に会いに行こー」みたいな感じで繰り返し訪ねてくるモチベーションが上がると思うんだよね。ヤギがいれば「乳でチーズ作ろう」とか「除草要因として近所に貸し出したりしよう」とかいろんな発想も広がっていくし。

・とりあえず「1回でいいから遊びに来てくれる人」を増やすこと。その人たちの中から「何回も遊びに来てくれるリピーター」を作ること。そして「何回も遊びに来てくれるリピーター」が増えれば、その人たちの中から何%かは「その土地に移住してくる人」も出てくる。そして移住者がある程度集まっていい雰囲気のコミュニティができれば、そこを軸にしてさらに新たな移住者も増えやすいし、移住者の知り合いなどで遊びに来てくれる人も増える。人の少ない地域をなんとか回していくには、そんなサイクルを地道に進めていくsかないのだと思う。

・仕事といっても難しく考えすぎないでもいいと思う。街に買い物に行きたいけど行けないお年寄りを車に乗せてあげるとか、それが難しければ移動販売もよいと思う。もっとシンプルに、草刈りをするとかでもよい。元手をかけず生活の中から生み出せるものはたくさんある。それがたとえ高収益モデルでなくても十分だ。つまらない支出が発生しない暮らし方とセットで生活を組み立てれば余裕をもって暮らしていける。フルサトは競争経済で戦闘するための場所ではなく、どうなっても文化的な生活の基礎を確保する場所であることが大事だ。その上で、「これを広げたら自分の他に何人も生きていけそうや」という仕事であればチャレンジして広げていくぐらいの感覚がよいと思う。

・ともかく大事なのは、フルサトで仕事をつくるのは都市と違ってマネーを最優先させなくても良いということである。仕事は第一に面白いからであり、さらに他者との関係性をつくるためであり、そのついでに生活の糧を得るという順番である。

・お金が要らないというわけではなく、優先順位3位以下なので、儲かったら儲かったでラッキー、儲からなくても全然オッケーな体制を整備していくことがフルサトでの仕事の秘訣だ。そのためには、飲食業なら自分が毎日食べられるものをつくり、原料は自分で過労にならない方法で自給する。完璧主義でやるとしんどいので、メニューはその日取れた食材に合わせるとよい。メニューを固定すると、自給分が不足したときに食材を仕入れないといけなくなり、原価が上がって、最低売上目標も上がる。すると売上の最大化のために、広告宣伝に過剰に時間とお金を割くことになる。広告費により支出が増えるので、またさらに売上をあげていかないと成立しない。あれ?なんか忙しくなってきたぞ?というループにはまってしまう。もちろん、ガソリン代とか車代とか温泉代や刺身代、あとは社会保証費用は稼がないといかんので、どれぐらいが最低ラインかをはっきりと認識しておくことが大事だ。そのうえで、最低値を越えるようにすればOKだし、越えない場合は暇ができるので自給度を高める。この攻撃(収入を増やす)と防御(支出を減らす)が同時にできればかなり丈夫な家計モデルになる。

・ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている、これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている。「交換を活性化させる、それが経済の活性化」と定義しなおすと、いろいろやるべきことがはっきりする。ゴールを見誤ると努力が効果を生まない。そこが勝負どころである。

・熊野の家でまず最初に行ったナリワイは、寺小屋である。なぜ寺小屋にしたのかというと、単に塾や家庭教師が不足していたからである。やり方はシンプルで、夏の2週間だけ夏期集中の寺小屋を開催したのである。2週間3万円で質問に無限に答えるという寺小屋である。知り合いにタイミングよく塾講師を辞めた人がいたので、メイン講師になってもらい、他の人は、得意な教科だけ教える替わりに無料で泊まれて、空き時間に川遊びや花火大会に行ったり夜はバーベキューしたりと夏休みらしい過ごし方ができるという企画である。ナリワイにする人一人に、出入り自由のボランティアチーム、という構成である。一人で教えても良いのだが、この寺小屋の第二の目的は、親と教師以外の大人と会って話をする機会を中高生に提供することである。大学が近くない田舎では、比較的近い年齢の大人と話す機会が圧倒的に不足しているという現状がある。だいたい、こういった地域で中高生が知っている職業など医師、教師、公務員、警察官ぐらいだったりするので、選択肢が狭すぎる。そのうえで、将来の夢とかを書けと言われてもどうしようもない。

