NHK大河ドラマ「麒麟がくる」について久しぶりに書こうと思います。なんかねぇ、摂津晴門が出てくるたびに、いやぁな気持ちになってしまってね。まあそういう意味では演じていた片岡鶴太郎さんの演技が上手だったってことでしょうね。
明智光秀が本能寺の変を起こしたのか。この大河ドラマはいったいどういう解釈で進むのだろうと楽しみにしています。これ!といった唯一のものがあるわけではないのだと思います。細かいことが少しずつ少しずつ重なっていって、本能寺の変になったのだと思っています。
その細かいことが、ドラマのなかでもあれこれ出てきていますね。延暦寺の焼き討ち、足利義昭と織田信長の確執、蘭奢待の切り取り、などなど。今後の光秀の気持ちに注目です。
第37回(12月20日放送)「信長公と蘭奢待」で、印象に残ったセリフがありました。
光秀「信長様のお考え、時に計りかねることがございます」
三淵「主(あるじ)とはそういうもの。その時にこそ、どう付き従うか。そこが家臣の器」
光秀「家臣の器......」
これ、あとから出てくるセリフじゃあないでしょうか。自分は信長に付き従うのか。付き従うならどう従うのか。これまでずっと付き従ってきたけれど、今後も付き従うのか。付き従わないのなら、どうするか。自分は「家臣の器」なのか。
最終回までまだ少しありますね。最終回は本能寺の変なのかな。いや、そのあと光秀が亡くなるまででしょうね。がんばれ、光秀。
明智光秀が本能寺の変を起こしたのか。この大河ドラマはいったいどういう解釈で進むのだろうと楽しみにしています。これ!といった唯一のものがあるわけではないのだと思います。細かいことが少しずつ少しずつ重なっていって、本能寺の変になったのだと思っています。
その細かいことが、ドラマのなかでもあれこれ出てきていますね。延暦寺の焼き討ち、足利義昭と織田信長の確執、蘭奢待の切り取り、などなど。今後の光秀の気持ちに注目です。
第37回(12月20日放送)「信長公と蘭奢待」で、印象に残ったセリフがありました。
光秀「信長様のお考え、時に計りかねることがございます」
三淵「主(あるじ)とはそういうもの。その時にこそ、どう付き従うか。そこが家臣の器」
光秀「家臣の器......」
これ、あとから出てくるセリフじゃあないでしょうか。自分は信長に付き従うのか。付き従うならどう従うのか。これまでずっと付き従ってきたけれど、今後も付き従うのか。付き従わないのなら、どうするか。自分は「家臣の器」なのか。
最終回までまだ少しありますね。最終回は本能寺の変なのかな。いや、そのあと光秀が亡くなるまででしょうね。がんばれ、光秀。