安倍晋三の熊本地震被災地訪問は広島土砂災害で国民の命よりゴルフ優先の“オオカミ少年”を正体としている

2016-04-30 11:56:20 | 政治


 安倍晋三が国民の生命(いのち)をどう考えているのか、2014年8月20日発生・74人死亡の広島土砂災害時の危機管理対応を見れば一目瞭然とする。

 その日午前3時20分から40分にかけて、局地的な短時間豪雨によって広島市安佐北区可部、安佐南区八木・山本・緑井等の住宅地背後の山が崩れ、同時多発的に大規模な土石流が発生した。

 広島市消防局は8月20日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち2歳の男児が午前5時15分頃心肺停止の状態で発見されたと発表。

 その後2歳の男児の死亡が確認され(搬送された病院でだろう、このことは後で説明する)、もう1人の11歳の男児も心肺停止の状態で発見されたが、その後病院で死亡が確認されたとマスコミが報じていた。

 私の中では心肺停止の状態とはほぼ死の状態だと思っている。心肺停止になったときにそこに誰か第三者が存在していたなら、蘇生にとりかかるか、救急車を急いで呼ぶか、いずれかの救命措置を取ることができて、蘇生に成功するケースもあるだろうが、行方不明になって捜索の末に一定の持間が経過したのちに発見された場合の停止した心肺はそんなに長く持つはずはないからだ。

 だが、マスコミはこのような経緯の発見であっても、心肺停止状態で発見されたと報道する。

 今年4月6日午後2時35分頃、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地を飛び立った航空自衛隊「U125」点検機が基地北方の高隈山山中で墜落し、乗員6人が行方不明になったときも、最初は約1日経過の7日午後1時15分頃1人、次に7日午後3時40分頃3人、8日午前9時25分頃1人、最後に午前9時50分頃1人が順次発見されたが、全て心肺停止状態の発見とされた。

 勿論、発見される少し前まで心肺が活動していた可能性も考えられるが、マスコミが「心肺停止」と伝えたのちに蘇生したとの報道に接したことは記憶する限り一度もない。

 なぜ一定の持間が経過した後の発見であっても「心肺停止の状態」とされるのか、ネットを調べてみた。文飾は当方。

 《「心肺停止」と「死亡」の違い》違いがわかる事典)    

 〈心肺停止とは、心臓も呼吸(肺の動き)も停止した状態。心音と呼吸の有無の確認でわかるため、誰でも心肺停止の判断は可能である。

 心肺停止状態であっても、心臓マッサージやAED(自動体外式除細動器)、人工呼吸などで蘇生する可能性があるため、死亡状態とはいえない。

 ただし、心臓が停止し脳に血液が行かなくなると、4~5分程度で脳は回復不可能な障害を受けるため、心肺停止状態になったら迅速な救命措置が必要となる。

 日本では、心肺停止(心停止と呼吸停止)のほかに、脈拍停止と瞳孔散大の4つを確認し、医師が死亡を宣言しなければ「死亡」とはならず、医師以外の者が死亡を宣言することはできない。

 事故や災害などで、明らかに死亡している人が発見された場合であっても、警察や消防では死亡の宣言ができない。

 ニュースで伝えられる「心肺停止の状態」は、死亡しているだろうけれども、まだ医師の診断ができていない状態というのがほとんどである。

 海外では、日本と同じ手順で死亡が確定するとは限らない。

 そのため、日本のメディアが「心肺停止」と伝える状態を、海外のメディアでは「死亡」と伝えられていることも多い。〉――

 広島市の土砂災害で8月20日午前5時15分頃心肺停止状態で発見された2歳男児は8月20日午前3時20分頃の土砂崩れの被害に遭い、約2時間も土砂に埋められた状態でいたのだから、発見時明らかに死亡した状態であったはずだが、医師の死亡診断を待つために病院に搬送したということなのだろう。

 一定の持間後に発見された心肺停止状態の人間の家族・親類縁者は生きていて欲しい、蘇生して欲しいと切実に願うだろうが、救命を業務としている消防・警察・自衛隊は一定時間後発見の心肺停止イコール死と観念しなければならないだろうし、ましてや国家の危機管理を与る政府は心肺停止でも死と捉えて対応することを迫られるはずだ。

 広島土砂災害時、政府は8月20日4時0分に首相官邸危機管理センターに情報連絡室を設置し、情報収集に当たった。

 2015年4月25日放送のTBS「報道特集」が入手した広島土砂災害時の広島県警無線交信記録は8月20日午前3時台から「増水」、「氾濫」等の大雨に関する言葉がより多く交わされ、午前4時台になると、「土砂崩れ」、「土石流」といった土砂災害に関する言葉が、午後5時台になると、「人命」、「危険」、「倒壊」といった人命の危険に関わる言葉が主として交わされたと報道している。

 当然、8月20日4時0分設置の政府情報連絡室は4時時点から遡るこういった情報と4時以降の情報は同時進行の形で把握していたはずだし、把握していなければならない。

 大雨の情報ばかりか、土砂崩れや土石流の情報、子ども2人が土砂崩れで生き埋めになったこと、持間が経過した発見なら死亡と判断しなければならない心肺停止の状態で発見された情報等々を持間の経過と共に全て把握し、持間の経過と共に犠牲者が増える可能性を想定していなければならなかったはずだ。

 そして既に発生した情報と共に今後発生が予想される情報を国民の生命・財産――国民の危機管理全般を与る安倍晋三に適宜伝えていたはずだし、伝えていなければならない。

 2014年8月20日夏休み中の安倍晋三の「時事ドットコム」記事を引用した動静を《首相動静watcher》(2014/08/20)から見てみる。文飾は当方。 


 午前7時22分、山梨県鳴沢村の別荘発。同26分、同県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」着。

 森喜朗元首相、茂木敏充経済産業相、岸信夫外務副大臣、加藤勝信官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、日枝久フジテレビ会長、笹川陽平日本財団会長とゴルフ。

 午前9時19分、同所発。同22分、別荘着。
 午前9時41分、別荘発。
 午前10時59分、官邸着。
 午前11時から同22分まで、危機管理センターで古屋圭司防災担当相、西村泰彦内閣危機管理監。菅義偉官房長官同席。同23分から同24分まで、報道各社のインタビュー。「広島市の土砂災害で政府の対応は」に「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」

 午後0時44分から同1時22分まで、北村滋内閣情報官。
 午後2時、官邸発。同1分、公邸着。
 午後5時19分、西村内閣危機管理監が入った。
 午後5時44分、西村氏が出た。
 午後5時54分、公邸発。
 午後7時42分、別荘着。
 21日午前0時現在、別荘。来客なし

 要するに8月20日午前7時26分以後からゴルフに取りかかり、午前9時頃近くまでプレーして、午前9時19分近くにゴルフを切り上げて別荘に向かった。

 約2時間近くゴルフを続けていたことになる。

 当時の古屋防災担当相が翌8月21日午後4時からの災害対策会議後に記者たちの質問に答えている。ツイッター「朝日新聞官邸クラブ」からの採録である。文飾は当方。

 記者「調査結果内容、報告内容は」

 古屋「お亡くなりになった方が39人。そのうち身元が確認出来た方が14名、まだ確認出来ていない方が25名。安否不明という方が51名で、この中に25名の方との重複がどれだけあるかは精査している。このことが警察から発表された。これは午後2時現在です」

 記者「調査を踏まえた上での、現場での今後の課題は」

 古屋「まず、まだ行方不明者、安否不明者がいらっしゃいますので、警察・消防・自衛隊挙げてテック・フォース含めて徹底的な捜索活動をしております。これがまず最優先です。特に昨日まで、踏み込めないでいた地域もございます。

 2次災害の危険性があると。今はその状況も解消して全ての地区で入っております。まずこの捜索の徹底をし、行方不明者、安否不明者の確認をすることが最優先です」

 記者「今後、応援の増員などは」

 古屋「もう既に自衛隊も含めて警察も千人規模、自衛隊も650人規模で入っておりますので、それをしっかりと対応しながら担務(業務内容を分担して責任をもつこと。)に当たって貰うということです。

 記者「総理が指示後にゴルフを始めたことについて野党から批判の声が上がっているが初動については」

 古屋「それは全く批判は当たらないと思います。というのは私もこの状況を聞きまして、携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って、初めて連絡が不明者がいると出たのが6時十何分ですね。

 それは常に官邸にも総理秘書官経由で報告をいたしておりまして、最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。

 もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います

 記者「一旦、総理が官邸に戻った後に再び別荘に戻ったことにも批判があるが」

 古屋「そういう批判があることは私、承知しておりません。常に連携をとって私は防災担当大臣として常に総理、そして秘書官とも連携をとりながら、対応をしております。対応に何の問題もなかったと思っておりまして、批判はあたらないというふうに考えております」

 記者「別荘に戻ったことは事後対応としても全く問題なかったと」

 古屋「現実に何か支障は一つも起きておりませんですし、常に我々は内閣そして防災担当が連携をしてやっており、常に総理にも報告をしながら対応をしているということであります」(以上)

 古屋は「最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。

 もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います」と発言、初動に何ら問題はなかったとしている。

 「NHK NEWS WEB」記事が土砂崩れに巻き込まれた2人の子どもの心肺停止とその後の死亡、77歳の女性が同じく土砂災害に遭い、発見後死亡が確認されたことを報道した日時は「8月20日 11時50分」となっている。

 だが、テレビの報道は記事報道に先行する。それが「8時37分とか8分」の犠牲者確認だとしているとすると、安倍政権の危機管理上の情報収集はテレビの前に座っていて、その情報に頼っていることになる。

 広島県警や広島市消防局が警戒・救助等で災害現場に派遣した職員との間でそれ程の時間差なく、ほぼ同時進行で災害状況を交信していたことは広島市消防局が2人の子どもが土砂に埋まった持間を8月20日午前3時20分頃と発表したこと、さらに例え残酷であっても、死亡と判断しなければならない約2時間後の心肺停止状態での発見が午前5時15分頃としていることが証明しているし、広島県警が現場との無線交信記録を全て残していることが証明している。

