安倍晋三「桜を見る会」国会虚偽答弁疑惑に見る秘書との力関係の怪 個人情報答弁回避と国政調査権回避は国民信託への裏切り

2020-11-30 09:31:42 | 政治
 
【謝罪】 2020年11月9日のブログで、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」を「行政機関の保有に関する情報の公開に関する法律」と誤って表記していて、昨日(2020年11月29)に気づきました。謝罪し、訂正しておきました。

 2020年11月23日夜の12時~1時台の発信で各マスコミが関係者への取材として前首相の安倍晋三の公設第1秘書らが安倍政権下の「桜を見る会」前夜の安倍後援会事務所主催パーティーの会費問題で東京地検特捜部の任意の事情聴取を受けていると報じた。2019年11月から野党から国会で、毎年4月に行われる内閣総理大臣主催の公的行事「桜を見る会」前夜の、2013年から2019年までの安倍晋三後援会パーティの収支が政治資金収支報告書に記載がないこと、ホテルで行う1人5000円の会費では安過ぎる、会費の一部を事務所側が負担していたのではないかといったことで追及を受けていて、安倍晋三は全否定し、国会を乗り切っていた。

 事務所側が会費の一部を負担しながら、その収支を政治資金収支報告書に記載していなければ、政治資金規正法違反の疑いが出てくるだけではなく、会費の負担そのものが寄付行為に当たって、公職選挙法違反となる。安倍晋三は国会を乗り切ったものの、国民の多くは説明責任を果たしたとは見ていなかった。その現れが全国の弁護士たちから政治資金規正法違反などの疑いで告発状が提出され、それが特捜部の捜査対象となったということなのだろう。

 マスコミの取材で分かったことは会場となったホテル側が安倍晋三側がパーティー費用の一部を負担していたことを示す領収書や明細書を作成していたという、安倍晋三の国会答弁とは真逆の事実だった。安倍晋三は国会答弁や記者会見で「ファクトが全てである」かのような発言を繰り返しているが、ファクトが全て実際にあったこと、あるいは実際に起きたこととは限らない。自分の都合で作り出すファクトというものもある。今回の容疑が固まれば、安倍晋三の「桜を見る会」に関わる国会答弁の殆どは実際にあったファクトではなく、自分の都合で作り出したファクトということになる。

 尤もNHK NEWS WEB記事によると、安倍晋三が昨年末に事務所の秘書に対して会費以上の支出がないかを尋ねたところ、担当者が「5千円以上の支出はない」と事実と異なる説明をしたと伝えていることから、事実と異なるその説明に基づいて答弁したことになるから、安倍晋三自身は自分の都合で作り出したファクトを垂れ流したわけではないということになるが、事実と異なる説明をした理由を担当者が「懇親会が始まった平成25年(2013年)に、政治資金収支報告書に会の収支を記載していなかったため、事実と異なる内容を安倍氏に答弁して貰うしかないと判断した」と述べたと伝えている真偽である。

 この担当者が政策第1秘書であったとしても、仮にも安倍晋三は天下の総理大臣である。昨年暮れの時点であっても、日本では珍しい例に入る7年の長きに亘って総理大臣を務めてきた。この両者の力関係から言っても、天下の総理大臣安倍晋三に事実を知らせないままに「事実と異なる内容を答弁させる」、つまり国会でウソをつかせるという非常に恐れ多いことが果たしてできただろうか。権威主義は安倍晋三から担当者側に働いて当然であって、担当者から安倍晋三に働くどのような権威主義も考えることはできない。

 この疑問を解くには安倍晋三の指示を受けてか、あるいは安倍晋三の承諾に基づいて5千円以上の支出を行っていたかのどちらかでないといけないし、このことを承知している上での安倍晋三の国会答と看做さない限り、担当者の説明に現れている両者の力関係をどこかに置き忘れている謎は解けない。

 要するにマスコミも報じているように「秘書がやったこと」と秘書一人に責任をおっかぶせるための方便であって、最終手段に訴える準備に前以って入ったということなのだろう。

 では、安倍晋三が国会で「桜を見る会」前夜の安倍晋三後援会パーティをどのようなファクトに基づいて答弁しているのか、簡単に振り返ってみる。手っ取り早く振り返るには一度ブログで使ったが、2020年2月17日衆議院予算委員会での立憲民主党の辻元清美の追及を見るのが一番だと思う。必要箇所のみを拾ってみる。

 辻元清美は「桜を見る会」前夜の後援会パーティーの領収書と明細書を出して貰いたいと要求した。対して安倍晋三からはいつもどおりの答弁が返ってきた。

 安倍晋三「夕食会の主催者は安倍晋三後援会であり、同夕食会の各段取りについては、私の事務所の職員が会場であるホテル側と相談を行っております。事務所に確認を行った結果、その過程において、ホテル側から見積書等の発行はなかったとのことであります。

 そして、参加者1人当たり5千円という価格については、800人規模を前提にその大多数が当該ホテルの宿泊者であるという事実等を踏まえ、ホテル側が設定した価格であり、価格以上のサービスが提供されたというわけでは決してなく、ホテル側において当該価格設定どおりのサービスが提供されたものと承知をしております。

 なお、ホテル側との合意に基づき、夕食会の入り口において、安倍事務所の職員が一人5千円を集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交し、受け付け終了後に、集金した全ての現金をその場でホテル側に渡すという形で参加者からホテル側への支払いがなされたものとしておりまして、安倍事務所には一切収支は発生していないということでございます。

 また、既に御報告をさせていただいておりますが、明細書につきましては、ホテル側が、これは営業秘密にもかかわることであり、お示しをすることはできない、こう述べている、こういうことでございます。

 そして、領収書につきましては、これは一部新聞等にそのときの領収書が写真つきで出されているということを承知をしておりますが、これはまさに、出席者とホテル側との間で現金の支払いとそして領収書の発行がなされたものであり、私の事務所からこれは指図できるものではない、こういうことでございます」

 「参加者1人当たり5千円という価格」はホテル側が決めた。パーテイ会場入り口で安倍事務所職員が1人5千円を集金、ホテル名義の領収書をその場で手交、受け付け終了後に集金全現金をその場でホテル側に渡した。現金の全ては安倍事務所職員を素通りしただけだから、「安倍事務所には一切収支は発生していない」から、政治資金収支報告書への記載の必要性は生じなかったという事実を提示したことになる。

 「明細書につきましては、ホテル側が、これは営業秘密にもかかわることであり、お示しをすることはできない、こう述べている、こういうことでございます」と言っていることは、「ん?」と考えさせる発言だが、安倍後援会事務所に問い合わせたこととして「明細書等の発行は受けてないとのことでした」と答弁しているから、元々明細書の発行は受けていなかったという事実になる。

 一般的にはパーティというサービスを提供する側は提供に先立って各サービスの内容と金額を記した明細書を発行、提供サービスの承諾を得てから、決められた日時での明細書に基づいたサービス提供を開始する。ホテル側の営業秘密に関わることでも何でもない。明細書がないことを証明するためにホテル側の営業秘密を持ち出したこと自体、そこにウソがあるからだろう。

 今回の報道では特捜部への取材からであろう、既に触れたように会場だったホテル側が作成した明細書の存在、その明細書には安倍後援会事務所が費用の一部を補填した内容が示されていることが分かったと伝えている。要するにこの明細書はサービス内容とサービスごとの金額を記して、顧客側にサービスの可否を問う前以って発行する目的の見積書の類いの明細書ではなく、サービス提供後にサービス全体の金額と会費全体の領収金額との収支を合わせるために作成した、ホテル用に残すための明細書なのだろう。

 収支を合わせるためには安倍後援会事務所からの補填を求めなければならなかった。だが、安倍事務所側はサービス開始前にサービス内容とサービスごとの金額を記した見積書の類いの明細書の発行を前以って受けていなければ、全体の会費金額とサービス金額の収支について知ることはできない。いくら補填しなければならないのかも、把握できない。見積もり明細書の類いを受け取らずにホテル側の言いなりに補填することはあり得ない。一般的に言っても、不足金額を補填するについても、明細書の発行は前以って受けていなければならない。

 マスコミは2019年までの5年間にかかったパーティ費用の総額が2000万円を超え、このうち少なくとも800万円以上を安倍後援会事務所側が補填したことを示す領収書や明細書を会場のホテル側が作成していたことが明らかになっていると伝えている。

 辻元清美は安倍晋三のいつもどおりの答弁を聞いて、パーティ会場となった全日空ホテルに対して当該ホテルが3回開いた(他はホテルニューオータニ4回)、安倍晋三の「桜を見る会」前夜の後援会事務所パーティーについて見積書や請求明細書を主催者側に発行しないケースがあったのか等、4点の質問を行い、全日空ホテル側から得た文書での「回答」を示した。4点の回答全てが安倍晋三の国会答弁を否定することになる「ございません」となっている。

 対して安倍晋三は明細書に関してはあくまでも「頂いていない。安倍事務所との間でどうなっていたかということについてお問合せを頂きたい」と答弁している。要するに一般的には明細書は発行するだろうが、安倍後援会事務所との取り決めでは明細書は発行しないことになっているという意味を取ることになる。

 安倍晋三が5千円と前以って決められているパーティ会費の領収書発行に関してはパーティ会場入り口で来場者ごとに手書きで金額と摘要と日付と担当者の名前を書いて、その場で手渡していると国会答弁していることに関連して全日空ホテル側に問い合わせた回答が「そういったことはございません」となっていることをぶっつけると、安倍晋三はやはり「私の事務所で開いたものということでおっしゃっているんでしょうか」と、他の一般のパーテイと安倍後援会事務所が主催するパーティとでは違うという論理で安倍後援会事務所式の領収書の発行を正当化している。

 安倍晋三は質疑の途中で「今、辻元委員から御質問を頂きましたから、全日空側にも我々も確かめさせて頂きたい」と、どちらの言い分に正当性があるか、確認を申し出た。辻元清美は少ししてから、「先程総理は確認してみるとおっしゃいましたね。そうしましたら、午後の委員会までに確認をしていただきたい。そして引き続き、同僚議員にこの点について明確な御答弁をいただきたい」と、時間を区切った確認を要求している。

 午後に質問に立った立憲民主党の小川淳也が確認の中身を問い質している。

 安倍晋三「私の事務所が全日空ホテルに確認したところ、辻元議員にはあくまで一般論でお答えしたものであり、個別の案件については営業の秘密に関わるため、回答には含まれていないとのことであります」

 確かに辻元清美は、〈以下、2013年以降の7年間に貴ホテルで開かれたパーティー・宴席についてお伺いします。〉と尋ねていて、「桜を見る会」前夜の安倍後援会事務所パーティーと名指ししていないから、安倍晋三の論は成り立つ。だからと言って、「桜を見る会」前夜の安倍後援会事務所パーティーが「個別の案件」であって、「営業の秘密に関わる」とするのは安倍後援会事務所と全日空ホテルが何か特別な、表沙汰にはできない何かの取り決めがあったことを暗に認めることになるが、物的証拠があるわけではない。但し今回、マスコミが物的証拠があることを伝え始めた。

 一般的であることから外れた、営業の秘密に関わる理由から発行しない明細書とは何を意味するのだろうか。明細書とはモノやサービスを含めた売り主から顧客に向けて発行する。例えば売り主側が相場とは異なる非常に安い値段で売りつけた。あるいは顧客側が優越的地位を悪用して安く買い叩いた等が考えられる。公明正大な取引だったなら、営業の秘密として抱えることもなく、隠し立てする必要もない、一般的な方法の明細書の発行で済む。

 安倍晋三側と全日空ホテル側の力関係を考えた場合、全日空ホテル側が安倍晋三側に不当な取引を求めたとは考えにくいから、安倍晋三側が自分たちの秘密を隠すために全日空ホテル側に営業の秘密を装わせたとするのが最も考えやすい道理に思える。

 辻元清美と小川淳也の質問が行われた2020年2月17日当日の23時18分発信の「asahi.com」記事が、小川淳也に対する安倍晋三の答弁について朝日新聞が全日空ホテル側に問い合わせたところ、いわば安倍晋三の答弁通りのことを「申し上げた事実はございません」とメールで回答してきたと伝えている。

 安倍晋三は小川淳也に対して「私がここでこのように答弁するということについては、全日空側も当然了解をしていることでございます」との物言いで、全日空ホテルの安倍事務所側への回答の内容について私がウソをつくはずがないではないかと思わせる答弁までしているが、事実そのとおりなら、ことさら思わせる必要は生じない。

 ところが、自民党幹部が2020年2月18日、党関係者と全日空ホテル側が会談したことを明らかにし、その後、ホテル側は首相答弁について報道機関が質問しても説明しなくなったと、2020年2月19日付「毎日新聞」が伝えている。安倍晋三の国会虚偽答弁疑惑が疑惑から一歩出て、事実と断定された場合は安倍晋三自身が指示してのことか、党関係者が忖度してのことか、全日空ホテル側に圧力をかけて言葉を曲げさせたことになり、このことも問題としなければならない。

 安倍晋三は「個別の案件については営業の秘密に関わるため、回答には含まれていないとのことであります」と答弁しているが、営業の秘密という口実もそうだが、政治上の疑惑が持ち上がると、個人の秘密だとか、個人情報だからとかの口実を設けさえすれば、答弁回避が正当化できて、疑惑の追及を免れる手段としていることは果たして国政が国民の信託の上に成り立っているという憲法上の大原則に反しないだろうか。

