安倍晋三は将来的な核保有の必要性出来に備えて広島と長崎の原爆犠牲者慰霊の挨拶を行っているものと弁えよ

2017-08-14 12:00:52 | 政治

 唯一の被爆国日本の首相として安倍晋三が2017年8月6日、広島原爆死没者慰霊平和祈念式典で挨拶し、続けて8月9日に長崎原爆死没者慰霊平和祈念式典でも挨拶を行っている。  
    
 安倍晋三の核兵器に関わる姿勢が如実に現れている箇所を取り上げてみる。

  広島

 安倍晋三「今から72年前の、あの朝、一発の原子爆弾がここ広島に投下され、十数万ともいわれる数多(あまた)の貴い命が失われました。街は一瞬にして焦土と化し、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来も、容赦なく奪われました。

 このような惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です。

 真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。

 そのため、あの悲惨な体験の『記憶』を、世代や国境を越えて、人類が共有する『記憶』として継承していかなければなりません」

 

 長崎

 安倍晋三「一発の原子爆弾により、一瞬にして、7万ともいわれる数多(あまた)の貴い命が失われたあの日から、72年がたちました。一命をとりとめた方々にも、耐え難い苦難の日々が強いられました。人々の夢や未来も、容赦なく奪われました。
 しかし、長崎の人々は、原子爆弾によって破壊された凄惨な廃墟(はいきょ)の中から立ち上がり、たゆまぬ努力によって、素晴らしい国際文化都市を築き上げられました。

 この地で起きた惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責務です。

 真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。

 そのため、あの悲惨な体験の『記憶』を、世代や国境を越えて、人類が共有する『記憶』として継承していかなければなりません」

 ほぼ同じ文章となっていて、趣旨も同じ、原爆の悲惨さを語り、「核兵器のない世界」の実現を約束している。そしてその方法として「核兵器国と非核兵器国双方の参画」の必要性を挙げ、「双方に働きかけを行うことを通じて」、「核兵器のない世界」実現に向けて「国際社会を主導していく決意」を明確に示している。

 二つの挨拶を読む限り、どこからどう見ても安倍晋三は強固な核廃絶論者に見える。

 「核兵器国と非核兵器国双方の参画」の主意については既に前外相の岸田文雄が発言しているが、安倍晋三は広島原爆死没者慰霊平和祈念式典出席後に広島市のホテルで行った記者会見でより詳しく触れている。 

 「産経ニュース」/2017.8.6 22:50)

 記者「政府は核兵器禁止条約の署名、批准しない考えは変わらないのか。関連して、非核三原則を法制化する考えは」

 安倍晋三「わが国は唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けて国際社会の取り組みをリードしていく使命を有している。これは、私の揺るぎない信念であり、わが国の確固たる方針です。

 真に核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国の参画を得ることが必要不可欠です。しかし、核兵器禁止条約には、核兵器国は1カ国として参画していません。

 核兵器国と非核兵器国の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現を遠ざける結果になってはならない。わが国は核兵器の非人道性および厳しい安全保障環境に対する冷静な認識の下、核兵器国と非核兵器国の双方に働きかけ、核兵器のない世界という理想に向けて一歩一歩着実に近づく現実的なアプローチが必要だと考えます。

 今般、国連で採択された条約は、わが国のアプローチと異なるものであることから、署名、批准は行わないことにしました。この条約の効力はその締約国にしか及ばないというので、日本が条約違反を問われる可能性は全くないということです。

 非核三原則については、核兵器の惨禍を決して繰り返させてはならないとの揺るぎない決意のもと、わが国はこれまでも、そしてこれからも非核三原則を国是として堅持する考えで、改めて法制化する必要はないと考えます」

 要するに2017年7月7日にニューヨークの国連本部で行われた会議で採択された「核兵器禁止条約」の参加国は核非保有国だけで、核保有国は1国も参加していなから、両者の利害の隔たりを埋めることはできない。逆に利害の「隔たりを深め、核兵器のない世界の実現を遠ざける結果になってはならない」から、日本は「核兵器のない世界という理想に向けて一歩一歩着実に近づく現実的なアプローチ」で双方に働きかけていくことが最善と考えているが、そのことに反して「核兵器禁止条約」はそのようなアプローチと異なるゆえに「署名、批准」は行わなかったとの趣旨となっている。

