イジメ未然防止目的のロールプレイ――厭なことは「やめて欲しい」で始まるイジメ態様に応じた参考例をいくつか創作してみた

2023-01-15 10:45:25 | 教育

 2022/12/9更新の「ブログ」(2)でアドリブを用いたロールプレイの参考例をいくつかを例示したが、改めて目的や効果、方法等を纏めた上で例示した参考例を再度記載し、さらにイジメ態様に応じた新たな参考例をいくつか創作してみた。イジメの未然防止に少しは役立てばいいが、どんなものか。

 再度触れるが、イジメは怒り、憎しみ、恨み、嫉み、嘲り(面白がって笑う)、間違った優越感の誇示(その裏返しとしての蔑み)等々の負の感情の発露によって引き起こされる。当然、その未然防止はイジメ側の児童・生徒の負の感情のコントロールに負う。小中学校のイジメの未然防止を目的の一つとしたロールプレイング、略してロールプレイにしても、負の感情のコントロールに主眼を置いているはずで、この線に添ったイジメの様々な態様に応じた場面を設定してアドリブ(即興劇)で演じさせるロールプレイの参考例ということになる。

 アドリブ・ロールプレイのルールは次のとおり。

 1.現実に起きているイジメにどういった種類があるのか、生徒それぞれの知識となっていると思うが、その態様や特質、原因・背景等々を改めて復習させておく。既知の知識・情報についての記憶を新たにさせるためと未知の知識・情報を新たに記憶させるために。

 2.アドリブとする目的は相手との関係に応じて相互に希望通りの言葉を的確・率直に作り出す会話思考能力とその言葉を思い通りに相互に伝え合う会話伝達能力を養い、両能力の取得によって険悪な人間関係にあっても、言葉を用いた秩序だったコミュニケーションを生み出すことのできる訓練の一つとするためである。

 3.イジメのシチュエーションと大まかな展開は学校側が指示し、導入部はイジメ被害者がイジメ加害者に対して「イジメはやめてくれ」と断る場面から入ることを決まりとする。目的は上記訓練の必要不可欠な実践例の一つとするためでもあるが、何よりも大切なことは嫌なことをされたときには断ることのできる会話を習慣とすることが当たり前のことだと児童・生徒全員に認識させることにある。ロールプレイの登場人物も観客もイジメを断る場面を当然の光景として頭に記憶するようになれば、断らないことの方が生理的にも不自然な態度と認識することになる。イジメ加害者に対しても同じ感覚に持っていくようにする。

 さらにイジメ側が単にからかっているだけだ、懲らしめるためにやっているだけと思ってしている行為であっても、相手が嫌な思いがすると伝えた場合、少なくとも相手の言葉の正当性を考えざるを得なくなって、自分の行為に対しての無考えな容認(頭から間違ってはいないとする思い込み)は許されなくなる。

 4.現実のイジメで一方の断りに対して相対するもう一方が断られる状況に立たれさることによって例えカッとなったとしても、一方の断ることをロールプレイで演じ続けた場合、相手が嫌がることをしたことに対する自然な反応だと学ぶことになり、この学びは感情のコントロールの学びを唆す。嫌なことをされたときは断ることを当たり前の感覚とし、相手が嫌がることをしてしまった場合は断られることを当たり前の感覚とする場所にまで持っていくよう努める。

 5.ロールプレイを通してイジメの加害者、被害者、観客としてイジメの場面とイジメに対する善悪の感覚を、現実に似せた状況に身を置き、現実に起こるであろう様々な感覚を体験することを意味する疑似体験することにより、それが頭の中に記憶として僅かにでも残れば、のちにイジメ加害者の立場に立つ、あるいは被害者、観客それぞれが似たような立場に立たされたとき、ロールプレイでの疑似体験を実体験する形を取ることになるから、僅かにでも残ったロールプレイでの記憶はよりはっきりとした姿かたちで再現を受けやすく、イジメの加害者は自分は今イジメを働いている、イジメの被害者は今イジメを受けている、あるいはその場に居合わせているイジメの観客は今イジメを目にしている等々、それぞれに現在進行形の自己認識(自分は今何をしているかという認識)を促せやすくすることになり、同時に疑似体験で受けた善悪の感覚をも自己認識(自分は今何をどのように感じているかという認識)を発動させるキッカケを与え、自分自身の言動を省みて善悪いずれかを判断するのかの自己省察の場に立たざるを得ないよう持っていく。つまりイジメ加害者に対してであっても、結論はどう自己認識しようが、善悪いずれかを考えざるを得ない自己省察の場所に立たせるよう取り計らう。

 6.自己省察をより確実に習慣づけるためにロールプレイの出演者それぞれの言葉から人間を観察するよう求める。クラスメートとして人柄をよく知っていても、アドリブでどのような人間(役柄)を演じようとしているのか、口にした言葉自体から観察し、自身の性格や人柄との違いや似た点を見つけ出すよう求める。この自分で自分の性格や人柄を省みる心理的働きも「自己省察」であり、他者の性格や人柄を知ろうとする心理的働きが「他者省察」であって、自己省察と他者省察の比較によって言動の善悪を知ったり、長所や欠点を知ることになると教える。小学校低学年には教師が言葉を砕いて教え込む。他者省察によって知ることになる他人の良し悪しを自己省察によって知ることになる自分自身の良し悪しと比較して、他者の優れた点を学んだり、自身の劣る点を正したりするところにまで行く、この状況は何かしらの成長を示すことになるから、自己省察と他者省察は成長を促す要素としての意味を持つことになると教える。

 自他の省察を通して自分の長所・欠点を知りながら、手つかずのままにしておくのは自己省察と他者省察の意味を失うだけではなく、人間としての成長を望まない態度となる。ロールプレイを用いて自他省察の心理的働きを習慣づけ、この習慣づけを通して"成長"というものを意識させるよう心がけ、イジメの未然防止に役立てるよう努める。つまり自分を成長させるためには他人の行動や発言を省みる他者省察との比較で自身の行動や発言を省みる自己省察は欠かすことができない必要条件となる。欠かせている人間、つまり他人の言動を省みることもなく、自身の言動をも省みることのない人間は自己の感性や感覚、考えのみに従う自己中心の生き方をしているからであって、そのような生き方は他者との関係で成長する機会を持ち難い人間と言える。

 また、自己省察によって自分の長所・欠点を知り、他者省察で他者の長所・欠点を知ることになれば、両者の長所・欠点の比較から、自身も他者も絶対的価値観を持って存在しているのではなく、それぞれに長所もあれば欠点もあるという他者との比較で自分を見る、逆に自分との比較で他者を見る価値観の比較化(価値観の相対化を価値観の比較化と呼び慣わすことにする)の原理を自然と学ぶことになり、この学びは負の感情のコントロールを身につける場所に運んでくれるはずである。なぜなら、自分は他者と同様に絶対的存在ではなく、長所もあるが欠点もある人間だと価値観の比較化ができれば、他者の長所に対しても欠点に対しても寛大になりうるし、欠点を笑って攻撃を加えることなどはできなくなって、知らず知らずのうちに負の感情のコントロールを同時に発動することになるからである。

 7.ロールプレイは各教室でクラスメートのみで演じるのではなく、小学生、中学生、それぞれが講堂や体育館に全生徒を集めて全校集会形式で行う。理由はクラス内では自他の関係性に慣れてしまっていて、他者を意識する気持ちが薄れがちとなり、その分集中力を欠くことになるが、全校生徒が体育館なり、講堂なりにその都度集合した場合、いつもとは違う大勢の他者存在を意識して改まった気持ちからのそれなりの緊張感を得て、集中力が増し、ロールプレイに注視する効果が期待できるからである。さらにこの効果を最大化するために席はクラスごと、学年ごと、男子生徒、女子生徒ごとに固めるのではなく、見知らぬ者同士を順不同に入り交じるようにする。

 8.小学生は演劇クラブ所属生徒や児童会役員、中学生は演劇部所属生徒や生徒会役員等のうちの各上級生が人前で話すことに慣れていることを見込んで、彼らから始める。イジメのシチュエーションと大まかな展開は学校側が指示するが、その前提としてのロールプレイのテーマと登場人物は校内生徒指導委員会等が決め、生徒指導主任等が司会と進行役を務める。以後取り上げるアドリブ・ロールプレイはあくまでも参考例、サンプルだから、当面はシナリオとして用いたとしても、ゆくゆくは児童・生徒それぞれに自分独自の言葉を駆使したロールプレイへの、それぞれのテーマに添ったステップアップを求めていく。