 日本国憲法前文は次のように謳っている。〈国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。〉

 「信託」とは、「信用して任せること」を言う。選挙に勝ち、政権を担当することになって、国民側がその国政運営を信託することになったとしても、個々の政治や個々の行政に信託とは異なる場面が生じた場合は信託どおりに戻すことを要求する権利が国民にはあるはずである。なぜなら、政権側には政権を担当している間は国民の信託を貫徹する努力義務を有するはずだからだ。国民の信託を貫徹する政権担当能力はございませんでは国民の信託を受けることは適わない。大体が選挙自体が国民の信託を獲得する前提で行っているはずで、政権を獲得しさえすれば、一つ二つぐらいは国民の信託を裏切る行為があってもいいという道理にはならない。

 当然、このような大原則に基づいて、政権側には政権を担当している間は国民の信託を貫徹する努力義務を有し、努力義務に反して国民の信託を裏切った場合は政権側にはその信託を回復する義務が生じる道理となる。

 だが、多くの場合、個々の政治・個々の行政で国民の信託を裏切ったとしても、それを回復する義務を果たさずに時間の経過による風化を願って逃げの姿勢を演じる。逃げて、風化に頼る手段の多くが「個人に関する情報」を持ち出した答弁回避となって現れている。

 例えば「桜を見る会」の一般招待客の選定基準は「各界に於いて功績・功労のあった方々」とされている。事実そのとおりの選定となっているのかと国会で問い質した場合の安倍晋三や内閣府等の役人の答弁は問い質しに正確に答えない紋切り型となっている。2019年11月8日の参議院予算委員会で日本共産党議員田村智子に対する安倍晋三答弁。

 安倍晋三「『桜を見る会』についてはですね、各界に於いて功績・功労のあった方々をですね、各省庁からの意見等を踏まえ、幅広く招待をしております。招待者については内閣官房及び内閣府に於いて最終的に取り纏めをしているものと承知をしております。

 私は主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取り纏め等には関与していないわけであります。その上で個々の招待者については招待されたかどうかを含めて個人に関する情報であるため、従来から回答を差し控えさせて頂いているものと承知をしております」

 「個人に関する情報」を持ち出して、一般招待客が実際に選定基準に見合う人物かどうかの判断を妨げておきながら、同時に自分たちの選定を正当化する方便としている。例えば安倍晋三主催の「桜を見る会」が地元山口県から自身の後援会員を多数招いていることから、「桜を見る会」の私物化ではないかとの疑惑が持ち上がっていたとしても、「個人に関する情報」を楯にして疑惑解明に踏み込むのを許さず、結果として国民の信託を蔑ろにする事態を招いている。

 疑惑を掛けられた場合、疑惑を掛けられた当の張本人として、あるいは当の政府として疑惑を疑惑として受け止め、積極的に疑惑解明に手を尽くすことが国民の信託を受け止めることになるはずだが、「個人に関する情報」を使って、疑惑解明にストップを掛け、そのことを以って自己正当化を図ることが国民の信託を受け止めていることになるとしていたなら、トンデモナイ心得違いとなる。

 「個人に関する情報」を方便とした「答弁を差し控えさせて頂きます」の答弁回避は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」が行政文書の開示義務を規定しているが、「個人に関する情報」のうち、「特定の個人を識別することができるもの」、あるいは「個人の権利利益を害するおそれがあるもの」等は不開示義務となっていることを根拠にしているのだろう。さらに「個人情報の保護に関する法律」が「個人の権利利益を保護することを目的とする」ことを根拠にしているのだろうが、こういったことを根拠とした答弁回避が「説明不十分」と大多数が見る世論調査によって国政は国民の厳粛な信託に基づいているとする大原則を損なっていることも事実である。

 日本学術会議会員の6名任命拒否問題でも、「個人に関する情報」を盛んに持ち出して、任命拒否の理由解明を困難にし、なぜ6人なのかをブラックボックスとした。この件に関するマスコミの世論調査でも、政府の説明は不十分が半数以上を占めていることは国民の信託を毀損している何よりの証拠となる。

 政権が何らかの疑惑を引き起こして国民の信託を損なったとしても、最悪、裏切ったとしても、「個人に関する情報」を持ち出しさえすれば、答弁回避が許され、疑惑を曖昧にすることで自分たちの正当性を打ち立てることができるなら、政治は国民の信託を選挙のときだけ期待をかける便宜的な要素ということになる。

 国民の信託に対する毀損が世論調査となって現れれた場合は「個人に関する情報」に基づいた答弁回避はできないとする何らかの規定、あるいは何らかの法律を制定しないことには政治はいつまでも国民の信託を蔑ろにし、日本国憲法の前文の「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とする大原則を軽視し続けることになる。

 いわば「個人に関する情報」に基づいた答弁回避に価値を置くのか、「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とする憲法の大原則に価値を置くのかの問題である。

 また、日本国憲法第4章第62条は「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と定めている。この国政調査権も国民の信託を確立しておく大事な方法の一つであろう。政治そのものに、あるいは政治家個人の行為に何らかの疑惑が生じたのに国会が何も手をつけなければ、国会をも国民の信託を失うことになる。

 例え検察や警察の取調べを受けることになっていたとしても、その取調べは刑事訴訟法に基づいた扱いであって、国会自身による国民の信託に基づいた扱いとは異なる。捜査中であることを理由に証人喚問や参考人招致に応じないのは検察や警察の捜査よりも国民の信託という憲法の大原則を下に置くことになる。

 あくまでも国会は国会で国民の信託に応えるためにも、検察や警察の取調べとは別に国政調査権を機能させなければならないということを全国会議員の常識としなければならない。

 以上、政権側の「個人に関する情報」に基づいた答弁回避と国政調査権回避は国民信託への裏切りとなるのではないかということを考えてみた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北方領土:安倍晋三がウリにしていた愚にもつかない対プーチン信頼関係と決別した領土返還の新しい模索

2020-11-23 10:55:20 | 政治
 実はこの「領土返還の新しい模索」は2015年11月17日に当ブログ、《安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築が四島返還の礎と未だ信じているが、リベラルな政権への移行に期待せよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げたが、いくら安倍晋三がプーチンとの信頼関係をウリにしたとしても、領土返還の可能性がほぼゼロとなった昨今の状況を見ると、改めてプーチンへの信頼は断念して、新しい模索の必要性に迫られているように思える。

 尤も安倍晋三がいくらバカでも、プーチンへの信頼の無効性に既に気づいているはずだ。気づいていながら、プーチンへの信頼を言い立てているのは他に打つ手を見い出すことができないからだろう。打つ手がないままにプーチンとの信頼関係に縋りつかざるを得ない状況に追い詰められていた。

 だからこそ、「領土問題を解決して、平和条約を締結する。この戦後70年以上残されてきた課題を、次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つという、その強い意思を大統領と完全に共有いたしました」と首脳会談のたびに同じような言葉を口にしなければならなかった。同じ言葉の繰り返しは交渉が進んでいないことの何よりの証明でしかない。

 当のブログではリベラルな政権への移行に期待するしかないのではないかと書いただけだったが、現在の状況に合わせて、内容的に少し詰めてみることにした。先ずは安倍晋三とプーチンとの北方四島返還交渉を少し振り返ってみる。2016年12月15日に山口県長門市で、翌2月16日の東京で2日続けて行われた日ロ首脳会談後の2月16日「日露共同記者会見」(首相官邸)からプーチンの北方4島の帰属の歴史についての発言を見てみる。

 プーチン「確かに日本は1855年に(日露和親条約によって)『南クリル列島』の諸島を受け取り、ロシア政府及び天皇陛下との合意に従い、プチャーチン提督は最終的にこれらの諸島を日本の管轄下に引き渡しました。なぜなら、それまでロシアは、これらの島々は、ロシア人航海者によって開かれたため、ロシアに帰属していると考えていたからです。

 平和条約を締結するために、ロシアはこれら諸島を引き渡しました。ちょうど50年後、日本はこれでは不十分であると考え、1905年の(日露戦争1904年~1905年)戦争ののちに、これらの軍事行動の結果として、更にサハリンのもう半分、サハリンの北部を最終的に取りました。

 ところで、ポーツマス条約のある条で日本は、この領土からロシア国民をも本国に送還する権利を得ました。彼らは残ることもできたが、日本は、この領土から、サハリンからロシア国民を本国に送還する権利を得ました。更に40年後、1945年の戦争ののち、今度はソ連が、サハリンを自国に取り戻しただけではなく、『南クリル列島』の島々をも取り戻しました」

 プーチンは北方4島はロシア人航海者によって開かれたため、ロシアに帰属していると考えていたが、安政元年に締結された日露和親条約によって日本の領土となったものの、太平洋戦争に於ける日本の1945年の敗戦によってサハリンと南クリル列島を「取り戻した」と言っている。

 要するに元々ロシアのものであるものをロシアが取り戻した。言っている意味は、当然、返還する必要も義務もないが真意となる。安倍晋三にしてもこの真意を理解しただろうが、素直に引っ込むわけにはいかないから、理解しなかったフリをしなければならない。

 日本政府は、日露和親条約は北方4島を千島列島(南クリル列島)に入れてはいない、ロシア側は入れていると両主張は対立しているが、ロシア大統領であり、交渉当事者のプーチンがどう解釈し、ロシア国民がその主張を支持しているか否かが歴史的正当性よりもロシア側にとっての重要な要素となるし、日本側もその影響を受けざるを得ない。

 安倍晋三はプーチンの日露和親条約から日本敗戦までの北方4島の帰属の経緯に関する発言を聞いた途端にプーチンが返還する気がないことに改めて気づいたはずだが、バンザイするわけにはいかず、気づかぬフリを続けたはずだ。この2度の首脳会談に先立って安倍晋三は2016年5月6日にロシアのソチを非公式に訪問してプーチンと首脳会談を行い、8項目の経済協力プランを提案している。領土交渉が停滞していることの打開策として提案した8項目であろう。領土交渉が進展していたなら、経済協力は北方4島に対してではなく、ロシア本土そのものに対しての返還後の課題として話し合わなければならない項目に入るはずだからだ。北方4島そのものに対する経済発展は日本の手によって行われる。
 
 もう一つ重要なことはプーチンが返還後の北方4島に対して日米安保条約がどう影響するのかに触れている点である。

 プーチン「例えばウラジオストクに、その少し北部に2つの大きな海軍基地があり、我々の艦船が太平洋に出て行きますが、我々はこの分野で何が起こるかを理解せねばなりません。しかしこの関連では、日本と米国との間の関係の特別な性格及び米国と日本との間の安全保障条約の枠内における条約上の義務が念頭にありますが、この関係がどのように構築されることになるか、我々は知りません」

 要するに返還した場合の北方4島に日米安保条約がどう影響してくるのかの懸念を示している。但し返還するつもりはないのだから、この懸念は返還は困難とするハードルとして設けたに過ぎないはずだ。なぜなら、返還する意図があるなら、日露和親条約から日本の敗戦の1945年までの歴史を紐解く必要もなく、日米安保条約だけを持ち出せば済むことであるし、持ち出すにしても記者会見の場ではなく、首脳会談の場で持ち出すべき要件でなければならない。

 この長門と東京の2度の日ロ首脳会談の約2年後の2018年11月にシンガポールでプーチンと首脳会談を行い、安倍晋三がプーチンに対して1956年の日ソ共同宣言に沿って返還された場合の歯舞・色丹に日米安保条約に基づく米軍基地設置はないと伝えていたとマスコミが報道している。

 米軍基地設置がメインの返還の障害であるなら、この点についての日本側の対応が表に出た以上、返還交渉に多少なりともの進展があっていいはずだが、何の進展もなかっただけではなく、ロシア側は着々と北方4島の軍備増強を進めている現実は返還が絶望的状況を示すサイン以外の何ものでもない。

 安倍晋三は2018年9月12日、ウラジオストク開催のロシア主催「東方経済フォーラム全体会合」に出席し、「スピーチ」を行っている。一部抜粋。

 安倍晋三「8項目の協力プランの実現を通じて、ロシア住民の生活の質の向上が、皆様にも実感できるようになるのではないでしょうか。ロシアと日本は、今、ロシアの人々に向かって、ひいては世界に対して、確かな証拠を示しつつあります。

 ロシアと日本が力を合わせるとき、ロシアの人々は健康になるのだというエビデンスです。ロシアの都市は快適になります。ロシアの中小企業はぐっと効率を良くします。ロシアの地下資源は、日本との協力によってなお一層効率よく世界市場に届きます。ここウラジオストクを始め、極東各地は、日露の協力によって、ヒト、モノ、資金が集まるゲートウェーになります。デジタル・ロシアの夢は、なお一層、早く果実を結ぶという、そんな証拠の数々を、今正に、日本とロシアは生み出しつつあります」

 安倍晋三はロシアを大統領として治めているプーチンを目の前にしてロシア国民の生活もロシアの都市も、ロシアの中小企業も、より良い状態に導き得るのは日本の協力があってこそだと日本の協力の全能性を突きつけた。要するにロシア自身の手によるロシア発展の力を相当に低く見たのである。事実そのとおりであったとしても、ロシアの国民生活の質と規模の向上にしても、都市事業にしても、中小企業の活性化にしても、どこの国のどのような協力を得たとしても、その協力をどう活かして、目的をどう達成するすのかの最終的主導者はプーチンであって、安倍晋三がその主導を差し置いて、日本の協力がロシア国家の運営に直接的に影響するかのように言う態度は余りにも僭越的である。

 大勢の人間がいるところで、「この男が生活していけるのは俺がカネを出してやっているからだ」と言うようなものだろう。言われた側の男は隠しおいてほしい事実を曝け出されたのだから、カネを出して貰っているという恥の上に公表される恥をかかされたという思いを抱いたとしても不思議はない。

 ロシアの地下資源にしても、日本の協力を取り付けて効率よく世界市場に届けるのはロシア自身の役目であり、協力はあくまでも協力の立場に置いてこそ、相手国に対する対等な立場からの敬意の表明となる。ところが、安倍晋三は自らの立場を弁えずに、「ロシアの地下資源は、日本との協力によってなお一層効率よく世界市場に届きます」と日本の協力なしではそうできないかのようにロシアの力を過小評価した。

 悪いことに中国の習近平国家主席も列席していた。その場でロシアの力を低く見られたのだから、プーチンは「何様だ」とカチンときたに違いない。スピーチはプーチン、安倍晋三、習近平の順に行われたあと、司会者の求めに応じてプーチンが再び発言したと言う。

 プーチン(戦後70年以上、日ロ間で北方領土問題が解決できずにいることに触れた上で)「今思いついた。まず平和条約を締結しよう。今すぐにとは言わないが、ことしの年末までに。いかなる前提条件も付けずに。

 (会場から拍手)拍手をお願いしたわけではないが、支持してくれてありがとう。その後、この平和条約をもとに、友人として、すべての係争中の問題について話し合いを続けよう。そうすれば70年間、克服できていない、あらゆる問題の解決がたやすくなるだろう」

 この会話自体も首脳会談の場で提案すべき話題であって、場以外で口にすべきものではないが、そんな偉そうな口を叩くならと、挑戦する気持ちで叩きつけてしまったのだろう。先ずは平和条約を締結してから、締結のもと、日本の協力を確かなものにしてくれと迫った。締結できたなら、領土問題抜きの平和条約締結となって、ロシア側の思惑通りにもなる。

 2019年1月16日にロシア外相ラブロフが記者会見で「日露関係は国際関係でパートナーと呼ぶには程遠い」とか、前々から言っていたことであるものの、「日本は第2次世界大戦の結果を認めない唯一の国」だと改めて批判したりしたのは6日後の2019年1月22日に安倍晋三とプーチンとのモスクワでの25回目首脳会談を控えていたことと考え合わせると、単なる牽制ではなく、「東方経済フォーラム全体会合」での安倍晋三のスピーチに対する当てつけと考えると、一応の整合性を取ることができる。

 同じ1月16日にロシア大統領府補佐官のウシャコフが国営メディアに対し、「平和条約締結のプロセスで、両国関係を新たなレベルに引き上げ、真の信頼とパートナーシップを形成しなければならない。これらの島々はロシアの領土であり、誰かに譲ることはない」と発言したことも従来からの領土返還抜きの平和条約締結を求めたものであったとしても、やはり首脳会談を控えての発言である以上、一種の最後通告の形を取っていることになって、安倍晋三のスピーチに対する当てつけだと考えることもできる。

 何よりも両者の発言がプーチンの意思に添った情報発信(特にロシアに於いては大統領の意思に沿わない発言をするはずはない)であることを考えると、当てつけであることがより確かな証拠とし得る。

 プーチンは返還する気もないのに信頼関係を打ち出してくる安倍晋三を軽蔑していたはずだ。元ソ連のスパイ組織であるKGB出身のプーチンにとって信頼はプーチンが考える国益という実利から比較した場合、遥かに低く価値づけていたはずだからだ。要するに実利に結びつかない信頼は価値はないと見ているはずだ。

 その軽蔑は安倍晋三がロシア政策の当事者でもないのに日本の協力の全能性を突きつけ、ロシア自身の手によるロシア発展の力を相当に低く見たのだから、その瞬間に決定的な形を取ったことが予想できる。

 そして安倍晋三が長年言い立ててきたプーチンとの信頼関係が何の役にも立たないことがはっきりとした形となって現れた。ロシア憲法の改正である。2020年7月1日投開票で、投票率68%、賛成78%、反対21%。マスコミ報道を見てみると、次のような改正内容となっている。

 先ず第一に大統領の任期である。任期6年2期までは現憲法と同じだが、改正憲法前の任期をリセットできて、ゼロからスタート可能の任期6年2期までとなっているという。もしプーチンが立候補すれば、現憲法下での2期までが御破算となって、2期16年延長も可能となる。プーチンが憲法改正を図って賛成78%も獲得したのだから、ロシア国民のプーチンに対する信任度は現在のところ高いと見なければならない。可能性としてはプーチンは最長で2期12年、2036年まで続投し得ることになる。

 日本にとって誰が見ても問題となるのは改正憲法が「領土割譲の禁止」を明記している点であろう。現憲法通りならプーチンの2024年退任後に領土問題の進展が期待可能となるが、プーチンが立候補しなくても、新憲法によって北方4島返還は領土割譲と看做されて、憲法違反の可能性が出てくる。

 但し「隣国との国境画定」は禁止条項から除外されているそうで、その点、日ロ交渉の余地は残ると見る向きはあるが、ウクライナからクリミアを奪取、ロシアに併合してプーチン自身と多くのロシア国民に対してかつての領土の広大さと強大な国家権力に依拠させたロシア人の優越性を大きな要素とした大ロシア主義を満足させ、当時のプーチンの支持率を89%に押し上げた事実の同一線上に置いた、独立した旧ソ連邦自治共和国内のロシア系の住民が多い自治州のロシア併合の可能性に期待した「隣国との国境画定」の禁止条項からの除外が目的なのは否定できない。要するに東に目を向けたものではなく、西に目を向けた「隣国との国境画定」の容認を意図した条項ということが大いにあり得る。

 尤も北方4島は日本の領土だから、返還しても、新憲法が禁止する領土割譲には当たらないとの日本側の主張も成り立つが、この主張はロシア側の北方4島はロシアの領土だとする主張の前には、少なくともプーチンが大統領でいる間は力を手に入れることは難しい。少なくともプーチンが最大限続投した場合の2036年まで領土交渉は膠着することになり、何らかのアクシデントから2036年以前に退陣したとしても、プーチンの息がかかった後継者であった場合、状況は変わらない。野党は今回の憲法改正はプーチンが終身大統領を意図したものだと批判しているそうだが、事実とすると、北方四島返還に関しては最悪の状況となる。

 プーチンはKGB出身者らしく、自身が絶対的権力を持って、強権的に国家・国民を統合する専制政治志向の政治家である。2013年5月1日のメーデーの日に旧ソ連時代の「社会主義労働の英雄」勲章を「労働の英雄」勲章と名前を変えて復活させ、「ロシアの歴史と伝統、道徳観を高め、国民を纏める」と宣言している。当然のこと、この宣言にある「ロシアの歴史と伝統、道徳観」は旧ソ連が備えていた各価値観であり、同時に他国の「歴史と伝統、道徳観」を凌ぐ優越性をそこに見い出していることになる。

 このような優越性はロシア民族に人種的な偉大性を持たせた大ロシア主義に無関係ではない。そして大ロシア主義を背景にして国家指導者の立場に立つと、大ロシア主義に添うために自分は絶対だとする自己絶対性に陥りやすい。自己絶対性は次の段階として自分は優れていて素晴らしく、特別で偉大な存在だと思い込む自己愛性パーソナリティ障害に進む。

 その現れの一つが2015年に国防省が創設を発表、2016年に発足させた8歳~18歳の少年・少女20万人以上を参加させた青少年軍「ユナルミヤ」であろう。2019年2月時点で31万6000人に膨れ上がったとの報道があるが、思想教育を通してプーチン及び国家に忠誠な愛国青少年を育成することでプーチン自身を絶対的存在に祭り上げる仕掛けなくして、このような組織は思いつかない。絶対的存在に祭り上げられることによってプーチンは自己絶対性を確立でき、自己愛性パーソナリティ障害の極地に到達可能となる。

 マスコミ規制もプーチンの自己絶対化の現れの一つであろう。自己を絶対とする余り、マスコミの自己への批判を許さない心の狭さ・偏狭さが必然的に招くことになる批判潰し・マスコミ規制である。安倍晋三も陰に陽にマスコミを牽制し、報道の自由を脅かしてきた。プーチンが国内メディアに対する規制を強めている事実は特に自己に批判的な反体制指導者は反体制メディアを標的としている。

 国家機密を流出させた等の国家反逆罪の冤罪でしかない容疑をデッチ上げて、起訴し、有罪にして刑務所に送り込んで、批判の声を社会に届かないようにする。刑務所に送り込むよりも醜悪な手段は反体制指導者の存在自体を抹殺して、その批判の口封じを狙うことであろう。

 2020年8月20日には飛行機で移動中のプーチン政権批判の急先鋒であるロシア野党勢力の指導者が体調の異変を訴え、病院に運ばれ、意識不明の重体に陥った。支持者たちがプーチンの手がいつ伸びるか分からない国内治療よりも国外治療を望み、ドイツのメルケル首相が応じて、ドイツに移送されることになった。ドイツの病院では毒物使用の可能性を公表した。

 退院は1カ月後の2020年9月22日。ドイツ政府は独仏に加えスウェーデンで実施した検査で旧ソビエトが開発した神経剤ノビチョクが使われた証拠が得られたと指摘している。

 マスコミ報道から調べてみると、この神経剤ノビチョクは2018年にイギリス南部でロシアの元スパイだったスクリパル氏とその娘が意識不明の状態で見つかり、その後回復した事件でイギリスの警察の公表によって使われていたことが判明している。

この事件と2000年に英国に亡命し、プーチン政権を批判していた元ロシア情報機関員アレクサンドル・リトビネンコ氏が2006年にロンドンのホテルで元ロシア情報機関員と会った際、お茶に放射性物質ポロニウムを盛られ、3週間後に死亡した事件も、反体制指導者の口封じと同種の不都合な秘密が口から漏れるのを防御する手段であったはずだ。英公聴会は2016年1月、「プーチン大統領が恐らく暗殺を承認した」と結論付ける調査報告書を公表している。

 確定はできなかったものの、国家のために動いた元スパイや国家を批判の対象としている反体制指導者、同じく国家を批判の対象としている反体制マスコミ等を毒殺を以ってその口封じを働く主体はそこに国家の影を見ないわけにはいかないだけではなく、以上の存在が全てプーチンの自己絶対性確立の阻害要因そのものであることを考えないわけにはいかない。

 いずれにしても憲法改正によってプーチンは2036年まで大統領の椅子に居座る可能性が出てきたことと、改正憲法が「領土割譲の禁止」を規定している以上、プーチンに領土交渉の進展を期待するのは現実的ではなくなった。では、何を現実的とするか。プーチンを政治の舞台から退場させる力は現在なくても、その意欲を持っているプーチンの強権的専制政治への反体制を掲げる民主派勢力がロシアの政治の舞台に躍り出て来ることに期待をかけ、資金等を提供して、その実現に力を貸した方が北方領土返還はより現実的にならないだろうか。

 反体制派勢力がロシア国内にとどまった状態で活動資金等を提供した場合、国外勢力と通じた等の罪をデッチ上げて、反体制運動を封じ込めないとも限らないから、彼らのあくまでも非暴力主義を掲げた民主的な亡命政府を日本国内に設立するのを許してフル活動させ、国内の民主派と呼応させてプーチンを選挙という手段を使って退陣させ、その勢力を一掃することを狙った方が領土返還の可能性は出てくる。

 プーチンは選挙に不利と見たら、票の操作は平気でするはずだ。それを防ぐためには国際的な選挙監視団を送れるよう、プーチンに圧力をかけなければならない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅義偉の国民をたぶらかすタチの悪い誤魔化しを踏み台にした日本学術会議会員の「任命に当たっての考え方の擦り合せ」

2020-11-16 09:56:39 | 政治
 日本学術会議会員は日本学術会議法第7条2の〈会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。〉となっていて、第17条は、〈日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。〉と規定している。

 この内閣府令とは「日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令」のことで、〈日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦は、任命を要する期日の30日前までに、当該候補者の氏名及び当該候補者が補欠の会員候補者である場合にはその任期を記載した書類を提出することにより行うものとする。〉としか規定していない。

 以上のことを前提に菅義偉の今回の日本学術会議会員6名任命拒否に関わる国会答弁に整合性が見い出し得るかどうかを探ってみる。

 2020年11月10日衆議院本会議

 ※予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律案に関する趣旨説明と質疑 

 中島克仁「冒頭、菅総理に対する国民からの信頼を致命的に揺るがした日本学術会議問題について何点か菅総理にお聞きを致します。11月5日の参議院予算委員会で推薦名簿を提出する前に一定の調整が働かなかった、こう総理は答弁しておりますが、なぜ事前調整が働かなかったのですか。

 この調整は政府側から働きかけたのに学術会議側に断られたのでしょうか。それとも学術会議からの働きかけを政府が断ったのですか。総理、明確にお答えください。

 そもそも会員の推薦権は日本学術会議法第17条で日本学術会議の専権事項でありますが、この推薦権に内閣府が校正(?)を行うことができる法的根拠をお示しください。示せない場合は事前調整自体、明らかな違法行為ではありませんか。

 また6人拒否の理由は安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念したからだと複数の政府関係者が明らかにしたとの報道がありますが、事実か否かお答えください。

 現在、学術会議は6名欠員の状態です。学術会議に改めて推薦要請する意向はありますか。総理にイエスかノーかで明確にお答えください。

 また政府の任命拒否による補充選挙を行う手続き法は存在しません。今後どうやって6名を補充しようとしているのか、ご説明ください。

 6名拒否について総理に説明し、そのプロセスの当事者である杉田官房副長官を国会で説明させて困る理由があるのなら、総理、お述べください。ないのなら、ないとはっきり仰ってください。立憲民主党は改めて杉田官房副長官の国会出席を求めます」

 菅義偉「日本学術会議の推薦についてお尋ねがありました。ご指摘の参議院予算委員会に於ける答弁はこれまで日本学術会議から推薦を提出される前に様々な意見交換が日本学術会議議長との間で行われ、このような意見交換を通じて任命に当たっての考え方の擦り合せ方について一定の考え方を申し上げ、その上で今回の改選に当たっても、この前と同様に推薦メモを提出される前に意見交換が日本学術会議議長、会長との間で行われたものの、その中で任命の考え方の擦り合せまでに至らなかったことを表明するものです。