 但し日本が「核兵器禁止条約」の締結国となって、核非保有国の立場から核保有国に核兵器廃絶の働きかけを行ってもいいはずであるし、「核兵器禁止条約」の主要推進国・オーストリアのハイノッチ在ジュネーブ代表部大使が朝日新聞の取材に対して「条約は『核の傘』の下にとどまることを禁じていない」との見解を示したと2017年8月9日付「朝日デジタル」が伝えているから、アメリカの核を日本の安全保障に利用しながら、「核兵器禁止条約」締結国の立場からアメリカやその他の核保有国に核廃絶を求めてもいいはずである。   

 だが、そうしていないのは安倍晋三が実際はアメリカの核を必要としていて、自身も将来的に必要が生じた場合は日本の核の保有を考えているからだろう。

 この思いが次の発言に端なくもポロリと出ている。

 「この条約の効力はその締約国にしか及ばないというので、日本が条約違反を問われる可能性は全くないということです」

 締結していないのだから、当たり前のことであるが、「条約違反」に問われないと言っていることの意味は「核兵器禁止条約」が禁止している各項目を順守する義務は何一つないということの示唆である。

 いわば禁止項目を守らなくても、「日本が条約違反を問われる可能性は全くないということです」と言ったのである。

 決して日本は例え締結に参加しなくても、核非保有国であることを守って、「核兵器禁止条約」が禁止している各項目を順守しますと言ったのではない。

 これをわざわざ口にしたということは、広島と長崎の原爆死没者慰霊平和祈念式典でスピーチしていることの全てをウソにする。「一発の原子爆弾により、一瞬にして数多(あまた)の貴い命が失われた」とか、「『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力」をするとか、「あの悲惨な体験の『記憶』を、世代や国境を越えて、人類が共有する『記憶』として継承していかなければなりません」と言っていることの全てをウソにする。

 このウソは記者会見で記者から「非核三原則を法制化する考え」を問われて、「非核三原則については、核兵器の惨禍を決して繰り返させてはならないとの揺るぎない決意のもと、わが国はこれまでも、そしてこれからも非核三原則を国是として堅持する考えで、改めて法制化する必要はないと考えます」という発言に物の見事に現れている。

 「国是」とは国家としての方針に過ぎない。非核三原則を法律にした場合、国是程には簡単に変えることができい。変えるとなった場合、国是の変更よりも面倒な手続きが必要となる。

 安倍晋三が非核三原則を国是のままにして法制化を避けたのも将来的に必要が生じた場合の日本の核の保有を考えているからだろう。

 このことは内閣法制局長官横畠裕介の国会答弁を通して既に安倍内閣の意思として公にされている。憲法や法律についての内閣の統一解釈は内閣法制局が行い、その長である内閣法制局長官の見解は憲法や法律についての内閣の見解を代弁している以上、安倍晋三の発言として耳にしなければならない。

 2016年3月18日の参院予算員会で民進党になる前の民主党員白真勲が核の保有も使用も憲法違反ではないのかと質問している。

 横畠祐介「もとより、核兵器は武器の一種でございます。核兵器に限らず、あらゆる武器の使用につきましては、国内法上及び国際法上の制約がございます。

 国内法上の制約で申し上げれば、憲法上の制約は、やはり我が国を防衛するための必要最小限度のものにとどめるべきという、いわゆる第三要件が掛かっております。

 また、国際法上の制約といたしましては、いわゆる国際人道法、分かりやすく言えばいわゆる戦時国際法でございますけれども、それを遵守する。例えば軍事目標主義であるとか様々な制約ございまして、それを遵守しなければならないということで、そのことは、国内法で申し上げますれば、自衛隊法第八十八条の第二項に「国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、」ということで明記されているところでございます。

 いずれにせよ、あらゆる武器の使用につきましては、国内法及び国際法の許す範囲内において使用すべきものというふうに解しております」

 憲法は核の使用を「必要最小限度」の範囲内を国内法上の制約とするなら、保有も使用も許されるとし、国際人道法等の順守が国際法上の制約となると言っている。

 前後矛盾するようだが、憲法が優先されるから、「必要最小限度」の範囲内の核の保有も使用も許されるとしていることになる。
 
 このことは引き続いての質疑応答で明らかとなる。

 白真勲「使用は憲法違反ではないのかということですか」

 横畠祐介「お尋ねの憲法上の制約について申し上げれば、先ほどお答え申し上げたとおりで、我が国を防衛するための必要最小限度のものに勿論限られるということでございますが、憲法上全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えておりません」