 最初からは臨機応変な言葉の遣り取りは難しくても、考える力や会話力を養うという目的を共通認識とさせて、シナリオをベースにアドリブを少しずつ混じえていき、混じえたアドリブを参考材料や反省材料に学習させ合い、最終的にはシナリオを離れて、アドリブのみでコミュニケーション能力を獲得できるように指導していく。

 9.校内生徒指導委員会指導主任はロールプレイの開始前には「誰もが生きている一つの一つの命だ」ということを伝えておくべきだろう。「自分だけが喜怒哀楽の感情、喜びや怒りや哀しみや楽しみの感情を持って生きている命というわけではない。暗い一辺倒で何の取り柄もないように見える生徒であっても、ほかの生徒と同じように喜怒哀楽の感情を持ってそれぞれに生きている一つの命だということを忘れないように。暗い、キモイと言われれば、その命は傷つき、怒りの感情を持ったり、哀しみの感情を湧かせたりする。こういったことが理解できて、それぞれの命を尊重できる心の広い人間に成長していけるようにしなければ、生きている命としてどこがが足りないことになる」と。

 自分だけではなく、どの生徒もそれぞれに喜怒哀楽の感情を持ってそれぞれに生きている大切な命であるという価値観の比較化と比較化を可能とする成長を求めていき、求めに応じた成長を見せることができれば、成長に応じて負の感情をコントロールする能力も自ずと身についていく。

 10.指導主任はアドリブで演じることになるロールプレイだから、登場人物が次のセリフに詰まった場合、適宜手助けする。手助けは自他の省察を自ずと働かせて価値観の比較化と負の感情のコントロールを仕向ける方向への展開とするように努める。指導主任は適宜終了を告げ、解説と講評を行う。指導主任以外が意見を述べる場合もあるだろうが、ここでは指導主任のみが解説と講評を行う形式を採る。

 では、上記伝えた当ブログ記事で取り上げたアドリブ・ロールプレイを手直しが必要なところは手直しして、再度提示するところから始める。小学校か、中学校か、あるいは学年の記載があるなしに関係なしにそれぞれの区分を超えて広範囲に応用して貰うことにする。

 わざと靴を踏むイジメ

 被害者A「靴を踏むのはやめてくれ」
 加害者B「間違えて踏んだんだ」
 (言葉に詰まったなら、指導主任が手助けする。)
 指導主任「イジメは特定の誰か1人か2人を標的にする。イジメなら踏む生徒と踏まれる生徒は決まっていて、しかも何回も踏まれることになる」
 被害者A「何回も踏んでいる。同じ人間の靴を何回も踏み間違えるわけはない。目的があって、わざと踏んでいるんだ」
 加害者B「・・・・・」
 指導主任「何か原因があって、嫌がらせをするという結果がある。原因は面白くない態度を取られたとか、面白くないことを言われたとか、何かで得意になっていて面白くないとか。原因を尋ねたまえ」
 被害者A「なぜ踏むのか教えて欲しい」
 加害者B「いつもいい子ぶっている」
 被害者A「いい子ぶってなんかいない」
 加害者B「自分で気がつかないだけじゃないか。いい子ぶってる」
 被害者A「いい子ぶってなんかいない」
 加害者B「みんなからもいい子ぶってるって見られている」
 指導主任「終了。加害者Bは被害者Aがいい子ぶってると思っていて、それが面白くなくて、懲らしめてやろうと思って靴を踏む嫌がらせをした。そうなんだな?」
 加害者B「そう」
 指導主任「誰かをいい子ぶっていると思ってしまうと、大抵、厭な奴と誰もが抱く自然な感情だと思う。どこまで懲らしめるつもりでいたのだろうか。不登校になるまで、あるいはイジメを苦にして首を吊るか、ビルの屋上から飛び降りるまでだろうか」
 加害者B「・・・・」(答えることはできないだろう)
 指導主任「だけど、いい子ぶっていると思わない生徒もいるはずだ。クラスの全員が全員共にいい子ぶっているとは思っていないと思う。例えA自身がいい子ぶっているのが事実だとして、いい子ぶるのはA自身の問題で、いい子ぶっていて面白くないと思うのは懲らしめるために靴を踏む嫌がらせをしているのだから、取り敢えずはB自身の問題となる。だが、Aにしてもそうだが、Bにしても、自分自身の問題としてやらなければならないことはたくさんあるはずだ。いい子ぶっていて面白くないからと靴を踏んでいるよりもやらなければならない自分自身の問題を一つ一つ片付けていくことの方が自分自身の成長のためには大切なことだと思う。いい子ぶってるから面白くないからと靴を踏むことが自分の成長に役立つのなら、いくらでも靴を踏んだらいい。誰もが自分自身の成長のためにしなければならないたくさんのことがあるはずで、そのことから比べたら、ほかの生徒がいい子ぶっていることなどどうでもいい小さなことになると思う」(自他の省察、価値観の比較化と負の感情のコントロール)

 プロレスごっこ

 被害者A「プロレスごっこはもうやめにする」
 加害者B「なぜ?」
 被害者A「技を掛ける方と技を掛けられる方が決まっているのは遊びではなく、イジメだと本で読んだ」
 加害者B「しょうがないだろ、俺の方が強いんだから」
 被害者A「勝ったり、負けたりして、初めて遊びになるんだって」
 加害者B「八百長はできない」
 被害者A「勝ったり負けたりするには弱い相手ばかりではなく、同格の相手や強い相手とも戦わなければならないんだって。いつも相手は僕一人だ。僕ばかりを相手にしないで欲しい」
 加害者B「じゃあ、今度負けてやる」
 被害者A「首を絞められて、苦しい思いはもうしたくない。床を叩いてギブアップしても、すぐには腕を離してくれないから、この間は苦しくて、本当に死んでしまうんじゃないかと思った」
 加害者B「じゃあ、今度からはすぐに腕を離す」
 被害者A「僕はもういい。誰か君よりも腕っぷしの強い相手を選んで欲しい」
 加害者B「・・・・・」
 指導主任「終了。B、君はプロレスごっこの相手になぜAを選んだんだ」
 加害者B「友達だからです」
 指導主任「友達はA以外にいないのか」
 加害者B「います」
 指導主任「友達がA以外にもいながら、プロレスごっこの相手はいつもAと決まっているのはなぜかね」
 加害者B「・・・・・」
 指導主任「何か腹が立って、懲らしめてやるつもりでプロレスの技を掛けたのが始まりだったが、技があまりうまく掛かって得意な気持ちになり、続けることになってしまったのではないのかね?」
 加害者B「分かりません」
 指導主任「AはBよりも体力的に弱い人間であるためにAとプロレスごっこをしている間は幸いにもカッコいい主役クラスの活躍を演じることができていたことになる。いつもAを負かせて、君自身はいつも勝利する活躍を見せつけることができていたからだ。だけど、弱い人間相手の活躍はAだけか、Bの仲間数人だけに通用させることができていたのであって、その他大勢の生徒にまで通用させることができていた活躍というわけではない。(自他の省察、価値観の比較化)社会に出てからも同じように似た活躍しかできなかったなら、ごく少数の仲間には通用しても、その他大勢の社会人には通用しないことになる。社会に向かって成長していくためにも今のうちから、その他大勢の生徒にまで通用させることができる活躍の道を考えるべきではないのか。そのためには面白くないことをされたから、懲らしめで痛めつけてやるといったことは、Bに限らず、誰にとっても自分の成長にとって意味があることなのかどうか考えて欲しい」(自他の省察、価値観の比較化、負の感情のコントロール)

 集団無視のロールプレイ(加害者Bが集団無視のリーダー、被害者Aは以前グループのメンバー)

 被害者A「みんなで無視するのはもうやめてほしい」
 加害者B「無視なんかしていない。相手にしないだけだ」
 被害者A「・・・・」
 指導主任「理由を聞いたら?」
 被害者A「なぜ?理由は?」
 加害者B「口を利く必要がないから口を利かない。呼びかける必要がないから呼びかけない。だから、相手にしないことになる」
 被害者A「・・・・・」
 指導主任「Aはクラスの全員から口を利いてもらえないのか?」
 被害者A「ううん。Bのグループからだけ」
 指導主任「B、Aはクラスの全員から口を利いて貰えないわけではない。なぜ君のグループの全員だけが口を利かないのだ?」
 加害者B「そんなことは知らない」
 指導主任「グループのメンバーはリーダーの君が恐くて、口を利かない君に従って口を利かないようにしているのか?」
 加害者B「口を利くなって一言も言っていない」
 被害者A「グループの中に以前口を利いてくれたメンバーが何人かいたけど、Bから無視されるようになってから、誰も口を利いてくれなくなった」
 指導主任「Bは本当に全員に口を利くなって指示は出していないんだな」
 加害者B「指示なんか出していない。勝手にみんながそうしているだけだ」
 指導主任「指示を出さなくても、メンバーはBが怖いから、顔色を窺う形で口を利かなくなったことになる」
 加害者B「そんなことはしらない」
 指導主任「どうしても口を効きたくなくても、必要に迫られる以外は口を利かないでいる相手というのはいる。先生もいる。だが、誰と口を利く、利かないは本人の自由意思で決めることで、誰それが恐くてとか、誰それに気兼ねしてといった理由で自分自身の自由意思を曲げてしまう人間関係は本当の友だち関係とは言えない。Bはグループのメンバーと本当の友だち関係を築いているとはとても言えない。君が恐くて従っている。君は怖がらせて従わせている。本当の友だち関係と思うか」
 加害者B「・・・・・」
 指導主任「BがAと口を利かないのは君の自由意思だが、メンバーと本当の友人関係を築きたいと思ったら、メンバーがAと口を利く、利かないはメンバーそれぞれの自由意思に任せるようにできるまでに年齢相応に成長していなければならないだろう。もし自由意思に任せることができるようになったら、君は一段と成長したところを見せることになる。ここで見せることができるかどうかで社会に出てからの成長も違ったものになっていくと思う」(自他の省察、価値観の比較化、負の感情のコントロール)

 以下、イジメの未然防止に役立てる意図の新たに創作したアドリブ・ロールプレイを例示していくが、物語の組み立てを改めて述べてみる。児童・生徒それぞれに対して自分がどのような人間であるかを省みる自己省察とこのこととの比較でほかの児童・生徒がどのような人間であるかを省みる他者省察を習慣づけて、自分も他者と同じように絶対的存在ではなく、長所もあるが欠点もある人間だと気づかせる自他の価値観の比較化を行うように仕向けて、自分も何らかの欠点があるのだから、他人の欠点に対してムカつきや腹立ちを持つことよりも自分の欠点を直すことのほうが大切であるということ、あるいは他人が長所としている能力や才能に対して妬みや不快な思いに駆られることよりも自分が長所としている能力や才能が何かしらあるはずだから、その能力や才能を社会に出て生きていくための可能性の一つと考えて伸ばしていくこのとの方が自分自身を社会に向けて成長させていくためにはより意味があるということを認識させ、ムカつきや腹立ち、妬みや不快な思い等々の負の感情をコントロールさせる訓練とすることができるよう仕向けていく展開を目指すことにする。

部活動での仲間外れ

 登場人物(被害者中2A、加害者中2B、被害者友人中2C、被害者友人中2D)

 2022年12月18日付の「asahi.com」記事《泣き叫ぶ妻の横で謝罪なき顧問 自死したバレー部員の父が語る防止策》が伝えていたバレーボール部活顧問から激しい暴言・叱責を受けて高校3年の男子生徒が2018年7月に自死した、体罰でもあり、イジメでもある事件を中2のバレー部員に置き換えて、同学年の同じ部活部員からの仲間外れとして脚色し、アドリブ・ロールプレイ仕立てにした。記事内容はアクセスして貰うことにして、男子生徒が遺書に書き遺してあった部活顧問が当該生徒に浴びせた、「背は一番でかいのに、プレーは一番下手だな。・・・・そんなんだから幼稚園児だ。・・・・必要ない、使えない」等の罵倒のみを参考にする。

 被害者中2A(部活部員)「背は一番でかいのに、プレーは一番下手だななんて言うのはもうやめて欲しい。下手だからといって、これからは幼稚園児扱いはしないで貰いたい」

 加害者中2B(部活部員)「事実じゃないか。幼稚園児扱いされたくなかったら、少しはうまくなってくれ」

 被害者友人C(クラスメート)「下手なら、試合に出さずにベンチに置けばいいじゃないか」

 加害中2者B「部員が6人しかいない。試合に出さないわけにはいかない。相手チームが下手なのを知っていて、狙い撃ちするから、足を引っ張るのはいつもAだ」

 被害者友人中2D(クラスメート)「相手チームの攻めのパターンが分かっているなら、腕のいい選手をAの横に置いて、ボールを受けさせればいいじゃないか」

 加害者中2B「そんなことは言われなくたって分かっている。とっくの昔にやってるんだけど、こういう作戦で行くからって決めておいても、自分のところにボールが来ると、ボールだけ見て、他の選手の動きを見ていないから、自分からボールを取りにいって、打ち返すと決めていた選手とぶっつかってしまったりする。結局打ち返せずに点を取られてしまう。こういう作戦だと何度言い聞かせても、自分のところにボールが来ると、反応してしまって、作戦もクソもなくなってしまうんだ。チームの中で一番背が高いから始末に悪い。顧問が幼稚園児だってバカにするから、みんなも幼稚園児、しっかりしろって言うことになる」

 被害者友人中2D「一番背が高んだから、ネットの近くに置いて、ブロック専門に使ったらどうだ。両手を上げて相手ボールを跳ね返すやつ」

 加害者中2B「ブロックも満足にできないし、サーブプレーヤーが変わるごとにポジションを順番に時計回りに移動するルールなんだから、いつまでも一番前に置いておくことはできない。ブロックだけではなく、攻撃の役目もある。手首を効かせて、狙った場所にボールを強烈に撃ち込む技術もないんだから、どのポジションでも使えやしない」

 被害者友人C「Aが抜けて、他の選手と同じ程度の技術のある部員が入ったら、強いチームに変身できるのか?」

 加害者中2B「負試合ばかりではなく、少しはマシな試合をするようになるかもしれない。顧問も口汚く怒鳴ることが減るはずだし、とばっちりでほかの部員まで怒鳴られることも減るはずだ」

 被害者友人中2C「要するにAが抜けても、少しはマシな試合ができるようになるというだけで、総合力は元々たいしたことはないんだ?」(自他の省察と価値観の比較化)

 加害者B「たいしたチームじゃなくても、ボールは受け損う、打ち返すことはできない、一番ドン臭い。背が一番高いから、ドン臭いのが一番目立つ」

 被害者友人中2D「総合力がない中でAのヘマが一番目立つというだけなら、チームの弱いのをAのせいにして、自分たちを納得させているんじゃないのか?」(自他の省察と価値観の比較化))

 加害者中2B「まさか、そんなことはない」

 被害者友人中2C「将来、バレーボールでメシを食っていこうと考えている部員はいないということだ?」

 加害者B「いるはずがないじゃないか」

 被害者友人中2C「近所に大学生がいて、ときどき勉強を見て貰っているんだけど、小学生や中学生、高校生はまだまだ可能性の途上にあるんだって。発展途上国の途上。その人自身の最終的な可能性が固まっていくまでにはまだまだ時間がある途中にいるんだって」

 加害者中2B「スポーツをしたことがない優等生の言うことなんか役に立たない」

 被害者友人C「バレボール部の勝利が社会に出てからの最終的な可能性に直接関係するわけではないのなら、試合に勝つことだけに可能性を限定するのは間違っている。今は色々な可能性を試したり、学んだり、楽しんだりして、最終的な可能性に役立てるときだっていうことを教えられた」(自他の省察と価値観の比較化)

 被害者友人中2D「顧問に言ってやった方がいい。Aにしたって、好きでやっているけど、バレーボールの技術だけが可能性というわけではないのだから、その技術だけで可能性がない人間扱いして、悪く言うのは間違いだって」(価値観の比較化と負の感情のコントロール)

 被害者友人中2C「近所の大学生は東大野球部は約4年半近くの間に2引き分けを含んで94連敗も記録したことがあって、春と秋のシーズンで毎年、1勝かそこらしかできない野球ベタの集まりだけど、野球することが好きな気持ちや練習で学んだ忍耐力、部員同士の絆、それぞれに好きな勉強などを最終的な可能性を実現する支えにして社会に巣立っていくはずだって言っていた。Aはバレーボールの技術では幼稚園児並みの可能性しかないかもしれないが、可能性は一つではないのだから、今は眠っている状態の可能性がいつか目覚めて、立派な人間にならないとも限らない。今はバカにできても、将来、逆にバカにされてしまうこともあるかもしれない。バレーボールの可能性だけでバカにするのは気をつけた方がいい」(自他の省察と価値観の比較化、負の感情のコントロール)

 被害者友人中2D「試合に勝てる可能性が低いなら、試合を楽しむ可能性に重点を置いてもいいじゃないか。ヘマしたら、ドンマイ、ドンマイと庇って、あとに残さない。ついついバカにしてしまうストレスを抱え込むこともないし、バカにされるストレスを抱えることもない。勝ち負け抜きにみんな助け合ってバレーボールを楽しめば、将来的な可能性に何かしらプラスしていくかもしれない」

 加害者中2B「そうだなあ。プレーは一番下手だ、幼稚園児並みだと厭味を言ったって、俺たちのこれからの可能性にプラスにはならないだろうし、Aのこれからの可能性にもプラスになるわけでもないのに、何でイラついていたのだろう」(自他の省察と価値感の比較化と負の感情のコントロール)

 指導主任講評「イジメ被害者中2Aの友人同学年のCは『小学生や中学生、高校生はまだまだ可能性の途上にあるんだ』と近所の大学生に教えられた。可能性とは児童・生徒それぞれが持つ能力や才能を力にして成功する見込みや発展していく見込みがあることを言う。だが、将来的に成功したり、発展するためには現在の能力や才能では力不足で、年齢を重ねると共に色々なことを学び、経験して、能力や才能の力をつけていって、今身につけている可能性だけではないそのほかの色々な可能性を身につけ、最終的にはこれはといった可能性に絞って社会に立つことになる。だから、Cが近所の大学生に教えられたように『小学生や中学生、高校生はまだまだ可能性の途上にある』のだから、将来身につけるかもしれない可能性を一切無視して、今の可能性をさも最終的な可能性であるかのように人の能力や才能を評価するのは間違っていると指摘したことになる。

 加害者Bの最後のセリフは他者省察と自己省察を経て、中学生の時点で可能性というものを限定することの間違いに気づいた言い回しとなっている。Aの友人のCやDとの会話を通して、一歩成長したところを見せたことになる」

 言葉の暴力

 登場人物(母親がフィリピン人、父親が日本人の被害者中2女子Aは1年時に転校。被害者Aの友人中2E、加害者中2Bとその仲間中2Cと中2D)

 被害者中2A「私をもうバイキンと呼ばないで欲しい。バイキンなんかじゃないんだから」

 加害者グループリーダー中2B「ちょっと、あんまり近づかないでよ。だって、バイキンでしょ?顔、日焼けして黒くなっているようには見えないし、土色に汚れている感じは、マジ、病気じゃん。何かバイキンに取り憑かれていなければ、そんな汚い肌にはならない」

 被害者中2A「バイキンではなくて、生まれつき、こんな肌なんです」
 加害者グループリーダー中2B「だから、生まれつきバイキンが入り込んでいたんだよ」
  5人全員して笑う。

 被害者中2A「お母さんの故郷のフィリピンではこんな肌の人はいくらでもいるって言ってた」

 加害者グループリーダー中2B「満足に病院もないんでしょ。フィリピンでは当たり前でも、ここではバイキンが入っていなければ、そんな肌にはなりっこがない」

 被害者中2A「じゃあ、今度病院で精密検査をして貰って、診断書を書いて貰って、見せます。何も病気にかかっていなければ、バイキンと呼ぶのはやめてください」

 加害者グループリーダー中2B「診断書を見るまでは約束できない」

 被害者中2A「ええ、いいですよ」

 加害者グループ中2C「あんたの体から臭いニオイがするのは事実だよ」

 加害者グループリーダー中2B「そうよ、診断書に問題がなくたって、クサイ臭いがするのは事実だからね」

 被害者中2A「誰かほかにクサイ臭いがする女子はいるんですか」

 加害者グループリーダー中2B「あんただけに決まってる」

 加害者グループ中2E「あんた以外にフィリピンとのハーフなんかいないじゃん)

 加害者グループリーダー中2Bとグループ中2D(同時に)「そう、そう」

 加害者グループ中2C「キモイんだよ」

 加害者グループ中2B(続けて)「キモイったらありゃしない」
  (ほかの4人が同時に小馬鹿した笑いを見せる)

 被害者Aの友人中2 E「私には臭いニオイなんかしない」

 加害者グループリーダー中2B「鼻が悪いからじゃん」
  加害者グループ全員して笑う。

 被害者Aの友人E「本当に臭いんだったら、近づかなければいい」

 加害者グループリーダー中2B「近づきたくないんだけど、廊下ですれ違わない訳にはいかないときもあるんだから」

 被害者Aの友人E「ほんの少しの間だけでしょ。我慢すればいい」

 加害者グループリーダー中2B「嫌な臭いはいつまでも鼻について離れないじゃん。頭の中にまで残る」

 被害者Aの友人中2 E「クラス32人だけど、臭いニオイするって言っているのはあんたたちグループの5人だけで、残り27人は何とも言っていない」(自他の省察と価値観の比較化)

 加害者グループリーダー中2B「私たち5人は鼻が敏感だからね」

 被害者Aの友人中2 E「そうだったとしても、ちょっと我慢すれば、『キモイ』、『汚い』、『臭い』、『近寄るな』などと言わなくても済むし、言わなければ、Aが厭な思いをさせられることもない」

 加害者グループリーダー中2B「言わなくて済むように臭いニオイ、先にどうにかしてよ」

 被害者Aの友人中2 E「Aのお母さんはフィリピン人で英語を話すから、Aは子どもの頃から教えられていて、英語も話せる。だから、英語の成績がいいんだけど、私たちもAから教えて貰って、英語の成績を上げることができている。私たちの大切な仲間だから、あんたたちが臭いニオイがするからっていくら拒否しても、私たちはずっと友達でいる。A、負けちゃダメよ」

 被害者A「ええ、ありがとう」

 加害者グループリーダー中2B「何よ、英語の成績が少しぐらいいいだけのことで、バイキンじゃしょうがないじゃん」

 加害者グループ中2C「バイキンは殺さなければならない」

 加害者グループリーダー中2Bと加害者グループ中2D(嘲りながら)「死んで貰おう、死んで貰おう」(終了)

 指導主任講評「BたちのグループがAに対して『キモイ』とか、『汚い』とか、『臭い』、『近寄るな』などと言って、近づけないようにしていたのは日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれたハーフだから生まれつきバイキンが入り込んでいて、そのせいで肌の色が汚くて体から臭いニオイがするからだと、そのような理由を述べている。言っていることが正しいとすると、日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれたハーフは全員が生まれつきバイキンが入り込んでいて、臭いニオイがして、肌の色がよくないことになる。今どきの若者の言葉を借りて言うと、『ちょっとおかしくね』となるが、Bとそのグループの4人はちっとも『おかしくね』とはなっていない。

 被害者Aの友人Eが、『クラス32人だけど、クサイ臭いがするって言っているのはあんたたちグループの5人だけで、残り27人は何とも言っていない』と、自分たちの言っていることがおかしいか、おかしくないかを省みる自己省察のキッカケを与え、同時に27人が何とも言っていない状況をなぜだろうと省みる他者省察のキッカケを与えているが、自分たちの立場に拘って、折角のキッカケを生かすことができずじまいにしている。

 さらにEが『Aはフィリピン人のお母さんの影響で英語が話せて、英語の成績がいい』とAがフィリピン人のハーフであっても、英語力という長所を持っていることを指摘したのに対してBたちは自分たちにはこういった長所があると正当な方法で対抗するわけでもなく、これと言って長所がなければ、得意になれることは自分たちに何があるのだろうかと自分自身を省みて、このことも自己省察のうちに入るが、探し出して自分たちの長所にしようと人間的成長を図ろうとする気持ちも持たない。

 結局のところ、BたちはAに対して何かしら面白くない感情を抱いていて、それが『バイキンだ』、『クサイ臭いがする』、『キモイ』、『汚い』、『近寄るな』といった言葉の攻撃となって現れたに過ぎないことになる。一つ考えられる理由は転校生で日本人とフィリッピン人のハーフということで自分たちのエリアに侵入してきた他所者と見て反発したものの、Eたちに歓迎されている様子から嫉妬心が湧いてなおさら反発し、嫉妬と反発が憎しみにまで進んでしまったという状況が考えられる。

 一般社会に出て自分をどう生かしていくか、生かすことのできるようにどう成長していくかはあくまでも自分自身の問題であって他人の問題ではないということを忘れてはならない。誰がハーフであるとか、ないとか、誰が面白くないとか、面白いとかの問題よりも自分自身を成長させていくことの方がより大切なことだということを忘れてはならない。そして最も注意しなければならない言葉はCが『バイキンは殺さなければならない』と言い、それに対してBとDが『死んで貰おう、死んで貰おう』と応じているが、バイキンにかこつけてAの死を望むような言葉は相手の置かれた精神状態次第では実際に死に追い詰めてしまうことはないこともないから、決して口にしてはならないことを記憶しておかなければならない」

 身体的特徴を笑いの対象とするイジメ

 登場人物(被害者中3A、被害者Aの友人中3F、加害者グループリーダー中3B。その仲間その仲間C、D、E。C、D、E。)

 シチュエーション(被害者中2男子A。加害者クラスメートBとその仲間C、D、E。Aの友人F。Aが右足をびっこを引きながら、廊下を友だちのFと肩を並べて歩いている。Aの右足は両の太腿の下辺りからくるぶしにまで達する金属製の幅の狭い2本の支柱が挟みつけていて、太腿、膝、ふくらはぎ、足首それぞれを幅の異なる革製のベルトで固定している形の装具を着けている。5メートル程背後をBたち5人が歩いている。BがCの背中を押し、Aの方に顎をしゃくる。CはAとFの背後にこっそりと近づき、1メートル程離れながら大袈裟にびっこの真似をしてついていく。顔だけをBたちに振り向け、笑いをこらえる様子で得意げな様子を見せる。DがCの背後に同じように近づき、縦1列に並んで同じ真似をする。BとE、ニヤニヤ笑う。Cがこらえきれずに笑い声を立てる。続いてDが笑い出す。AとFが振り返る。B、ニヤニヤ笑いながら「おい、おい、からかうもんじゃないよ。困っている人には手助けしてやらなくっちゃあ」、C「なんじゃい、この歩き方」と言って、その場で笑いながら体を左右に揺するようにして大袈裟にびっこの真似をする。Dが急いで同じ真似をする。)

 被害者中3A「もうびっこを笑ってからかうのはやめて欲しい。病院の先生はあと1年程したら完治するって言ってた。普通に歩けるし、走ることもできるって」

 加害者グループリーダー中3B「おかしいんだから仕方がないだろ。治たって、びっこ引いていたときのことを思い出して、笑っちゃうかもしれない」
  Eと顔を合わせて、「なあ」と言いながら笑い出す。「とにかくおかしな歩き方をしてくれるぜ」

 被害者中3A「君たちは病気で、こういう歩き方なんだと同情する気持ちはないのか」

 加害者グループリーダー中3B「何言ってやがる。同情が欲しいのか。哀れなこと言うなよ」

 被害者Aの友人中3F「Aはここまでずうっとこのような歩き方をしてきた。Aの個性となっている」

 加害者グループリーダー中3B「笑っちゃう個性だってあるはずだ。顔を見せただけで、笑ってしまうお笑い芸人がいる」

 被害者Aの友人中3F「お笑い芸人の場合は笑わせてくれるのを期待して何も言わないうちから笑ってしまうことがあるけど、Aに対してはバカにして笑っている」

 加害者グループリーダー中3B「バカにされてしまう個性だからだろう」

 被害者Aの友人中3F「バカにしてもいい個性だと思っているようだけど、Aの歩き方である個性が恥ずかしさに耐える我慢強さやびっこを引いて長い距離を黙々と歩く我慢強さを生み出して、その我慢強さが難しい問題に諦めずに立ち向かおうとする挑戦する気持ちなどの別の個性を生み出している。だから、成績がいいんだ。君たちはびっこを引く歩き方だけがAの個性だと思っているようだが、個性がたくさんあるうちの一つに過ぎない。笑っちゃう個性を一つぐらい持ったとしても、人に笑わせない個性がどのくらいあるかだと思う」(自己省察と他者省察の促し。価値観の比較化)

 加害者グループリーダー中3B「いい子ぶるな。覚えていろ」(終了)

 指導主任講評「Aの歩き方も一つの個性だが、加害者グループがAの歩行困難をからかい、笑うのも彼らの個性の一つだということを認識しておいて欲しい。被害者Aの友人FがA自身の個性と加害者グループリーダーのB自身の個性に対して忠告を通して自己省察と他者省察の機会を暗に与えているが、Bは応じなかった。しかもFが注意したことを『いい子ぶるな。覚えていろ』と反発しているから、面白くない感情、不快な感情で受け止めたことになる。こういった感情にさせられた場面は記憶に残ることになるから、何度でも思い出すことになる。思い出すたびに面白くない感情、不快な感情に改めて襲われるか、ふとした弾みでFの忠告に反発したことは間違っていなかっただろうかとちょっとでも反省したとしたら、ほんの僅かだが、自己省察と他者省察のメカニズムに歩を進めることになり、どちらが正しくて、どちらが間違っているのかの価値観の比較化にまで進むことが期待できる。そうしたことができるようになれば、負の感情のコントロールも可能となり、成長を果たすことになる。こういった方向に進まなければ、Bとその仲間は成長しないままに今の状態にとどまることになるだろう」

 裸の写真を撮られ、lineグループに流される
 
 登場人物(被害者中1女子ソフトボール部員A、加害者中2女子リーダーBとその仲間C、D)

 被害者中1A「裸の写真、撮るの、もう辞めにしてください」

 加害者リーダー中2B「ソフトボール部やめたら、許してやる」

 被害者中1A「だめです。私、ソフトボールしかないから」

 加害者リーダー中2B「だったら、裸の写真、撮らせて貰う」

 被害者中1A「裸の写真、撮らせるのも、ソフトボール部、やめるのも断ります」

 加害者中2C「強情だよ、あんた」

 加害者中2D「やめるまで、脱がせて、写真、撮る」

 加害者リーダー中2B「今度もlineグループに流す」

 被害者中1A「私にはソフトボールしかないから」

 加害者リーダー中2B「あんた、監督からソフトボール選手としての可能性があるって言われたんだって?」

 被害者中1A「ええ、まあ・・・」

 加害者リーダー中2B「その気になってんじゃねえよ。あんたがキャッチャーのレギュラーになったから、3年生が抜けてもEは補欠のまんまじゃないか」

 加害者中2D「順番ってもんがあるんだよ」

 被害者中1A「順番は監督が決めることですから」

 加害者リーダー中2B「E先輩の方がキャッチャーとしての可能性は私よりも上ですって譲ることだってできるはずよ」

 被害者中1A「今度監督にそう言ってみます」

 加害者リーダー中2B「言うだけじゃ、誰だってできる。何か理由を作って、あんたの方から部をやめたら、あんたの裸の写真を撮る必要もなくなる」

 被害者中1A「ソフトの可能性を大事にしたいんです。ほかに勉強はできないし、得意にできるものもないし。ソフトバカなんです」

 加害者リーダー中2B「じゃあ、裸の写真撮らせて貰う。今度はlineグループつながりで別のグループにも流すから、どこまで拡散するか知らないからね」

 被害者中1A「もう写真は撮らせません。lineの写真も削除して貰います。これは犯罪だって教えられました。削除しなければ、警察に訴えます」

 加害者リーダー中2B「私たちを威す気?」

 被害者中1A「最初に威したのはB先輩の方です。後輩を威して裸の写真を撮って、lineに流すしか自分たちの可能性はないんですか」

 加害者リーダー中2B、C、D「ふざけたこと言うな」(終了)
 