 お尋ねの点を含め、その詳細は繰り返し申し上げているとおり、人事に関することであり、お答えを差し控えさせて頂きます。

 会員の経験・検討についてお尋ねがありました。日本学術会議法では会員の候補者の推薦は日本学術会議が行うこととされています。推薦名簿提出前に様々な意見交換が日本学術会議会長との間で行われ、このような意見交換について任命の考え方の擦り合せに至ったとしても、またそのための候補者の推薦の手続きについては日本学術会議に於いて必要に応じて定めるべきものと考えております。

 また杉田官房副長官の国会の出席については今回の任命に当たって私の日本学術会議に対する懸念や任命の考え方は杉田副長官と共有してきており、これまで国会でご質問があったそれぞれの点については私や官房長官から答弁しているとおりです」

 菅義偉は日本学術会議会員の任命について前回の2017年の半数改選の際も、今回の半数改選の際も、「任命に当たっての考え方の擦り合せ」を日本学術会議から推薦(名簿)が提出される前に行ったと言っている。

 このことの法的正当性は別にして、日本学術会議側の推薦に基づかない任命を行う場合は一般的には推薦名簿の提出を受けてから、推薦名簿の中の何人かの会員に対して推薦に否定的な考え方を持って擦り合せに臨み、政府側の任命に当たっての考え方を伝えて、日本学術会議側と任命可否の検討(擦り合せ)を行うのが通常の方法であろう。

 なぜなら、推薦名簿の提出を受けて、可否の判断をつけておき、推薦を受けた会員の全員に対して肯定的なら、擦り合せの必要性は生じなく、時間と手間の節約になるし、推薦を受けた何人かの任命に否定的なら、それに絞った擦り合せが可能となって、同じように時間と手間の節約となる。

 ところが、個々の推薦会員に対する任命の是非ついて擦り合せたのではなく、政府側が望ましいと考える任命の大枠を示す擦り合せだけだったから、日本学術会議から推薦名簿の提出を受ける前に行うことができたという道理となる。

 擦り合せの結果、前回2017年の会員改選時は政府の望み通りの任命に当たっての考え方に添った任命ができたが、今回は政府側が求めた「任命の考え方の擦り合せまでに至らなかった」ために政府の意に反する6名の任命拒否と相成り、この6名任命拒否は同時に日本学術会議の意に反する結果となった。

 この両者の意に反する結果という経緯の構造は政府側が擦り合せを行う際に政府側の任命に当たっての考え方を日本学術会議が受け入れて、その考え方に添うことを望む圧力と受容の関係の内在を示すことになる。簡単に言うと、権力への配慮、忖度を求めた。

 2017年の改選時は圧力と受容の関係が機能して、日本学術会議側が政府に配慮、忖度した結果、「任命の考え方の擦り合せまでに至った」と言うことになる。一方で2016年の補充人事の際は首相官邸側が候補者の任命に選考初期段階で難色を示していて、正式な候補推薦には至らず、欠員が生じたままになっていたことからすると、日本学術会議側が政府に配慮も忖度もせず、圧力と受容の関係が機能しないままに終わったことになる。

 日本学術会議会員は再任不可の6年任期で、3年毎に半数ずつが改選され、会長に関しては再任可能だが、3年任命となっていて、ここ3代、会長が入れ替わっている。2017年に日本学術会議側の推薦通りの任命が行われて、今回、2020年は推薦どおりにいかずに6名が任命拒否されたということは、つまり政府側の任命に当たっての考え方の擦り合せが2017年はうまくいき、今回はうまくいかなかったということになって、会長によってか、その主導次第で圧力と受容の関係が、即ち権力への配慮・忖度が機能する場合と機能しない場合が出てきた可能性が考えられる。

 と言うことは、会員任命が日本学術会議側からの推薦から始まるのではなく、政府側が任命に当たっての考え方を、つまり任命の大枠を擦り合せてから日本学術会議側が推薦に着手するという手順を取ることを意味することになる。

 このことは既に紹介した11月10日衆議院本会議での菅義偉の答弁にも現れている。

 「任命の考え方の擦り合せに至ったとしても、またそのための候補者の推薦の手続きについては日本学術会議に於いて必要に応じて定めるべきものと考えております」

 菅義偉は政府と日本学術会議側との「任命の考え方の擦り合せ」は推薦名簿の提出前に行われると答弁していた。当然、「擦り合せ」に成功しても、成功しなくても、「擦り合せ」後に日本学術会議側は「候補者の推薦の手続き」――推薦名簿の作成に着手することになるというプロセスを踏むことを伝えた発言となる。

 「擦り合せ」後の推薦が政府側の任命の大枠に合致している場合は、その推薦どおりに任命する、合致していない場合は任命拒否という経緯を取るなら、そのような経緯は日本学術会議法の一部を改正する法律が1984年(昭和59年)5月30日に施行されて、会員の任命が選挙制から推薦制に変わることになった当時から取っていたのだろうか。

 この法律案が国会で議論されていた1983年(昭和58年)当時はときの総理大臣中曽根康弘も、政府参考人も、「形式的任命に過ぎない」と答弁していたのだから、その答弁の舌の根が乾かないうちに推薦通りの任命では政府側が望む任命に当たっての考え方とは異なる人物が入っている、政府側の任命に添うよう、擦り合せをしてから、推薦名簿の作成に着手して欲しいとある種の強制をし、その強制に忖度を求めたとは考えにくい。

 だが、2020年10月・11月の政府側の国会答弁を見ると、学術会議法が改正・施行された1984年(昭和59年)5月30日当時から擦り合せが行われてことを窺わせる。

 2020年10月 7日衆議院内閣委員会閉会中審査。

 三ッ林裕巳(内閣府副大臣)「憲法第15条の規定により明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としております」

 大塚幸寛(内閣府大臣官房長)「お答え申し上げます。あの、今回任命につきましては任命権者である内閣総理大臣がこの法律に基づきまして特別職国家公務員として会員としたのでございます。憲法第15条第1項を引用させて頂きますが、これはやはり公務員の選定・罷免軒が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者である内閣総理大臣が、推薦どおりに任命しなければならないということはないということでございまして、これは会員が任命制になったときかこのような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」

 2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査。

 木村陽一(内閣法制局第一部長)「昭和58年の対象になっております日本学術会議法の一部改正の立案の以前から、政府と致しましてはこれも学問の自由や大学の自治に関係する文部大臣による国立学大学学長等の人事に関してで憲法第15条第1項の規定に明らかにされている公務員の選定・罷免権は国民にあるという国民主権の原理との調整の必要性については累次答弁をしてきております。

 このような国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております。

 従いまして昭和58年の日本学術会議法の一部改正に於きましてもこれと同様の考え方に基づいて立案が成されているというふうに考えているところでございます」

2020年10月29日衆院本会議。共産党志位委員長の代表質問に答えて。 

 菅義偉「過去の政府の答弁についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、先程申し上げたとおり、憲法第15条第1項との関係で日本学術会議の会員についても必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、日本学術会議法の解釈変更ではないのは国会において内閣法制局からも答弁しております」

 菅義偉が「必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方である」と言い、「日本学術会議法の解釈変更ではない」と断っているのは政府と日本学術会議側との任命に当たっての考え方の擦り合せを前提として、擦り合せに応じるか応じないかで任命の状況が変わる、推薦どおりではないという任命形式でなければ、菅義偉の答弁自体が終始一貫しない矛盾を抱えることになる。

 2020年11月5日の参院予算委員会 

 菅義偉「日本学術会議法の推薦に基づく会員任命については憲法第15条第1項に基づけば、推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないということではないという点については内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考え方であります」

 菅義偉が「内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考え方であります」と答弁していることは内閣法制局第一部長の木村陽一の答弁に代表させての指摘であろう。

 内閣府副大臣の三ッ林裕巳も、内閣府大臣官房長の大塚幸寛にしても、内閣法制局第一部長の木村陽一にしても、「日本学術会議会員が任命制になったときから」、つまり改正日本学術会議法が1984年(昭和59年)5月30日に施行された当時から、推薦のとおりの任命ではなかったと同一歩調の証言を行っている。

 菅義偉にしても、「必ずそのまま任命しなければならないということではない」としている点で、当然と言えば、当然だが、同一歩調となっている。

 この「推薦のとおりに任命しなければならないというわけではない」としていることは日本学術会議法の第7条2〈会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。〉と、第17条〈日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。〉の解釈から外れていることから、菅義偉が口にしている、政府側と日本学術会議側の「任命に当たっての考え方の擦り合せ」を経た任命形式を前提としていることになる。

 そしてこのような任命形式は「日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としていた」と解釈しなければ、菅義偉の本会議での答弁だけではなく、政府側証人の答弁と真っ向から矛盾することになる。

 要するにこれまで日本学術会議側の推薦どおりになっていたのは裏で擦り合せを行っていたことのあくまでも結果値であって、でなければ、菅義偉の2020年11月10日衆議院本会議で日本学術会議側と「任命に当たっての考え方の擦り合せ」を行ったものの、2017年の前回とは違って、今回は「任命の考え方の擦り合せまでに至らなかった」の発言は出てこないし、三ッ林裕巳や大塚幸寛、木村陽一等の「日本学術会議会員が任命制になったときから、推薦どおりに任命しなければならないという考え方を前提としていた」といった趣旨の答弁はできないし、結果値であるとすることによって衆議院本会議での菅義偉の答弁と、閉会中審査での政府側証人の答弁とが整合性を取ることができる。

 但しこの整合性は次の文章によって崩れ去ることになる。要点のみを摘出する。

 「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」(内閣府日本学術会議事務局/2018年11月13日)

 3. 日学法第7条第2項に基づく内閣総理大臣の任命権の在り方について

 内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検討する。

 (1) まず、
 ①日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であることから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができるものであると考えられること

 ②憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことからすれば、内閣総理大臣に、日学法第17 条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。

 政府参考人たち及び菅義偉の国会答弁、あるいは加藤勝信の記者会見発言はこの取り決めに添って行われていたことになる。

 〈3. 日学法第7条第2項に基づく内閣総理大臣の任命権の在り方について〉で言っていることを考えてみる。

 〈内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検討する。〉

 要するに〈内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。〉としている決まり事を決まり事どおりにしなければならない〈義務があるかどうかについて検討する。〉ことになったという文意を取る。

 「検討」開始時期はこの文書を報告書として整えた2018年11月13日以前の近辺である。そして②の、〈内閣総理大臣に、日学法第17 条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。〉の結論が纏められたのは2018年11月13日と言うことなら、2017年10月の改選時に於いては〈内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。〉のルールに縛られていたことになる。

 だが、菅義偉は2017年10月の改選についても、日本学術会議側と「任命に当たっての考え方の擦り合せ」を行い、そ擦り合せに至ったのちに推薦名簿を受け取ったとする国会答弁を行っていることは、上記縛りと矛盾する。もし実際に行っていたとしたら、この文書で決めたルールにも反するし、日学法にも違反することになって、国会で追及しなければならない問題点となる。

 もし「任命に当たっての考え方の擦り合せ」を行い得るとしたら、2018年11月13日以降の会員改正時に於いてであって、2020年10月の今回の改選が最初の対象となる。だが、「擦り合せ」を行ったものの、合意に至らずに、6名を人名拒否した。

 菅義偉がこの「擦り合せ」にいくら正当性を言い立てたとしても、内閣府副大臣の三ッ林裕巳や内閣府大臣官房長の大塚幸寛、内閣法制局第一部長の木村陽一が憲法第15条第1項を根拠に「任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としております」といった趣旨で発言していることは2018年11月13内閣府日本学術会議事務局が纏めた文書、「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」で決めたルールを頭から無視しているだけではなく、日本学術会議会員が選挙制から任命制に変更することになった1983年年当時の政府参考人や中曽根康弘の国会答弁を自分たちの有利になるよう改竄したタチの悪い悪用
しか窺うことができない。

 タチが悪いと言えば、2018年11月13日作成の内閣府日本学術会議事務局の文書が公表されたのは2020年10月6日の「学術会議任命拒否問題」野党合同ヒアリングの場であって、約2年間内部文書扱いにしていた。世間に公表しないそのような扱いで、〈内閣総理大臣に、日学法第17 条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。〉を自分たちのルールにして6名任命拒否に出た。

 これ程の国民をたぶらかすタチの悪い誤魔化しはない。例え菅義偉の主張どおりに「任命に当たっての考え方の擦り合せ」が行われていたとしても、国民をたぶらかすタチの悪い誤魔化しを踏み台にしなければ成し得なかった「擦り合せ」であろう。

 菅義偉が「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」の庶民性をウリにしているが、とんだ食わせ者の庶民性である。

 6人任命拒否は「任命に当たっての考え方の擦り合せに至らなかった」ことが原因だとしていることは、6人任命拒否は政府側独自の基準で行ったことになる。菅義偉は官房長官時代から懸念を持っていたこととして、「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られる」ことを挙げ、「旧帝国大学と言われる7つの国立大学に所属する会員が45%を占めています。それ以外の173の国立大学・公立大学を合わせて17%です。また615ある私立大学は24%にとどまっております。また産業界に所属する会員や49歳以下の会員はそれぞれ3%に過ぎません」と会員構成の偏り・多様性の欠如を国会答弁していたが、このことを基準とした任命拒否となっているのかどうか、その整合性を厳格に問いたださなければならない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本学術会議6名任命拒否の説明責任不在は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」によって正当化され得るのか