・既存の幼稚園などがいきなりニンジャ教育を始めたら、怪我したらどうするんや、という意見が出てきてたぶんやれないが、新しく25人ぐらいの賛同者でつくっていけばできる。少しのリスクで、大人になって転びにくいちびっ子が育つなら一生の財産になる、と考える人が25人集まるかどうかが課題だが、世界中から募集したら25人ぐらい集まらないだろうか。なにしろイランに忍術を教える護身術学校があるぐらいである。歳を取ったときに転んで骨折すると寝たきりのきっかけになりやすいわけだから、転ばない身体感覚を早いうちから身につけておけば一生の財産だし、幼稚園の頃からニンジャを目指すのも夢がある話ではないか。ちなみに、古武術研究家の甲野善紀氏がおすすめしていたのは、密集した竹やぶに登って竹から竹に飛び移る遊びをするとかなり身体感覚が鍛えられてよい、とのことである。

・不便なところであればあるほどナリワイの種は探しやすい。田舎でのナリワイづくりについては、さらに不便を単に便利にするだけではなくて、質を高めていくのが良い。ラーメン屋がないなら回転数勝負の都市型深夜営業ラーメンをやっても仕方がないので、完全予約制で5千円ぐらいで様々な凝ったラーメンが食べられる店とかやってもよい。なぜ田舎向きかというと、都市でこのような単発の営業形態を取ると家賃負担などで採算割れするリスクが高いからである。都市でもイベントスペースを借りてやるという手もあるにはあるが、調理ができて営業行為ができるようなスペースはまだ多くない。田舎であれば、あえて人里離れた鶏の声しか聞けない場所で、10名限定で、イノシシのラーメンから、一杯あたり鶏一羽から出汁を取ったラーメンとか3種類ぐらい全部食べられる、という単発のライブイベント的なお店もできる。家賃が安いからである。しかも、平飼いの養鶏場とかも近くにあるから、やむなく卵を産まなくなった鶏たちを引き取れる。鮮度も良い出汁が取れるだろう。素材が近くにあるからできることは多い。

・本というのは文化を支える基本だ。大人が文化的な楽しみを得ながら生活をするために、また、子供が文化的に豊かな環境で成長するために、本の存在は欠かせない。ネットでいろんなことが検索できるようになったといっても、まだまだネットより書籍のほうが質が良くてまとまった情報が手に入る。ネット書店で大抵の本が買えるといっても本棚に並べられた本を実際に手に取って見ることができる書店や図書館といった空間の楽しさはネット書店では得られない。だから、書店や図書館といったスペースが家のある程度近くにあることは、文化的な生活を送るためにとても大事なことだ。そして、そんな書店や図書館といった文化的なインフラも自分たちで作っていくことは可能なのだ。

・特に冬に一人で滞在したときに思いがけない変化があった。もともと冬は寒いと思っていたのであまり行くつもりがなかったが、冬は虫がいないからとにかく音がしない。この本もかなりの部分は熊野での滞在中に書いたのだが、集中力があがる。暑くないのがいいのか、静かなのがいいのか分からないが、とにかく集中力があがる。確かに寒い時期は何かまとまったものを出力するのに大変向いている環境だと思う。文学者に北国出身が多いのは気候のせいかもしれない。

・ほかにも変化があった。東京に戻ってくると、音が鮮明に聞こえるようになった気がする。音を分解して聞こえるようになった。他にも関連性があるのか分からないが、太極拳のような動きが日常にできるようになり、動作に無駄が減った。無理矢理たとえると、立ち上がると同時に茶碗と箸を片手で持つ、しまうべき調理道具を右手で持ち、左手で戸棚を開き始めると同時に少し開いた戸の隙間に流し込むように道具を滑り込ませるとか、一つの動作で二つのことをやる、みたいな動きである。

・私自身がよいと思うのは、子育て期間は仕事のペースを緩やかにしやすいフルサトをメイン居住地にして、一段落したらまた都市に軸足を移すという流れである。都市の固定費が高いのはハイペースに仕事をするのに適した環境の対価という側面もある。人が多いのはアイデアの交換も多く発生しやすい。それらをうまう使い分けるという発想で、子供が小さい間はフルサトで暮らして、ハイペースに仕事をしたくなったら都市に移動するというのも選択肢になる。こういうフルサトと都市の移動がスムーズにできるようになればだいぶ余裕のある社会になるのではないかと思う。昔の人の年表を見ていると、1年単位で療養したり、自分の研究に打ち込んだり、経験値を積むために放浪したりしている。弘法大師空海は、大学に行った後に空白の数年間があるし、別府温泉と湯布院温泉を観光開発して有力な温泉地にした油屋熊八も、35歳で事業に失敗して財産を失った後に3年間アメリカ大陸を放浪している。イサム・ノグチも1年ぐらい北大路魯山人のころで作陶していたらしい。

・pha氏がブログに「熊野にいると不思議とそれほどインターネットしたくならなかったけど」と書いていたが、それは田舎にいると景色が複雑だし、鹿の鳴き声は風とか自然音のノイズの中から聞き耳を立てないと抽出できないから、五感の満足が得られるからだと思う。おそらく現在の都市生活には人間が持っている五感能力はオーバースペックなのだ。五感能力をフルで使うように本能がセッティングされていたから自然の中で人間は他の生物との生存競争で生存してこれたわけだし、人間はもともと複雑性の高い情報を積極的に摂取したくなる生き物だということなのだろう。そのへんの制御がきかなくなったときにジャンキーになってしまうので、たまにフルサトに行ってチューニングするというのがよいのではないか。

・充実した生活というのは、現代においては衣食住の質的転換だと思う。多拠点居住は、生活の質的転換に対してかなり強力な手段になりえる。何も全員が住む場所を2つ以上持つっべきとは思わないが、困ったら滞在できるような関係性の場所を持つことはあらゆる人にとってよい効果があるのではないかと思う。地震の活動期に入ったともいわれる日本において、住む場所のバックアップを持たないことのほうがむしろ普通じゃない。住むことに関しては発想の転換が必要だ。

・熊野はとにかく家も人も少なくて静かなのが素晴らしい。天気のいい日に朝起きて外に出て、日光を浴びながら家の周りの山々を眺めていると、「あー、ここは天国だ」という気分になってくる。屋根の上に寝転んでひなたぼっこをするのも気持ちいい。聞こえてく音といえば、ウグイスがホーホケキョって鳴く声や、トンビがピーヒョロロって鳴く声くらいだ。夜は夜で虫の声しか聞こえない。あとはときどき遠くで鹿の甲高い鳴き声がするくらいだ。明かりが少ないので星がたくさん見えるし、月の明かりってこんなに明るかったんだっていうことに気づかされる。月が照っていればその光で影がくっきりできるくらい明るくて、夜道を歩いていても道を踏み外したりしない。熊野にいると生活リズムが健康になるのを感じる。夜はよく眠れるし、朝は気持ちよく自然に目覚められる。多分、夜はあたりが真っ暗で店もなくて、起きていてもあまりすることがないので早めに眠くなるからだ。これが本来の夜だという気がする。熊野にいるときに都会の感覚で「今は夜の12時くらいかな」と思って時計を見るとまだ夜9時だったりする。明るいときは活動して暗くなったら家で休むというサイクルが自然にできる感じだ。あと近くに他の人の家がないというのはとても解放感があって気楽だ。家の前で焚き火をしたりも気軽にできる。大きな音で音楽を聴いたり楽器を鳴らしたり外で散歩しながら大声で歌ったりしても誰にも何も言われない。そういうのは都会では絶対にできないことだ。そんな環境のせいか、熊野に来るとなんか元気になる感じがする。だから定期的に通ってしまうんだと思う。

・田舎を単に過疎化させて衰退させておくのはもったいない。自然や家や土地など、そこにはまだまだ活用できる資源がたくさん埋もれている。何でも都会がいいとか都会が進んでいる、というような時代はもう終わった。これからは都会と田舎をうまく結びつけて両方のよい部分を生かしていくようなやり方が必要とされている。田舎には家も土地もたくさん余っているし、日本は道路や鉄道などの移動手段が発達しているし、今は結構な田舎でも電気、ガス、水道、インターネットなどの生活インフラは整っているし、田舎にいてもネットがあれば大抵の物や情報は手に入るようになったし、現在は都会と田舎を連動させながらいろんなおもしろいことをやるのにかなり良い条件が揃っていると思う。だあら、僕らのように田舎に拠点を作って都会と田舎の多拠点生活を送る人がもっと増えれば、いろいろ楽しくなるんじゃないだろうかと思う。


良かった本まとめ(2014年下半期)

<今日の独り言> 
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする