安倍晋三も森喜朗も役目上の必要が言わせている「国民の生命・財産を守る」二人の師弟愛

2017-05-12 10:49:46 | 政治

 この記事のテーマと関係ないが、安倍晋三が5月8日の衆院予算委員会で民進党議員長妻昭が安倍晋三の憲法の考え方を問い質したのに対して直接には答えずに、「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてあり、それを熟読していただいてもいいのだろう」と答弁したことが野党の反発を招いた。

 民進党が政府側に真意を説明するよう求めたのに対して5月11日開催の衆議院議院運営委員会の理事会に安倍晋三の腰巾着官房副長官の萩生田光一が出席、説明したという。

 萩生田光一「安倍総理大臣の答弁は、総理大臣として出席する国会審議の場で、自民党の総裁として一政党の考えを示すのを控えたいという趣旨であり、国会を軽視するものではない」(NHK NEWS WEB2017年5月11日 13時56分)    

 昨日のブログにも書いたが、要するに自身の現憲法の9条1項、2項はそのままに3項に自衛隊を明記するという憲法改正の考え方は自民党総裁としてビデオメッセージと読売新聞のインタビューで発信したのであって、総理大臣として発信したものではないから、国会での質問に応じることができなかったのであって、国会軽視ではないとの解釈となる。

 自民党総裁としての安倍晋三と総理大臣としての安倍晋三が憲法改正の考え方に違いがあるならいい。違いはないはずだから、例え自民党総裁として発信した憲法改正の考え方であっても、それがどのような考え方であるかの説明は国民に対する政策説明の大きな機会となっている国会での質疑を総理大臣である安倍晋三が引き受けなければならなかったはずだ。

 要するに自民党総裁としての安倍晋三と総理大臣としての安倍晋三が憲法改正の考え方が同じであるにも関わらず、自民党総裁として発信した憲法改正の考え方だからと野党の質問に答えないことによって国民に対する説明責任を放棄した。

 この対応は国会軽視と言うだけではなく、国会を軽視することによって国民に対する説明責任まで軽視した、二重の軽視に当たって、その責任は重い。

 大体が同じである考え方を自民党総裁として発信した考え方であって、総理大臣として発信した考え方ではないと違いを設けること自体がどこか狂っている。

 このどこか狂っている安倍晋三が2017年5月10日京都市の京都迎賓館で行われたラグビーの2019年ワールドカップ(W杯)日本大会の組み合わせ抽選会に出席、次のように挨拶したと2017年5月10日付「朝日デジタル」記事が伝えている。   

 安倍晋三「ラガーマンに求められるのは、品位と情熱、規律と尊重、そして結束。これらすべてを備えることができれば、おそらく政治家として完璧でしょう。しかし私自身、これがなかなか難しい。

 だからこそ、ここにいらっしゃる偉大なラガーマン、森喜朗先生(日本ラグビーフットボール協会名誉会長)を、私は師と仰いで参りました。まあ、最近彼の本(『遺書 東京五輪への覚悟』)は少し、評判を呼んでいるわけでありますが」

 安倍晋三は森喜朗先生を「偉大なラガーマン」と持ち上げ、政治の「師と仰いで参りました」と、二人を師弟の関係に置いている。

 2005年の衆議院選挙で当時首相だった小泉純一郎の力に与って森派は橋本派を抜き、党内第一派閥へと躍り出ている。小泉の跡を受け継いで首相となった安倍晋三は森派最大派閥の恩恵を大いに受けた首相就任だったはずで、師とし仰ぐ要因の一つとなったはずだ。

 いずれにしても安倍晋三から見た森喜朗先生はラガーマンに求められる「品位と情熱、規律と尊重、そして結束」を持ち合わせた偉大な人格者ということになる。

 森喜朗先生は2000年4月5日に首相に就任。僅か1年余りの2001年4月26日に辞任している。

 この辞任は周知の事実となっているが、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船えひめ丸事故が原因している。

 えひめ丸事故について「Wikipedia」は次のように解説している。

 〈2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事故」が発生した。森は第一報が入ったときゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。衝突により日本人が多数海に投げ出されたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森は第二報のあとの第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題とされた。国会でも採り上げられ、詳細が議事録に残っている。〉

 死亡者は教員5人、生徒4人である。森喜朗先生は事故の報告を受けながら、沈没した練習船の教師・生徒の安否を気遣うことなく、また相手が米海軍の原子力潜水艦であり、加害と被害の関係に応じて日米安全保障問題に影響する可能性もありながら、第一報後、1時間以上もプレーを続けていた。

 要するに森喜朗先生が「国民の生命・財産を守る」という言葉を口したとしても、単に役目上の必要が言わせる「国民の生命・財産を守る」に過ぎない。

 常に日頃から真にそういう思いでいたなら、早々にゴルフを引き上げたはずだ。

 ラガーマンとして求められる「品位と情熱、規律と尊重」を持ち合わせていたなら、ゴルフをしているどころの騒ぎではなかったはずだ。

 安倍晋三が言っている中で森喜朗先生が持ち合わていたのは「結束」ぐらいのものだったろう。説明するまでもなく、派閥の「結束」である。

 安倍晋三にしても役目上の必要が言わせている「国民の生命・財産を守る」の言葉となっている。

 何度かブログに書いたが、2014年8月20日、昨夜から降り続いていた雨が午前3時すぎから局地的な記録的短時間豪雨となって広島市の安佐北区や安佐南区などを襲い、土砂災害を引き起こして災害関連死3名含む77名の死者を出した。

 政府は8月20日午前4時0分に首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置。情報収集に当たっている。

 その日、安倍晋三は夏休みで、山梨県鳴沢村の別荘にいた。夜中だからと言っても、最低限、情報連絡室の設置をお付きの秘書官には連絡してあったはずだ。

 午前3時過ぎから各地域から土砂崩れと洪水、土石流の通報が広島市消防局に入っていた。

 この情報も最低限、別荘滞在の安倍晋三のお付きの秘書官には刻々と連絡していたはずだ。連絡していなければ、「国民の生命・財産を守る」危機管理に外れる。

 広島市消防局が8月20日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が午前5時15分頃、心肺停止の状態で発見されたと発表している。

 午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まり、発見されたのが約2時間後の午前5時15分頃。心肺停止の状態と言っても、然程の時間がかからない内に死と判断されることになる。

 《「心肺停止」と「死亡」の違い》違いがわかる事典)なるサイトに次のような記述がある。    

 〈心肺停止とは、心臓も呼吸(肺の動き)も停止した状態。心音と呼吸の有無の確認でわかるため、誰でも心肺停止の判断は可能である。

 心肺停止状態であっても、心臓マッサージやAED(自動体外式除細動器)、人工呼吸などで蘇生する可能性があるため、死亡状態とはいえない。

 ただし、心臓が停止し脳に血液が行かなくなると、4~5分程度で脳は回復不可能な障害を受けるため、心肺停止状態になったら迅速な救命措置が必要となる。
  日本では、心肺停止(心停止と呼吸停止)のほかに、脈拍停止と瞳孔散大の4つを確認し、医師が死亡を宣言しなければ「死亡」とはならず、医師以外の者が死亡を宣言することはできない。

 事故や災害などで、明らかに死亡している人が発見された場合であっても、警察や消防では死亡の宣言ができない。


 ニュースで伝えられる「心肺停止の状態」は、死亡しているだろうけれども、まだ医師の診断ができていない状態というのがほとんどである。

 海外では、日本と同じ手順で死亡が確定するとは限らない。

 そのため、日本のメディアが「心肺停止」と伝える状態を、海外のメディアでは「死亡」と伝えられていることも多い。〉――

 心肺停止で発見された子どもは正確な時間は分からないが、医師の診断がなければ死亡を確認できないのだから、病院に搬送された後だろう、その後死亡が確認されたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 いわば午前5時15分頃に心肺停止の状態で発見された時点で、その子供を残酷なことだが、最初の死者と判断しなければならなかった。
 