 だが、政府情報連絡室は刻々と深刻化していくそれらの交信情報は一切収集も利用もしていなかったことになる。

 何よりも決定的なのは広島県が広島市内で土砂災害が発生し人命救助が必要だとして広島県海田(かいた)市駐屯の陸上自衛隊に災害派遣を要請したのは8月20日午前6時半で、県知事から要請を受けた部隊は直ちに防衛省に連絡、出動の許可を取る。当然、防衛省から官邸に連絡が入ったはずである。

 防衛省のサイトでも「要請の概要」は「人命救助(行方不明者捜索)」となっている、

 要請理由が人命救助である以上、6時半以降の時点で犠牲者が出る可能性を想定した危機管理対応に出なければならない。

 これも防衛省から官邸に連絡はなく、テレビ報道に頼っていたとしても、派遣要請の報道は要請時間の6時30分から約1時間後の午前7時44分付で「NHK NEWS WEB」が報道していて、テレビではそれ以前に報道していたはずだ。

 つまり安倍晋三がゴルフをするために山梨県鳴沢村の別荘を発ったのは午前7時22分。その頃には少なくとも政府情報連絡室はテレビ報道で広島県の自衛隊派遣要請の情報を把握していなければならない。

 だが、政府情報連絡室は自衛隊派遣要請からも犠牲者が出る可能性すら想定していなかった。

 だから、犠牲者を確認してからではないと、安倍晋三に官邸入りを要請することができなかった。

 果たしてそのような危機管理はあり得るのだろうか。

 この疑問を解き、極く当たり前の国家の危機管理と整合性をつけるとしたら、政府情報連絡室は気象庁や国土省が設置している熊本地方の雨量計の記録の報告を刻々と受け、広島県警や広島市消防局、更には熊本県庁がほぼ同時進行で把握する情報を招集し、それらの情報と共に被害拡大や犠牲者拡大の想定を安倍晋三に報告したが、安倍晋三がゴルフを優先させたとしか謎解きしようがない。

 安倍晋三がその日の夕方山梨の別荘に戻ったのは安倍晋三が官邸を離れていても、危機管理はできることを行動で強弁するために違いない。戻ったのは資料を取りに行く用事と21日の昼食を葛西敬之JR東海名誉会長と別荘で取るためであった。

 資料は代理で済ませることができるし、昼食は中止できない相手ではあるまい。そうはせずにわざわざ別荘に戻ってまでして、それらの用事を済ませた。この意味のなさは官邸での首相不在に無理に正当性を持たせるパフォーマンスとしか解しようがない。

 既に死者が出ていると見なければならないはずにも関わらず、約2時間もゴルフのプレーを強行したことと翌21日の別荘の行動は安倍晋三の正体が国民の生命・財産よりも自身の用事や愉しみ事を優先させるリーダーであることを物語って余りある。

 そのような安倍晋三が今回の熊本地震に際して2度被災地を視察した。1回目は4月23日午前、熊本県益城町と南阿蘇村の2個所。南阿蘇村では避難所となっている久木野総合福祉センターを訪問している。

 安倍晋三(避難している人の手を取りながら)「皆さんの生活の支援に力を入れて参ります。困ったことがあれば、遠慮なく言っていただきたい」(YOMIURI ONLINE) 

 安倍晋三「地震が続くので心配でしょうが、国としてしっかりと応援していきます。何か困っていることがあれば言ってください」(NHK NEWS WEB

 2度目は大分県と熊本県。大分県由布市では由布院駅から駅前の商店街を歩き、地元の人たちがイベントを開いている豊後牛のステーキを試食して、「うまい」と発言したそうだ。

 避難所生活当初に被災者が満足な食事にありつけなかったことなどケロッと忘れているのだろう。

 「首相官邸」サイトには熊本県阿蘇郡の西原村の避難所を訪問して、〈避難されている住民の方々を激励しました。〉と書いてあるが、どういった言葉をかけて激励したのかは書いてない。 
 
 安倍晋三が例え激励の言葉をどのようにかけて「国民の生命と財産を守る」ことをどう表現しようとも、広島土砂災害で既に“オオカミ少年”を正体としていることを暴露してしまった。

 被災地訪問は単に危機管理対応を批判されて内閣支持率を下げることがないようにするためであり、下げて参院選挙を不利にしないためとしか見ることはできない。

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川内原発を停止すべきだった理由 一度の大丈夫が自然災害の非予測性に対して既成概念となることへの危険性

2016-04-29 11:55:35 | 政治


 山本太郎が「生活の党と山本太郎となかまたち」を代表して4月29日(2016年)、首相官邸に対して〈「最悪の事態に備える」(prepare for the worst)という危機管理の大原貝」に反する〉として川内原発即時停止の「申し入れ書」を手渡した。 

 但し安倍晋三に直接手渡したわけではなく、当日通告の申し入れのため首相官邸に入れて貰えず、結局のところ首相官邸前で事務方が受け取ったスッタモンダを山本太郎は自身のブログ《山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」》(2016年4月49日)に書いている。    

 そこに次のようないいことを書いている。文飾は当方。

 〈予測不能の度重なる地震に対して、人々の生命・財産をどう守るか。最大限の予防原則に立つ事が、危機管理の鉄則。〉

 川内原発停止要求は何も山本太郎一人の意思限定ではなく、かなり多くの国民の意思をも代弁している停止要求である。官邸内で受け取らずに官邸前で受け取ったのは正式のものではなく、非公式の形式にするためだったと思われるが、もしそうだとすると、非公式とすることで多くの国民の意思を無視し、その意思が表現している「人々の生命・財産」への思いを同時に軽視したことになる。

 国民の生命・財産を守る方法論は違っても、人間の考えに絶対がない以上、少なくとも軽視してはならないはずだが、理由が何であれ、官邸内ではなく官邸前で受取るという軽視を見せた。

 安倍晋三が言う「国民の生命・財産を守る」が信用できない所以である。

 東日本大震災にしても熊本地震にしても、規模の違いはあっても、誰もが予測していなかった非予測性を代表する災害としてそれぞれの地域を突然襲った。前者は東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7の地震によって各地を大津波が襲い、福島第1原発では津波によって全電源喪失を招き、原子炉冷却が不能化し、放射性物質が外部に漏れて、最初は第1原発から半径2Km以内、3キロ以内、10キロ以内、20キロ以内と避難指示範囲を広げていき、住民は逃げ惑うこととなった。

 そして事故の程度を1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」の暫定評価とすることになった。

 国民は地震の非予測性を受けた原発重大事故(シビアアクシデント)の非予測性を知ることになった。この知の経緯(知るという認識の経過)によって地震と津波に連動した原発事故に関わる非予測性を予測可能性に替えて国民の多くは受け止めることになったはずだ。

 原発のある地域で重大な地震が発生した場合は重大な原発事故に繋がるかもしれないという予測可能性である。

 このことによって原発の再稼働・稼働許可は原発の下や近くに断層が通っていないか、通っていたとしても、その断層は活断層か不活断層かが常に問題となっている。

 原発事業者は通っていたとしても不活断層だと言い、許可側がそれに疑いを差し挟んだり、原発反対派が活断層の疑いがあると主張すると、決まって揉めることになる。

 だが、例えそれが不活断層だと認定されたとしても、永遠に不活断層にとどまる予測可能性に安んじることはできないこと、常に非予測性を想定していなければならないことを東日本大震災によって知らされることになった。

 東日本大震災2011年3月11日発生1カ月後の4月11日、福島県浜通りを震源とするマグニチュード7.0、最大震度6弱の地震は東日本大震災の余震とされたが、それまでは東電の調査で不活断層としていた湯ノ岳断層が動いたことによる地震とされた。

 具体的には湯ノ岳断層は過去の研究で活断層と見られるとされていたが、東電は調査したものの、過去12万~13万年前以降に動いていない断層は再び地震を起こさないとの想定のもと作成されている原子力安全委員会の新指針に従って活断層の想定外に置いた。いわば不活断層と看做し、そこに一切の非予測性を見ず、不活断層であるとする予測可能性を既成概念化していて、活断層化するかもしれないという逆の予測可能性を想定していなかった。

 だが、このことによって不活断層とされても、それを裏切る非予測性を想定し、活断層化する予測可能性に立って判断しなければならないことを多くが学ばされることになった。

 今回の熊本地震にしても非予測性に満ちた地震は他に例を見ない。最初の4月14日午後9時26分のマグニチュード6.5,最大震度7の地震は北東や南西方向の別の断層を動かし、最大震度6強や5強の地震を引き起こした。

 気象庁は14日の地震を本震と見なしていたが、4月16日午前1時25分のマグニチュード7.3、最大震度6強の地震を本震とし、14日の地震を前震に変えた。そして16日以降も地震は各地に飛び火し、広域多発化した。

 震度度1以上の地震回数は1000回にものぼり、最大震度7が2回、震度6強が2回、震度6弱が3回、震度5強が3回、震度5弱が7回、震度4が80回となっているとマスコミが伝えている。

 この非予測性を纏った広域多発化した立て続けの地震によって、地震が活断層から活断層に飛び火していくことを知り、このような現象を否応もなしに予測可能性のうちに入れなければならないことになった。

 当然、不活断層を活断層化していくことも予測可能性としなければならない。

 気象庁が「今までの経験則から外れている地震」と言っていることは熊本地震の非予測性の指摘であるが、例え他に例を見ないからと言って熊本地震にとどまる非予測性とするのではなく、一度でも経験することによって、今後共あり得るかもしれないとする予測可能性に変えていかなければ国民の生命・財産を守る危機管理は成り立たない。

 熊本地震の震源域と川内原発の距離は約150キロあるとネット上に記載があるが、距離が離れていることから、何の支障もなく稼働し続けることになるだろう。

 だが、災害は当初は常に非予測性に満ちている。この非予測性に対して距離があるからと、あるいは近くに走っていのは不活断層だから大丈夫、あるいはあり得ないを予測可能性とし、このことを既成概念とした場合、災害の既成概念化できていない非予測性によって、予測可能性がいつ裏切られるか分からないことを学んでいる。

 災害が起きてから、あるいは原発事故が起きてから、非予測性を予測可能性として学び、既成概念化するのでは遅過ぎるし、この上なく危険なことになる。

 安心を予測可能性とするのではなく、常に非予測性に立って危険を予測可能性とすることが国民の生命・財産をより万全な形で守る危機管理となるはずだ。

 危機管理をこのような形に持っていくためには当然、川内原発の稼働を一時停止しなければならない。

 だが、安倍晋三にはこのような危機管理を一切持ち合わせていない。

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熊本地震:いつまで経っても2次元的水平思考の震災対応 3次元的垂直思考へと転換すべきではないか

2016-04-28 11:44:26 | Weblog


 大震災後の避難所生活で常に問題となるのはプライバシーである。これも被災者にとって定番化している不都合なのだが、災害のたびに不都合を繰返し、繰返させている。

 熊本地震10日後の4月24日になって避難所となっている熊本市中央区帯山西小学校体育館に世界的な日本人建築家が紙筒製高さ2メートル、直径は10センチ程度なのか、円形の支柱を立てて、支柱の頭近くに空けた横穴に同じ紙製のより直径の小さな棒を差し込み、支柱と支柱の間に渡して、それぞれの渡し棒に布のカーテンを張って個室に仕立てたと、4月24日付「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 記事は、〈この避難所では、教室や運動場で避難生活を送る人たちの一部を、今月28日以降、間仕切りを設けた体育館に移すことにしています。〉と解説しているが、間仕切りした個室に移すのか、間仕切りの個室には既に体育館内に避難していた被災者に“入居”して貰って、移動により空いたスペースに教室や運動場への避難者を受け入れるのかは記事の文章のみでは判断はつかない。

 作り出した個室は2メートル四方60室。畳2帖に少し余裕を持たせた広さとなるから、家族であるなら、2人入れることになる。占めて120人。「西日本新聞」が4月23日現在の帯山西小学校体育館避難者数を約200人と伝えているから、かなりの収容率と言うことになる。
 
 確かに周囲の視線を遮ってくれて、気にしなくても済む。だが、あくまでも2次元的水平方向の活用に過ぎない。コミュニティ体育館の有効天井高は7メートルが標準だそうだが、避難所が小学校と言えども体育館である以上、垂直方向の天井までの有り余る空間を有効活用の対象にしていないことになる。

 上を見ると、だだっ広くガランとしていて、下を見ると避難者がひしめき合い、雑然としていて、奇妙なコントラストを描いている。

 他の避難所でもダンボールやカーテンを利用して間仕切りとしたスペースを設けている場所もあるようだが、ほんの一部であり、どれも2次元的な水平方向の空間利用でしかないようだ。

 何日か前のブログで2004年11月2日に当時自身のホームページに載せたものの、許可容量の関係で現在は削除状態にある「市民ひとりひとり」、《第71弾 井戸の活用による地震後の避難生活の改善》を参考にして震災発生時の避難生活での井戸の活用を取り上げたが、避難所生活での複数段ベッドを用いた3次元的垂直方向の空間利用についても書いている。

 〈戦前・戦後から建て替えなしの住いならともかく、経済大国下に建造された住居は住人それぞれのプライバシーを保護できる密閉可能な部屋を個別に持ち、そういった建築が主流となって久しいが、そのことから比べると、体育館といった避難場所は隅から隅まで仕切りは一切ない広々とした1つの空間に雑魚寝同然にひしめき合った状態でそれぞれが居場所を確保しているのみで、プライバシーを守る道具立ては何もない。自分の居場所示す目印は敷き放しの布団であり、家族同士が布団を寄せ合って一家の敷地替りとし、その上に柱も壁もないごく限られた空間を住居の代用として、寝起きの用を足す不便・不自由の我慢を簡易住宅が建設されるまで強いられている。

 このお馴染みの光景を改善して、プライバシーを少しでも確保するには、体育館等の避難空間を従来どおりに二次元的にではなく、組立て式の複数段ベッドを組立て、設置する、三次元的な利用方法を用いたらどうだろうか。5人家族なら、5段ベッド、3人家族なら、3段ベッドというふうに、家族ごとに段数を構成すれば、家族の一体感がかなり守られるし、ベッドの手摺り部分にカーテンを取付けることができるようにしておけば、それぞれのプライバシーもそれなりに保護することができる。

 二次元から三次元に利用方法を変更することによって、従来以上の避難住民を引受けることができるのではないか。もしそれが可能となったなら、狭い車の中で避難生活を余儀なくされている住民を少なくすることもできる。ベッドは余震で倒れないように固定しておかなければならないが、それは技術的には難しいことではない。

地震は日本のどこでも発生すると考え、すべての地方公共団体が事後の対策を準備しておかなければならない。複数段ベッドは避難場所に予定されているすべての学校、及びすべての地方公共団体が所有するすべての体育館、その他に備えておくこととする。予算は、役人どもが税金を誤魔化して呑んだり食ったりの裏金作りをやめ、政治家が税金を使った公共事業を利用して私腹を肥やす乞食行為を改めたなら、そのカネを複数段ベッドの購入に振り向けたとしても、莫大なお釣りが返ってくるはずである。〉――

 後で組立て式の複数段ベッドだと未使用時の保管場所のスペースが広くなり過ぎるし、使用時間より未使用時間の方が圧倒的に長期に亘るから、保管場所の確保その他で効率の悪い利用方法であることに気づいた。

 だが、体育館といった天井の高い空間上部を利用せずに天井近辺から見たら下界さながらの床部分のみで避難者が肩身狭くひしめき合っているのは、例え止むを得ない事情からであったとしても、人間としての存在をあるべき状態から損なわせていることに変わりはないはずだ。

 だからこそ、紙の筒で作った支柱と渡し棒とカーテンで作った個室を用意することになったのであり、そうすることで人間的存在としてのあるべき状態に少しでも戻そうとしたのだろう。

 惜しむらくはそれが2次元的な水平方向の空間利用にとどまっていて、より多くの被災避難者を一個所の避難所に収容し、なおかつそれぞれに心身の余裕を与えることが可能となる3次元的垂直方向の空間利用にまで進んでいないことである。

 勿論、可能かどうかの問題が生じるが、定番化させたままプライバシーの問題を繰返すのか、可能性に挑戦して、少しでも問題解決に向けて努力するかである。

 組立て式の複数段ベッドに替えてストックの手間を省くことができ、3次元的垂直方向の空間利用を可能とするより簡便な方法として建設現場で使うレンタルの組み立て式の二側足場(ふたかわあしば)の利用を思いついた。

 すべての部材が規格化されていて、それぞれの部材のはめ込む位置さえ覚えることができ、高所作業に不便を感じなければ、誰でも組み立てることができる。ネット上から画像を探し出してきて貼り付けておいたが、横幅が1524ミリあるから、二人並んで寝転がることができるし、高さがつなぎの重なる長さを除くと150センチ程になって立つと頭を下げなければならないが、下界でひしめき合っているとき程には不自由しないはずだ。

 組立形式で、縦方向に望み通りの長さで伸ばしていくことができる。横方向は同じ足場を2列、3列と建てていくことで広げていくことができる。

 間に5~60センチ程の通路を取れば、出入りの移動がよりスムーズになるし、通路が僅かながらでも緩衝空間となってプライバシーの保護に役立つ。

 床となる足場板はスチール製だが、気候に応じて毛布なり布団なりを敷けば、不便を凌ぐことができる。枠の縦棒から縦棒に紐を渡してカーテンを取り付ければ、最低限のプライバシーは守ることができるし、何よりもエコノミークラス症候群発症を抑えることができるはずだ。

 バスケットコートの横幅は14~15メートルだそうだから、体育館の横の広さはそれ以上にあることになり、足場の横幅を1.5メートル、通路を0.5メートルと見て、合計2メートル。6列か7列は十二分に取ることができる。

 避難所の体育館がコミュニティ体育館の標準有効天井高どおりに7メートルあれば、3階建、あるいは4階建ても不可能ではない。いくつかの足場レンタル会社と契約を結んでおいて、地震発生と同時に夜中だろうが何だろうが従業員を緊急に狩り出して持間を問題とせずに配達して貰う。道路が寸断されていたなら、消防のヘリなり自衛隊のヘリなりが緊急に運搬する計画を立てていたなら、避難所に資材を持ち込みさえすれば、規格品を組み立てていくだけだから、3時間か4時間で組み立てることができるはずだ。

 レンタルだから、避難所閉鎖と同時に返却すれば、ストック場所の必要もないし、ストックにかかる費用もゼロで済む。

 どのような方法であっても、2次元的な水平方向の空間利用から3次元的垂直方向の空間利用が可能になれば、今まで以上にプライバシーを保護できる状態で一つの避難所により多くの被災者が受け入れ可能となり、その分避難所の数を減らすことができるだろうし、車中泊避難者の数も減るだろうし、一箇所により多くの避難者を集めることによって食料や飲料水等の物資支援・補給、その他の管理が今まで以上に行き届くことになる。

 避難所での寝起きの空間とそこでのプライバシーの確保の問題だけではなく、生活上の管理が行き届くことによって被災者の不便が和らげられることになれば、何よりも人間的存在としてのあるべき状態により近づけることができるはずだ。

 既に東海地震、南海地震、東南海地震、東海地震と東南海地震と南海地震連動の南海トラフ地震、そして首都直下型地震が想定されている。いずれが発生した場合でも、避難者の数は熊本地震の比ではないかもしれない。

 経済大国を誇る以上、如何なる場面に遭遇しても人間の暮らしがそれなりに追いついていくべきだし、追いついていかなければ経済大国の名に恥じることになるのだから、2次元的水平思考の震災対応はそろそろ打ち切りにして3次元的垂直思考への転換を図ることによって避難所でのプライバシー問題や生活の余裕のなさを何らかの方法で少しでも解決すべき時期に来ているはずだ。


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安倍晋三の保健医療水準の向上が飢餓や貧困の解消、格差や不平等克服の実現原動力と思わせるキレイゴト