2020-11-09 07:10:32 | 政治
 日本学術会議会員は日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると日本学術会議法に規定されている。要するに推薦どおりに任命される運びとなっていて、それが従来からの慣行になっていた。ところが今回、その慣行が破られ、105人の推薦に対して6名が任命拒否、99人のみが任命ということになった。6名は安倍晋三成立の特定秘密保護法、安全保障関連法、改正組織犯罪処罰法等の国家主義的な強権政策が色濃く突出した政策に反対し、加えて安倍式9条改憲反対を主張している学者たちであったから、菅義偉発動による拒否のそこに何らかの政治的意図を多くの国民が見ることになった。

 対して菅政権は憲法第15条第1項の規定を持ち出して、日本学術会議の推薦どおりに任命しなければならないというわけではないを任命拒否の正当理論とした。

 2020年10月7日の衆議院内閣委員会閉会中審査での立憲民主党今井雅人への答弁から。

 大塚幸寛(内閣府大臣官房長)「お答え申し上げます。あの、今回任命につきましては任命権者である内閣総理大臣がこの法律(日本学術会議法)に基づきまして特別職国家公務員として会員としたのでございます。憲法第15条第1項を引用させて頂きますが、これはやはり公務員の選定・罷免権が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者である内閣総理大臣が、推薦どおりに任命しなければならないということはないということでございまして、これは会員が任命制になったときからこのような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」

 三ッ林裕巳(内閣府副大臣)「今回の任命につきましては任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて特別職の国家公務員として会員を任命したということでことであります。憲法第15条第1項に明らかにされているとおり公務員の選定・罷免権は国民固有の権利であるという点からすれば、任命権者である内閣総理大臣が推薦とおりに任命しなければならないわけではありません。

 日本学術会議が任命制になったときからこのような考え方を前提としており、考え方を替えたということではありません」

 2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査。

 木村陽一(内閣法制局第一部長)「昭和58年の対象になっております日本学術会議法の一部改正の立案の以前から、政府と致しましてはこれも学問の自由や大学の自治に関係する文部大臣による国立学大学学長等の人事に関してで憲法第15条第1項の規定に明らかにされている公務員の選定・罷免権は国民にあるという国民主権の原理との調整の必要性については累次答弁をしてきております。

 このような国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております。

 従いまして昭和58年の日本学術会議法の一部改正に於きましてもこれと同様の考え方に基づいて立案が成されているというふうに考えているところでございます」

 この答弁以降、同様の答弁を菅義偉や官房長官詭弁家の加藤勝信も行っているが、日本学術会員任命拒否が問題になってから憲法第15条第1項の規定を国民主権と関係づけて指摘している内閣法制局第一部長木村陽一のこの答弁を基に言っていることの解釈を試みてみる。

 日本国憲法第3章国民の権利及び義務第15条第1項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定している。

 つまり憲法第15条第1項が規定しているこの公務員選定・罷免の「国民固有の権利」は国民主権の原理に則っている関係から、「内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではない」と木村陽一は政府側を代表して、任命拒否の正当性を論理づけた。

 と言うことは、日本学術会議会員の任命は任命権者が日本学術会議法で総理大臣と規定されているものの、公務員の選定・罷免は主権者である「国民固有の権利」とされている関係上、国民に代わって内閣総理大臣が会員の選定・罷免の代理行為をするという意味内容を取ることになる。

 代理行為だからこそ、内閣法制局第一部長の木村陽一は内閣総理大臣を国民及び国会に対して任命に関わる責任を負う責任主体だと明示することになった。国民に代わって公務員の選定・罷免を行う代理行為なんだから、内閣総理大臣として国民及び国会に対して責任を負っている以上、責任を負えないような学者まで任命できるわけはないはずだという道理を示した。

 全く以て至極当然な正当性理論となる。

 但し国民及び国会に対して責任を負うことのできる6名任命拒否だとしていることになるから(責任を負えない任命拒否だとすることは決してできない)、事実そのとおりかどうかの説明責任が国民及び国会に対して自動的に発生することになる。
 
 このような解釈から、政府側がこの問題の説明責任を「人事」を理由に答弁を差し控えるのは憲法第15条違反だといったことを日本学術会議の任命拒否を取り上げたこれまでのブログに書いてきた。

 ところが政府側が繰り返す「人事に関することであり、お答えを差し控えます」の答弁を野党側が殆どの場合手を付けずにスルーさせてしまっている追及を見て、「野党は頭の悪い連中ばっかりだな」と思っていたが、2020年11月5日の参院予算委員会で立憲民主の蓮舫に対して官房長官の加藤勝信が人事について非開示を根拠づけている法律を持ち出して、正当性を謀った場面に出食わした。頭の悪いのは野党の連中ではなく、こっちの方だなと気づいた。

 蓮舫も、「人事のところは黒塗りでも結構です。(記録を)出してください」と発言していたから、人事についての答弁差し控えの正当性は野党も認めていて、だから、スルーさせていたのだということになる。

 但しこっちの頭がいくら悪くても、国民主権と憲法第15条第1項の関係から言って、総理大臣による公務員の選定・罷免が国民に代わる代理行為である以上、選定・罷免に関わる説明責任が直接的には国民に対して自動発生しないとするのは憲法第15条第1項そのものを無効にすることになる。何のために公務員の選定・罷免を「国民固有の権利」としているのか。憲法第15条第1項が国民主権に基づいているなら、国民主権そのものをも蔑ろにする。

 加藤勝信が蓮舫との質疑応答の中でどのように非開示を根拠づけているか、その発言を見てみる。蓮舫のムダな質問は削るか、要約した。蓮舫は頭がいい。頭の回転は抜群である。言葉を機関銃のように次々と連射する。一見、鋭く追及しているように見えるが、その機関銃はオモチャで、そこから発射される弾は人を射抜く力はない。服に当たるだけで、痛くも痒くもない程度の効果しかない。

 追及は要所要所取り上げることにする。文飾は当方。

 2020年11月5日の参院予算委員会 立憲民主蓮舫

 蓮舫「菅総理、総理の就任おめでとうございます。冒頭、先ずお伺いしたいのは菅総理は何を成すために総理大臣になられたんですか」

 体裁のいいことをどうとでも答弁できる質問は意味はない。

 菅義偉「私は安倍政権のとき、官房長官をしていました。そして安倍総理が退陣をされる中で先ずはコロナ対策・・・・」

 菅義偉が既に何度でも口にしていることだから、続けて取り上げる価値はなく、端折ることにする。

 蓮舫「やってはいけないことを(総理就任後の)冒頭部分で遣り始めた。それは日本学術会議問題です。『国民のために働く』。国民が最優先でして貰いたいのが学術会議問題ですか」

 最初の質問を学術会議問題を追及する意図で始めたのだから、核心に触れない、ありきたりの答弁で応じることのできる質問は意味はない。事実、そのとおりの答弁となっている。

菅義偉「長年に亘り、私、この問題については懸念を持っていました。そういう中で今回、ちょうど任期の中で、このようなことを発動させて頂いたところでございます」

     ・・・・・・

 蓮舫「国民が求めていますか」

菅義偉「極めて大事なことの一つだと思っています」

 蓮舫「任命問題がこんなに大事(おおごと)になると思っていましたか」

 菅義偉「説明させて頂けると思っていました。分かって頂けると思っていました」

 短い言葉で次々と質問を放つから、一見、有意な追及に見えるが、引き出すことができた答弁は追及自体が本質から外れているから、何の変哲もない内容ばかりとなる。

    ・・・・・・・・

 蓮舫「(日本学術会議による会員の推薦について)優れた研究、または業績がある科学者で会員にふさわしいかどうかの適切な判断は学術会議しか行えないんです。大学に偏りがあるとか、若手とか、その人選要件に総理がなぜ口を出せるんですか」

 菅義偉「日本学術会議法の推薦に基づく会員任命については憲法第15条第1項に基づけば、推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないということではないという点については内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考え方であります」

 蓮舫「人選になんで口を出せるんですか」

 菅義偉「10億円の予算を使って活動している政府の機関であり、任命された会員は公務員になりますから、その前提で社会的課題に対して提言などを行うため、専門分野の枠に囚われない広い視野に立ってバランスの取れた活動を確保するために必要ということも言われています。そうしたものについて総理大臣として判断をしたものです」

 同じような質問を繰り返して、殆ど同じような答弁が返ってくる堂々巡りが繰り返されている。

 蓮舫「人選に口を出せる法的根拠を教えて下さい」

 菅義偉「日本学術会議法の会員の任命については日本学術会議からの推薦に基づき内閣総理大臣が任命することとされています。この規定に添って、推薦に基づいて任命権者たる総理大臣として学術会議などに求められる役割などを含めて判断したものです」

 官房長官の加藤が出てきて、早口に原稿を読み上げる。最後のところだけを取り上げる。

 加藤勝信「憲法第15条第1項の規定に掲載されている公務員の終局的な任命権は国民にあるという国民主権の原理から言えば、任命権者である総理大臣が会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことからすると、内閣総理大臣に日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと書いてあるとおりでございます。それに則って対応させて頂いているところでございます」
 
 詭弁家加藤勝信がここで「書いてあるとおりでございます」と言っている文書は2018年11月13日に内閣府日本学術会議事務局が作成した「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」を指す。

 2018年11月の時点で政府側が解釈して成り立たせた決まり事だから、内閣府大臣官房長大塚幸寛、その他の政府側参考人が「これは会員が任命制になったときから(日本学術会議法一部改正の1983年〈昭和58年〉を指す)このような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」と言っていることは全くの誤魔化し、歴史の改竄に当たる。

 このことは2020年10月12日の当「ブログ」に取り上げた。

 国民及び国会に対して責任を負える総理大臣の任命となっているのかどうかの疑義が生じている以上、説明責任を伴わせなければならないのだが、一切の説明責任は拒否している。自らの正当性を述べるのみで、疑義を解消させようとする意思を些かも見せていない。

 蓮舫「9月24日に提案された文書、28日に決裁をした。それまでは99人の名簿は見て、105人の名簿は見ていなかった、でいいですか」

 菅義偉「学術会議から総理大臣宛に105名の名簿が提出されたのは8月31日です。私は当時、まだ官房長官でありまして、その内容、105人の名簿は見ておりません。そして9月16日に総理大臣に就任を致しました。

 で、総理大臣就任後、官房長官、杉田副長官に改めて私の懸念を伝えました。そして9月24日に内閣府が99名を任命する旨の決裁事案、それを受けて、9月28日に私が最終的に決済するわけでありますけども、総理就任後ですから、9月16日以降でありますけども、官房長官杉田副長官に改めて懸念を伝え、杉田副長官から相談があり、99名を任命する旨を私自身が判断をし、それを官房長官を通じて内閣府に伝えました。それが確か9月24日前だと思います」

 総理大臣就任前の8月31日に総理大臣宛に105名の名簿が提出された。名簿を受け取ったのは安倍晋三ということになる。その意思が6名任命拒否に反映された可能性は考えられないわけではない。何しろ任命拒否された6名は安倍晋三の国家主義的な強権政策に反対している。蓮舫は少なくともこのことに一言する頭の回転の早さを見せてもいいはずだが、見せもせず、菅に対して「答弁を変えている、なぜです」と、適当に答えることができる追及を行っただけで、菅に「私は一貫しております」で軽くあしらわれてしまう。

 蓮舫「この総理の説明、官房長官の説明、矛盾だらけ、答えていない。この逃げているということを、この6人を削った経緯を知る方法が一つあります。8月31日に推薦名簿が出て、9月24日に起案されるまでの経過の公文書がありますか」

 8月31日に推薦名簿が提出され、9月24日に99名任命の決裁事案が提出されたという経緯は2020年11月4日の衆院予算委で辻元清美の質問に菅義偉が答弁して明らかになったもの。蓮舫が文書で残しているはずだと気づいたということなのだろう。

 加藤勝信「今回の任命にかかわる経緯について杉田副長官と内閣府との遣り取りを行った記録について担当内閣府に於いて管理しているというふうに承知をしております」

 蓮舫「どういう内容ですか、管理されているのは」

 加藤勝信「今申し上げた杉田副長官と内閣府で遣り取りを行った、それ以外あるかも知れませんが、それはそういった記録と承知をしております」

 蓮舫「提出してください」

 加藤勝信「まさにこれは人事に関する内容の提出は今回の件に限らず、こうした案件については差し控えさせて頂いているところであります」

 蓮舫「それは詭弁です。公文書管理法の目的と原則は何ですか」

 消費者及び食品安全担当相の井上信治が答弁に立って、公文書管理法では公文書管理の適正化が規定されているとか、適正化は現在と将来に亘って国民への説明責任を全うするためであるとか、条文の説明でしかないことを長々と答弁する。その答弁が終えたあとも、蓮舫はなおも井上信治に対して公文書管理法の原則について尋ねる。井上信治ができることは公文書管理法の条文、規定項目の説明のみだから、蓮舫は井上信治の手を煩わせずに自分の方から、公文書管理法のこれこれこういった規定上、杉田副長官と内閣府とで遣り取りした記録を残しているはずだから、提出してくださいで済むはずだが、頭の回転のよさを見せつけているようで、実際はムダな時間ばかり費やしている。

 蓮舫「公文書、文書主義、それを全て残すというのが前提。特に菅官房長官、安倍総理時代に『桜』や森・加計があって、もうとにかく公文書改竄される、不作成直前にシュレッダー、そのことによって安倍内閣のときでも見直しをして、ガイドラインで打ち合わせ、メモ、全部残しましょうということになったんですね。

 その部分で、大臣ね、最新の行政文書の管理に関するガイドライン、これ菅官房長官時代に直していますけども、そこで10ページにあるんですが、文書主義が2点あるんですが、それを説明して貰いますか」

