菅義偉の「縦割りの打破」は本質的な起因に気づかなければ、安倍晋三の「縦割り打破」と同じくお題目で終わる

2020-09-28 08:26:01 | 政治
 文飾は当方。
 
 菅義偉は総裁選に立候補するに当たって、あるいは当選してからも、メイン中のメインの政策として「自助、共助、公助」を国の基本政策に掲げると同時に「縦割りの打破」を勇ましくも掲げた。ご立派。

 先ず2020年9月2日の「総裁選出馬会見」から「縦割りの打破」についての発言を見てみる。

 冒頭発言。

 菅義偉「世の中には、数多くの当たり前でないことが残っております。それを見逃さず、国民生活を豊かにし、この国がさらに力強く成長するために、いかなる改革が必要なのか求められているのか。そのことを常に考えてまいりました。

 その一つの例が、洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には、国土交通省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら、経済産業省が管理する電力ダムや農林水産省の管理する農業用のダムは、台風が来ても、事前放流ができませんでした。このような行政の縦割りの弊害をうちやぶり、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量が倍増しています。河川の氾濫防止に大きく役立つものと思います」

 質疑

 記者「菅義偉首相として目指す政治は、安倍晋三政権の政治の単なる延長なのか。違うのであれば、何がどう違うのか」

 菅義偉「今私に求められているのは、新型コロナウイルス対策を最優先でしっかりやってほしい。それが私は最優先だと思っております。それと同時に、私自身が内閣官房長官として、官房長官は、役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っていますので。そうした中で私が取り組んできた、そうした縦割りの弊害、そうしたことをぶち破って新しいものを作っていく。そこが私自身はこれから多くの弊害があると思っていますので、やり遂げていきたい、こういうふうに思ってます」――

 「日本記者クラブ自民党総裁選立候補者討論会」(産経ニュース/ 2020年09月12日)
 
 菅義偉「最初のこの危機(コロナ禍)を乗り越えて、デジタル化やあるいは少子高齢化対策、こうした直面する課題の解決に取り組んでいきたい。このように思ってます。私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助、そして絆』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします。さらに縦割り行政、そして前例主義、さらには既得権益、こうしたものを打破して規制改革を進め、国民の皆さんの信頼される社会を作っていきます」

 「本日、自由民主党総裁に就任いたしました」で始まっている、菅義偉オフィシャルサイト(意志あれば、道あり/2020-09-14)
  
 菅義偉「私自身横浜の市会議員を2期8年経験しています。常に現場に耳を傾けながら、国民にとっての当たり前とは何か、ひとつひとつ見極めて仕事を積み重ねてきました。自由民主党総裁に就任した今、そうした当たり前でない部分があれば徹底的に見直し、この日本の国を前に進めていきます。

 特に、役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破し、規制改革をしっかり進めていきます。

 そして国民のために働く内閣というものをつくっていきたい、その思いで自由民主党総裁として取り組んでまいります」

 「首相就任記者会見」(首相官邸/2020年9月16日)でも、同じことを言っている。

 菅義偉「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います」

 要するに「役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破」することが「国民のために働く内閣」に繋がっていくと請け合っている。
 
 結構毛だらけ猫灰だらけである。菅義偉は機会あるごとに「縦割りの打破」を叫んでいるが、安倍晋三も「縦割りの打破」を言ってきた。数々言っているけれども、お題目で終わっている事例としていくつかを拾い上げてみる。

 2013年1月4日「安倍晋三年頭記者会見」(首相官邸)
 
 安倍晋三「昨年、就任最初の訪問地として迷わずに福島県を選びました。先般の視察では、事故原発の現状といまだに不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の皆様の声に触れました。復興を加速しなければならないとの思いを強くいたしました。これまで縦割り行政の弊害があり、現場感覚が不足をしていました。根本大臣の下で除染や生活再建などの課題に一連的に対応し、スピーディに決定、実行できる体制を整えました。経済対策においても、復旧・復興に思い切って予算を投じ、福島再生、被災地の復興を加速させていきます」

 「縦割り行政の弊害」が被災地復興のスピードアップの阻害要因として横たわっていることを認識している。当然、あらゆる知恵を動員して、行政組織に向けたその打破に心砕き、実効ある措置を講じる姿勢を見せたことを意味する。

 当然、その成果如何は何らかの形を取らなければならない。 

 「安倍晋三東日本大震災二周年記者会見」(首相官邸/2013年3月11日)
  
 安倍晋三「現場では、手続が障害となっています。農地の買取りなど、手続の一つ一つが高台移転の遅れにつながっています。復興は時間勝負です。平時では当然の手続であっても、現場の状況に即して復興第一で見直しを行います。既に農地の買取りについては簡素化を実現しました。今後、高台移転を加速できるよう、手続を大胆に簡素化していきます。これからも課題が明らかになるたびに、行政の縦割りを排して一つ一つきめ細かく手続の見直しを進めてまいります」

 改めての「縦割りの打破」の宣言ということになる。「縦割り」が如何に根深く巣食っているか証明するものの、その根深さに対抗する意志を同時に露わにしているのだから、それなりの「縦割りの打破」の成果を上げなければならない。

 「第3次安倍改造内閣発足記者会見」(首相官邸/(2015年10月7日) 

 第2次安倍内閣発足から3年近く経過している。 
 
 安倍晋三「本日、内閣を改造いたしました。この内閣は、『未来へ挑戦する内閣』であります。

    ・・・・・・・・・・

 誰もが結婚や出産の希望がかなえられる社会をつくり、現在1.4程度に低迷している出生率を1.8にまで引き上げる。さらには、超高齢化が進む中で、団塊ジュニアを始め、働き盛りの世代が一人も介護を理由に仕事を辞めることのない社会をつくる。

 この大きな課題にチャレンジする。そのためには霞が関の縦割りを廃し
、内閣一丸となった取組が不可欠です。大胆な政策を発想する発想力と、それらを確実に実行していく強い突破力が必要です。司令塔となる新設の一億総活躍担当大臣には、これまで官房副長官として官邸主導の政権運営を支えてきた加藤大臣にお願いいたしました。女性活躍や社会保障改革において、霞が関の関係省庁を束ね、強いリーダーシップを発揮してきた方であります」

 「縦割りの弊害」が生じているのは被災地と連絡を持つ行政だけではなく 
全ての官公庁に横たわる、つまり霞が関全体に亘る問題だと、病根の根深さを仰っている。

 当然、腰を据えて「縦割りの打破」に取り組んできたことになる。

 8日後の2015年10月15日、安倍晋三は一億総活躍推進室を発足させ、看板掛けと職員への訓示を行っている。参考までに画像を載せておく。

 安倍晋三「今日から、この『一億総活躍推進室』がスタートしたわけでございます。皆様方には、その一員としての未来を創っていくとの自覚を持って、省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって、正に未来に向けてのチームジャパンとして頑張っていただきたいと思います。

 名目GDP600兆円も、希望出生率1.8の実現も、そしてまた、介護離職ゼロも、そう簡単な目標ではありません。しかし、今目標を掲げなければならないわけでありますし、目標を掲げていくことによって、新たなアイデアも出てくるわけでありますし、新たな対策も生まれてくるわけであります。どうか皆様方には、知恵と汗を絞っていただきたいと思います」

 如何なる政策の遂行も、その実効性、その成果にしても、全ては「縦割りの打破」にかかっていることを示唆している。

 第2次安倍政権の7年8ヶ月の間、安倍晋三はかくまでも「行政の縦割りの打破」に執心し、安倍内閣の全面継承を掲げた菅義偉は痩せ馬の先っ走りよろしく、首相就任前から早々に「行政の縦割りの打破」を言い立てた。

 では安倍晋三は任期7年8ヶ月の間にどれ程の成果を「縦割りの打破」に関して収めたのだろうか。

 先ず既に触れているように菅義偉は「総裁選出馬会見」質疑の対記者答弁で、「官房長官は、役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っています」と大胸を張っている。あるいは鼻を高くしている。