2016-04-27 12:13:16 | 政治


 4月26日、「2016年G7伊勢志摩サミットに向けた世界人口開発議員会議」が都内で開催され、安倍晋三が「基調演説」を行った。    

 安倍晋三「この2日間の会議では、女性や若者の活躍、人口問題と持続可能な社会づくりなど、様々な課題が議論されています。その前提となるのが全ての人々が健康で暮らすこと。飢餓や貧困の解消は、保健医療水準の向上と共に実現するものであり、格差や不平等の克服は保健医療の確保なくして成り立ちません。今や保健をめぐる問題は、一つの国にとどまらず、地球規模で取り組むものとなりました。世界の保健医療水準を向上させることが、すなわち自らの国の社会経済的発展や社会の平和安定につながります」――

 相変わらずキレイゴトを並べるのが名人ときている。偽ブランド品を眩(まばゆ)いばかりの照明の下にキラキラと並べて本物と見紛わせ、客の虚栄心を擽り、次々と売りつけて、自身はしこたま儲ける。そのような商売名人のようだ

 「飢餓や貧困の解消は、保健医療水準の向上と共に実現するもの」と言い、「格差や不平等の克服は保健医療の確保なくして成り立ちません」と言う。

 いわば「保健医療水準の向上」が「飢餓や貧困の解消」の実現原動力であり、「保健医療の確保」こそが「格差や不平等の克服」の成立要件となるということを宣言していることになる。

 と言うことは、保健医療の水準が向上している国では飢餓も貧困も解消された状況にあり、このことに対応して格差や不平等が少なくとも克服できている状況にあることになる。

 日本は保健医療の水準が向上している国である。安倍晋三は常々証明している。2013年3月15日 の TPP交渉参加決定記者会見。

 安倍晋三「最も 大切な国益と は何か。日本には世界に誇るべき国柄があります。息を飲むほど美しい田園風景。 日本には、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統があります。自助自立を基本としながら、不幸に して誰かが病に倒れれば村の人たちがみんなで助け合う農村文化。その中から生まれた世界に誇る国民皆 保険制度を基礎とした社会保障制度。これらの国柄を私は断固 として守ります」――

 安倍晋三は日本が「世界に誇る国民皆 保険制度」、あるいは「世界に冠たる国民皆保険、皆年金」の国であることを常套句として国会答弁その他で繰返し発言している。

 そしてこのような日本の保健医療の世界的な水準を日本の国柄だと自ら誇り、この誇りを国民が共有することを常に求めている。

 当然日本は保健医療が世界的な水準で向上している国として飢餓・貧困は疎か、格差や不平等も特に問題にしなければならない程には社会に蔓延っていない比較的平等な社会を築いていることになるし、築いていなければならない。

 だが、保健医療に限っても、世界に冠たる国民皆保険、皆年金制度を誇っていても、2014年6月時点の保険料を支払うことのできずに保険料を滞納する貧困家庭は全加入世帯の17%以上にも上ると、2015年2月12日付「しんぶん赤旗」は伝えている。
  
 保険料を完納できない世帯には正規の保険証に代わり、「資格証明書」や、有効期限が短い「短期保険証」が発行されるが、医療機関の窓口で10割全額支払わなくてはならない「資格証明書」が発行された世帯は約26万4500世帯、「短期保険証」が発行された世帯は約114万3300世帯に上ると解説している。

 要するに安倍晋三が麗々しく言っているように日本が保健医療の世界的な水準を誇っていたとしても、飢餓とまではいかなくても日々の食生活を満足に満たすことのできない貧困や格差・不平等は厳然と存在していて、保健医療が貧困・格差・不平等解消の打ち出の小槌になるわけではないことを示している。

 2012年の等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる貧困線は122万円、世帯の割合は16.%。これらの世帯で暮らす18歳未満の「子どもの貧困率」は16.3%を占めていると、2014年8月29日付「Nippon.com」が伝えている。  

 この貧困率は2000年代半ばの時点でOECD加盟国30か国のうち日本(約15%)は4番目に高かったと書いている。

 経済先進国・保健医療先進国でありながら、豊かさとは逆行した姿を一部国民に強いている。

 と言うことは、国の政治が最初に為すべきは貧困の撲滅・格差と不平等の是正であって、貧困や格差・不平等が存在する国情のもと、保健医療の水準の向上を先に持ってきても意味はないことになる。

 いくら高度な水準を誇る保健医療であったとしても、カネがなくて利用できなければ猫に小判。豚に真珠そのものとなる。

 例えばEU諸国の保健医療は世界的な水準を誇っているはずだ。だが、EU諸国に流れた移民の多くは職業的にも社会的に差別され、満足な職も手に入らずに貧困と格差の犠牲となっている。

 そしてそのような貧困と格差がEU諸国に於けるテロの温床となっていると言われて久しい。

 安倍晋三も2015年年2月18日の参院本会議で安倍晋三の施政演説に対する公明党の山口代表の代表質問に答えて、「御指摘のとおり、貧困や抑圧といった問題がテロの温床になっていると考えられます」と発言している。

 この答弁は中東諸国のみならず、EU諸国をも含めた状況を指しているはずだ。

 「飢餓や貧困の解消」は「保健医療水準の向上」とは決して連動していないし、連動しない。いくら保健医療を世界的な水準で確保しても、「格差や不平等の克服」を保証しない。

 飢餓は飢餓として、貧困は貧困として、格差は格差として、不平等は不平等として存在存在し続けるだろう。

 だが、安倍晋三は以上のような極く当たり前の認識を持つことができない。キレイゴトを弄して、不可能を可能と思わせたに過ぎない。猫に小判が通用し、豚が真珠の価値を知ることができるかのように広言する程度の低いパフォーマンスをいっとき見せたに過ぎない。

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安部晋三は北海道5区補選を「大きな勝利」と言うが、落とさなかったという意味ではそうだが、事実は違う

2016-04-26 08:38:42 | 政治

 4月24日投開票の衆院北海道5区補選は自民党新人が当選を果たした。

 ▽和田義明(自民党・新)13万5842票
 ▽池田まき(無所属・新)12万3517票

 実質的には与野党一騎打ちの戦いだったが、与党に軍配が上がることになった。

 当選後の両者の発言を「NHK NEWS WEB」から見てみる。      

 和田義明「本当に厳しい選挙戦だったが、なんとか勝たせていただいた。経済がまず大事だという訴えが有権者に届いたと思う。新千歳空港などの民営化や北海道新幹線の札幌延伸など、まずは経済の活性化に全力を尽くしていきたい。私自身が北海道のセールスマンとなり引っ張っていく」

 池田まき「誰もが心から安心できる社会をつくろうと選挙戦に臨んだが、このような残念な結果となり大変悔しい。今回の選挙は、1票1票に思いや願いが込められた選挙だったと思う。選挙を通して、有権者の受け止めが日に日に変わっていくのを感じられたことが大きな1歩だったと思う」

 両者は相反する考えを述べている。前者は国家主義的経済の思想家で、後者は国民主義的経済の思想家の立場を取っている。

 国家主義的経済とは国家を経済的に成り立たせることを優先させる思想のことを言う。和田義明が「経済がまず大事」と言っている「経済」とは国家の経済を指す。

 和田義明は国家の経済を成り立たせる道具立てとして「新千歳空港などの民営化や北海道新幹線の札幌延伸」を挙げた。当然、国民を社会保障問題を含めて経済的に成り立たせる思想は国家の成り立ちの次に置くことになる。

 発言に道民(=国民)一人ひとりの生活の成り立ちに向けた視点が見えないとしても、何ら矛盾はない。

 実際にはそのような発言を後でしていたのだが、記事がそれを取り上げていなかったに過ぎなかったとしても、国家を先に置き、国民を後回しとする構造を取っていたことに変わりはないことになる。

 池田まきが「誰もが心から安心できる社会をつくる」と言っていることは、国家よりも先に国民一人ひとりの生活の枠としてより身近な社会を持ってきて、社会保障問題を含めた国民の生活を経済的に成り立たせることを最優先視し、その上に国家の経済的な成り立ちを置く政策を掲げていたことを示す。

 投票の結果、約1万票の差で国民優先の国民主義的経済が国家優先の国家主義的経済に敗れた。

 このことを裏返すと、北海道5区の道民は国民主義的経済よりも国家主義的経済を選択したと言うことができる。少なくとも前者を選択すよりも後者を選択する道民が約1万人多かった。例えそこまで自覚せずに投票したとしても、結果として国家主義的経済を選択したことになる。

 上記記事は投票率は57.63%で、前回(平成26年)の衆議院選挙を0.8ポイント下回ったと解説しているが、棄権者がもし国民主義的経済を支持する立場に立っていたなら、国家主義的経済が選択されるのを座視したことになる。

 国家主義的経済を支持する立場の棄権者なら、例え投票に行かなかったとしても、結果オーライということになる。

 当選・落選、あるいは棄権、全てがそれぞれに意味を持つ。

 安倍晋三が投開票翌日の4月25日の自民党役員会で行った当選結果についての発言を4月25日付「NHK NEWS WEB」が伝えている。  

 安倍晋三「『自民・公明対民進・共産』の一騎打ちとなり、経済政策や安全保障政策が大きな争点となるなかで、これまでの実績などを有権者に評価してもらい、大きな勝利を得た。

 『勝って兜(かぶと)の緒を締めよ』だ。今後も国民の声に謙虚に耳を傾けながら、身を引き締めて政権運営に当たると同時に、政府・与党、力を合わせて山積する課題に取り組んで行きたい」――

 国民主義的経済ではなく、国家主義的経済が支持されたに過ぎない。そこに安全保障政策が加わっていたとしても、安倍晋三その他のこれまでの言動から見ると、国民の成り立ちではなく、国家の成り立ちを優先させた安全保障政策であって、国家優先を構造とした政策であることに変わりはない。

 「大きな勝利を得た」と言っているが、落選した場合に安倍内閣に与える悪影響の大きさを当選によってどうにか回避できたという意味では「大きな勝利」と言えるが、当選獲得票からすると、違う姿を取る。

 両候補が得た総得票数は25万9359票となる。和田義明の13万5842票は総得票数の52%、半数を少し超えたに過ぎない。池田まきの12万3517票は47.63%。僅か4.37%の差しかつけることができなかった。

 確かに1票でも上回れば勝利は勝利であるが、政策の支持という点で見ると、実態は異なっていて、決して「大きな勝利を得た」と言うことはできないし、そのような表現は明らかに「大きな勝利」だと国民に思わせる、安倍晋三らしい過大評価を狙ったペテンに過ぎない。

 大体がアベノミクスにしても安倍晋三自身による過大評価でどうにか持たせているようなものである。

 安倍晋三のペテンに誤魔化されずに池田まきの国民主義的経済が和田義明の国家主義的経済に対して善戦したことを肝に銘じ、善戦を夏の参院選への勝利に変えていかなければならない。

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安倍政権が避難生活者物資支援を前半プッシュ型、後半プル型と分けていること自体に危機管理の欠如を見る

2016-04-25 10:35:36 | 政治

 ――河野太郎が言うように被災地支援物資配送はプッシュ型でもプル型でもなく、御用聞き型で行うべきだろう――

 4月23日政府開催の「熊本地震非常災害対策本部」で本部長で防災担当相の河野太郎の会議冒頭発言。

 河野太郎「(被災地の要請を待たずに物資を送る)プッシュ型から、細かいニーズを吸い上げるプル型のオペレーションに変えたい」(時事ドットコム)   

 さも当初のプッシュ型が良好な進捗を見せ、何の支障もなくプル型へとバトンタッチしていくことができるようなことを言っている。

 マスコミは地震発生3日目の4月17日になると、避難所生活での食料不足や飲料水不足を報道し始めている。当初から不足していたはずだが、地震が家屋やインフラに与えた被害の状況や避難状況を伝えるのに手一杯で、食料不足や飲料水不足を伝える余裕がなかったことからの表面に現れなかった生活状況であったはずだ。

 それが証拠に4月17日付け13時02分の「NHK NEWS WEB」記事は熊本市中央区の五福小学校の避難所では、給水所も設けられていてペットボトルなどを手にした人たちが朝から長い列をつくっていたこと、熊本市中央区にある市立慶徳小学校では、水や食料が不足していて、避難している人たちは僅かなパンやおにぎりを分け合っているということ、車中泊の高齢者が、今日は昨日一度だけ給水があって、後はなかったと言っていることなどを伝えている。

 だからこそ、このような不足状況を受けて官房長官の菅義偉が4月16日の非常災害対策本部会議(午前5時10分~同23分)後の記者会見で、「避難所に90万食送る準備を進めている」とか、安倍晋三が4月17日午前11時過ぎに首相官邸で記者団に「今日中に70万食届ける」と物資支援に慌ただしい対応を見せなければならないことになったはずだ。

 菅義偉「熊本県内の681か所の避難所におよそ9万人が避難している。被災地域の必要な物資を確保できるよう、本日、非常災害対策本部の下に関係省庁からなる物資調達班を設置し、被災者数に応じた3日分の食料、90万食を供給する準備を進めている」(NHK NEWS WEB/2016年4月16日 19時50分)

 何万、何十万という住民が避難所での生活を強いられる甚大な自然災害を受けた避難生活では不足する物資が定番化しているにも関わらず、そのような定番化した物資の不足状況を受けて4月16日に物資調達班を設置して供給の準備を開始すると言っているのだから、食料の手配と手配後の配送で被災者の手元に届くのは17日かそれ以降ということになり、定番化している災害発生当初の不足物資の対応としては後手に回っている印象は拭えない。

 安倍晋三「熊本県内のスーパーやコンビニエンスストアの食品の品薄状態については、食品業、小売業の皆さんの協力を頂いて、夜を徹して手配を進めてきた結果、朝9時までに15万食以上が店頭に到着したとの報告を受けた。

 今日中には70万食を届ける。被災者のおひとりおひとりに必要な食料、水が届くようにするので、どうかご安心を頂きたい」(NHK NEWS WEB/2016年4月16日 19時50分)

 朝9時までに届けた15万食はスーパーやコンビニ宛であって、避難所ではない。前段との関連からすると、後段の今日中に届けるとしている70万食はやはり避難所ではなく、スーパーやコンビニと言うことになる。

 コンビニやスーパに届けた商品を以って「被災者のおひとりおひとりに必要な食料、水が届くようにする」と言っているのだから、ゴマカシ以外の何ものでもない。

 以上のような支援物資の対応遅れは災害発生時当初の不足物資が定番化していることの関係からすると、そのことにも満足に対応できなかった二重の対応遅れを示していて、河野太郎が言う程には当初のプッシュ型にしても迅速とは言えなかったし、満足に機能していたとも評価することはできない。

 プッシュ型が満足に機能していなかったことは熊本市が救援物資の配送見直したところに現れている。

 全国からの救援物資は十分集まっていて4月21日に受け入れを中断しているが、受け入れた救援物資は集積拠点の「熊本県民総合運動公園」に集めてから各区役所に一旦配送、区役所から各避難所に配送していたが、人手不足や各避難所が必要とする物資と数量の把握に持間がかかったからなのだろう、物資が滞留することになったために区役所経由を省いて集積拠点から避難所に直接配送する方法に切り替える方針を4月24日に決めたという内容の記事を「NHK NEWS WEB」(2016年4月24日 13時11分)事が伝えている。  

 支援物資の滞留は支援物資到着の遅れを物語ると同時にプッシュ型が満足に機能していなかったことの何よりの証明としかならない。

 また最初はプッシュ型、次はプル型と分けて考えるところに安倍政権の熊本地震被災者物資支援に関わる危機管理の想像力の欠如を現出させている。後半はプル型で間に合うとしても、前半はプッシュ型と決めておくと、プッシュ型に入っていない物資の不足を訴えられて急遽プル型で対応しなければならなくなったとき、用意していないために柔軟に対応できないケースも生じることになるからだ。

 このように最初はプッシュ型、次はプル型と決めておく柔軟性のなさが定番化している災害発生当初の不足物資への対応が定番化しているにも関わらず、そのことへの想像力を働かせることができずに満足に機能しなかった原因でもあろう。

 熊本地震での支援物資の遅れを書いた4月18日(2016年)の当ブログ記事に、災害発生当初に不足し、〈必要とする物資が定番化している以上、定番となっている物資を(集積拠点から)トラックに積んで先ずは各避難所に向かって、そこで必要とする物資と個数を聞いて降ろしていく。不足なら、次の便で不足分を届ける。余った物資は次の避難所に届ける。 

 道路が寸断されていたなら、自衛隊のヘリコプターを利用して先ずは隊員一人をロープで吊り降ろして、その隊員が避難所とヘリコプター間の意思疎通を無線機で仲介して必要とする物資を伝え、伝えた物資を地上の隊員の誘導で同じくロープで吊り降ろして、物資調達を果たす。

 こういう方式にすれば、迅速に被災者のニーズに応じることができるはずだ。〉と書いたが、書いたときは気づかなかったが、形式の名付けをするなら、“御用聞き型”と言うことができる。

 一旦集積場に集積された支援物資の中から災害発生時に不足し必要とされる食料・飲料水、トイレットペーパーや生理用品、季節によって毛布等々、定番化した物資を兎に角トラックに積んで避難所に届け、避難所が必要とする物資を降ろし、もし定番化外の物資を要求されたなら、連絡手段があるなら集積場に連絡して次の便で届けさせるか、連絡手段がなければ、トラックの荷を幾つかの避難所を回って全て配送し終えた後に集積場に戻って、その荷と他の避難所への定番化した不足物質を積んで再び配送に向かう。

 勿論、道路が寸断されていて陸路の配送が不可能なら、自衛隊のヘリがその役目をする。

 このような“御用聞き型”によって震災発生当初からプッシュ型とプル型を同時に機能させる柔軟な物資支援が可能となり、その柔軟性は車中避難者を含めた避難所生活者の不足物資の早い段階からの解消に満遍なく働くことになる。

 だが、安倍政権はそうすることができなかった。食料を70万食届けた、90万食届けると、支援を十分に機能させているかのように言い、飲料水や生活用水不足に自衛隊の給水車を派遣、15日の朝早くから給水支援を実施したが、全ては不足の訴えが出てからの対応であり、不足の充足に時間がかかった。

 安倍晋三は「被災者の皆さんの生活を支援し、不安な気持ちに寄り添う対応を進めていきたい」と言っているが、実際には災害時の不足物資が定番化していることを計算の内に入れることができなかった危機管理対応の遅れ・危機管理に於ける想像力の欠如が招いた被災者の不安でもあり、その不安を今以て長引かせている何よりの原因であるはずだ。

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災害大国日本 大自然災害での住民避難に備えて公共避難所や公共施設に井戸設置を法律で義務付けるべきでは

2016-04-24 09:51:50 | 政治

 今回の熊本地震でも水道・電気・ガスのインフラが打撃を受け、特に水不足を訴える災害時の定番化したお馴染みの光景にお目にかかることになった。水不足に苦労する避難住民に「お馴染み」と表現するのは失礼に当たるが、繰返されてきた光景であることに変わりはないし、今後共繰返される可能性は高い。

 では、どうしたら繰返さずに済むだろうか。

 今回の地震後に避難所での水不足が報道されるようになってから、熊本県は「水の国」と呼ばれる程に全国有数の地下水豊富な地域で、ツイッターに湧き水の活用を呼びかける投稿や施設や大学等が所有する井戸水の提供を呼びかける投稿が相次いだと4月18日付「NHK NEWS WEB」が伝えていた。 

 但し湧き水利用の場合は安全性が確認されていいために「自己責任」の利用となり、煮沸してから飲料水として利用するよう、熊本市水保全課が呼びかけているという。

 ツイッター投稿の裏を返すと、水不足が深刻な状況にあったということであろう。

 熊本県はこの全国有数の地下水源を、その必要もなかったからだろう、濾過せずに水道水の8割に利用していたが、繰返された地震の揺れで地下水が汚濁、元々濾過装置を備えていなかったために水道管を復旧できても自然に水質が改善するまで水を供給できな状態にあると「47NEWS」が伝えていて、自然災害に遭遇するとなると、飲料水供給源としての地下水が必ずしも完璧とまでいかないようだ。

 問題はやはり飲むことのできる水道水として水道を復旧させるまでの水の提供ということになるが、地震の揺れで地下水が濁ることになれば、地下水を水道源としている地域は他地域からのペットボトルの輸送・提供か自衛隊の給水車で供給する以外に方法はないことになる。