 再び井上信治に長々と説明させるが、蓮舫は最後まで聞いておいて、「全く違うところを読んでいるんですが」と言ってから、説明させたかった公文書管理の規定について自分の口から言い出す。であったなら、自分から公文書管理法ではこうなっているがと持ち出せば、時間の節約ができたはずだが、頭の回転が早いから、肝心なことは置いてけぼりにしてしまったらしい。

 蓮舫「先程加藤官房長官が仰ったように『人事に関する』と言えば、何でも出さないということじゃないんですよ。全部作る。その中で人事に関する記事の部分は出さないんでも結構ですが、会議をした、省議をした、こんな打ち合わせをした、そして要件を狭めていった、こういうふうにした、総理に報告をした、最終権者の総理が決済する時点までを一連のファイルで残さなければいけないんです。

 これ、残していると思います。人事のところは黒塗りでも結構です。出してください」

 加藤勝信が杉田副長官と内閣府との遣り取りの記録の存在を既に認めていて、蓮舫の「提出してください」の要求に「人事に関する内容」だからと言って提出を拒否した。だとしたら、提出拒否の理由に対抗する論理的な追及を構築しなければならないはずだが、対抗どころか、井上信治の役にも立たない答弁まで求める遠回りまで費やすして、「人事のところは黒塗りでも結構です」と相手の提出拒否の理由に同調までしている。

 加藤勝信「先程私が申し上げた説明、まさに具体的な資料、私見ていませんから、正確なことは言えませんが、杉田副長官と内閣府との遣り取り、こういったものについてはルールに則って記録をしているということであります。

 それについて行政機関の保有する情報の公開に関する法律に於いてもですね、『人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがある場合についてはですね、開示しなくてもいい』。こういうふうにされているところであります。  

 いずれにしても人事に関する記録、その内容については今申し上げた公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあることから、この提出はこれまでも差し控えさせて頂いているということであります」

 加藤勝信は蓮舫が最初に「提出してください」と求めたときにこれこれの法律によって非開示は許されていると説明すべきを、詭弁家で国民と国会に対する丁寧な説明を心がける精神は持ち合わせていないから、相手に二度手間、三度手間させても何と思わないようだ。

 蓮舫「いや、総理ね、人事に関する機微な情報、個別名詞とか、この人はこういう理由だ。そこはいいんですが、別に。ただこういう経過で狭めていった。省議を重ねたという途中経過をお示しください。

 総理として指示をしますか。何で原稿なんです」

 菅義偉「今、官房長官が申し上げたとおりでです」

 この問題の追及の最後に内閣府作成の文書の提出を委員長に求め、委員長が後刻理事会に諮ると応諾。蓮舫は続けて発言している。

 蓮舫「今の話、こんなに長い時間がかかると思いませんでした」

 長い時間がかかったのは自分の追及の甘さにも原因があると気づかなければ、こういった生ぬるい追及が延々と続くことにある。

 先ず加藤勝信が法的に非開示を認めているとしている、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」を見てみる。必要な箇所だけを摘出する。

 第1章 総則
 (目的)
 第1条 この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

 (行政文書の開示義務)
 第5条 行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。

  6 国の機関、独立行政法人等、地方公共団体又は地方独立行政法人が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの

  ニ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ

 (公益上の理由による裁量的開示)
 第7条 行政機関の長は、開示請求に係る行政文書に不開示情報(第5条第1号の二に掲げる情報を除く。)が記録されている場合であっても、公益上特に必要があると認めるときは、開示請求者に対し、当該行政文書を開示することができる。

 ※第5条第1号の二  

 行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十八号)第二条第九項に規定する行政機関非識別加工情報(同条第十項に規定する行政機関非識別加工情報ファイルを構成するものに限る。以下この号において「行政機関非識別加工情報」という。)若しくは行政機関非識別加工情報の作成に用いた同条第五項に規定する保有個人情報(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを除く。を除く。)から削除した同条第二項第一号に規定する記述等若しくは同条第三項に規定する個人識別符号又は独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十九号)第二条第九項に規定する独立行政法人等非識別加工情報(同条第十項に規定する独立行政法人等非識別加工情報ファイルを構成するものに限る。以下この号において「独立行政法人等非識別加工情報」という。)若しくは独立行政法人等非識別加工情報の作成に用いた同条第五項に規定する保有個人情報(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを除く。を除く。)から削除した同条第二項第一号に規定する記述等若しくは同条第三項に規定する個人識別符号(以上)

 【非識別加工情報】「行政機関等が持っている個人情報を、特定の個人を識別できないように、かつ個人情報に復元できないように加工されたデータ(ビッグデータ)」(ネットから)

 日本学術会議会員6名任命拒否で問題となっている疑義は、この法律の第5条6のニに記されている「公正かつ円滑な人事」に基づいて任命が行われたかどうかであって、そのことの疑義が浮上している以上、このような疑義の放置(=非開示のままにしておくこと)は却って「公正かつ円滑な人事の確保」に支障を及ぼすおそれが出てくる。

 開示し、疑義を解消して初めて、つまり人事に関することであっても説明責任は果たして初めて「公正かつ円滑な人事の確保」の何よりの証明となる。

 このようにすることが公益上の何よりの利益となる。当然、6名に関わる「特定の個人を識別する」情報は既に世間に流布しているのだから、公益上の利益追求を優先させて、第7条の「第5条第1号の二に掲げる情報」を無視し、「公益上特に必要があると認めるときは、開示請求者に対し、当該行政文書を開示することができる」を適用させるべきだろう。

 もし第5条6のニの条文通りに「人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ」がある場合は絶対的に非開示が認めらる、説明責任の差し控えは許されるとしたなら、総理大臣による公務員の選定・罷免は常に正しい、間違えることはないという無誤謬の絶対性善説で祭り上げることになって、公務員の選定・罷免を憲法第15条第1項に国民固有の権利として置く意味を失わせる。失わせれば、国民主権そのものが形だけのもの、有名無実となる。

 主権が国民にあることから公務員の選定・罷免が国民固有の権利とされ、国民のその権利に基づいて総理大臣が公務員の選定・罷免を行う、いわば代理行為である以上、代理行為に伴う説明責任は常に国民に負わなければならない。負うことによって公務員の選定・罷免にかかる国民固有の権利が意味を持ち、国民主権は実体的な意味と価値を持つ。

 菅義偉と加藤勝信が「人事に関わることだから答弁を差し控える」とする態度は人事そのものである公務員の選定・罷免にかかる国民固有の権利と国民主権を嘲笑う姿勢以外の何ものでもない。

 菅義偉と加藤勝信は、さらには安倍晋三までもが?、「人事の問題だから答弁は差し控える」が水戸黄門の葵の印籠と同じ効き目を持っていることに陰でほくそ笑んでいるのではないだろうか。

 そもそもからして菅義偉は日本学術会議会員の任命は「学術会議などに求められる役割などを含めて判断したものです」と答弁している。だが、6名が安倍晋三の国家主義的強権政策に反対したのは学術会議会員として求められた役割からはではなく、自らの意思に応じた個人的な役割からであるずである。個人的立場でしていることを「学術会議などに求められる役割」で縛ること自体が学問の自由、思想・信条の自由の阻害要件となる。

 当然、政府の「総合的・俯瞰的観点からの活動」の要請は学術会議会員としての活動を対象としてのみ可能となる。ところが政府は、菅義偉だけではなく、多分安倍晋三をも含めて、学術会議会員としての活動と学術会議会員から離れた個人としての活動を混同して、後者の活動にまで学術会議会員としての「総合的・俯瞰的観点からの活動」までを求める(多分政治的に中立的な立場を欲求してのことなのだろう)勘違いを犯している。この勘違いが安倍晋三の国家主義的な強権政策に個人的にか、学術会議とは無縁のグループで反対している6名の任命拒否となって現れたと見ると全ての説明がつく。

 もし菅義偉が毎度答弁しているように「民間出身者や若手が極端に少なく、出身や大学にも大きな偏りが見られること」を原因の一つとして6名の任命拒否という結果を出したなら、原因と結果という両者間に整合性の橋渡しが必要となる。納得がいく橋渡しは、ごく当然なことだが、納得のいく説明責任を欠かすことはできない。
人事の問題だから、答弁は差し控えるでは人事問題を国民の手の届かない政治の聖域とすることになって、国民主権に基づいた「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする憲法第15条第1項を国家権力自らが蔑ろにするだけではなく、恣意的な人事を跋扈させる危険性を根付かせかねず、決して許されない。

 蓮舫は「その中で人事に関する記事の部分は出さないんでも結構です」、「人事のところは黒塗りでも結構です」、「人事に関する機微な情報、個別名詞とか、この人はこういう理由だ。そこはいいんですが」と、安倍政権下で数多くあった不都合な情報は破棄するか、改竄するか、黒塗りで出してきた、最後の事例を公認し、説明責任から除外しているが、6名の任命拒否に対する自身の追及自体を無意味とし、疑義の核心から目を背ける意思表示以外の何ものでもない。

 野党が政府の不正・疑惑を寄ってたかって追及しながら、追及しきれずに逃げられてしまう原因の一つを蓮舫の質問から見ることができる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本学術会議任命拒否:総理大臣の公務員選定・罷免は国民主権の代理行為ゆえ、「人事」を理由に答弁差し控えは憲法違反

2020-11-02 08:56:45 | 政治
 菅義偉は2020年10月26日に首相就任初となる所信表明演説を行い、そこでも、「雪深い秋田の農家に生まれ、地縁、血縁のない横浜で、まさにゼロからのスタート」と自身の政治家像を庶民性で色づけて、ウリとしていたが、日本学術会議会員6名任命拒否が学問の自由侵害問題として大騒ぎになっているにも関わらず、所信表明では一言も触れなかったことがトンデモナイ食わせ者であることを露わにすることになった。

 この所信表明に対する代表質問が2020年10月28日から30日にかけて衆参本会議で行われたが、野党は勿論、任命問題を追及した。周知の事実となっているが、代表質問は総理大臣の所信演説で表明した政府の諸政策や諸問題を与野党代表が追及するものだが、日本学術会議の6人任命拒否問題に関わる追及のうち、日本共産党が最も時間を掛けた追及を行っていたように思えたから、日本共産党志位和夫委員長が10月29日に衆院本会議で行った代表質問と、同じく日本共産党小池晃書記局長が10月30日に参院本会議で行った代表質問をそれぞれに取り上げて、菅義偉が如何にトンデモナイ食わせ者であるかを証明したいと思う。

 代表質問は一括質問とそれに対する一括答弁を形式としているが、分かりやすいように問題ごとに質問と答弁を並べて表記することにした。この表記に先んじて、今まで例のなかった日本学術会議会員6名任命拒否を菅義偉が正当化する方法の一つとして政府側参考人の国会答弁を挙げているが、2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査での答弁を指すゆえに前以ってここに載せておくことにする。

 2020年10月8日参議院内閣委員会閉会中審査

 木村陽一(内閣法制局第一部長)「昭和58年の対象になっております日本学術会議法の一部改正の立案の以前から、政府と致しましてはこれも学問の自由や大学の自治に関係する文部大臣による国立学大学学長等の人事に関してで憲法第15条第1項の規定に明らかにされている公務員の選定・罷免権は国民にあるという国民主権の原理との調整の必要性については累次答弁をしてきております。

 このような国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております。

 従いまして昭和58年の日本学術会議法の一部改正に於きましてもこれと同様の考え方に基づいて立案が成されているというふうに考えているところでございます」

 要するに憲法第15条第1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」は「国民主権の原理」に則っているとの内閣法制局第一部長である木村陽一のご託宣である。

 内閣法制局の業務は「法制局」のサイトに次のように紹介されている。

 内閣法制局の主な業務は、次のとおりです。

 法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べるという事務(いわゆる意見事務)
 閣議に付される法律案、政令案及び条約案を審査するという事務(いわゆる審査事務)(以上)

 内閣法制局は憲法、その他の法律解釈を行う。この解釈を参考にして、総理大臣、その他の閣僚は国会答弁等を行うという手順を取ることになる。当然、内閣法制局の法律解釈は一つの権威を持つことになる。

 内閣法制局第一部長の木村陽一が言っていることは公務員の選定・罷免は国民固有の権利であるとする憲法第15条第1項での規定は国民主権に準拠しているのだから、内閣が国民及び国会に対して責任を負うことのできる公務員の選定・罷免でなければならない。責任を負えない選定・罷免の場合は日本学術会議の候補者の選考どおりとはいかないということになる。

 また、国民及び国会に対して責任を負うことができる公務員の選定・罷免であることによって憲法第15条第1項を通して国民主権を尊重していることの証明となる。

 かくまでも公務員の選定・罷免は深く国民主権に関わっている。

 当然、今回の日本学術会議会員の6名任命拒否は国民主権の手前からも、国民及び国会に対して責任を負うことのできる任命であったかどうかが問われることになる。公務員の選定・罷免は人事の問題以外の何ものでもないのだから、内閣が公務員の選定・罷免に手を付けた途端に国民及び国会に対して説明責任が発生することになる。

 説明責任を不履行のまま、「国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております」などとは口が裂けても言えない。

 だが、実際は説明責任を果たさないままに記者会見で追及を受けると、菅義偉は具体的な決定経緯については何一つ述べずに「法律に基づいて任命を行っている」と通り一遍の発言のみで済まし、特に詭弁家加藤勝信は「人事の話だから詳細は控える」と言い逃れて、説明責任回避を当たり前としている。

 もう一つ政府側参考人の6名任命拒否の正当理論を参考として挙げておく。

 2020年10月7日衆議院内閣委員会閉会中審査

 三ッ林裕巳(ひろみ・内閣府副大臣)「日本学術会議は我が国の科学者の内外に対する代表機関として科学の向上・発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映・浸透させることを目的として設置された、国の行政機関であり、その会員の任命権者は日本学術会議法に於いて内閣総理大臣とされております。