 この約2時間後の7時22分に安倍晋三は別荘を発ち、富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に午前7時26分に到着、ゴルフを開始している。

 車でだろう、4分で到着する近い距離にゴルフ場があるのはゴルフを楽しむために近くに別荘を設けたに違いない。

 安倍晋三が2時間近くゴルフを愉しんでからゴルフを中止したのは午前9時19分。別荘に戻ってから、首相官邸に戻り、危機管理センターの情報連絡室に入っている。

 多くの死者を出した翌日の8月21日午前9時前、防災担当相の古屋圭司が広島市安佐南区の被災地域を訪れ、囲み取材に応じている。文飾は当方。

 記者>「総理が指示後にゴルフを始めたことについて野党から批判の声が上がっているが初動については」

 古屋「それは全く批判は当たらないと思います。というのは私もこの状況を聞きまして、携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って、初めて連絡が不明者がいると出たのが6時十何分ですね。

 それは常に官邸にも総理秘書官経由で報告をいたしておりまして、最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。

 もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います」

 「携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って」いた。内閣府の幹部は安倍晋三と同行してゴルフをしていたのだろうか、それとも危機管理上の連絡個所としていたということなのだろう。

 いずれにしても携帯電話で秘書官には連絡していた。

 古屋は「最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とか」と言っているが、広島市消防局が子ども1人が心肺停止の状態で発見と発表したのは8月20日午前5時15分頃であり、程なくして死亡が確認されている。だが、古屋は最初の死亡確認は「8時37分とか8分とか」だと3時間遅れにしている。

 古屋がウソをついていることは自衛隊の災害派遣が証明してくれる。

 広島県が広島市内で土砂災害が発生し、人命救助が必要だとして広島県海田(かいた)市駐屯の陸上自衛隊に災害派遣を要請したのは8月20日午前6時半で、県知事から要請を受けた部隊は直ちに防衛省に連絡、出動の許可を取る。当然、防衛省から官邸の情報連絡室に連絡が入ったはずであるし、広島県からも自衛隊に対して派遣を要請したという連絡が入ったはずである。

 なぜなら、首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置した8月20日4時0分時点で広島県や広島市に設置したことの連絡を入れているはずだからだ。連絡を入れていなければ、どのような情報招集もできない。

 更には気象庁とも連絡を取り合っていたはずだ。

 防衛省のサイトでも「要請の概要」は「人命救助(行方不明者捜索)」となっている、

 要請理由が人命救助である以上、6時半以降の時点で犠牲者が出る可能性を想定した危機管理対応下の自衛隊派遣でなければならない。

 首相官邸の危機管理センターに設置した情報連絡室がありとあらゆる情報網を使って広島県や広島市と緊密に情報を連絡し合っていたなら、記録的な短時間豪雨に見舞われた広島市安佐北区や安佐南区がどういう状況になっていたか、住民がどういう状況に置かれていたか、刻々と情報招集できていたはずだ。

 だが、安倍晋三は広島県が自衛隊に災害派遣要請した午後6時半から1時間後の7時半近くにゴルフ場に出かけて、「国民の生命・財産を守る」役目を午前9時20分までの約2時間近くのゴルフの愉しみに変えた。

 「国民の生命・財産を守る」役目の軽視どころか、放棄以外の何ものでもない。

 当然、安倍晋三にしても「国民の生命・財産を守る」と口にするのは役目上の必要が言わせている言葉に過ぎない。

 情報連絡室を与っていた古屋圭司は安倍晋三の対応を何の問題もなかったと擁護したのは安倍晋三の「国民の生命・財産を守る」役目の放棄に加担したことになる。役目の放棄の共犯者となった。

 安倍晋三にしても森喜朗先生にしても「国民の生命・財産を守る」を役目上の必要から口にしている同類として固い師弟愛で結ばれていたとしても不思議はない。


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