 尤も水道水が汚濁しても、飲用を禁止して水洗トイレ用の水としての供給は可能となる。

 このことは井戸についても同じことを言うことができるはずだ。

 以前、地震で地下水が汚濁することを知らずに《第71弾 井戸の活用による地震後の避難生活の改善》と題して2004年11月2日に井戸活用のHPをネットに載せていたが、許可容量の関係で現在は削除状態にある。

 少し紹介したいと思う。

 〈被害甚大な大地震が起きるたびに決まって繰返される風景がある。避難所となった体育館等の、雑踏と言ってもいいすし詰め状態となった避難住民の寝起き風景。炊き出し、給水車から飲料水等の支給を受ける風景。そして、それらの背景にカメラで把えはしないが、絶対数が足りない上にそこまで手が回らないために汲み取りが間に合わず、そのために排泄物がいつも満杯状態となった臭気漂う不潔な仮設トイレ。トイレになるべく行かないで済むように水分摂取を控えて、体調を悪くする者もいると言う。臭気に気持が悪くなって、便は出ずに、逆に折角胃の中に入れて空腹を満たした食べ物を吐き出してしまう者もいるに違いない。

 いくら地震の被害に遭い、インフラが壊滅的打撃を受けたからといって、これが世界第2位の経済大国にふさわしい風景だろうか。次の地震のとき、1つ2つは解消させて、経済大国日本に似つかわしい、避難の雰囲気を少しでも和らげた風景とすることができないだろうか。

  ――中略―― 

 次に改善が可能なのは、生活用水である。地震が起きるたびに電気・ガス・水道の各施設が破壊され、不自由を余儀なくされるが、水に限っては給水車が水の供給に被災地を巡回して、当座の不便を多少なりとも解消してくれる。しかし蛇口をひねれば水が出た便利さから比べたら、難儀なことだろう。次の給水車が来るまで、節約しいしい使わなけらばならない。老人ホームでは水不足で、入居老人の排泄後などに身体を拭くとき満足に水が使えなくて、かぶれ等が生じているとテレビで報道していた。緊急事態なのだから我慢しろと言うことなら、それまでだが、大地震の場合、水道が使えなくなるのはほぼ決定事項なのだから、井戸に変えたらどうだろうか。

 避難場所となる体育館やその他の施設に井戸を掘っておく。井戸掘り専門の業者に工事を依頼すると高くつくが、個人の技術で掘れないことはない。以前土木作業員をしていた頃、工事現場が水道が敷設されていない場所だったために、水道工事会社の人間が来て、足場に使う鋼管パイプで高さ3メートル程、面積が50センチ角程の長方形の簡単な4本のやぐらを組んで、中心に長さ2メートルか2.5メートルで直径4~5センチかそこらと記憶しているが、地面に突き立てる方の先端に円錐形の鉄矢尻を取付けた鉄パイプを立て、反対の小口に100ボルトの電気で作動可能なコンクリートを破砕するハンマードリルを、その先端に取付けた鑿の部分だけを差込んで、倒れずに下降していく仕掛けにして固定してから電源を入れた状態にしておくと、ハンマードリルが鉄パイプに振動を与えて、少しずつ打ち付ける形となって、徐々に地面を穿っていき、場所がよかったかどうか分からなかったが、時間はそんなにかからなかったように記憶している、水を出すことに成功した。

 ほんの少々指導を受けたら、見よう見まねでできない作業ではない。但し、岩盤に当たったなら、掘削場所を変えなければならないのは当然なことであるが。あるいは地震の地殻変動で水が出なくなる井戸が出てくる場合に備えて、予備の井戸を何本か掘っておく必要がある。揚水パイプをフレキシブルの資材にしておく工夫も必要になるかもしれない。〉――

 要するに井戸掘削は専門業者に頼まなくても、土木作業者にもできる。

 この井戸を非常時に水洗トイレ用に如何に活用するか。

 避難所に指定されていてもいなくても、避難所として利用できる学校や体育館等の全ての公共施設を対象に、そういった場所は一般的には階毎にトイレがあり、一つのトイレで便器がいくつも備え付けられているから、井戸水に切り替えて利用できるように井戸を掘っておくことを法律で義務付ける。

 井戸は一般的には電動ポンプで地下水を汲み上げる。地震で停電した場合、数万円の小型の発電機に切り替えれば、問題はない。発電機が小型でも、燃料を継ぎ足していけば、長時間作動させることができる。

 井戸用の電動ポンプのように蛇口をひねるとスイッチが入るようにしておけば、燃料自体はさして消費しないことになる。この井戸水用の配管を前以てトイレの外壁まで埋設して外壁の所で壁に這わせて立ち上げ、普段トイレの水として使っている水道管とレバー一つで切り替えることができるように接続させておけば、少しぐらい濁ってもわざわざ屋外に設置した仮設トイレに出なくてもいいし、夜昼の持間にも、雨や寒さといった天候にも関係なく利用できるようになる。

 勿論、普段からトイレの水を井戸水で賄うこともできる。

 屋外にずらりと並べた仮設トイレの不便さ、環境の悪さは、〈汚い・暗い・狭い〉という表現で「asahi.com」(2016年4月22日05時01分)記事が伝えている。  

 介護職女性職員(36)「ぜいたくは言っていられないけれど、臭いもきつく、衛生面も心配です」

 約50の仮設トイレのうち、座って使える洋式トイレは二つ程。

 74歳男性「足が悪いけん。もっと洋式があると助かるが……」

 記事は〈混み合うのを避けて深夜に利用したり、わざわざ自宅に戻ったりする人もいる。〉と伝えている。

 こういったことが安倍晋三の言う「被災者の気持ちに寄り添って政府を挙げて、全力を挙げて取り組んでいる」姿勢の向こうに否応もなしに存在している被災者の不便な光景ということであろう。

 もし地震で地下水が濁らず、勿論保健所の検査が必要となるが、飲料水として利用できるなら、水不足の問題は一定程度解消できる。濁っていたとしても、地下層の揺れによって砂や泥が混じるだけで、何かの細菌が混じる様子が見えなければ、一旦容器に溜めておいて砂や泥が沈泥するのを待ってから上澄みを飲用に利用することができる。
 
 布で漉すのもいいし、心配なら一旦煮沸してから飲用に供すればいい。

 地震災害国である。いつどこで大きな地震やその他の自然災害に見舞われるか分からない。災害が起きるたびに定番化している水不足や食料不足、医薬品不足やトイレの問題、避難所のプライバシーの問題を定番通りに繰返すのではなく、少しでも解消していく手立てが今や必要とされていて、安倍晋三のように考えもなく繰返すのではなく、この手立ての実現こそが政府の国民に負っている責任ではないだろうか。

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高市早苗が靖国参拝後に安倍晋三と同様の国民を国家への奉仕者と見る国家主義を露わにした対記者発言

2016-04-23 10:24:08 | Weblog


 安倍晋三は4月21日から23日までの靖国神社春季例大祭に総理大臣としての参拝を取りやめ、直接の参拝に代えて真榊奉納で済ませた。戦前の大日本帝国に理想の国家像を描き、その理想の国家が起こした戦争を民族自決の聖戦と歴史認識する安倍晋三にとって靖国参拝はその歴史認識を確認する儀式、その国家像を目の前に髣髴とさせる儀式となっているから、直接参拝しないことに止み難い痛惜の念を禁じ得ないでいるに違いない。

 唯一の心の救いはベッドを共にする男女の肉体的・精神的近接さで安倍晋三と国家主義的な歴史認識を相共にする高市早苗が靖国参拝を行ったことであろう。高市早苗は参拝することを安倍晋三に報告し、安倍晋三は自らと同じくする歴史認識の確認を託したであろうことは想像に難くない。

 志位和夫共産党委員長が4月22日夜、訪問先の那覇市で記者の質問に答えて高市早苗の4月22日靖国参拝を批判している。

 志位委員長「靖国神社は過去の日本の戦争は正しい戦争だったと国民に宣伝することを存在意義にしている。(国策の誤りを認めた村山富市首相談話を継承するとしている安倍政権の方針に)反する」(時事ドットコム)    

 後段の村山談話継承はあくまでも安倍内閣としてであって、安倍晋三自身やその一派高市早苗などは個人的にはさらさら継承していない二重規準の仕掛けを構造とした歴史認識で巧みにゴマカシているに過ぎない。

 高市早苗は参拝後、記者たちの質問に答えている。

 高市早苗「国策に殉じられた方々のみ霊の安寧とともに、ご遺族の方々のご健康をお祈りした。それとともに、今回はなんとか日本国を災害の苦悩からお救いくださいということをお願いした」(NHK NEWS WEB) 

 今回の熊本地震からの救済の対象を日本国民や被災者ではなく、「日本国」に置いている。

 何かの間違いではないのかと一瞬疑ったが、「時事ドットコム」記事ほぼも同じ表現となっている。  

 高市早苗「国策に殉じられた方々のみ霊の安寧とともに、ご遺族の方々の健康をお祈りした。日本国を災害の苦難からお救いくださいとお願いした」

 前者の記事は、〈私費で玉串料を納め、「総務大臣・高市早苗」と記帳したことを明らかにし〉たとなっているが、後者は、〈私人としての参拝で、玉串料は私費で納めたことも明らかにした。〉となっている。

 いわば私人の装いをしつつ、公人たる総務大臣名で記帳した点にも二重基準の巧みな利用を見て取ることができる。参拝を通して戦前日本国家を理想の国家像視する儀式表現である以上、己の立場が一私人であるよりも戦後日本国家政府の閣僚であることの方が本人としては儀式に対するより強い使命感を感じ取ることができるだろうから、総務大臣の資格は譲ることができない最低線であるはずだ。

 安倍晋三が奉納した真榊に「内閣総理大臣 安倍晋三」と記した点も、単に「安倍晋三」と個人名を記すよりも、奉納に託した使命感をより強く印象づけることができるからだろう。

 高市早苗は一見すると、戦死兵士の「み霊の安寧」を祈っているように見えるが、「国策に殉じられた」(=戦前国家の国策に命を投げ出して尽くした)としている以上、この表現自体が戦前国家を肯定する意思表示であるが、戦死兵士と戦前国家との関係を戦死兵士を戦前国家に対する奉仕者として位置づけ、このことは戦前国家を兵士ばかりか、広い意味に取って国民の奉仕対象としていることでもあるが、国家と国民がこのような奉仕関係にある戦死した兵士に対する「み霊の安寧」と言うことになる。

 いわば高市早苗が頭に描いている理想の国家像に於ける国家と国民の理想の関係は国民は国家への奉仕者でなければならない。

 高市早苗が安倍晋三共々国家を優先し国民を後回しにする国家主義者たる所以がここにある。

 戦前の大日本帝国自体が国民を天皇と国家への奉仕者と位置づけていて、そのような戦前国家を戦後の民主主義の現在でも理想の国家像としているのだから、当然の立ち位置と見なければならない。

 高市早苗の国家を優先し、国民を後回しにする国家主義は熊本地震からの救済の対象を日本国民や被災者ではなく、「日本国」に置いた、「今回はなんとか日本国を災害の苦悩からお救いくださいということをお願いした」という言葉に象徴的に現れている。

 熊本地震が日本の経済に与える打撃を恐れて、「日本国を災害の苦悩からお救いくださいということをお願いした」

 明らかに国民を後回しにし、国家の在り様を優先させた国家主義そのものの表現となっている。

 高市早苗は会社が成り立ってこそ従業員の生活が成り立つとする論理と同様に「日本国」を救うことは日本国民を救うことだと言うに違いない。地震による日本の経済への打撃は国民の生活への打撃となると言うに違いない。

 しかしこの論理は国家を先に置き、国民を国家の次に置く国家主義の構造を取っていることに変わりはない。国民の生活や基本的人権を成り立たせることによって国家を成り立たせる国民を先に置く国民主義を一切排除している。

 国民主義に於いては奉仕者は国家であって、奉仕の対象は国民であるとする関係を取らなければならない。

 高市早苗は靖国参拝によって国民を国家への奉仕者と見る、国民主義とは逆の関係の国家主義を露わにした。

 何も今に始まったことではない。安倍晋三同様に戦前の日本国家が表現していた国家優先の国家主義に全身染まっている。靖国神社にしても戦前の国家主義と結びついた宗教空間となっている。参拝が高市早苗や安倍晋三の国家主義を最も強く表現する機会であることは極く自然な成り行きであろう。

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馳浩の文科省全国学力調査が点数獲得競争を宿命とし、このことに同じ戦犯だと気づかない教委・学校批判

2016-04-22 11:25:35 | Weblog


 文部科学大臣の馳浩54歳専修大学文学部国文学科卒業が全国学力調査についてどこぞの教員から教育委員会の姿勢を批判する指摘があったと記者会見で述べていることを4月20日付「asahi.com」が伝えている。  

 全文を記載してみる。

 馳浩「全国学力調査について、私のもとに『成績を上げるため、教育委員会の内々の指示で、2、3月から過去問題をやっている。おかしい。こんなことをするために教員になったのではない』と連絡を頂いた。成績を上げるために過去問題の練習を、授業時間にやっていたならば本末転倒だ。全国各地であるとしたら、大問題で本質を揺るがす。

 調査は、今年10年目。第1次安倍政権からの教育再生の柱だ。点数を競争するためではない。噂には聞いていたが、直接現場から憤りの声を頂いたことはなかった。全国調査はしないが、心ある教員や教委のみなさんは、実際に何が行われているのか、文科省に報告を頂きたい。

 私は今日、憤りを抑えながら話をしている。何のために調査をやっているのか、胸に手を当てて改めて考えて欲しい。一握りの教委、校長、担任の振るまいかもしれないが、やってはいけないことだ、と申し上げたい」――

 馳浩は「全国学力調査は点数を競争するためではない」と言っているが、それがテストである以上、常に点数獲得競争を宿命とすることを愚かしくも弁えていないようだ。

 その宿命を如何に抑えるか、教育委員会や学校のみならず、文科省にしても手立てを講じる役目を担っている。

 そのことさえも気づいていない。

 文科省は都道府県別の成績と正答率を発表、その上全国平均と公立平均を出して、二重の線引をしている。この線引きがいやが上にも優劣の指標として作用し、劣は優を目指し、優はなお上の優を目指す点数獲得競争を誘引する構造とさせている。

 いわば点数獲得競争の宿命を抑えるどころか、優劣の競争を煽っている。

 文科省が全国学力調査の成績を各自治体ごとの学校の教育成果の目安としている以上、自治体間の成績の優劣は各自治体の教育委員会の教育政策の優劣と見做され、学校の生徒に対する教育能力の優劣として判断される。

 文科省が何と弁解しようとも、全国学力調査を通して教育委員会・学校、そして生徒の優劣を順次計り、各段階の優劣の価値づけを行っているのである。

 以前ブログに取り上げたことだが、その典型的な例を挙げてみる。

 2007年から第1次安倍内閣が始めた全国学力調査で大阪府は2007年、2008年と全国平均を下回った。2008年2月6日に大阪府知事に就任した橋下徹は8月成績発表後の8月29日の記者会見で次のように発言している。

 橋下徹「教育委員会には最悪だと言いたい。これまで『大阪の教育は…』と散々言っておきながら、このザマは何なんだ。 現場の教職員と教育委員会には、今までのやり方を抜本的に改めてもらわないと困る」

 要するに全国学力調査の成績を上げる教育方法を求めた。そして大阪府知事として大阪府は「PISA型学力で日本一をめざす」と宣言。

 どのような学力であろうと、尻を叩いてテストの点数で成績の優劣を線引する教育は元々の暗記教育をより強化する方向にのみ向かう。橋下徹は点数獲得競争を煽ったに過ぎない。

 煽られる側の教育委員会や学校は全国学力調査の成績を上げる目的のためだけに、馳浩に連絡した教員が指摘しているように「2、3月から過去問題」を取り上げ、“傾向と対策”の要領で質問に対する回答の方法を暗記させた上で、その応用問題をどういった形で質問されても答えることができるように頭に暗記できるまで反復練習させる全国学力調査に特化した暗記教育に走ることになる。

 いわば文科省が全国学力調査を目論見、実施した時点で点数獲得競争を御膳立てしたことになる。

 文科省は都道府県単位での成績公表のみだが、学校ごとの成績公表は市区町村教育委員会の裁量とされている。例え社会一般に公表しなくても、各学校に対しては公表しているはずだ。

 教育委員会は他の学校と比較した優劣を知らしめて、それを以て各学校ごとが目指すべき学力の指標とするよう仕向ける役目を否応もなしに負っているからだ。劣る成績の学校を劣る成績のまま放置しておくことはできまい。

 優の成績の学校を最低でも優の成績のまま維持するか、それ以上の優を目指すべき導くには各学校に対しては公表しないわけにはいかない。

 要するに教育委員会自体が文科省の全国学力調査実施とその成績の優劣の線引きを受けて学校対して点数獲得競争を仕掛ける役目を担っていることなり、文科省共々、相互に点数獲得競争を煽る関係を築いていると言うことができる。

 学校は文科省や教育委員会が仕掛ける点数獲得競争に巻き込まれてだが、その競争に厭々ながらにではなく、教師能力に関わる問題として自ら積極的に参戦、生徒を過去問題等の取り組みを通して点数獲得競争に巻き込んでいく。

 学校ごとの成績公表は市区町村教育委員会の裁量の範囲内だが、その任にない川勝静岡県知事が2014年4月実施の全国学力調査小学校国語Aの結果が全国平均を上回った262校の校長名と35市町別の公立小学校の科目別平均正答率に限って公表した。

 いわば県知事までが成績に関わる優劣の線引きに加担、橋下徹と同様に点数獲得競争に首を突っ込んだのである。

 生徒の可能性(=潜在的な発展性)はテストが自ずと強いる点数獲得競争のみによって決められるわけではない。お笑い芸人やスポーツ、学校のテストの成績の線引きに関係しないその他の特技で成功し、その道で社会的良識とそれなりの人格を獲得していく人間がこのことの何よりの証明となる。

 だが、学校社会ではテストの成績に生徒の可能性(=潜在的な発展性)を置く順位付けが蔓延(はびこ)っている。

 それが学歴主義という形を取り、学歴の優劣が人間の価値基準の線引きに使われている。

 文科省も教育委員会も学校も、ときには県知事までもが点数獲得競争に関しては同じ戦犯であり、結果的に学歴主義を煽動する相互関係を築いていることになる。

 にも関わらず、文科省の長たる馳浩は愚かにもそのことに気づかずに文科省実施の全国学力調査は点数獲得競争ではないと文科省の責任を棚に置いて教育委員会や学校だけを批判している。

 点数獲得競争となっている可能性について、実際にはなっているのだが、「全国調査はしない」と言っている。文科省こそが先頭に立って調査し、その弊害が生じているなら、中止するなり、方法を変えるなりの是正策を講じる責任を負っているはずだが、その責任さえ放棄している。

 事実そうなっていたときの安倍政権の教育政策の失敗とされることの弊害の方が大きいからだろう。

 臭いものに蓋をするようでは文科相の資格はない。

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安倍晋三の「被災者の生の声に耳を傾ける」ことを直接耳にすることとしている勘違いが地震対応遅れの原因

2016-04-21 12:39:55 | Weblog

 
 4月19日、首相官邸で第10回地震非常災害対策本部会議が開催された。  

 と言っても、午後4時58分から同5時22分までのたったの24分間である。被災現場では様々な対応遅れが生じている。一生懸命地震に対応している姿を見せるためのアリバイ作りの可能性もある。

 文飾は当方。
   
 安倍晋三「全国の自治体からの応援職員が、第一線で頑張っている市町村を支えるため、続々と現地入りしてくれています。国としても、昨日の3市町村に加え、特に要員が不足している被災自治体に対し、一両日中に更に職員を投入します。被災自治体と一体となって、被災者の『生の声』に十分に耳を傾けて、対応に当たっていただきたいと思います。