 憲法第15条の規定により明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としております。

 任命権者たる内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしていくという一貫した考え方に立った上で会員を任命する仕組みは時代に応じて変遷しており、その中で日本学術会議に総合的・俯瞰的観点からの活動を進めて頂くため、任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて今回の任命を行ったものであり、法律違反という指摘は当たらないものと考えております。

 また憲法23条に定められた学問の自由は広く全ての国民に保障されたものであり、特に大学に於ける学問・研究、その成果の発表、教授は自由に行われるものであることを保障したものであると認識しております。

 従いまして先程述べた任命の考え方は会員等で個人として有している学問の自由への侵害になるとは考えておりません」

 内閣府副大臣の三ッ林裕巳が答弁していることは憲法第15条第1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とされていることから、日本学術会議法に於いて会員の任命権者とされている内閣総理大臣が選定・罷免の「責任をしっかりと果たしていく」ためには「推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としている」という意味を成す。

 断るまでもなく、公務員の選定・罷免に関して「責任をしっかりと果たしていく」責任履行主体は内閣総理大臣であるが、責任履行対象は公務員の選定・罷免を憲法第15条第1項で「国民固有の権利」としている以上、国民に対してである。

 また、ここで「国民固有の権利」と規定していることは2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査での政府側参考人内閣法制局第一部長の木村陽一の答弁を待つまでもなく、日本国憲法が国家主権としているのではなく、国民主権としていることからの関連に他ならない。

 つまり内閣総理大臣が任命権者となっている公務員の選定・罷免は主権者である「国民固有の権利」であるものの、日本学術会議会員に関しては日本学術会議法で任命権者を内閣総理大臣としている関係から、その国民に代わって内閣総理大臣が選定・罷免の代理行為をするという意味を取る。

 当然、内閣府副大臣三ッ林裕巳の答弁は任命権者となっているケースに於ける内閣総理大臣の公務員の選定・罷免はその責任を主権者である国民に対してしっかりと果たしていくためには推薦のとおりに任命しない場合もあり得る、あるいは推薦どおりに選定・罷免していたのでは国民に対して責任をしっかりと果たすことができない場合もあり得るとの趣旨だと解釈しなければならない。

 三ッ林裕巳のこの推薦のどおりに任命するかしないかは内閣総理大臣の責任に任されているとする法則の正当性を、いわば内閣府の解釈の正当性を全面的に認めるとしても、国民が主権を有していることから公務員の選定・罷免は国民固有の権利としている憲法上の決まり事から言って、国民に代わる代理行為としてこのこと(公務員の選定・罷免)を内閣総理大臣が行っているという点については何ら変わりはないことを押さえておかなければならない。

 公務員の選定・罷免が内閣総理大臣による国民に代わる代理行為でなければ、憲法第15条第1項の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」としている言葉自体の意味を失う。

 当然、公務員の選定・罷免に関して内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしているかどうかは選定・罷免に関する説明責任を求められた場合は、選定・罷免の経緯・理由の全てを明らかにしなければならない責任を負うことになる。特に推薦のとおりに任命しない場合は内閣総理大臣の取捨選択の意思が入ることから、その取捨選択の意思が国民の取捨選択の意思と合致しているかどうかが問題となり、その説明責任はより重くなる。

 説明責任を拒否する権利を認めた場合は、憲法第15条第1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定している意味を同じく失わさせる。

 つまり、「公務員の選定・罷免権が国民固有の権利である」いう考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではない」と説明するだけでは事は済まない。「任命権者たる内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしてい」るかどうかが第一番の問題となり、
「その責任をしっかりと果たしてい」ることの説明責任を履行して初めて「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする日本国憲法の規定が規定通りに生きてくることになる。

 となると、公務員の選定・罷免という人事の問題は国民主権という憲法に深く関わっていることになり、このことは内閣法制局第一部長の木村陽一も間接的に指摘していることであって、説明責任回避は大きく言うと、憲法違反ということになる。

 では、代表質問に移る。果たして菅義偉は公務員の選定・罷免は国民に代わる代理行為であることを弁えて説明責任を十分に履行し得る答弁に終止したのだろうか。日本共産党氏委員長と小池書記局長の質問はネットから引用し、菅義偉の答弁はNHK中継から文字起こしした。

 「志位委員長の代表質問 10月29日衆院本会議」(志位和夫のホームページ/2020年10月30日・金)
  
 志位委員長「私は、日本共産党を代表して菅総理に質問します。

 日本学術会議が新会員として推薦した科学者のうち、総理が6人の任命を拒否したことは、わが国の法治主義への挑戦であり、学問の自由をはじめとする国民の基本的人権を侵害する、きわめて重大な問題です。

 第一に、任命拒否は、日本学術会議法に真っ向から違反しています。

 日本学術会議法は、学術会議の政府からの独立性を、その条文の全体で、幾重にも保障しています。第3条で、学術会議は、政府から『独立して…職務を行う』とされ、第5条で、政府に対してさまざまな『勧告』を行う権限が与えられています。第7条で、会員は、学術会議の『推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する』とされ、第25条で、病気等で辞職する場合には、「学術会議の同意」が必要とされ、さらに第26条で、『会員として不適当な行為』があった場合ですら、退職させるには『学術会議の申出』が必要とされるなど、実質的な人事権は、全面的に学術会議に与えられています。

 総理に伺います。日本学術会議には、1949年の創設時に、当時の吉田茂首相が明言したように、『高度の自主性が与えられている』ということをお認めになりますか。6人の任命拒否は、学術会議の独立性・自主性への侵害であり、日本学術会議法違反であることは明瞭ではありませんか。答弁を求めます」

 菅義偉「今回の会員の任命と日本学術会議法の関連について質問がありました。ご指摘の吉田元総理の発言は日本学術会議法の創設に発言されたものと承知しておりますが、日本学術会議の運営については日本学術会議法を初め関連する法令に添って行われるべきものと認識しております。

 日本学術会議法との関係のご指摘についてですが、憲法第15条第1項は『公務員の選定は国民固有の権利』としており、日本学術会議の会員についても必ず推薦どおりに任命しなければならないものではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って打ち出したものであります」
     ・・・・・・・・・・
 志位委員長「1983年、会員の公選制を推薦制に変えた法改定のさいに、学術会議の独立性が損なわれないかが大問題になりました。

 そのさい政府は、繰り返し、総理大臣の任命は『全くの形式的任命』、『実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右することはしない』、『推薦していただいた者は拒否しない』と明確に答弁しています。

 総理、6人の任命拒否は、これらの政府答弁のすべてを覆すものではありませんか。法律はそれを制定する国会審議によって解釈が確定するのであって、政府の一存で勝手に解釈を変更するならば、およそ国会審議は意味をなさなくなるではありませんか」

 菅義偉「過去の政府の答弁についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、先程申し上げたとおり、憲法第15条第1項との関係で日本学術会議の会員についても必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、日本学術会議法の解釈変更ではないのは国会において内閣法制局からも答弁しております」
     ・・・・・・・・・・ 
 志位委員長「総理は、憲法15条1項『公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である』を持ち出して、任命しないことはありうると強弁しています。

 しかし、憲法15条1項は、公務員の最終的な選定・罷免権が、主権者である国民にあることを規定したものであって、それをいかに具体化するかは、国民を代表するこの国会で、個別の法律で定められるべきものです。日本学術会議の会員の選定・罷免権は、日本学術会議法で定められており、その法律に反した任命拒否こそ憲法15条違反であり、憲法15条を持ち出してそれを合理化するなど、天につばするものではありませんか。

 憲法15条の解釈について、かつて政府は、『明確に客観的に、もうだれが見てもこれは非常に不適当であるという場合に限って、…任命しないという場合もありうる』(1969年、坂田道太文相〈当時〉答弁)と答弁してきました。総理、あなたが任命拒否した6人は、『明確に客観的に、だれが見ても非常に不適当』だということですか。そうならばどう『不適当』なのか、その理由を明らかにすべきです。理由も明らかにせずに任命を拒否することは、6人に対する重大な名誉毀損(きそん)ではありませんか。答弁を求めます」

 菅義偉「憲法第15条第1項についてお尋ねがありました。憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利としており、この憲法の規定に基づき、日本学術会議法では会員は総理が任命することにしていることから、会員の任命に当たっては必ずしも推薦どおりにしなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って行ったものです。

 憲法第15条第1項に関するご指摘の過去の答弁は承知をしており、また個々人の任命の理由については人事に関することであり、お答えを差し控えますが、今回の任命については先程申し上げたような考え方に基づき、日本学術会議法に添って行ったものであり、名誉毀損に当たるとは考えておりません」
     ・・・・・・・・・・
 志位委員長「総理は、任命拒否の理由を、学術会議の『総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点』からだと繰り返しています。ならば問います。総理は、6人を任命すると学術会議の『総合的、俯瞰的活動』に支障が出るという認識なのですか。端的にお答えいただきたい。

 さらに総理は、26日のNHKインタビューで突然、学術会議の推薦名簿は『一部の大学に偏っている』「民間、若手が極端に少ない」などと非難を始めました。昨日(28日)の答弁では『多様性が大事』とも述べました。しかし、それならばなぜ50代前半の研究者、その大学からただ一人だけという研究者、比重の増加が求められている女性研究者の任命を拒否したのですか。説明いただきたい。

 だいたい、総理が勝手に、『選考・推薦はこうあるべき』という基準をつくって、任命拒否をはじめたら、学術会議にのみ与えられた選考・推薦権は奪われ、学術会議の独立性は根底から破壊されてしまうではありませんか。

 くわえて、学術会議が推薦した名簿を総理は『見ていない』と言う。『見ていない』で、どうして推薦名簿にそのような特徴があることが分かったのでしょうか。語れば語るほど支離滅裂ではありませんか。しかとお答えいただきたい」

 菅義偉「総合的俯瞰的活動に関してお尋ねがありました。私が日本学術会議について申し上げてきたのは先ず年間10億円の予算を使って活動している政府の機関であり、任命された会員は国家公務員となるので、国民に理解される存在であるべきだということです。

 個々人の任命の理由については人事に関することであり、お答えを差し控えますが、任命を行う際には総合的俯瞰的活動、すなわち専門分野の枠に囚われない広い視野に立ったバランスの取れた活動を行い、国の予算を投ずる機関として国民に理解される存在であるべきであるということ。さらに言えば、例えば民間出身者や若手が極端に少なく、出身や大学にも大きな偏りが見られることも踏まえ、多様性が大事だというこということを念頭に私が任命権者として判断したものであります。

 この総合的俯瞰的活動が求められること、産業人、若手研究者、地方在住者など、多様な会員を選出すべきだ。このことについては総合科学技術(・イノベーション)会議から日本学術会議の組織や会員の選出方法について意見具申があったものです。

 なお今回の任命について私が最終的な決裁行うまでの間に推薦の状況については説明を受け、私の考え方については担当の内閣府とも共有をしており、それに基づいて私が最終的な任命の判断をしたものであります」
     ・・・・・・・・・・
 志位委員長「第二に、任命拒否は、憲法23条が保障した学問の自由を侵害するものです。

 総理は、任命拒否は、『学問の自由とは全く関係がない』と言い放ちました。

 ならば聞きます。あなたは、憲法が定めた学問の自由の保障をどう理解しているのか。学問の自由は、個々の科学者に対してだけでなく、大学、学会など、科学者の自律的集団に対しても保障される必要があります。科学者集団の独立性・自主性の保障なくして、個々の科学者の自由な研究もありえないからです。総理の見解を伺います。

 理由を明らかにしないままの任命拒否が、個々の科学者に萎縮をもたらし、自由な研究の阻害となることは明瞭ではありませんか。それはさらに、わが国の科学者を代表する日本学術会議の独立性を保障する要となる会員の選考・推薦権という人事権の侵害であり、日本の学問の自由への乱暴な侵犯というほかないではありませんか。総理の任命拒否は、学問の自由を二重に侵害するものではありませんか。答弁を求めます」
 
菅義偉「日本学術会議と学問の自由についてお尋ねがありました。憲法第23条に定められた学問の自由は広く全ての国民に保護されたものであり、特に大学に於ける学問・研究及びその成果の発表、教授が自由に行われれることを保障されたものであると認識しております。また日本学術会議については日本学術会議法上、科学に関する重要事項の審議などの職務を独立して行うことが規定されております。

 今回の日本学術会議の会員の任命は憲法第15条第1項の規定の趣旨を踏まえ、任命権者である内閣総理大臣がその責任をしっかり果たすため、日本学術会議法により推薦に基づいて国の行政機関として職務を行う会議の一員として公務員に任命したものであります。こうした考え方に基づく任命の行使が会員等が個人として有している学問の自由に影響を与え、これを侵害することや会議の職務の独立性を侵害するとは考えておりません」
     ・・・・・・・・・・
 志位委員長そもそも総理は、日本国憲法が、思想・良心の自由や表現の自由とは別に、学問の自由の保障を独立した条項として明記した理由が、どこにあると認識しているのですか。

 1930年代、滝川事件、天皇機関説事件など、政権の意に沿わない学問への弾圧が行われました。それは全ての国民の言論・表現の自由の圧殺へとつながっていきました。毒ガスや生物兵器の開発、人体実験、原爆の研究、国民総武装兵器の開発研究など、科学者は戦争に総動員されました。そして、侵略戦争の破滅へと国を導いたのであります。総理、あなたには、憲法に明記された学問の自由の保障が、こうした歴史の反省のうえに刻まれたものだという認識がありますか。答弁いただきたい。