 指導主任講評「被害者Aはソフト部の監督からソフトボール選手としての可能性があると言われていた。本人も『ソフトの可能性を大事にしたい』と言っていて、1年先輩である加害者のBたちを『後輩を威して裸の写真を撮って、lineに流すしか可能性はないんですか』と批判している。この『可能性』という言葉について改めて説明すると、野球やサッカーや音楽などでそれぞれの能力や才能に見込みがあると見られたときに使われるように児童・生徒それぞれが持つ能力や才能でそれ相応に活躍する見込みや成功する見込みがあることを言う。ソフトボール選手としての可能性があるということはソフトボールの部活動では選手として活躍する見込みがある、あるいは成功する見込みがあるということになる。 

 断っておくが、あくまでも見込みであって、実現の保証ではない。それ相応に努力しなければ、見込みが実現そのものに向かうことはないだろし、将来的な可能性として活躍する見込みや成功する見込みまで保証しているわけではないことは理解できると思う。

 加害者BたちがAから『後輩を威して裸の写真を撮って、lineに流すしか可能性はないんですか』とそれぞれの可能性を比較されたとき、ここでBたちが自分たちの可能性を省みる自己省察ができ、対してAの可能性を省みる他者省察を試みて、両者間の可能性を比較、どちらの可能性に価値があると言えるか、価値感の比較化ができて、改めるべきは改めることができたなら、成長を見せていることになって、その成長が負の感情のコントロールをしやすくする場所に導いてくれることになるが、『ふざけたこと言うな』とあくまでも反発している。反発することだけしかできなくて、面白くないからと何か仕返しを企むようだったら、成長しない状態を続けることになる。こういったことから、イジメっ子は『成長していない子』と定義づけることができる。イジメっ子でいる間は人間として成長していない状態にあることを示すことになる。

 加害者BたちがここではAが後輩として先輩を立てる身の程を弁えていない、生意気だ、懲らしめてやろうと裸の写真を撮って自分たちのLINEに流した。成長するためにはこういった懲らしめてやろうと思ってしたイジメだけではなく、面白がってやっていた、あるいはからかっていただけだと思ってしていたことが実際にはイジメになっていることもあるのだから、自分たちが考えたり思ったりしてしていることと相手が考えたり思ったりしていることの違いを自己省察と他者省察を通して価値観の比較化にまで持っていき、答を出そうとする姿勢が必要になってくる。もし相手が嫌がっていることを歓迎されていることだと答を出し、その間違いに気づかないとしたら、自己省察も他者省察も不足していて、価値観の比較化を行うについての材料不足を来しているからだろう。結果、何も成長できないままでいることになる。

 こいつ、気に食わないから、懲らしめてやれ、あるいはあいつをからかっていると面白いからなどと相手が嫌がるイジメを働いたはいいけど、イジメられっ子から逆に『成長していない子』と言われないように気をつけなければならない」

 貧乏を笑い、イジメの対象とする

 登場人物(被害者中2A、加害者中2B、C、D、E、仲裁人中3F)

 仲裁人中3F(中2B、C、D、Eに)「ちょっとこい」

 加害者中2B、C、D、E「な、何だよ」
  (被害者中2Aのところに連れて行かれる)

 仲裁人中3F「Aがお前たちに言いたいことがあるそうだ」

 加害者B「言われることなんか何もない」

 仲裁人中3F「黙って聞け」

 被害者中2A「全校集会で体育館に座っているとき、4人で後ろから小さな声で『ナマポ、ナマポ、ナマポ』って囃すように言うのはもうやめて欲しい。廊下などですれ違うとき、『くっせえ』って言うのもやめて欲しい」

 仲裁人中3F「どうなんだ、やめるのか?」

 加害者B「Aのかあさん、生活保護受けている」

 仲裁人中3F「生活保護受けているのはAんち家庭の事情で、Aには関係のないことだろう。俺んちも母子家庭で、生活保護受けている。俺が悪いわけではないし、Aが悪いわけではない。Aの母さんも、俺んち母さんも生まれつき体が弱くて、みんなみたいに働けないんだから、母さんたちが悪いわけでもない。それぞれ事情があるんだ」

 加害者B「そんなこと、知らなかった」

 仲裁人中3F「知ったんだから、もうやめるな?」

 加害者B「仕方がない」

 仲裁人中3F「仕方がないとはどういうことなんだ。理解が悪いな」

 加害者B「・・・・」

 仲裁人中3F「Aも生活保護を受けているのは親の事情なんだから、恥ずかしがって、自分を小さくすることはないんだ。BたちもAをバカにしたり、蔑んだりして、Aが自分を小さくするのを手伝っていることになる。大体が他人をバカにしたり蔑んだりするのは人間が小さくできているからだ。小さくできている上にほかの人間まで巻き込んで小さくさせている。少しは考えろ」

 加害者B(不承不承)「ああ・・・」

 仲裁人中3F「ここでは仕方なく言うことを聞いて、陰に回って嫌がらせをするようなことはするなよ」

 加害者B「しない」

 仲裁人中3F「約束だからな。もう行っていい」(終了)

 指導主任講評「からかい言葉の『ナマポ』は知っている児童・生徒はいると思うが、知らない児童・生徒のために説明すると、『生活保護』の『生(せい)』を『ナマ』と読ませ、『保護』の『ほ』を『ポ』と読ませて、『ナマポ』と呼び習わし、生活保護受給者やその子どもをバカにするときの言葉として使われている。誰かがSNSで言い出し、たちまち拡散したのだと思われる。体が弱いから働けないからといって生活保護を受けて、パチンコばかりしている受給者を実際に知っていて、税金泥棒と腹の中で思ったとしても、そのような受給者はごく少数で、実際には殆どの受給者が働いて稼ぐことができなくて止むを得ず受給することになっている。生活保護という国の制度がある以上、受給者を一緒くたにして税金泥棒とか、怠け者とか決めつけることは間違っていることになる。

 中2のB、C、D、Eが同級生のAに対して『ナマポ』と蔑んだり、多分、貧乏だから、洗濯もせずに同じものを長い間着ているからだろうと名推理して『くっせえ』と厭味を投げつけた。B、C、D、Eは3年生のFにAのところに連れていかれ、そこでAに『ナマポ』と言うのも、『くっせえ』と言うのもやめて欲しいと言われると、加害者Bは『Aのかあさん、生活保護受けている』という事実を挙げて、自分たちのからかいや蔑みを暗に正当化している。対して上級生Fは『生活保護受けているのはAんち家庭の事情で、Aには関係のないことだろう』と言って、Aの母親が生活保護を受けていることに対してAをからかったり、蔑んだりしていい理由とはならないことを伝えている。

 さらに上級生Fは他人をバカにしたり蔑んだりするのは人間が小さくできているからで、自分という人間が小さいだけではなく、他人をバカにしたり蔑んだりすることでほかの人間まで小さくしていると言い、Aに対してもイジメられて悩むのは自分で自分という人間を小さくすることだと注意している。

 上級生Fはこのような言葉で加害者B、C、D、Eに対しても被害者Aに対しても自分やほかの人間が言っていることや行っていることを省みて、その良し悪しを考える自己省察と他者省察を促している。この促しが意識下に残って、自他の省察を試みるようになって、正しいことをしていたのか、間違っていたことをしていたのか、あるいは生活保護をからかったり、蔑んだりしてもいいことだったのかどうかを考える価値観の比較化へといい方向に向かえば、負の感情のコントロールを学ぶキッカケとなり、学んだなりの成長を見せることができて、イジメっ子は『成長していない子』というレッテルを剥がすことができるようになるだろう。レッテルを剥がすことができるかできないかは自己省察や他者省察のチャンスを見逃すか見逃さないかにかかっていることになる」

 アドリブ・ロールプレイで上級生Fのような役割を作り出したり、Fが口にするセリフは簡単には出てこないだろうが、この参考例をベースにしたアドリブ・ロールプレイを通して会話思考能力や会話伝達能力を少しずつ獲得していくようにすれば、イジメ未然防止の一つの方法としてだけではなく、言葉を用いた秩序だったコミュニケーションを生み出すことのできる訓練としても役立つことになると思われる。

 集団暴力によるイジメ

 登場人物(被害者中2A、加害者グループリーダー中2B、加害者グループ中2C)