 「必要最小限度」の範囲内であるなら、「憲法上全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えておりません」と、核保有と核使用を認めている。

 但し「必要最小限土の実力行使の範囲・内容」について当時無所属で、現自民党の中西健治が質問主意書で尋ねている。

 「政府答弁書」(中西健治サイト)  

 〈新三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」については、その国際法上の根拠が集団的自衛権となる場合であれ、個別的自衛権となる場合であれ、お尋ねの「必要最小限度の実力行使」の「範囲・内容」は、武力攻撃の規模、態様等に応ずるものであり、一概に述べることは困難である。〉――

 「必要最小限度の実力行使」の「範囲・内容」が相手の「武力攻撃の規模、態様等」に対応するということは、当方の兵員・武器、あるいは部隊編成等の「規模、態様等」が常に相手のそれを上回ることが追求されることになるから、兵員にしても、武器にしても、あるいは部隊編成にしても、兵士の能力や兵器の性能、あるいは兵士と兵器と部隊編成の数量は常にエスカレートしていく方向を目指すことになる。

 つまり相手の「武力攻撃の規模、態様等」に応じて常にそれを上回る、一定であることに留まることのない「範囲・内容」の「必要最小限度の実力行使」であって、このことを「必要最小限度」であるなら、日本国憲法が保有も使用も認めているとしている核兵器に当てはめると、相手の核爆弾数やミサイル数、ミサイルの飛距離等の性能を上回る範囲内の「必要最小限度の実力行使」を可能とする核装備は許されるとしていることになる。

 鈴木宗男の娘の鈴木貴子がこの3月28日の内閣法制局長官横畠祐介の国会答弁を元に2016年3月23日に、〈核兵器不拡散条約の締結国である日本政府として、日本国憲法と日本国が締結した核兵器不拡散条約、どちらが優位に立つか説明を求める〉と質問主意書を提出している。

 政府は同年4月1日に、〈我が国は、核兵器の不拡散に関する条約(昭和五十一年条約第六号)上の非核兵器国として、核兵器等の受領、製造等を行わない義務を負っており、我が国は一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。〉としつつ、横畠長官が答弁したように〈我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではない。〉答弁している。

 但しこの答弁書は鈴木貴子が尋ねた〈核兵器不拡散条約の締結国である日本政府として、日本国憲法と日本国が締結した核兵器不拡散条約、どちらが優位に立つかのか〉との質問には満足に答えていない。

 〈核兵器を保有及び使用しないこととする政策的選択を行うことは憲法上何ら否定されていないのであり、現に我が国は、そうした政策的選択の下に、非核三原則を堅持し、更に原子力基本法及び核兵器の不拡散に関する条約により一切の核兵器を保有し得ないこととしているところであって、憲法と核兵器の不拡散に関する条約との間に、お尋ねのような効力の優劣関係を論ずるべき抵触の問題は存在しない。〉で逃げている。

 なぜ逃げているかというと、「核兵器の不拡散に関する条約」(=「核拡散防止条約」)は第10条第1項で、〈各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。〉と規定しているからである。

 核拡散防止条約よりも各国それぞれの安全保障を上に置いている。そして変数でしかない、常にエスカレートしていく性格を内に隠している“必要最小限度”の核の保有も使用も憲法は認めていると考えているなら、既に触れたように核兵器不拡散条約よりも日本国憲法の方が優位に立っていることになる。

 この答弁書は副総理の麻生太郎名で閣議決定されているが、単に安倍晋三が出席していなかっただけのことで、横畠裕介の国会答弁も含めて、全て安倍晋三の意思であって、常に将来的に核保有の必要性が生じた場合に備えた核に関わる憲法解釈と見なければならない。

 このような意思のもと、安倍晋三は広島と長崎の原爆死没者慰霊平和祈念式典で、「核兵器のない世界の実現」とか、「非核三原則を国是として堅持」、あるいは「一発の原子爆弾により、一瞬にして数多(あまた)の貴い命が失われた」、「あの悲惨な体験の『記憶』を、世代や国境を越えて、人類が共有する『記憶』として継承していかなければなりません」と毎年のように繰返しスピーチしているのであって、このことを弁えて耳に入れなければならない。


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