 菅義偉は第2次安倍内閣2012年12月26日発足と同時に内閣官房長官に就任、菅内閣2020年9月16日発足前に官房長官を辞任、安倍晋三の首相就任期間と同じく7年8ヶ月を官房長官として務め上げた。7年8ヶ月もの間、「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として務めてきた上に自民党総裁選立候補の段階から、「縦割りの打破」を言い立ててきた。

 この言い立てが何を証明しているかと言うと、安倍晋三が第2次安倍政権の7年8ヶ月の間に掲げてきた「縦割りの打破」が「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として課せられていた菅義偉の力量及ばず、お題目で終わってしまったということであろう。

 安倍晋三にしても、「縦割りの打破」に役立てる程には菅義偉を使いこなす力量がなかったことになる。

 お題目で終わっていたから、菅義偉は再度、「縦割りの打破」を掲げなければならなかった。だとしても、7年8ヶ月もの間役立たなかった力量が新規蒔き直しで役立つ保証をどこに求めることができるのだろうか。

 菅義偉は2020年9月25日に首相官邸で「復興推進会議」を開催している。(首相官邸/)
  
 菅義偉「来年3月で、東日本大震災の発災から10年の節目を迎えます。これまでの取組により、復興は着実に進展している、その一方で、被災者の心のケアなどの問題も残されております。そして福島は、本格的な復興・再生が始まったところであります」

 安倍晋三も東日本大震災の被災に触れる際には2015年3月頃から、「健康・生活支援、心のケアも含め、被災された方々に寄り添いながら、さらに復興を加速してまいります」などと、「心のケア」について何度も言及してきている。だが、2020年9月25日の時点で2011年3月11日の発災から9年半も経過していながら、まだ、「被災者の心のケアなどの問題」が残されている。それがどのような心のケアに関わる問題点として横たわっているのか、復興政策そのものに問題があるのか、国と自治体、あるいは国と被災者の間に存在する何らかの利害が心のケア解消の阻害要因となっているのか、国民の前に明らかにすべきだろう。明らかにせず、安倍政権が「心のケアの解消」を言い、安倍政権継承の菅内閣が「心のケアの解消」までをも継承したかのように同じことを言う。どこかがおかしい。

 「心のケアの解消」の明確な進展が見えないばかりか、堂々巡りの感さえする。

 上記2020年9月25日の復興推進会議を受けて、新しく官房長官に就任した詭弁家加藤勝信が同じ9月25日に「記者会見」を開き、復興推進会議、その他について説明している。ここでは復興推進会議についてのみを取り上げる。

 加藤勝信「本日閣議後、組閣後初となる復興推進会議を開催いたしました。会議では、平沢復興大臣から復興の状況についての説明があり、総理から、『東北の復興なくして、日本の再生なし』との方針を継承し、引き続き『現場主義』に徹して、復興を更に前に進める。『閣僚全員が復興大臣である』との認識の下、行政の縦割りを排し、前例にとらわれず、被災地再生に全力を尽くすとの指示がありました」

 加藤勝信は菅義偉の「指示」として「行政の縦割り排除」に言及した。これも結構毛だらけ、猫灰だらけだが、加藤勝信は2015年10月15日の一億総活躍推進室発足に合わせた安倍晋三の職員への訓示の際、「省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって」云々を直接耳にしていたばかりか、第1回一億総活躍国民会議の際、議長安倍晋三のもと一億総活躍担当大臣として議長代理を務めていて、次のような遣り取りをしているのである。

 高橋進日本総合研究所理事長「お役所から出てくる施策はどうしても縦割りになりがちです。また、せっかく政策を打ち出しても、他の施策や制度がネックになって効果が上がらないといったことがしばしばあります。これを防ぐためには政策体系全体を俯瞰しながら、政策をパッケージ化していく必要があると思います。次回以降、必要に応じてテーマごとに民間委員から連名で提案をさせていただくというようなことをさせていただければと思います。以上でございます」

 加藤勝信「ありがとうございます」(議事要旨)(首相官邸・2015年10月29日)
 
 要するに加藤勝信は一億総活躍担当大臣として務めた2017年8月3日 から2018年10月2日の1年2ヶ月間、安倍晋三の指示のもと、「縦割りの打破」に関わっていたはずであるし、厚労相だった2019年9月11日から 2020年9月16日の約1年間、「縦割りの弊害」
霞が関全体に亘る問題だとしている以上、同じく厚労省内の「縦割りの打破」に関わっていたはずである。

 だが、2020年9月25日の復興推進会議での菅義偉の指示である、「縦割りの打破」をそのまま右から左に流しているのは、自身が一億総活躍担当大臣としても、厚労相としても、「縦割りの打破」に何ら功を奏していなからこその惰性行為であろう。

 もし「縦割りの打破」に役立つ何らかの方策で一億総活躍に関わる内閣府内の職員をコントロールできていたなら、あるいは厚労省内をコントロールできていたなら、「私はこのような方策を「縦割りの打破」に役立てています」と菅義偉に進言しているだろうし、進言する前に役立つ方法として各省庁の「縦割りの打破」の参考に供する方策とすることができていて、菅義偉が自内閣のメイン政策として「縦割りの打破」を掲げる必要も生じないはずである。

 加藤勝信も、「縦割りの打破」を担いながら、お題目としていたということである。さすが東大の経済学部を出ている秀才だけあって、お題目としていながら、平然と「縦割りの打破」を口にすることができる。

 NHK NEWS WEB記事が伝えている加藤勝信の2020年9月20日NHK「日曜討論」の発言。

 加藤勝信「国民のために働く、仕事をする内閣を目指して、まず第一は、新型コロナウイルス感染症対策と、社会経済活動の両立を図っていく。行政サービスの受け手である国民の視点に立って改革を進め、前例の踏襲や役所の縦割りを打破して、デジタル化の推進をはじめ、一つ一つ課題に答えを出していきたい」

 自身がお題目で終わらせていることにお構いなしに重要な政策ですとばかりに真面目臭った顔で「縦割りの打破」を繰り返す。詭弁家ならではの発言であろう。
 
 菅義偉が「役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破」することが「国民のために働く内閣」に繋がっていくとの論理に立ちながら、自身が「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として7年8ヶ月もそのぶち壊しに関わってきたにも関わらず、今以ってお題目で終わらせていることからすると、「国民のために働く内閣」もお題目で終わる可能性が高い。

 「縦割り」とは、「組織に於ける意思疎通が上から下への関係で運営されていて、上下の双方向性を持たないばかりか、それゆえに他組織との間でも左右水平の双方向性の意思疎通を持たないこと」をいう。このような上から下への関係は上が自らの権威によって下を無条件に従わせ、下が上の権威に対して無条件に従う権威主義性が深く関わり、成り立っている。

 下が上の権威を恐れずに自由に意見を言い、上が下の意見に自らの権威によって抑え込まずに耳を傾けて、その有効性に応じて採用する度量を持ち合わせる、上から下への関係とは無縁の対等な意思疎通の関係にあったなら、「縦割り」は生じない。

 なぜなら、一つの組織で上下の意思疎通が力関係を問題とせずに対等に築く上下双方向性を持たせることができていたなら、他組織、他省庁との間の意思疎通にしても、双方向性を持たせることができるからである。
 
 上下・自他の双方向性の意思疎通の関係を持たないことによって、「縦割り」が生じて、それぞれの組織やメンツを守るために縄張りという形を取ることになる。結果、「縦割り」と縄張りは同義語の関係を取る。

 当然、上下の双方向性も、左右水平の双方向性も持たない権威主義性が深く関わった「縦割り」は下の上に対する批判、あるいは左右水平からの批判に対して不寛容な態度を取ることになる。それゆえの「縦割り」である。

 ときには下からの如何なる批判も受けつけない強固な権威主義性で固めた「縦割り」組織も存在する。
 
 行政組織を始め、日本の色々な組織が「縦割り」を存在様式としているのは大方の日本人が戦前の色濃さは薄めたものの、今以って権威主義性を行動様式として残しているからであろう。

 例を挙げてみる。中央省庁を上の権威として地方官庁を下の権威として扱う、現在も色濃く残っている上下の中央集権制は上下の権威関係で捉える権威主義性を骨組みとして成り立っている。当然、中央側は地方側に対して「縦割り」を以って臨みがちとなる。

 現在も残っているキャリア官僚とノンキャリア官僚の権威主義性からの上下価値関係も、「縦割り」の形成に深く関わっている。ノンキャリア官僚の意見も批判も受け付けない、殿様然と構えているキャリア官僚もいると聞く。

 東大出身者が東大卒を贔屓にして東大閥で固めるのも1つの「縦割り」である。東大卒を最大の権威として、他大卒を下の権威に置いて、上下の価値観で人物・仕事を計る。

 就職シーズンになると、男女の就活生が一斉に黒のリクルートスーツを纏うことになるのは企業を上の権威とし、就活生自身を下の権威と看做して、上の権威に無条件に従う権威主義性が醸し出すことになる風物詩であろう。

 ネットで調べた情報によりと、アメリカの就活生は一定程度の常識に従うが、その範囲内で自己を主張する服装を纏うとある。決して日本みたいに一色にはならないということである。アメリカの就活生は「自分を持っている」ことになり、世の風潮に一様に従う日本の就活生は「自分を持っていない」ことになる。

 もしそこに抵抗感すら感じずに「自分を持っていない」ことに疑問も何も持たなかったとしたら、最悪である。

 地位が上の人間も、下の人間も、地位に応じてそれぞれに自分を持っていたなら、上下の権威主義性を物ともせずに主張すべきは主張するようになり、上下・自他の垣根を超えた双方向性の意思疎通の関係を持つに至って、「縦割り」は生じない。

 だが、逆の状況にあるから、「縦割りの打破」はお題目で推移することになる。

 2009年11月30日の「ブログ」に書いたことだが、『総合学習』が学校教育に導入される前に文部省(当時)が発表した段階で授業が学校の自由裁量に任されるのは画期的なことだと持て囃されたものの、自由裁量に反して「何を教えていいのか、示して欲しい」と校長会などから文部省に要望が相次いだため、文部省が「体力増進」、「地域の自然や文化に親しむ」等を例示すると、各学校の実践が殆んどこの枠内に収まる右へ倣えの画一化が全国的に起こったという。

 この状況は学校・教師自体が第三者に頼らずに何を教えたらいいのか、『総合学習』のテーマである「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定性の能力を持ちあわていなかった、考える力がなかったことの証明にしかならない。

 この現象も文科省を上の権威とし、学校や教師を下の権威として、上の権威に無条件に従う権威主義性がつくり出している。学校としての権威・教師としての権威をそれぞれに持していたなら、、いわば自分を持っていたなら、『総合学習』をどうのように授業するのか、自己決定性に従った才覚を働かせていたはずである。

 日本の暗記教育自体が日本人の思考様式・行動様式となっている上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性を成り立ちとしている。上に位置する教師の教える知識・情報を下に位置する生徒が上から教えられるままに機械的になぞり、教えられたとおりに頭に暗記する知識・情報の授受は権威主義性の構造そのものである。

 この構造は生徒が自ら考える思考プロセスを介在させない。逆に生徒が自ら考える思考作用は暗記教育の阻害要因となる。そしてこのような思考作用に慣らされることによって、批判精神が育ちにくくなる。不毛な批判精神は付和雷同の精神に結びついていく。

 日本の教育が今以って暗記教育で成り立っているというと、そんなことはないと批判されるが、暗記教育となっていることの資料がある。

 「我が国の教員の現状と課題–OECD TALIS 2018結果より」

 2018年の調査である。

 教師が批判的に考える必要がある課題を与える  
  小学校11.6%
  中学校12.6%
  参加48か国平均 61.0%

 教師が児童生徒の批判的思考を促す
  小学校 22.8%
  中学校 24.5%
  参加48か国平均 82.2%

 これはあくまでも教師の教育態度を現している統計ではあるが、この教育態度自体が日本人がどうしょうもなく行動様式としている権威主義性の反映としてある暗記教育であろう。

 勿論、受け手の児童・生徒が統計どおりに教育されるとは限らない。また、教師が批判的思考=自分から考える力を養う教育を施さなくても、両親から、あるいは両親のいずれかからか批判的思考=自分から考える力を受け継いで行く場合もあるし、読書や友達関係から学ぶ場合もある。

 だが、おしなべて日本の教育が権威主義性に基づいた暗記教育で成り立っているのは事実そのもので、否定し難い。保育園・幼稚園の時代から、小中高大学と学校教師を上の権威とし、児童・生徒を下の権威に置く権威主義性は社会に出て、いずれの組織に属しても、同質の権威主義性を備えているゆえに、日本の多くの組織に蔓延している「縦割り」に組み込まれていくことになる。

 要するに保育園・幼稚園、小中高大学の時代から、各自それぞれが知識と情報収集の自己決定性に基づかない、上に従うだけの権威主義性の虜となって、「縦割り」の予備軍に育てられているということであろう。

 要約すると、「縦割り」は上が下を従わせ、下が上に従うよう慣習づけられた日本人の権威主義性に従った人間関係に起因している。

 このことに気づかなければ、「縦割りの打破」はお題目で終わる宿命を当初から抱えることになる。そもそもの学校教育から変えなければ、「縦割りの打破」は覚束ない。

 「行政の縦割り打破」が危うければ、既得権益の打破も、悪しき前例主義の打破も難しくなって、いくら規制改革をぶち上げても、たいした結果は望み難くなる。

 河野太郎のように自身のウェブサイトに実態に合わない規制や「縦割り行政」の弊害に関する情報を集める仕組みの「縦割り110番」という名称を併設した「行政改革目安箱」を設けて、「投稿が4000件を超えた」とさもたしたことをしているような態度を見せているが、根本原因に気づかない、表面をいじくっているだけの作業に過ぎない。この仕組を内閣府に移したとしても、いずれは元の木阿弥に戻るだろう。

 大体が河野太郎は2015年10月7日から2016年8月3日までの9ヶ月間、規制改革担当の内閣府特命担当大臣を務めている。例え短い間だったとしても、のちに生きてくる規制改革に関わる何か有意義な足跡を残したのだろうか。残していたなら、河野太郎がいなくなっても、職員が跡を継いで、規制改革に務めるはずだが、「行政改革目安箱」と仰々しく打って出ること自体が、足跡を何も残さなかった証明でしかない。
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菅義偉の政治が「自助」を基本に国民の生活が機能する公平な社会を用意せずに「国の基本は『自助・共助・公助』です」と言うインチキ

2020-09-21 06:29:15 | 政治
 菅義偉のオフィシャルサイト9月14日記事に自民党総裁に就任した挨拶と共に次のような発言を記している。

 菅義偉「私は秋田の農家の長男として生まれ、高校まで過ごしました。

 地縁血縁のない私が政治の世界に飛び込んで、まさにゼロからのスタートでしたが、この歴史と伝統のある自由民主党の総裁に就任させていただいたことは、日本の民主主義の一つの象徴でもあると考えています。皆様のご期待にお応えできるよう全身全霊を傾けて日本のため、国民のため働く覚悟であります」

 菅義偉は「私は秋田の農家の長男として生まれた」を自らの出自のウリにしている。

 自身の自民党総裁就任を、「日本の民主主義の一つの象徴」と言っていることは土地の有力者の一族としてのカネの力や地縁・血縁、有名大学のOBとしての交友関係等々の人脈をステップに上り詰めた自民総裁ではなく、一国会議員としてのスタートからあくまでも民主主義の基本的なルールである一市民として多数決の原理に則って上り詰めて獲得した就任だと、その性格を言ってのことだろう。

 要するに権威主義の申し子ではなく、民主主義の申し子だという意味を取る。2世と言うだけで政治の世界に飛び込むことができ、もてはやされるのは初期的には権威主義に依存したスタートということになるからだ。 
 
 2010年6月8日首相就任、2011年9月2日辞任の約1年しか続かなかった菅直人も就任記者会見で同じようなことを発言している。

 菅直人「この多くの民主党に集ってきた皆さんは、私も普通のサラリーマンの息子でありますけれども、多くはサラリーマンやあるいは自営業者の息子で、まさにそうした普通の家庭に育った若者が志を持ち、そして、努力をし、そうすれば政治の世界でもしっかりと活躍できる。これこそが、まさに本来の民主主義の在り方ではないでしょうか」

 菅直人は「私は普通のサラリーマンの息子」を自身の出自のウリにしていた。確かに普通の家庭に育った人間が自らが志を持ちさえしたなら、自由に政治の世界に飛び込むことのできる民主的な環境は必要だが、出自と「政治は結果責任」とは全くの別物である。出自のウリで結果を出すことができるわけではない。

 尤も安倍晋三みたいに結果を出さずにさも出したかのように言葉を巧みに駆使して、国民を信用させる高度な騙しのテクニックを備えていたなら、出自のウリは相当に生きることになる。

 菅義偉の出自のウリが菅直人と同じ宿命を辿るのか、安倍晋三みたいに言葉で「政治は結果責任」を見せていくのか、今後の楽しみとなる。

 菅義偉はこの記事の最後で次のように結んでいる。
 
 菅義偉「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』、そして『絆』です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、地域や家庭でお互いに助け合う。その上に、政府がセーフティネットでお守りする。そうした、国民の皆様から信頼される政府を目指します」

 菅義偉は無条件に「自助・共助・公助」を求めて、それを実現させる要として人と人の「絆」の必要性を訴えている。

 2020年9月5日の立候補表明記事でも、「自助・共助・公助」をウリにしている。

 菅義偉「新型コロナウイルス、近年の想定外の自然災害等、かつてない難題が山積するなか、『政治の空白』は決して許されません。私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります。

 国の基本は『自助・共助・公助』です。人と人との絆を大切にし、地方の活性化、人口減少、少子高齢化等の課題を克服していくことが、日本の活力につながるものと確信します」

 先ず最初に「私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります」と言っている。単なる安倍政治の継承ではない。「全身全霊を傾けて進めてこられた取組」と安倍政治を全面的に肯定し、全幅の信頼を以って継承することを誓っている。

 つまり安倍政治性善説に立っている。全面的性悪説、そうではなくて、部分的性悪説に立っていたなら、「全身全霊を傾けて進めてこられた取組」とは口が裂けても言えない。

 菅義偉は「自助・共助・公助」を社会を動かし、国を動かす国民の基本的な生き方、存在形式としたい欲求を抱え、菅政治の旗印として掲げた。

 そのほかにも思い入れ強く、「自助・共助・公助」を触れ回っている。「菅義偉出馬記者会見」(産経ニュース/2020.9.2 18:08)

 冒頭発言最後。

 菅義偉「私自身、国の基本というのは、自助、共助、公助であると思っております。自分でできることはまず自分でやってみる、そして、地域や自治体が助け合う。その上で、政府が責任をもって対応する。

 当然のことながら、このような国のあり方を目指すときには国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならないと思っております。目の前に続く道は、決して平坦(へいたん)ではありません。しかし安倍晋三政権が進めてきた改革の歩みを、決して止めるわけにはなりません。その決意を胸に、全力を尽くす覚悟であります。皆さま方のご理解とご協力をお願いを申し上げます。私からは以上です」――

 「自助・共助・公助」と「自助」を最初に持ってきて、「自分でできることはまず自分でやってみる」と、無条件に「自助」率先を促している。「自助」とは「他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること」(goo国語辞書)をいう。自分の力で先ずやってみなさい。できないことは家族・知人や地域の人といった第三者が助け合う「共助」を以って解決しなさい。「共助」を以って「自助」を包み込むには「人と人との絆」は欠かすことのできな条件となる。

 それでも解決できない部分は自治体や国が助ける「公助」を以ってして引き受けましょうと仰っている。このような考えには国を国民一人ひとりよりも上に立たせている意識を伴わせている。上から目線の意識である。

 至極尤もに聞こえる。国民一人ひとりに自律心(「他からの支配や助力を受けずに自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制する心構え」)を求めているとも言える。

 そしてこのような指示・要請を行う以上、「国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならない」と、菅政府自体の有り様を律している。但しこの有り様は上から目線とは相反する下から目線の認識で成り立たせている。どちらが本当の立ち位置かと言うと、上から目線でなければならない。でなければ、無条件に「自助」を最初に持ってくることはできない。

 「国民の皆さんから信頼をされ続ける政府」は「自助」を最初に持ってきた以上、これとの整合性を取るために装わなければならない政府の姿だからだ。

 例えば森友学園、加計学園、「桜を見る会」、黒川検事長定年延長問題で政治の私物化を公然と行ってきた、国民に信頼されない安倍政府のようであったなら、「自助・共助・公助」のうち、何よりも「自助」を無条件に国民に求めたとしたら、国民の誰が耳を傾けてくれるだろうか。耳を傾けてもらうためには国民から「信頼をされ続ける政府」を謳わなければならない。

 「自民党総裁選 所見演説会」(THE PAGE/2020/9/8(火) 15:09)でも、同じようなことを仰っている。

 菅義偉「私が目指す社会像というのは、まずは『自助・共助・公助、そして絆』であると考えております。自分でできることはまず自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で、政府が責任を持って対応する。そうした国民の皆さまから信頼される政府を目指したいと思っています」

 やはり「自分でできることはまず自分でやってみる」と「自助」を無条件に求めている。

 3日後の2020年09月12日の日本記者クラブで行われた「自民党総裁選立候補者討論会」(産経ニュース/9.12 17:25) 

 菅義偉「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助、そして絆』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします」――

 「その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします」とやはり上から目線の発言となっている。

 「菅義偉就任記者会見」(首相官邸/2020年9月16日)
  
 菅義偉「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。

 こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います」――

 ここでも「その上で政府がセーフティーネットでお守りをする」と上から目線を露わにしている。現在の日本は国家主権ではなく、国民主権である。国家は国民の基本的人権を守り、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を全ての国民に保障しなければならない務めを負っている。

 この国家と国民との関係を「自助」に当てはめて言うと、「自助」を基本に生活が機能する公平な社会を用意する務めを国家は負っていると言うことになる。

 このことを逆に言うと、国や政治が「自助」を基本に国民の生活を機能させる公平な社会を用意せずに「国の基本」として、あるいは「社会像」として「自助・共助・公助」を掲げ、「まず自分でやってみる」と、無条件に「自助」を求めるどのような資格も、どのような正当性もない。

 つまり国は、あるいは政治は国民が「自助」を基本に自らの生活を機能させる公平な社会を用意するのが順序として最初だということになる。用意して初めて、「まずは自分でやってみる」と自助を求める資格も正当性も出てくる。

 それとも現在の日本社会は国や政治の力によって「自助」を基本に国民の生活を全面的に機能させ得る社会となっていると言うのだろうか。格差社会であること自体がこのことの否定要素となり得る。

 そのような社会を創造し得ずに「まず自分でやってみる」と無条件に「自助」を求めて、「自助・共助」で解決できなければ、「政府がセーフティーネットでお守りをする」と、「公助」の発動を宣言するのは上から目線でなくて、何であろう。

 単に上から目線と言うだけではなく、そこには恩着せがましさが滲んでいる。この上から目線、恩着せがましさは「私は秋田の農家の長男として生まれ、高校まで過ごしました」の一般人装いと相矛盾する。所詮、皆さんと同じですよと親近感を持たせるための出自のウリ、ポーズに過ぎないのだろう。

 菅義偉が「自助」を基本に国民の生活を機能させることのできる公平な社会を用意せずに無条件に「自助」を求めるインチキな政治家だと、その正体を早々に見せいるのに、各マスコミの菅内閣支持率世論調査では軒並み6~7割という高い数値を獲得することができた。「令和おじさん」の演出された親しみの賞味期限を切らさずに今以って維持し続けているのだろうか。