 被害者中2A「一発芸を無理やり要求するのはもうやめて欲しい」

 加害者グループリーダー中2B「何だと?」

 被害者中2A「断ると殴る。面白くないと言って殴る。それもやめて欲しい」

 加害者グループリーダー中2 B「ふざけんな」 

 加害者グループ中2C「ふざけたことを言っている」

 加害者グループリーダー中2B「お前は一発芸してなんぼじゃないか」

 被害者中2A「僕は勉強はできない。スポーツも何もできない。だけど、家に帰ると、昆虫採集している。いつか世界中を飛び回って、新種の蝶を見つけるのが夢なんだ」

 加害者グループリーダー中2 B「だから、何だって言うんだ。学校ではタダの陰キャ(陰気なキャラクター)に過ぎないじゃないか。一発芸取ったら、何もない」

 被害者中2A「学校では何もなくてもいい。放課後や休みの日に昆虫採集することが僕の中では凄い活躍になっている。BもCも放課後や日曜日の活躍はゲームセンターに行ってゲームすることで、みんなの活躍になっているけど、学校では僕に無理やり一発芸させたり、僕を殴ったりすることを自分たちの活躍にしている。僕は学校では活躍できるものは何もないけど、誰かを困らせたり、誰かが嫌がるようなことをさせる活躍はしていない」

 加害者グループリーダー中2 B「ふざけたことを言いやがる。ぶん殴っちまえ」

 被害者中2A「殴りたければ、殴ればいい。自分たちがしている活躍がどんな活躍なのか、しっかりと見ながら殴って欲しい」(終了)

 指導主任講評「被害者中2のAは勉強はできない、スポーツもできない陰キャで、学校では活躍できるものは何もないけども、放課後や休みの日に昆虫採集することが僕の中では凄い活躍になっていると、『活躍』という言葉を使って、自分はこのように存在していると自分や他人に証明する自己存在証明を行っている。対してBとCの活躍は学校ではAに一発芸をやらせたり、殴ったりすること、休日や放課後ではゲームセンターでゲームすること。それらの活躍を自己存在証明としていると両者の活躍に基づいたそれぞれの自己存在証明を比較している。

 この比較に応じてBとCが自分たちを省みる自己省察とAを省みる他者省察を行い、それぞれがしていることの価値の良し悪しを考える価値観の比較化にまで進んで、適切な答えを導き出すことができて、改めるべきは改めることができれば、負の感情をコントロールできるようになって、人間として自ずと成長を果たすことができるようになる。BとCはAからそうする機会を与えられたが、機会を機会として捉えることができるかどうかはBとC自身の考えにかかることになる。

 活躍ということと自己存在証明ということをもう少し説明すると、野球部員やサッカー部員、その他の運動部活部員は野球やサッカー、その他のスポーツの活躍で、自分はこのように存在していると自分や他人に証明する自己存在証明を日頃から行い、文化系部活での美術クラブ員や音楽クラブ員、その他のクラブ員は美術や音楽やその他の部活の活躍で、自分はこのように存在していると自分や他人に証明する自己存在証明を日頃から行っている。勿論、テストの成績でいい点を取る活躍を通して自己存在証明としている児童・生徒もいる。

 そしてその活躍はAの昆虫採集のように趣味を通して発揮してもいいわけで、趣味が高じて専門職になる例は世の中にいくらでも転がっている。つまり誰もが何かしらの活躍で自分はこのように存在していると自己存在証明していることになるし、他人が嫌がることや迷惑をかけることではない活躍で、それが例えささやかな活躍でもいいから、自分はこのように存在していると自己存在証明しなければならないことになる。

 となると、校内大会とか対外試合といった学校行事での活躍はそのまま自己存在証明としての評価を受けることができるが、一般的な学校社会での自分の中での活躍が自分の自己存在証明として評価される種類のもなのかどうか、自己省察と他者省察の篩に掛けて、確かめておかなければならないことになる。確かめずにいて、人に迷惑をかけているのを知らずにいたら、まさしく成長していない子になってしまう」

 集団暴力と金銭恐喝のイジメ

 登場人物(被害者中3A、加害者リーダー中3B、加害者中3C、加害者中3D)

 被害者中3A「もう集団で殴ることも、カネを持ってこさせることもやめて欲しい」

 加害者リーダー中3B「カネのこと、オヤジにバレたのか」

 被害者中3A「まだバレていない」

 加害者リーダー中3B「じゃあ、何でだ?」

 被害者中3A「僕は勉強した。一切断ることにしたんだ」

 加害者リーダー中3B「ふざけたこと言うな。持ってくるまで痛い目にあうことになるだけじゃないか」

 加害者中3C「お前んちオヤジ、金持ちだから、少しぐらいなくなったって、分かりゃしない。痛い目にあうよりましだろ?」

 被害者中3A「大勢で一人を殴りつけると、一人の方が弱い子ならなおさら思いのままに殴りつけることができるから、万能感に取り憑かれて、物凄く力を持った強い人間になったような錯覚に陥って、ブレーキが効かなくなり、相手を殺してしまうところまでいってしまうこともあるんだって。気をつけた方がいい」

 加害者リーダー中3B「俺たちを威す気か?何だ、その万能感って何だ」

 被害者中3A「大きな力で凄いことをしているような感覚になることだって書いてあった。でも、大勢で一人を殴りつけるときに手に入れる感覚だから、その感覚を手に入れるためには同じことをしなければならなくなって、最後には一人を大勢で殴りつけることがやめられなくなってしまうって書いてあった。病みつきになるんだって。だから、一歩間違うと、相手を殺してしまうところにまでいくって」

 加害者リーダー中3B「ふざけたこと言うな。言いつけどおりにカネを持ってこなかったり、持ってきたカネが少なかったりするから、ぶん殴るだけのことで、万能感とか何とか、関係ねえ」

 被害者中3A「持ってこさせたおカネを使うときも、自分のおカネではないから、自由に惜しげもなくパッパと使うことができて、何か物凄いカネ持ちになったような万能感に取り憑かれることになるんだって。勿論、その万能感も、病みつきになると、おカネを強請り続けなければ発揮できないし、万能感を十分に味わうために強請る金額も大きくなっていくんだって」

 加害者リーダー中3B「ふざけたこと言いやがって。いいからカネを持って来い。持ってこなければ痛い目に遭うのは分かっているだろ?家までついていく。ゲーセンへ行って、一緒に遊ぼうぜ」

 被害者中3A「ゲーセンでは僕から取り上げたおカネを自分のおカネのようにしてみんなのプレイ料金を払っているけど、気前のよい気分になって、おカネ持ちになったような万能感を味わっているんだ。自分のおカネでもないのに」

 加害者リーダー中3B「この野郎」(襟首を掴む)

 加害者中3C、D「ふざけやがって。痛めつけ足りないんだ」

 被害者中3A「いつかは僕を殺してしまうところまでいく」

 加害者リーダー中3B(ハッとなって手を離す)(終了)

 指導主任講評「被害者中3Aは集団暴力のイジメがときとして被害者に対する殺人にまで至ってしまう原理と金銭恐喝がときとして際限もなく金額を増やしていく原理を述べた。大勢の人間で一人を自由自在に殴りつけることができるのだから、物凄い力を手に入れたと勘違いして、万能感に取り憑かれるのも無理はないし、強請ったおカネを自分のカネにして使うのだから、ついつい気前良くなって、金銭に対する万能感もハンパではなくなり、その万能感をより大きくしたくなって、強請る金額も増やさなければならなくなる。1万円を気前良く使うのと10万円を気前良く使うのとでは万能感は桁違いとなるはずだ。しかも他人のカネだから、あとのことは何も心配せずに思い切り使うことができる。

 覚醒剤常習者が常習を続けて覚醒剤が体に蓄積されるようになると、始めた頃のときのような効き目を失って気持ちよくならないから、1回の使用量を増やしていくことになり、増やしていって、体が受けつける許容量を超えると、急性中毒を起こして、ときにはショック死を招くのと似ている。

 Aは弱い1人の人間を大勢で殴って腕力で万能感を手に入れる、あるいは他人から強請ったカネを使って金遣いで万能感を手に入れる、その考え違いと万能感が際限のないものとなっていくことの危険性を加害者グループのBたちに伝えるが、このことは言葉で直接言っている訳ではないが、自己省察や他者省察を促していることになる。その促しに応じて自分たちがしていることの意味とその良し悪しを他者との比較で答を出そうとする価値観の比較化にまで進まないと、負の感情をコントロールする機会にも恵まれないとになって、Aが言ってたように一歩間違うと、相手を殺してしまうところにまでいってしまうかもしれないし、恐喝する金額も桁違いとなっていくこともあるかもしれない。