 最初の地震発生から丸4日以上が経ち、被災者の方々の『心と身体』のケアについても、気を配らなければなりません。とりわけ、いわゆるエコノミー症候群の防止が急務です。

 直ちに取り得る応急の処置として、既に地元の保健師等による巡回指導に加え、車の中で睡眠をとる方々に対し、『寝る前に意図的に水分を摂る』など、エコノミー症候群の予防法についてのチラシの配布を始めていただいています。また、全国から50人の医師・看護師も駆けつけてくれており、今日の夜までに被災者に広く周知していただきたいと思います。

 エコノミー症候群を始め、避難所等での不自由な生活に起因する問題を根本的に解決するためには、住環境を早急に整備する必要があります。避難所からの移動先として、既に約1,500の宿泊施設、2,000戸を超える公営住宅や約1,500戸の民間賃貸住宅を確保しています。高齢者や慢性疾患を抱える方など、特に配慮を要する被災者で自宅に戻れない方々からできるだけ早く入居していただけるよう、被災者の状況や要望等に応じて、適切に割り当てる取組を被災自治体と共に、早急に進めていただきたいと思います」(一部抜粋)

 「被災自治体と一体となって、被災者の『生の声』に十分に耳を傾けて」と言っていることは、全国の自治体から派遣した職員に対して被災自治体の職員と共に被災者の声を直接聞いて、その要望に過不足なく応えるよう促す発言であろう。

 確かに被災者から直接耳に聞く「生の声」は現在進行形の被災体験者としての声だから、切実な指摘や示唆が含まれていることが多く、参考となる情報となり得る。

 だが、被災者から直接耳に聞く声だけを「生の声」と言うわけではない。ネット上の「実用日本語表現辞典」「生の声」を次のように解説している。  

 「生の声」

(1)編集や脚色が加えられていない、その人が発したそのままの発言や意見を意味する表現。

(2)ある物事を取り上げる際に、それに直接関わっている人の意見や感想を意味する表現。主にテレビ番組などで、出演する有名人ではない、街頭インタビューなどで得た一般市民の発言を指して用いられる。あるいは、商品の紹介などで、実際にその商品を試した人の発言を指して用いられることもある。 ――

 「生の声」を発する主体は現在進行形の体験者ではなくても、過去形の体験者であってもいいし、あるいは新聞やテレビ等のマスメディアを介した過去・現在に関わらない被災体験者であってもいいということになって、後二者からも「生の声」を知ることができることになる。

 勿論、過去・現在進行形それぞれの被災体験者の「生の声」が断絶しているなら、過去の被災体験者の「生の声」は現在進行形の被災体験者の「生の声」として役には立たないが、何日前かの当ブログに取り上げたようにそれぞれが発する声は定番化している。

 どの災害であっても、当初は食料が足りない、飲み水が不足している。それがある程度満たされると、トイレが満足に使えない、トイレットペーパーが足りない、常備薬を失って、薬が手に入らない、生理用品が不足している、プライバシーを守ることができないといった「生の声」に変わっていく。

 いわば「生の声」はある一定のパターンを踏んでいて、定番化している。

 当然、大自然災害に新たに遭遇した現在進行形の被災者の「生の声」は、その声を直接耳に聞くのを待たずとも、1995年の阪神大震災、2004年の新潟中越地震、2011年の東日本大震災等々に対するそれぞれの政府の対応や、現地を直接訪れて被災者の「生の声」に直接耳を傾けた災害研究の専門家や国会議員の情報、あるいはマスコミが現地から発信した様々な情報を仔細に点検・検証することによって一定程度、あるいはそれ以上にあら方知ることができることになる。

 だが、安倍晋三は地震発生から5日目も経ってから、現在進行形の被災体験者の「生の声」を直接聞いて過不足なく対応するよう促した。

 このこと自体が対応遅れを生じさせている証明となる。

 なぜならテレビや新聞を通して既にマスコミが「生の声」を十分過ぎる程届けているし、過去の災害からも学習できていることであるし、学習していなければならないことだから、それらに応じて地震発生早々から順次的確な対応を打っていく場面を展開させていかなかればなかったはずだが、応じることができなかったからこそ、今更ながらに「生の声」を求めて、過不足ない対応に備えようとしたということであろう。

 対応遅れの例を挙げてみる。

 エコノミークラス症候群は2004年の新潟県中越地震で車中泊を続けていた被災者や多人数が避難している避難所で狭い空間の占有しか許されず、窮屈な姿勢を日常的に強いられていた被災者の間に発症し、うち4人が死亡したことによって表面化したという。

 そのため東日本大震災ではマスコミや医療関係者による被災者に対する頻繁な注意喚起が早くから行われ、このためなのだろう、発災から3日目のピーク時には全国で約47万人の避難者が出たとされている人数の割にはエコノミー症候群に罹った人数は少なかったとされているが、それでも2011年3月11日の発災から17日後の3月28日の早い時点で石巻赤十字病院の医師が避難所を回って調査に乗り出し、行った検診では診察した22人のうち12人から血の固まりが見つかり、このうち1人は精密検査が行われたと2011年3月28日付「NHK NEWS WEB」が伝えているから、かなりの人数の被災者がエコノミークラス症候群に罹っていたことになる。

 いわき市の高齢女性は車内での避難生活でエコノミークラス症候群になり、足を切断したとの報道もある。

 今回の熊本地震では地震発生直後から大勢の避難者が避難所に駆けつけ、入りきれない避難者が自治体が避難所としていない公共施設に入って避難所とし、一時どの公共施設にどのくらいの避難者がいるのか把握しきれないという状況が生じたが、そこでも入りきれないか、赤ん坊がいて泣くから、あるいはペットを飼っていて迷惑がかかるといった特殊な事情から車中泊避難者が続出した。

 当然、避難所に大勢が避難することで窮屈な姿勢を長時間強いられる被災者や車中泊避難者がエコノミークラス症候群を発症し、最悪死亡することを予想した迅速な危機管理対応を地震発生翌4月15日の可能な限り早い時間に取らなければならなかったはずだ。

 だが、一部の避難所で医師や保健師などが巡回する支援が始まっていることを伝えているのは4月18日付の「NHK NEWS WEB」からである。   

 記事は次のように伝えている。、〈一部の避難所では医師や保健師などが巡回する支援が始まっていますが、体調を崩す避難者もいて、中には重い症状で搬送される人もいました。また、18日になって初めて保健師が巡回してきたとか、避難者の中にいた医療関係者に支援してもらっているというところもあり、今後、避難生活を支える態勢づくりが課題になっています。〉

 正確には一部避難所で何日から始めたか分からないが、地震発生の翌4月15日から3日後になっても医師や保健師による健康相談や診察の巡回は全ての避難所や車中泊避難者が車を止めている全ての駐車場で行う程の危機管理状況とはなっていなかった。

 また、巡回支援が「一部の避難所」に限られているということは全ての避難所に手が回らない人手となっていることを意味していることは4月18日午前の官房長官の菅義偉の記者会見の発言を伝えている「NHK NEWS WEB」によって証明することができる。 

 菅義偉「現在、熊本県の市町村の保健師が避難者を巡回して健康管理や心のケアを実施しているが、全国の自治体と派遣調整を行い、避難者の健康管理に万全を期していきたい」

 要するに熊本県内の市町村の保健師だけでは手が回らないから、全国の自治体に保健師の派遣要請を行い、調整後に派遣して貰うことになるとの方針の伝達となっている。

 このことを地震発生後の4日目にして決める。テレビや新聞が伝える、あるいは自治体からの情報を集約した4月15日の避難所の避難状況や車中泊の台数、さらに4月15日だけでも00時03分の震度6強の余震、引き続いて震度6弱とか、震度5弱、震度4等々の余震が引き続いていることからも、避難所の避難と車中避難が長引くことを予想して、全国の自治体に保健師派遣の手配だけはしておくべきだったろう。

 なぜなら、人数の確認が必要だからだ。

 菅義偉が4月18日の記者会見で保健師の派遣を「全国の自治体と派遣調整を行う」と発言している以上、派遣は4月19日以降となる。

 派遣が何日になっているか、「静岡新聞」(2016/4/19 07:38)から見てみる。

 〈日本赤十字社静岡県支部は(4月)19日、浜松赤十字病院(浜松市浜北区)の医師と看護師、薬剤師、事務職員計7人の救護班を派遣する。現地のニーズに沿って、避難所で巡回診療などを行う。〉・・・・・

 静岡〈県は20日から、厚生労働省の要請と熊本県との災害協定に基づき、保健師を派遣する。保健師3人と運転手1人のチームが4泊5日の日程で、熊本県南阿蘇村の避難所での健康相談や衛生対策などに取り組む。約1カ月間で、8チームの派遣を予定している。〉・・・・

 日赤は準備のために本格的活動は4月20日からということになるかもしれないし、静岡県から派遣の保健師にしても、4月21日からの本格始動ということもあり得る。

 厚労省は4月20日に日本OTC医薬品協会に対して一般用医薬品の配送を熊本県薬剤師会対策本部依頼したと4月20日付「日刊薬業」が伝えている。   

 〈配送予定は21日か22日。19日午後7時の情報。〉と記載されている。

 「日刊薬業」のサイトにはこの手の記事は他には見当たらない。

 医薬品不足は東日本大震災でマスコミによって散々に報道され、災害時に於ける定番化した不足品の範疇に入れておかなければならなかったはずだ。

 だが、学習していなかったようだ。

 こう見てくると、対応遅ればかりが目立つことになる。このような対応遅れは安倍晋三が熊本地震発生後5日目の4月19日になって初めてエコノミー症候群に触れ、改めて住環境の整備を言及している点にも現れているし、繰返しになるが、過去の災害対応を点検・検証して学習しておいた対応を以ってして支援に当たるのではなく、現在進行形の被災体験者の「生の声」を聞くことが何よりも的確な被災者支援となると認識していることから発している対応遅れであろう。

 安倍晋三の震災有事に於ける危機管理、その指導力に見るべき能力は期待できないことを証明して余りある。

 この無能力とは打って変わって軍事的有事に於ける自衛隊最高指揮官としての危機管理、その指導力に関しては有能さを余すところなく発揮するということは考えられないから、同等の無能力と見なければならない。

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