 格差社会に於いて格差の上に位置する国民はいくらでも「自助」を基本的な行動様式として社会に跋扈し得るが、格差の底辺に位置する国民は「自助」を自らの恃みとしたくても、収入の制限等を受けて恃むことができないことが往々にして存在する。

 だから、教育の無償化だ、子ども手当だ、生活保護だ、その他諸々のセーフティーネットが必要になる。つまり国は、あるいは政府は格差社会を作っておいてセーフティーネットだと恩着せがましい、上から目線の態度を取っている。

 身体障害者や高齢者が自由な社会生活ができないバリアだらけの社会は「公助」があって、「自助」を活かすことができる。

 政治が「自助」を基本に国民の生活が機能する公平な社会を前以って用意する務めを負うことを自民党自身が謳っている。文飾は当方。 
 
 「2010年自民党綱領」

二、我が党の政策の基本的考えは次による

① 日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
②日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す
自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する
④ 自律と秩序ある市場経済を確立する
⑤地域社会と家族の絆・温かさを再生する
政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める
(イ) 法的秩序の維持 (ロ) 外交・安全保障
(ハ) 成長戦略と雇用対策  (ニ) 教育と科学技術・研究開発
(ホ) 環境保全 (へ) 社会保障等のセーフティネット
⑦将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、 財政の効率化と税制改正により財政を再建する

 「自助自立する個人を尊重し、その条件を整える」と言っている「条件」とは、続いて「共助・公助する仕組を充実する」と言っていることから判断して、「自助自立」を心がける「個人を尊重」できるシステムづくりの「条件を整える」ことではなく、「自助自立」そのものが可能となる「条件を整える」ことを指しているはずである。

 例え前者であっても、「自助自立」可能な社会環境を用意することができなければ、「自助自立」できる「個人」は限られてくることになるから、結果的には「自助自立」そのものが可能となる社会的な「条件を整える」ことを言っていることになる。

 当然、「自助自立」を限定しないために「全ての人に公正な政策や条件づくりに努める」ことを政府が負うべき務めとしている。

 「全ての人に公正な政策や条件づくり」とはまず第一に格差のない社会を指さなければならない。既に触れているが、〈格差の上に位置する国民はいくらでも「自助」を基本的な行動様式として社会に跋扈し得るが、格差の底辺に位置する国民は「自助」を自らの恃みとしたくても、収入の制限、あるいは身体的制限等を受けて恃むことができないことが往々にして存在する。〉ことが定番となっている以上、格差は「自助自立」にまで可能・不可能の壁を設けることになるからだ。

 「自助自立」を可能とする社会的「条件を整え」た上で、それでも不足が生じた場合は、「共助・公助する仕組を充実する」という手順を取っている。

 菅義偉の「自助・共助・公助」論とは明らかに手順が違っている。首相にまでなった政治家が自党の綱領を理解する頭を持たず、綱領に反した「自助・共助・公助」論を菅政治の「社会像」、あるいは「国の基本」として提示する。インチキ政治そのもので、このことだけでインチキ政治家の正体を曝していると言える。

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安倍晋三辞任:菅を来年9月までのワンポイントリリーフとして憲法改正、北方領土返還等々、遣り残したことがあると再登板を狙うウルトラCか

2020-09-14 05:21:40 | 政治
 今日、2020年9月14日午後2時から自民党は両院議員総会を開催、総裁選の投開票を行い、新総裁が決定する。

 自民党所属国会議員は現在、衆参両院議長を除き394人だという。党内7派閥のうち細田派、竹下派、麻生派、二階派、石原派の5派閥計264人と無派閥議員64名のうち約20人が官房長官の菅義偉を支持、残る110人の票を石破茂と岸田文雄が分ける。

 110票をどちらかの一方が獲得したとしても、菅義偉の284票には敵わない。菅義偉の半分にも届かない。計算通りに出なくても、菅総裁選出が誰の目にも明らかとなっている。

 141票の地方票も昨夜7時のNHKニュースは菅義偉52票、石破茂27票、岸田文夫8票と、菅義偉優勢を伝えていた。

 昨夜遅くの今朝見た産経ニュースは、現時点で菅義偉は66票程度を固め、過半数を確保する見通し、石破茂35票程度、岸田文雄10票程度にとどまっていると伝えて、菅義偉当選確実の状況を伝えている。議員票が地方表にほぼ反映されるから、当然の地方票である。

 このように5派閥と無所属議員の20名が菅支持に回ったのは二階派の菅支持表明が始まりで、他派閥等がポスト欲しさや陽の当たる場所欲求、公認盤石化目的、寄らば大樹の優位性獲得、覚えをよくする等々の打算からの我も我もと支持に回る雪崩現象を起こしたのだという。

 だが、この手の雪崩現象は「品位、節度、調和、正直、親切、勤勉」に反する無節操な付和雷同・事勿れ主義と同義語をなす。

 2006年の自民党総裁選当時も安倍晋三を目がけてこの手の雪崩現象が置きて、衆参の国会議員数403人中、安倍晋三267票、麻生太郎69票、谷垣貞一66票。党員算定数でも安倍晋三197票、麻生太郎67票、谷垣貞一36票と、安倍晋三が独り占めの圧倒的な票獲得となった。だが、政権は1年しか持たなかった。

 病気だけが原因ではないだろう。無節操な付和雷同・事勿れ主義で成り立たせた政権は倫理に反していたからだと見做さない者は政治を語る資格を失う。特に教育を語る資格はないだろう。

 だが、数々の政治の私物化に邁進した安倍晋三にしても、無節操な付和雷同・事勿れ主義で雪崩現象に身を任す自民党議員にしても、白々とした顔で政治を語り、教育を語る。若者はこう生きるべきただとお説教を垂れる。

 2020年8月31日エントリーのブログに次のように書いた。

 安倍晋三のウルトラC

 安倍晋三が2020年8月28日の記者会見で潰瘍性大腸炎が再発し、激務に耐え得ないとかで自民党総裁任期を1年を残して首相を辞任した。記者会見で次のように述べている。

 安倍晋三「今後の治療として、現在の薬に加えまして更に新しい薬の投与を行うことといたしました。今週初めの再検診においては、投薬の効果があるということは確認されたものの、この投薬はある程度継続的な処方が必要であり、予断は許しません」

 新薬服用の効果はあったが、その効果を病状回復にまで持っていくためにはある程度の継続的な処方が必要であり、それまでの期間、現在の体調では国民の負託に応えうる自信が持てない。よって辞任することにした云々となる。

 もし病状回復までの新薬服用の効果期間を1年と置いていたらどうだろうか。1年後の総裁選に遣り残したことがあると立候補も可能となる。憲法改正、北方領土返還、拉致被害者帰国、地方創生戦略の見直し 格差拡大是正、東京一極集中是正・・・・等々。遣り残したことの方が多いくらいである。

 ここで鍵となるのは官房長官の菅義偉が自民党総裁選に出馬することを自民党幹事長シーラカンスの二階俊博ら政権幹部に伝えて、二階俊博からは「頑張ってほしい」と激励されたとマスコミが伝えているし、8月31日朝のNHKニュースは、「二階派幹部は、菅氏が立候補すれば派閥として支援する可能性を示唆した。」と報じている。

 もし菅義偉が首相になったとしても、任期は来年の9月まで。この間に総選挙がある。野党結集の影響を受けて、政権を失わない程度に一定程度、議席を減らしてくれれば、政権を失うこと程怖いことはないという経験をしている自民党からすれば、安倍待望論が湧き起こらないとも限らない。菅義偉をワンポイントリリーフとすれば、安倍晋三の再登板は遣りやすくなる。再登板なら、総裁任期は3年だから、3年間、じっくりと腰を落ち着けて安倍政治に取り組むことができる。うまくいけば、さらに3年間・・・・。そのために辞任を1年早めた????

 現在自民党総裁連続任期は3期までだから、欲をかいてあと9年ということもあり得る。

 再登板の可能性(危険性?・・・・)無きにしも非ずだし、100%無い可能性と指摘できるかもしれないが、この記事の題名を残すためだけのためにこのブロブ記事を起こすことにした。勿論、影響力ゼロに近いブログだとは承知している。自己満足に過ぎない。

 「自民党党則」は総裁任期を次のように規定している。  

 〈第10条4 引き続き3期(党則第80条第3項に規定する任期を除く)にわたり総裁に在任する者は、その在任に引き続く総裁選挙における候補者となることができない。〉――

 「第80条第3項」について。

 〈総裁が任期中に欠け、又は第六条第四項の規定による選挙の要求があった場合において、同条第二項又は第四項の規定により新たな総裁を選任したときは、その任期は、前任者の残任期間とする。〉――

 「第80条第4項」を見てみる。

 〈4 総裁は、引き続き2期(前項に規定する任期を除く)を超えて在任することができない。〉――

 要するに任期途中で引き継いだ新総裁はその任期を1期と数えて、残る2期しか在任できないことになる。

 以上を纏めると、途中辞任した場合は誰かが残任期間を務めたあとなら、それが1期後であろうと、合計3期後であろうと、引き続いての立候補ではないから、候補者になることが可能となる。つまり安倍晋三は菅義偉が安倍晋三の残任期間を務めたあとの総裁選に規定上は立候補も可能ということになる。

 安倍晋三が既に自らこの例を実践しているのはご承知のとおりであろう。病気を理由に2007年9月26日に約1年で途中辞任したあと、福田康夫、麻生太郎、谷垣貞一を総裁が続いたあと、石破茂と争って、新総裁に当選、総理・総裁を7年8ヶ月務めている。1度あることは2度あるとよく言われる。

 当時2期制限の2期目の途中で首相を辞任したものの、のちに再度総裁選に立候補した例がある。1995年9月22日に橋本龍太郎は小泉純一郎と総裁選を争って、当選。総理・総裁を務め、2年後の1997年9月11日に任期満了による総裁選で無投票・再選となって2期連続の総裁・総理を務めることになったが、1998年7月12日の参議院議員選挙で自民党惨敗を受け引責辞任に至った。

 その後、小渕恵三が2期連続で総裁・総理を務めたが、2期目の途中の2000年4月2日に脳梗塞発症、2000年5月14日死没前の2000年4月5日に両院議員総会の話し合いで森喜朗を総裁に選出。森喜朗を次期指名したのは森喜朗幹事長(森派) 青木幹雄内閣官房長官(小渕派) 村上正邦参院議員会長(江藤・亀井派) 野中広務幹事長代理(小渕派)の、当時の呼び名の5人組で、密室での指名劇だったとされている。

 2000年4月5日に首相に就任した森喜朗は2001年2月10日にハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校練習船「えひめ丸」がアメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突・沈没、日本人9名が死亡する事故が発生した当時、その連絡がSPの携帯電話を通じて入ったものの、1時間半もの間プレーを続けた。

 森喜朗は「ある関係者から直ぐにはその場を離れないように言われたので、ゴルフ場で待機していた」と言っているが、実際はプレーを続行していた。国民の生命の安否が気遣われるときにラウンジ等を含めて「ゴルフ場で待機していた」のと、ゴルフを続けながら、待機していたのとでは国民の生命をどう考えているのかの国民に対する生命観が大違いとなってくる。

 2014年8月豪雨を受けた74人死亡の8月20日広島土砂災害発生当日、安倍晋三が夏休み中の山梨県鳴沢村の別荘から富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に向かい、午前8時30分頃からゴルフを開始、50分近くゴルフをして、午前9時19分にゴルフ場を離れて別荘に向かい、午前10時59分に官邸に戻った際の国民に対する生命観と非常に似ている。

 広島市消防局には8月20日午前3時前後から土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられていて、午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が午前5時15分頃心肺停止の状態で発見されたと人命に関わる危機的状況をNHKは朝早くに伝えていた。

 このような人命に関わる危機的状況の110番通報や119番通報は直ちに広島県に集約され、広島県から首相官邸に逐次通報されていなかったとしたら、重大な災害が発生するたびに安倍晋三が口にする「緊張感をもって被害状況の情報収集を徹底し、国民の安全安心の確保に万全を期して欲しい」との指示をウソにしていることになる。

 つまり当時の首相官邸危機管理センター設置の情報連絡室は人命に関わる危機的状況を遅くとも8月20日午前4時近くには把握していなければならなかった。ところが、当時の防災担当相古屋圭司は「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」と安倍晋三の国民に対する生命観を弁護し、人命に関わる危機的状況の発生を実際の時刻よりも5時間近くも遅らせている。

 しかも安倍晋三がゴルフ場を離れたのは古屋圭司が設定した最初の人命に関わる危機的状況時刻よりも約40分遅い午前9時19分である。

 このように国民の生命をどう考えているのかの国民に対する生命観に問題がある一人である森喜朗が支持率の低空飛行が続き、約1年後の2001年4月26日に辞任。2001年4月24日の自民党総裁選に2期連続総裁、途中辞任の橋本龍太郎が立候補、小泉純一郎、麻生太郎両候補と総裁の地位争ったが、安倍晋三のように勝利とはいかず、麻生と共に敗れ、小泉純一郎の総理・総裁の登場と相なっている。

 となると、安倍晋三の来年9月の総裁選再登場の可能性(危険性?)もあり得ないこともないことになる。

 安倍晋三がここで一旦辞任する何よりのメリットは相次ぐ内閣支持率30%割れの直接的な原因となった新型コロナウイルス対策の失敗・不首尾から来年の9月の次回総裁選まで失敗・不首尾とは縁を切ることができるノータッチ状態で過ごすことができると同時にそう遠くない時間内にワクチンが開発されて、感染の沈静化が予想され、支持率低下の主原因となったコロナ対策から解放される(つまり自身のとっての不都合から解放される)だろうと読むことができるからだろう。

 さらに一時程の激しさはなくなったが、今なお続く森友・加計問題、桜を見る会、東京高検検事長黒川弘務定年延長問題等々に発揮した安倍晋三の政治の私物化追及に関しては菅義偉に矢面に立たせて、自身は知らぬ顔の半兵衛を決め込むことができるメリットがある。

 1年も政権から離れていたなら、その時間を政治の私物化沈静化の一定程度の機会とすることもできる。

 そして1年の期間を置いたことで持病の潰瘍性大腸炎も新薬投与のお陰で全快、あと4、5年は大概の政治的激務に耐えられると病院からのお墨付きを頂いた、既に書いたように憲法改正、北方領土返還、拉致被害者帰国、地方創生戦略の見直し 格差拡大是正、東京一極集中是正・・・・等々、遣り遺した事があるからと再度総裁選に挑戦、首相復帰というウルトラCをお目にかからない保証はない。

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安倍晋三の政治の私物化:国民の声を聞かず、反省心ゼロ・自己愛性パーソナリティ障害ゆえの傲慢さの産物

2020-09-07 08:43:38 | 政治
 「自己愛性パーソナリティ障害」について「Wikipedia」には次のような説明が載っている。

 〈ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく、特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型。〉
 
 つまり、自分は優れてもいず、素晴らしくもなく、特別で偉大な存在でもない、ごく普通の人間であるという「ありのままの自分」を素直な謙虚さで受け入れて、そのような素地の上に努力して何かを成そうするのではなく、逆に「特別で偉大な存在」であるという過信から事を成していく関係上、成した事に対して自省心や反省心が自ずと働かず、ただひたすらに誇る傲慢さだけを生み出す人格上の欠落を言う。

 結果、大した事を成してもいなのに大した事を成したかのように誇る傲慢さだけを取り柄とすることになる。

 このような政治家をここ10年近く、身近に見てきたはずである。

 2020年8月28日、安倍晋三が「首相辞任記者会見」を行った。

 川口西日本新聞社女性記者「歴代最長の政権の中で多くの成果を残された一方で、森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会の問題など、国民から厳しい批判にさらされたこともあったと思います。コロナ対策でも、政権に対する批判が厳しいと感じられることも多かったと思うのですが、こうしたことに共通するのは、政権の私物化という批判ではないかと思います。こうした指摘は国民側の誤解なのでしょうか。それについて総理がどう考えられるか、これまで御自身が振り返って、もし反省すべき点があったとしたら、それを教えてください。

 安倍晋三「政権の私物化は、あってはならないことでありますし、私は、政権を私物化したというつもりは全くありませんし、私物化もしておりません。正に国家国民のために全力を尽くしてきたつもりでございます。

 その中で、様々な御批判も頂きました。また、御説明もさせていただきました。その説明ぶり等については反省すべき点もあるかもしれないし、そういう誤解を受けたのであれば、そのことについても反省しなければいけないと思いますが、私物化したことはないということは申し上げたいと思います」

 「政権の私物化」、「権力の私物化」、「政治の私物化」と色々言葉があるが、安倍晋三は政権を担い、政治権力の頂点に位置していたことから言うと、全て同じ意味を取ることになる。一国会議員が公的な役目から離れて、地元に何らかの特別な利益を与える。あるいは特定企業に特別な何らかの利益供与を謀る。これは一国会議員としての権力の私物化、政治の私物化に当たるが、断るまでもなく、政権の私物化には当たらない。

 一閣僚が政権の立場や名前を利用して、政権としての意思とは無関係に個人的意思から特定対象に私的利益を謀った場合は、全ての私物化に該当することになる。但し政権という権力をバックとした、一閣僚としての権力の私物化であって、政権の頂点に立った人物としての権力の私物化には当たらない。

 安倍晋三については私的利益に立った政治行動は全ての私物化に該当することになる。

 安倍晋三は辞任記者会見で「私物化したことはない」と、一切の私物化を否定した。

 安倍晋三は言葉で否定すれば、事実そのものが否定できるとする信念持った稀有な政治家である。なぜこのような信念を持つことができるかと言うと、自分は優れていて素晴らしく、特別で偉大な存在であるといった自己愛性パーソナリティ障害上の思い込みから、自分は間違うことはなという自信を常に抱えているからであろう。

 勿論、このような自信は傲慢な性状を母として生み出される。

 言葉は何であれ、安倍晋三の「私物化」の典型的な例を一つ挙げてみる。

 2012年12月26日に第2次安倍政権が発足して約2年後の2014年12月14日に総選挙が行われることになった。約1ヶ月前の2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」。安倍晋三が解散を予告する記者会見を開いた当日夜にゲストとして生出演した。番組では約2年間のアベノミクスの成果を紹介する一環として景気の実感を街行く人にインタビューし、街の声として伝えた。

 男性(30代?)「誰が儲かってるんですかねえ。株価とか、色々上がってますからねえ。僕は全然恩恵受けていないですね。給料上がったのかなあ、上がっていないですよ(半ば捨鉢な笑い声を立てる)」

 男性(3、40代?)「仕事量が増えているから、給料が、その分、残業代が増えているぐらいで、何か景気が良くなったとは思わないですねえ」

 男性(4、50代?)「今のまんまではねえ、景気も悪いですし。解散総選挙して、また出直し?民意を問うて、やればよろしいじゃないですか」

 男性(5、60代?)「株価も上がってきたりとか、そういうこともありますし、そんなに、そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」

 30代後半と見える女性二人連れ。 

 女性「全然アベノミクスは感じていない」

 女性(子供を抱いている)「株価は上がった、株価は上がったと言うけど、大企業しか分からへんちゃうの?」

 株価の上昇を通してある程度の効果(「そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」)を認めている1人以外は景気の実感はないとアベノミクスを切り捨ていている。対するアベノミクスご本人の安倍晋三の反応。

 安倍晋三(ニコニコ笑いながら)「これはですね、街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら。

 だって、国民総所得というのがありますね。我々が政権を取る前は40兆円減少しているんですよ。我々が政権を取ってからプラスになっています。マクロでは明らかにプラスになっています。ミクロで見ていけば、色んな方がおられますが、中小企業の方々とかですね、小規模事業者の方々が名前を出して、テレビで儲かっていますと答えるのですね、相当勇気がいるのです。

 納入先にですね、間違いなく、どこに行っても、納入先にもですね、それだったら(儲かっているなら)、もっと安くさせて貰いますよと言われるのは当たり前ですから。

 しかし事実6割の企業が賃上げしているんですから、全然、声、反映されていませんから。これ、おかしいじゃないですか。

 それとですね、株価が上がれば、これはまさに皆さんの年金の運用は、株式市場でも運用されていますから、20兆円プラスになっています。民主党政権時代は殆ど上がっていませんよ。

 そういうふうに於いても、しっかりとマクロで経済を成長させ、株価が上がっていくということはですね、これは間違いなく国民生活にとってプラスになっています。資産効果によってですね、消費が喚起されるのはこれは統計学的に極めて重視されていくわけです。

 倒産件数はですね、24年間で最も低い水準にあるんですよ。これもちゃんと示して頂きたいと思いますし、あるいは海外からの旅行者、去年1千万人、これは円安効果。今年は1千300万人です。

 で、日本から海外に出ていく人たちが使うおカネ、海外から日本に入ってくる人たちが使うおカネ、旅行収支と言うんですが、長い間日本は3兆円の赤字です。ずっと3兆円の赤字です。これが黒字になりました。

 (司会の岸井成格が口を挟もうとするが、口を挟ませずに)黒字になったのはいつだったと思います?大阪万博です。1970年の大阪万博です、1回、あん時になりました。あれ以来ずっとマイナスだったんです。これも大きな結果なんですね。

 ですから、そういうところをちゃんと見て頂きたい。

 ただ、まだデフレマインドがあるのは事実ですから、デフレマインドを払拭するというのはですね――」

 安倍晋三は最初に5人へのインタビューを「街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら」云々の物言いで、番組に対して1人を除いてアベノミクスを否定する人間を集めたのではないのかといった情報操作疑惑を向けている。

 疑惑の理由として、安倍政権発足後の「国民総所得のプラス化」、「中小企業・小規模事業者のテレビに出てのアベノミクス肯定発言」、「6割の企業の賃上げ」、「年金運用の20兆円プラス化」、「株価上昇を受けた国民生活上のプラス」、「株価上昇の資産効果を受けた消費喚起」、「円安効果によるインバウンドを受けた旅行収支の黒字化」、「低い水準の倒産件数」等々のアベノミクス効果を統計面から挙げて、「全然、(6割の企業が賃上げしたという)声、反映されていませんから」、「これ(倒産件数の低い水準)もちゃんと示して頂きたいと思います」、「ですから、そういうところ(旅行収支の黒字化)をちゃんと見て頂きたい」と、情報提供の片手落ちを以って情報操作疑惑の根拠としている。

 但しこれらの統計面からのアベノミクス効果が国民個人個人の景気の実感にどう影響していたのかについては一切目を向けていない。大体が街の声は景気の実感について話した言葉であって、各統計について言及した言葉ではない。

 そもそも国民にとっての最大の利害は「生活の成り立ち」であって、その利害は景気の実感に最も影響を受ける。そして景気の実感は主として実質賃金の動向と、その動向を受けた個人消費活動の状況が鍵を握ることになる。

 このことを逆説すると、アベノミクス効果を統計面からいくら言い立てようとも、その効果が実質賃金に反映されず、結果的に個人消費に向かうことがなければ、国民一般の景気の実感は乏しいものとなって、アベノミクス景気政策は意味のないものとなるということである。

 では、上記番組が伝えた街の声の景気の実感が正しく把握されたものかどうかを見てみる。正しくなかったなら、安倍晋三のテレビ番組に対する情報操作疑惑は逆に正しかったことになる。

 アベノミクス景気は戦後最長の可能性が長らく指摘されてきた。ところが2020年7月30日、内閣府は2012年12月から始まった景気拡大局面が71ヶ月後の2018年10月に終了、1ヶ月後の2018年11月から景気後退局面入りしたことを発表している。

 この71ヶ月はいざなみ景気の73ヵ月に及ばず、戦後最長記録を更新できなかった。

 2020年7月31日付の「東京新聞」〈アベノミクス実感ないまま失速 景気後退18年10月…その後増税〉と題してアベノミクス7年7ヶ月の景気の実態を伝えているが、記事を纏めた画像をここに引用しておく。

 要するにアベノミクス景気のエンジンは安倍晋三と日銀の合作による「異次元の金融緩和」であって、市場にジャブジャブと金を流して、円安と株高を誘導したことに始まる。円安と株高は特に大企業に大きな利益をもたらしたが、企業はその利益を内部留保にまわして、賃金に反映しなかったために一般国民は実質賃金が満足に上がらない打撃を受けたのみならず、円安による輸入生活必需品とエネルギー関連製品の高騰によって自らの生活が圧迫される二重の打撃を受けた。

 つまり円安が可処分所得の目減りを誘導して、少しぐらいの賃上げでは焼け石に水で、却って実質賃金を目減りする方向に働くこととなった。

 参考までに企業の内部留保を上げておく。

2012年度 304兆円
2013年度 327兆円 +7.6% 
2014年度 354兆円 +8.3%
2015年度 378兆円 +6.8%
2016年度 406兆円 +7.4%
2017年度 446兆円 +9.9%
2018年度 458兆円 +2.6%

 2018年度は後半から景気後退局面に入り、増加率は伸びなかったものの、それでも+2.6%の458兆円に達している。

 当然、一般国民にとって実質賃金の影響を受けることになる個人消費を活発にする余地などなかった。その余地は円安と株高で利益を上げた大企業の幹部社員や株投資家等々の高額所得者か所得余裕層に任された。

 要するに2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」が取り上げた、2012年12月26日の第2次安倍政権発足から約2年間のアベノミクスに関する街の声「景気の実感なし」は正しい判断・正しい評価であって、情報操作ではないかとイチャモンを付けた安倍晋三の方が間違っていた。

 つまり、安倍晋三が常々誇っていた統計上に現れているアベノミクス効果は実質賃金に反映されず、当然、個人消費に活用されることもなかった。それ故に一般国民は景気の実感を持つことができなかった。

 大体が安倍晋三がTBSテレビ「NEWS23」に出演当時の2014年11月の街の声が正しいか、間違っているか、的確な合理的判断を下すことができなかったこと自体、謙虚さのカケラもない、自己過信に基づいた傲慢さが招いた出来事であって、一方的に自分は正しいとするこの傲慢さは自分は特別で偉大な存在であるゆえに間違えるはずはないとする自己愛性パーソナリティ障害を当てはめずに説明はつかない。

 そして大多数を占める一般国民に景気の実感を与え得ないままに統計だけを誇る安倍晋三のこのような態度はアベノミクス7年8ヶ月後の辞任まで尾を引くことになった。安倍晋三が誇る経済統計と一般国民の景気の実感のなさの違いがそのまま格差拡大となって現れている。

 2014年11月当時の街の声を正しく判断できずにテレビ番組の情報操作ではないかと疑った最大の問題点は、マスコミが報じたあと、《安倍自民党がテレビ各局に文書で圧力》リテラ/2014.11.27)で詳しく知り得た情報だが、安倍晋三の2014年11月18日「NEWS23」出演2日後の2014年11月20日に「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井 照」の差出人連名で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」を求める文書を送ったことである。

 冒頭近くで、〈つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。〉と断った上で、次のような要請を行っている。

 ・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと〉

 選挙で問われるのは政権選択である。政策の良し悪しも政権選択に関わっていく。参議院選挙であっても、有権者は政権選択の意味を持たせる。政権選択である以上、与党代表は政権選択を試される立場に立たされている。質問が集中するのは当たり前だし、質問集中を前以って覚悟していなければならない。ゲストに親政権の人物がいなくて、反政権の人物ばかりだとしても、政権選択を試されている以上、受けて立って、自らの主張を堂々と展開すれば済むことである。

 そしてあとは有権者に政権選択を託す。安倍晋三には政権選択を試されているという覚悟がない。街角インタビューでアベノミクスを否定されたからと言って、先ず最初に情報操作ではないかと疑うなど、事実情報操作であったとしても、覚悟がない話で、続けて口にした経済統計を披露するだけで済んだはずである。

 要するに安倍晋三は政権与党としての自身の政策の良し悪しを反省・検証するのではなく、選挙の勝敗にだけ拘った。もし少しでも反省・検証する心がけを持っていたなら、街の声に同感して、アベノミクスが実質賃金を上げるまでに至っていないことを認めて、今後の政策で実質賃金の上昇に務めることを宣言していただろうし、7年8ヶ月後に辞任を迎えるまで実質賃金を満足に上げることができなかった体たらくを少しは改善できた可能性は否定できない。

 だが、7年8ヶ月間、大多数を占める一般国民に対して景気の実感を与えることができないままに終わった。

 選挙の勝敗にだけ拘り、「NEWS23」出演当時も決して間違っていなかったし、以後も間違っていない街の声を「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」の体裁を取って、テレビ番組に現れないよう、封じ込めようとした。

 このような作為は報道の自由の侵害とか、対報道圧力といった問題以前に「政権の私物化」があって、初めて実現可能な作為であり、「権力の私物化」、あるいは「政治の私物化」を介在させた報道の自由の侵害であり、対報道圧力だった。

 安倍晋三は辞任記者会見で政権の私物化を否定し、「正に国家国民のために全力を尽くしてきたつもりだ」とヌケヌケと言っているが、森友問題、加計学園問題、桜を見る会、東京高検検事長黒川弘務を検事総長に据えるべく、「検事総長は年齢が65年に達したときに、その他の検察官は年齢が63年に達したときに退官する」としている検察庁法の規定を覆して「検察庁の業務遂行上の必要性」を理由に誕生日前日の2020年2月7日に退官しなければならなかった黒川弘務の定年を閣議決定のみで半年間の延長決定し、それを後付けるための国家公務員法の改正と検察庁法の改正を謀ったことも、政権の私物化そのものであって、私物化は安倍晋三の政治体質そのものとなっている。

 NHK2001年1月30日放送ETV特集[1] シリーズ「戦争をどう裁くか」に当時内閣官房副長官だった安倍晋三が番組内容に介入した問題も、報道の自由侵害、あるいは対報道圧力といった問題以前に安倍晋三の政治体質が顔を覗かせることになった政治の力で何でもしてやろうとする政治の私物化以外の何ものでもない。

 安倍晋三の政治の私物化体質と言い、経済政策を「アベノミクス」と名付けて仰々しく掲げたものの、立派な格差拡大は見事に実現できたものの、中流層以下には景気の実感を与えることができない片肺飛行で終わることになった。外交に於いては肝心の拉致問題にしても、北方領土問題にしても、片肺飛行どころか、エンジンをかけることができず、離陸しないままに滑走路に飛行機をとどめている状態で終わった。

 このような不満足な形状で終わった安倍政治を、後継として名乗りを上げ、5派閥から支持を受けて次期首相の最有力候補に位置をにつけた官房長官の菅義偉は「継承する」と宣言した。

 最初、悪い冗談かと思ったが、大真面目に継承するつもりでいる。「菅義偉出馬会見全文」)(産経ニュース/2020.9.2 18:08)

 菅義偉「安倍総裁が、全身全霊を傾けて進めてこられた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために私の持てる力を全て尽くす覚悟であります」

 自身の「ブログ」でも、同じことを言っている。

 菅義偉「新型コロナウイルス、近年の想定外の自然災害等、かつてない難題が山積するなか、『政治の空白』は決して許されません。私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります」

 安倍晋三は一般国民に対しては全身全霊を傾けて、"空白"紛いの政治しかできなかった。菅義偉が首相になって、安倍晋三がバックに控えることになったら、"空白"紛いの政治と同時に安倍晋三の政権私物化の政治体質をも継承する危険性は否定できない。
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