 実際にも集団で1人を殴り続けて死に至らしめてしまったイジメも存在するし、強請ったカネで気前よく使う万能感に麻痺してしまったのだろう、1人の中学生から5000万円ものおカネを強請ったイジメ事件も起きている。こういったイジメの形もあるということを頭に入れておかなければならないし、同じようなイジメに遭ったなら、早い段階で断る勇気を持ち、相手が応じなければ、担任等に相談して、自分のことだけではなく、学校全体の問題としてイジメそのものの芽を摘むようにしなければならない」

 カネ持ちの家の子に遊興費を支払わせるイジメ

 登場人物(被害者中2女子A、担任女性教師B、加害者中2女子C)

 担任女性教師B「Aが用事があると言うから、Aのところに一緒に行きましょう」

 加害者中2女子C「何で先生が一緒なんよ?」

 担任B「付き添い役を頼まれた」

 加害者中2女子C「逮捕じゃなくて、任意でしょ?断る」

 担任B「怖気づいた?」

 加害者中2女子C「怖気づきゃあしない。行ってやる」
  (被害者中2女子Aのところに行く)

 被害者中2女子A「これからみんなの遊興費を払うことはやめるから。一緒に遊びに行くのもやめる」

 加害者中2女子C「好きにすればいい。あんたが払ってやるって言うから、払って貰っただけなんだから」

 担任B「そお?Cの言う通り?」

 被害者中2女子A「4月に転校してきて少し経ってから言葉のイジメを受けていた」

 加害者中2女子C「お前、変なこと喋んじゃねえよ」

 担任B「Cの今の言葉遣いでCとAの力関係がどちらが上か分かった。どんな言葉でイジメられたの?」

 被害者中2女子A「『いい家の子なんだってね。だからツンツンしてるんだ』とか、『テストの成績がよかったんだってね、だから何様顔してんだ』とか、すれ違いざまとか、すぐ後ろから厭味を言われるようになり、殆どの生徒から無視されるようになった」

 担任B「任意の取り調べだけど、認める?認めない?」

 加害者中2女子C「いい家の子だってことにも、成績がいいってことにも少しムカついていたから、からかっただけ。だけど、みんながシカトするようになったのは私には関係ない。みんなの勝手だから」

 担任B「どうかしら?(Aに)それで?」

 被害者中2女子A「夏頃にコンビニで会ったら、『これ飲みたいんだけど、小遣い足りないの。払ってくれる?』って言われた。厭味を言われたり、無視されるのが少しは収まるかなと思って、払ってしまった」

 担任B「ご機嫌取りに出たのね?でも、一度のご機嫌取りでは終わらなかった」

 被害者中2女子A「ええ。『買いたい物があるから、今からコンビニに行くけど、お小遣い底をついっちゃった。一緒に行っておカネ、払ってくれない』とか、『ゲーセンに行くけど、小遣いが足りないから、メダル代、払ってくれない』ってスマホを掛けてきて、断ったら、また言葉のイジメを受けたり無視されたりするかもしれないと思って、嫌だったけど、一緒に行って、おカネを払うようになった」

 加害者中2女子C「頼んでそうして貰っただけで、脅したりしていない。イジメなんかじゃない」

 担任B「言葉のイジメや無視するイジメの続きでやったことでしょ?それができたのはさっき言ったようにCの方の力関係がAよりも上に置くことができていたからで、その力関係を利用しておカネを払わせていたのだから、立派なイジメね。もしイジメでないと言うなら、おカネを払ったり、払われたり、双方向の対等な関係でなければならない。Cは一度でも払ったことがあるの?」

 加害者中2女子C「Aが勝手に払っていたんだ」

 担任B「一度ぐらい私が払うって言ったことあるの?」

 加害者中2女子C「何で私が言わなきゃならないのよ」

 担任B「イジメではない、対等な関係なら、何度かは払っていたでしょうね。もしAが自分の意思で払っていて、Cが払うと言っても払わせず、そういう関係を当たり前にしていたなら、Cはお金を払って貰う済まなさの埋め合わせに大抵のことはAの言うことを聞こうとして、今とは逆にAを上に置いてC自身を下に置く上下関係ができていたでしょうね」

 加害者中2女子C「何で私がAの下にならなきゃなんないのよ」

 担任B「そら、ご覧なさい。CはAの上に立っていた。その関係でおカネを払って貰っていたから、言葉はお願いのように見えても、一種の強制行為でイジメだった」

 被害者中2女子A「例え無視されたり、厭味を言われたりしても、私はもう、1円も払わない」

 加害者中2女子C「勝手にすればいい。お前になんか、払って貰わなくたっていい」

 担任B「返金を求める裁判を起こせば、勝てる。おカネが戻ってくる」

 被害者中2女子A「裁判に勝っても、嬉しくないでしょうから。人生の勉強をさせて貰ったと思って、苦い経験のまま残しておきます」

 担任B「C、Aの自分にはない勉強の優秀な成績も、家におカネがあることも、どれも様々な可能性を生み出す土台となるから、羨ましくなったり、妬ましくなったり、ムカつく気持は理解できるけど、他人の可能性は自分の力とはならない。力となるのは自分自身の可能性だから、これと決めた可能性に賭けてみるべきでしょうね」

 加害者中2女子C「ハッキリ言ってくれたね。可能性を生み出す土台なんて何もない。土台がなければ、何も生まれない」

 担任B「高校まで行くにしても、大学まで行くにしても、あるいは専門学校に行くにしても、先ず大人になったらしてみたい仕事は何か、探すことから始めたら?職業ガイドブック関係の本なら図書館にもあるし、気に入りそうな仕事を探してみる。探すことができたなら、本に書いてあることだけではない色々なことを知りたければ、ネットでさらに詳しく調べてみる。気に入りそうだと思ったことや、やってみたら面白そうだと思ったことが土台となって、自分なりの可能性に導いてくれる」

 加害者中2女子C「保証してくれるの?」

 担任B「保証はできない」

 加害者中2女子C「えっ、なぜ?おかしいじゃないか」

 担任B「どれくらい真剣に取り組むか分からないから保証できない。真剣に取り組めば、その姿勢自体が可能性を生み出す土台となる」

 加害者中2女子C「ああー、そうか。途中で飽きちゃうかもしれないけど、やってみるか?」

 担任B「是非試してみるべきね」(終了)

 指導主任講評「担任Bの会話の中に自己省察、他者省察、価値観の比較化を促す言葉が多く含まれている。加害者中2女子Cの最後の言葉は負の感情をコントロールできる地平に立った内容となっている。だが、あくまでもその地平の出発点に位置することができただけで、本人の成長はC自身の今後の姿勢に負うことになるだろうし、どういった姿勢を取り続けるかによって生み出す可能性にしても、その結果としての社会に出てからの本人なりの活躍も違ってくることになるということを誰もが頭に置いて置かなければならない」

 以上、アドリブ・ロールプレーの参考例をいくつか例示してみた。アドリブに拘るのはシナリオ仕立てのロールプレーだったなら、セリフをなぞる方向に注意が向けられ、言葉を作る頭に向ける注意が疎かになりがちで、暗記教育とさして変わらぬ道筋を辿ることになる危険性を抱えかねないからである。児童・生徒たち自身が担任や指導主任の助けを借りたとしても、アドリブで言葉を作る試行錯誤を繰り返しながらロールプレーを組み立てていった場合、イジメの問題に最も近くにいる児童・生徒たちの感性によって現実のイジメにより即した、嫌なことは断るところから入る展開が期待できる。と同時にその友人等を含めてイジメ被害者側が利益相反の関係にあるイジメ加害者側とその利益相反を押さえて自らの利益に適うようにアドリブでイジメを断るためのセリフを成り立たせていく試行錯誤は会話思考能力とその言葉を思い通りに相互に伝え合う会話伝達能力の訓練と、険悪な関係にあっても言葉を用いた秩序だったコミュニケーションを成り立たせる能力の訓練に役立っていくだろうし、それが全校生徒の前で行われることによってより多くの児童・生徒に訓練の影響を与えることができる。そのような状況に向に進めば、イジメの未然防止にも役に立つ方向に事態は少しずつではあっても、動いていくことと思われる。

 理想はロールプレイ中の指導主任の役割や最後の事例に於ける担任Bの役割を児童・生徒自身が被害児童・生徒やその友人等の役割として担い、指導主任や担任Bのような言葉を作り出すことができるようになることである。

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