 この問題は日本学術会議だけの問題ではありません。全国民にとっての大問題です。強権をもって異論を排斥する政治に決して未来はありません。日本共産党は、違憲・違法の任命拒否の撤回を強く求めるものです。総理の答弁を求めます」

 菅義偉「現行憲法に於ける学問の自由についてお尋ねがありました。現行憲法では旧憲法下に於いて国家権力により国民の自由が圧迫されたことなどを踏まえ、特に明文で学問の自由を保障したものと認識しております。

 日本学術会議の任命の取り扱いについてお求めがありました。これまで申し上げたように今回の任命は憲法第15条第1項の規定に基づき任命権者である内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たすために日本学術会議法に基づいて会員を任命したものであり、今回の任命について変更するということは考えておりません」(以上)

 菅義偉の答弁は内閣法制局第一部長木村陽一による憲法第15条第1項の解釈を楯に推薦どおりに任命しなくてもよいのは「内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方である」の一点張りで、憲法第15条第1項が国民主権に準拠している関係から内閣総理大臣の公務員の選定・罷免は国民に代わる代理行為であって、その責任は第一番に国民に負うとする認識にまで至っていない。

 公務員の選定・罷免は国民固有の権利であって、その行為を内閣総理大臣が行う以上、国民に代わる代理行為に他ならない。

 主権者たる国民に代わる代理行為であるという認識が一カケラでもあれば、「責任をしっかりと果たす」一番の対象は国民に対してであって、当然、責任を果たし得たのか得なかったのかの国民に対する説明責任が自動的に発生することになり、「個々人の任命の理由については人事に関することであり、お答えを差し控えます」は憲法上、通用しない、既に触れたように憲法違反そのものとなる。

 また「民間出身者や若手が極端に少なく、出身や大学にも大きな偏り」があることを以って多様性の欠如を言い立てているが、多様性のモノサシを社会的地位・立場に限っているとしたら、その貧困な認識に感心しなければならないが、6名任命拒否によってどのような点で「国民に理解される存在」に近づいたのか、あるいは6名任命拒否が多様性の確保にどう繋がったのか、何ら説明がないままでは菅義偉や役人が言っているところの「多様性」の性格や程度にしても、何を以って「国民に理解される存在」としているのかの点についても、理解不能となる。 

 「小池書記局長の代表質問 10月30日参院本会議」(しんぶん赤旗/2020年10月31日)

 小池書記局長「日本共産党の小池晃です。会派を代表して質問します。

 日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命拒否は、民主主義と法治国家のあり方に対する総理の基本姿勢を根本から問うものとなっています。

 中曽根元首相をはじめとして、これまで政府は、総理大臣による任命は『形式的任命にすぎない』と答弁してきました。実際、委員が任命制になって以来37年間、学術会議が推薦した委員が任命されなかったことは一度もありませんでした。それが総理に拒否されたのですから、学術会議の事務局長も『驚がくした』と答弁したのであります。理由の説明を学術会議側が求めるのは当然ではありませんか。

 任命拒否された6人の方も説明を求めており、『個別の人事』をたてに拒否する理由はなりたちません。総理には、任命拒否の理由を誠実に説明する責任があります。逃げずにお答えください」

 菅義偉「日本学術会議の任命の理由についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利として規定しており、この憲法の規定に基づき、日本学術会議法では会員は総理が任命することとされていることから、この任命に当たっては必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って行ったものであります。
     ・・・・・・・・・・
 小池書記局長「総理は、『必ず推薦の通りに任命しなければならないわけではないという点について、内閣法制局の了解を得た』と言いますが、そのことは当時の学術会議会長にも、意思決定機関である幹事会にも伝えられていませんでした。これでどうして首相の新たな権限行使が正当化できるのか。そもそも、国会でくりかえし答弁されてきたこととは異なる首相の任命の法的意義について、国会にはからず政府が勝手に判断できるというなら、国会審議の意味などないではありませんか。納得のいく答弁を求めます」

 菅義偉「日本学術会議の会長、及び幹事会との関係についてお尋ねがありました。日本学術会議法に於いて会長は会議を総理(全体を統一して管理すること)し、会議を代表することとされ、また幹事会は会議の運営に関する事項を審議することとされています。一方で会員の任命権は内閣総理大臣であり、日本学術会議の精神に基づく会員の任命に当たっては必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って行ったものです」
     ・・・・・・・・・・
 ここで菅義偉は小池書記局長が既に尋ねている政府側の過去の答弁について答えているが、読み落としに気づいて付け加えたのだろうが、順番通りに答弁を並べておく。

 菅義偉「過去の答弁についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、先程申し上げたとおり憲法第15条第1項との関係で日本学術会議の会員については必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、日本学術会議法の解釈変更でないのは国会に於いて内閣府法制局からも答弁しているとおりです。

 今回の任命については国会の場などに於いて質問に応じて説明できることはきちんと説明します」
     ・・・・・・・・・・
 小池書記局長「総理は任命拒否の新たな理由として、『民間出身者や若手が少ない、出身や大学にも偏りがみられる』としましたが、それぞれ具体的な根拠をお示しください。

 この間の学術会議の改革努力によって、男女比も、会員の地域分布も、特定大学への集中も是正されてきています。総理の発言は虚偽ではありませんか。

 しかも、拒否された6人の研究者の中には、50代前半の方も、女性も、その大学からただ一人だけという方も含まれています。『多様性を大事にした』という総理の説明と矛盾していませんか」

 菅義偉「会員の出身や大学についてお尋ねがありました。個々人の任命については人事に関することであり、お答を差し控えますが、任命を行う際には総合的俯瞰的活動、即ち専門分野の枠に囚われない、広い視野に立ってバランスの取れた活動を踏まえ、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきだということ、さらに言えば、例えば民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られることも踏まえ、多様性が大事だということを念頭に私が任命権者として判断を行ったものであります。

 個別の会員任命との関係はお答を差し控えますが、現在の会員は例えば所属別で見ますと、いわゆる旧帝国大学と言われる7つの国立大学に所属する会員が45%占めています。それ以外の173の国立大学・公立大学合わせて17%です。また615ある私立大学は24%にとどまっております。また産業界に所属する会員や49歳以下の会員はそれぞれ3%に過ぎません。

 なお特定の分野の研究者であることを以って任命を判断したことはありません」
     ・・・・・・・・・・
小池書記局長「だいたい、『総合的、俯瞰(ふかん)的な観点で判断した』と言いながら、人文科学系の研究者だけを任命拒否したのは、『総合的、俯瞰的な観点』に反するのではありませんか。

 総理は、『学術会議のあり方を見直す』といいますが、安倍政権下の有識者会議が15年3月に、『現在の制度は…期待される機能に照らしてふさわしい』と報告したのに、今になって『見直し』を言いだすのは、支離滅裂ではありませんか。この5年間に有識者会議の結論をくつがえすような事実があったのですか。具体的に示していただきたい」

 菅義偉「有識者会議の報告についてお尋ねがありました。平成27年3月の有識者会議の報告書では日本学術会議の国の機関、公益上の独立性、政府に対する勧告・提言、という現在の制度について会議に記載される機能に照らして、ふさわしいとされたと承知しております。

 他方で民間出身者は少なく、出身や大学にも偏りが見られることや会員の人選は最終的に選考委員会が(行う)仕組みがあるものの、先ずは現在の会員が後任を推薦することも可能な仕組みになっていることについてはかねてから同様の問題があったものと思われます」
     ・・・・・・・・・・
小池書記局長「学問と科学は、政治権力に従属するものであってはなりません。学問が弾圧され、戦争に突き進んだ過去の教訓から、憲法23条は『学問の自由』を保障したのです。

 学問も科学も国民のためのものです。この問題は、任命を拒否された6人だけの問題でも、学者・研究者だけの問題でもありません。すべての国民にとっての重大問題です。

 日本学術会議法に反し、憲法で保障された『学問の自由』を脅かす任命拒否は、撤回すべきです。以上、総理の答弁を求めます」

 菅義偉「学問の自由についてのお尋ねについては憲法23条に定められている学問の自由は広く全ての国民に保障されたものであり、特に大学に於ける学問・研究の自由、その成果の発表の自由、教授の自由を保障したものであると認識をしております。今回の日本学術会議の会員の任命は憲法第15条第1項の規定の趣旨を踏まえ、任命権者である内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たすために日本学術会議法による推薦に基づいて国の行政機関として職務を行う会議の一員として公務員に任命したものであり、変更することは考えておりません。

 こうした考え方に基づく任命権の行使が会員などが個人として有している学問の自由に影響を与え、これを侵害することになるとは考えておりません」
(以上)

 菅義偉は「必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方である」を志位委員長に対して3回、小池書記局長に対しても3回繰り返している。但し「内閣府法制局の了解を得た」任命事項であったとしても、憲法第15条第1項が「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする規定は人事の問題そのものであり、国民主権に基づく国民固有の人事権を総理大臣が代理行為として行う以上、その責任は果たし得たのか、果たし得なかったのかの国民に対する説明責任はついて回ることになるが、「個々人の任命については人事に関することであり、お答を差し控えます」を金科玉条にして説明責任を回避して当たり前としている。

 ウリにしている庶民性を自ら裏切るトンデモナイ食わせ者である。

 要するに内閣総理大臣による公務員の選定・罷免が国民主権の原理に基づいて憲法第15条第1項に則って行う以上、国民に代わる代理行為であるとするところにまで憲法第15条第1項に関わる内閣法制局の解釈が行き届いていないことになる。

 もしかしたら、完璧な解釈を行ったなら、菅義偉側に不都合な状況が生じることが目に見えていることから、国民に代わる代理行為だとする一歩手前で解釈を止めている可能性無きにしもあらずである。

 任命拒否問題を取り上げる野党側は1949年の創設当時の吉田茂の発言がどうっだったとか、1983年(昭和58年)11月の日本学術会議法改正時の政府側証人の国会答弁がどうだったかに拘らずに、日本学術会議会員の選定・罷免は国民主権の原理に基づいた憲法第15条第1項に規定された人事の問題である以上、人事の問題だからと言って、説明責任は回避できないということ、6名任命拒否によってどのような点で「国民に理解される存在」に近づいたのか、あるいは6名任命拒否が多様性の確保にどう繋がったのかなどに絞って追及すべきだろう。

 その際、公務員の選定・罷免に関わる説明責任回避は憲法違反に相当するということを政府側にぶっつけるべきだろう。

 菅義偉は会員構成の多様性の欠如として、「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られる」ことを挙げ、「旧帝国大学と言われる7つの国立大学に所属する会員が45%を占めています。それ以外の173の国立大学・公立大学を合わせて17%です。また615ある私立大学は24%にとどまっております。また産業界に所属する会員や49歳以下の会員はそれぞれ3%に過ぎません」と断じているが、「Wikipedia」が紹介している、(各日本人ノーベル賞受賞者が一つ以上の学位(学士号・修士号・博士号)を取得した大学(2019年10月時点))との断りが入っている「ノーベル賞受賞者の学位取得大学(人数別)」は次のとおりとなっている。旧帝国大学を前身としている東京大学と京都大学が多くを占め、同じく旧帝国大学を前身とする名古屋大学と大阪大学が続いているが、この占有率を以って多様性の欠如と言い得るだろうか。 

 東京大学 11(物理学賞5、化学賞1、生理学・医学賞2、文学賞2、平和賞1)
 京都大学 8(物理学賞3、化学賞3、生理学・医学賞2)
 名古屋大学 5(物理学賞4、化学賞1)
 大阪大学 2(物理学賞1、化学賞1)
 東京理科大学 1(生理学・医学賞1)
 神戸大学 1(生理学・医学賞1)
 大阪市立大学 1(生理学・医学賞1)
 山梨大学 1(生理学・医学賞1)
 徳島大学 1(物理学賞1)
 埼玉大学 1(物理学賞1)
 東京工業大学 1(化学賞1)
 東北大学 1(化学賞1)
 北海道大学 1(化学賞1)
 長崎大学 1(化学賞1)
 カリフォルニア大学サンディエゴ校 1(生理学・医学賞1)
 ロチェスター大学 1(物理学賞1)
 ペンシルベニア大学 1(化学賞1)
 ケント大学 1(文学賞1)
 イースト・アングリア大学 1(文学賞1)

 要するに問われるべきは仕事上の成果であって、出身組織とか所属組織が問題ではない。年齢も問題ではない。誰が見ても仕事上の成果があると見ているのに、小さな組織に所属しているか、年齢が若いという理由で日本学術会議会員から除外されているなら、そういったことのみを問題にすべきだが、菅義偉の「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られる」は仕事上の成果外のことだから、6名任命拒否を偽装する誤魔化しに過ぎない。

 任命拒否を受けた6名に最も色濃く共通する点は安倍晋三の国家主義的な強権政策に対する顕著な拒絶姿勢であって、政治上の立場に応じて毀誉褒貶はあるだろうが、6名はそれを一つの仕事上の成果としている。所属大学だとか、出身大学は一切関係していない。当然、安倍晋三の国家主義的な強権政策に対する顕著な拒絶姿勢を標的とした6名の任命拒否と見なければ、仕事上の成果という点から整合性が取れない。

 政府の政策に反対する学者は会員として任命できないということなら、政治の私物化以外の何ものでもない。もし6名任命拒否が安倍晋三や菅義偉が仕掛けた政治の私物化であるなら、6名の仕事上の成果に対する憲法が保障する思想・信条の自由、あるいは学問の自由の抑圧に相当することにはなる。

 安倍晋三は首相在任中、森・加計問題、桜を見る会、黒川検事長定年延長問題等で政治の私物化を最も得意としていた。その流れを汲む6名任命拒否の政治の私物化の可能性は否定できない。

 それに菅義偉が片棒を担いでいる。「雪深い秋田の農家に生まれた」とはトンデモナイ食わせ者ではないか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする