管理人ぎんなんの日記

つれづれなるままに。
思いついたときに更新。

大学病院

2009年02月28日 21時57分11秒 | 日常
今日は息子を連れて某大学病院へ行ってきました。ここ、いつもいつもとても混んでいる。この日記にも何回も書いているけれど、もう行くだけで疲れてしまう。行くのは耳鼻科で、体の病気ではないし、私はついていくだけだから。ふたりとも体は健康なわけで。そんな私たちでも、帰ってくるととても疲れてしまう。もうさ、こういう大学病院って、ホント、体の病気やケガの人が行くとなると、本当に本当に大変だと思います。なんとかならないのかなぁと思います。

今日はふたりでとある雑誌のクイズを解いていました。時間が早く過ぎていったような気が、ちょっぴりします。それでも疲れた~。

コメントいただいていますね。どうもありがとう。レスはまたゆっくり。
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本の回覧箱

2009年02月27日 15時27分49秒 | 
以前、ウォーキングも兼ねて、近くの(と言ってもちょっと歩く)某大手古本屋チェーン店に、不要な本を売りに行ったことが何回かあります。ある日、持って行った本が買い取ってもらえないことがありました。理由を聞いたら、背表紙が日焼けしているからとのこと。まあ、確かに日焼けしていました。「どうされますか? 持って帰りますか? こちらで処分してよろしいですか?」と聞かれたので、「いいです、処分してください」と言いました。

そうしたら、そうしたら、そうしたらですね、いきなり私の目の前で、その本をゴミ箱にどさっと投げ入れたのですよ。どさっと。

まあね、「処分」ですからね。「処分してください」と私は言ったのですからね。しょうがないです。でもね、あれ、ゴミとして捨てるのですよね。どさっと。なんだか悲しかったです。持って帰ってくればよかったのかな。持って帰ってくれば、今は私の区では本は資源ゴミですもの。でもあんなにどさっと大きなゴミ箱に投げることないじゃない。あのゴミ箱のなかは本でいっぱいなのかしら。うう。

そんな私が昔っから考えていることがひとつあります。実現できそうにないし、実現する気もないし、実現するにはいろいろ大変だろうと思うので、頭のなかで考えているだけなのですが、こういう悲しいできごとに遭うと、実現できないかなと思います。

それは本の回覧箱。自分が不要になった本がありますよね。それを小さな箱に、そうねぇ、10冊とか15冊とか、冊数を決めて入れて、友だちに送るのです。受け取った友だちは、その箱のなかから自分が読みたい本を抜く。そうしたらその箱のなかに、届いたときと同じ本の数になるように、自分の不要な本を入れて補充し、次の友だちへ送るのです。受け取った友だちは、同じように、読みたい本を抜いて、不要な本を入れて、次の友だちへ送る。そういう友だちが何人かリストになっていて、最後の人は最初の人へ。そしてぐるぐると回っていく。

抜いた本は、自分の物にしてしまってもいいし、次に回覧箱が回ってきたときに戻してもいい。何度も回ってきても残ってしまっている本は、それを入れた人が自分の手元に取る。だから、回覧箱に自分の本を入れるときは、不要な本を入れること。それがもう人の物になってしまってもいい本を入れること。

こうすれば、本を捨てなくてもいいし、本を買わないで、宅配便の送料だけでいろいろな本が手元に届く。最終的には捨てることになったとしても、もう何人もの人が読んでいることになる。

なんてシステム。私は最近本を買っていないので、不要な本というのもあまりないし、本の趣味が少しは似たような人のほうがいいだろうし、マメに宅配便を回してくれそうな人がいいのだろうしね。実現となると難しいのでしょうけど、頭で考えているのは楽しいです。
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本が待っている

2009年02月26日 14時19分45秒 | 
私は小学生のころ、本ばかり読んでいました。もっぱら学校の図書室の本。それから市の図書館の本。

まず1冊読んで気に入ったら、そのシリーズを読みます。それからその作家のほかの本を読みます。当時はインターネットなどもちろんなかったので、小学生にとっては、世の中にどんな本があるのかという情報は、図書館や本屋さん、それから本の後ろに出ている「新刊情報」や「お勧めの本」というところに頼らざるを得ません。たいていそういう後ろに出ているお勧め本は、数行で本の内容が紹介されている場合が多く、そのなかの気になる本をまた図書館で借りてきます。そうするとそのシリーズを続けて読み、またその作家のほかの本を読み、そしてまたそういう本の後ろのお勧め本を読み、シリーズやその作家のほかの本を読み……、というのを繰り返していたわけです。

あるいは、図書室や図書館に行き、自分が借りた本の右や左隣に置いてある本を手にとってみる。本の後ろの「お勧め本」は、当然のことながら、同じ出版社から出ている本ばかりが紹介していあるので、出版社がちがうとまたおもむきがちがう。

そうやって、小学校の図書室は興味のある本はほとんど読んでしまいました。あくまでも「興味のある本」ですから、科学関係の本や推理物、ミステリーなどは見向きもせず。それらの棚すら見なかったです。逆に夫は当時からそういう本ばかり読んでいたようですが。小学生のころの図書室で使っていた図書カード、取っておけばよかったなぁ。何十枚にもなっていたはず。本の題名、借りた日、返した日、そんなのが書いてあったはず。今、見てみたいなぁ。

昨日「戦国風流武士 前田慶次郎」という本について書きましたが、この後ろのカバーに、著者が書いたほかの本が書いてありました。そのなかに「加藤清正」がありました。おー、読みたい、読みたい。加藤清正については前から読みたいと思っていたんだもの。次、これを借りよう! 久しぶりに小学生のころの自分を思い出しました。次々と、この本から次の本へ、また次の本へ、本の後ろの紹介やら同じ作家の本やらで本を読み進んでいったころの自分を思い出しました。もう、そういうとき、楽しいんだよね、わくわくするんだよね。本が自分を待っているって思うんだよね。まあ、そんな待ってるわけはないんだけどね。いいよね、そう思っていても、うん。
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本「戦国風流武士 前田慶次郎」

2009年02月25日 11時25分47秒 | 
今、図書館で借りて読んでいる本は「戦国風流武士 前田慶次郎」(海音寺潮五郎)。

なぜこの本を読もうと思ったか。それはNHK大河ドラマ「天地人」で、第何回だったか、冒頭で直江兼続を紹介するようなシーンに、兼続と関わりのあった人物の名前が何人か出てきたからです。出てきた名前は、ほとんど名前もその活躍も知っている人ばかり。そのなかでひとり「前田慶次郎」だけは詳しく知らなかったので、いったいどんな人物なのか読んでみようと思ったのです。

アマゾンで検索してみると、この前田慶次郎という人物については「花の慶次-雲のかなたに」というコミックが何冊も出ているようですね。絵は原哲夫さん。「北斗の拳」を書いたかたですね。このコミックには原作があり、それは「一夢庵風流記」(隆慶一郎)という本。この原作者の隆慶一郎さんは、コミックにもちゃんと名前が出ています。そして、この前テレビを観ていたら、「花の慶次」はパチンコにもなっているんですね。ネットで調べてみたら、ゲームにもなっている。原作からコミック、パチンコ、ゲームにいたるまで、私、この「花の慶次」、今までちっとも知りませんでしたよ。

前田慶次郎、いったいどんな人物なのよ~。そこで図書館で検索してみたら、隆慶一郎さんが書いたものではなく、海音寺潮五郎さんが書いた本がある。海音寺潮五郎さんは、私が以前読んだ「天と地と」を書いた人。「天と地と」は私が好きな上杉謙信について書かれた本。それじゃあ、隆慶一郎さんの本ではなく海音寺潮五郎さんが書いたほうを読んでみようというわけで、借りてきたわけです。

まだまだ途中。直江兼続も出てきません。でも漫画になるの、わかるな~。まだ読んでいる途中だけど、それでも、あの戦国時代に自由にひょうひょうと生きていたようなかんじが伝わってきます。早く続きを読まなくっちゃだわ。
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ドラマ「メイちゃんの執事」

2009年02月24日 14時02分01秒 | 日常
観ている人にしかわからないかもしれなくて申し訳ないのですが、今日もテレビの感想です。それはね、フジテレビで放送しているドラマ「メイちゃんの執事」! ヒューヒュー、パフパフ、ドンドン~! 紙吹雪~!

毎週火曜日の夜21時から。そうそう、奥さん、今夜ですよ、今夜。もうね、観ておられるかたは、私のこのノリをわかっていただけると思うのですが、観ていないかた、どうぞ公式サイトの表紙だけでも観てくださいな。こちら、こちら。メイちゃんの執事 - フジテレビ

もうね、設定があり得ないのですよ。こんなにもあり得ない設定はないでしょう、というぐらいあり得ない。だからこそ、おもしろい。だからこそ、楽しめる。もう自分とは別世界だから。ちがう世界のお話だから。1時間、たっぷりとちがう世界に行って楽しんでくる。そんなかんじ。

どんな話かと言うとですね、聖ルチア女学園というお嬢様学校を舞台にしたお話。この学校は学費が月に1億円! 淑女を育てる学校で、お嬢様ひとりに対してイケメン執事がひとりついているのです。敷地面積は東京都の約3分の1、移動はヘリコプター。ね、ね、すごいでしょ? あり得ないでしょ? 第1回の放送では、授業中にも執事が付き添っていて、先生が「では32ページを開いて」などと言うと、執事が開いてあげていましたよ。

まあ、そんな学園に転校することになってしまったメイちゃん(榮倉奈々さん)と、メイちゃんの執事(水嶋ヒロさん)のお話なんですが、この水嶋くんがね、もうとってもカッコいいのですよ! もう水嶋くんのために観ているようなものです。執事ですからね、感情を表に出すようなことはありません。まるでロボットのようなのですが、その笑わない顔が端整でね、横顔なんぞ、ステキなのですよ。笑わないのですが、激しい感情を必死に抑えるような表情をすることもあって、それがまたステキ!

最初のころは、そんな学園とお嬢様&執事を紹介するようなお話が多かったのですが、だんだんとミステリーっぽい要素も加わってきて、今夜もとても楽しみです。お友だちのGmさんも観ておられるそうで、日記にも書かれていて、私も書きたくなってしまいました。Gmさん、今夜よ、今夜よ~。私は録画しておいて、明日ゆっくり観ると思いますが、楽しもうね~。
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大河ドラマ「天地人」第8回「謙信の遺言」感想

2009年02月23日 15時47分52秒 | 大河ドラマ感想
今日の日記は、大河ドラマ「天地人」の感想です。興味のあるかたはお付き合いください。

ああ、もうすぐ謙信が出なくなってしまうよ。おお、悲しいよ。そんな今回の謙信のセリフ、心に残ったセリフはたくさんありましたが、やはり、

  「わしは、利を得るより気高きものがあることを知らしめたいのじゃ」

でしょう。上杉謙信は、利や私欲での戦いはしなかったと言われています。己の義によって戦いをしていたと。

  「世に正しき道を示すこと。それが上杉の義なのだ」

と。私もこの日記に書きましたが、

  「人が人であることの美しさ」

これこそが謙信の思う道。ああ、もう、だから上杉謙信は好き! 世の中、利がすべてではない。もっと尊いもの、もっと気高いもの、もっと清らかなもの。そういうものを求めて、そういうものを心に持って、生きていきたい。私もそう思います。そういう謙信の意志、もしかして「遺志」でしょうか、それを兼続が継いでいくという展開ですね。兼続、がんばらないと!

人間が人生を生きていくとき、生き進んでいったら、さまざまな欲望なんぞは払い落とされて、余計なものは持たず、本当に自分が信じているものを、本当に自分に必要なものを持って、生きていくようになるのかなぁ。謙信も出家していたというし。

今回の放送の前半に「手取川の戦い」が描かれましたが、あんなにさらっと終わってしまうとは! この手取川の戦いは、上杉軍と織田軍の戦いで、織田軍が圧倒的な強さだと言われていたにもかかわらず、上杉軍が勝った戦いです。雨のせいで織田軍は鉄砲が使えず、その雨と、手取川を上手に使った上杉軍の勝ち。織田信長はこの戦いで謙信の強さを知ります。もっと詳しく描いて欲しかったなぁ。

それから、忍者の初音が出てきましたが、いつも出てくるときに鈴の音がするんです。忍者として音を立てるのは厳禁なはずなのになぁ。いつも不思議に思います。

もうひとつ。日本地図がさかさまで出るのがとても新鮮。謙信居城の春日山城は日本海に面したところにあります。日本海を下に、京都を右斜め上に書いている地図です。前回の放送でも出てきました。地図では北を上に書きましょうって、いつからの習慣なのかなぁ。日本海側の春日山城から越中を通って京都に行くには、日本海を下に書いた地図のほうが便利よね。

しかし、今後しばらくはそういう地図を必要とせず、身内の戦いになるはず。兼続、出番が多くなるよ、がんばってね。
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髪の毛

2009年02月22日 16時15分17秒 | 日常
私は今までに一回も髪を染めたことがないのですが、さすがに最近は気になりだしました。というのも、両側のこめかみのあたり、髪の毛の色が薄くなってきているのです。黒い色の髪が、脱色したように薄くなっているみたいで、その色は、茶色というか濃い赤というか。色が抜けているというようなかんじ。

そんなに見た目にはわからないし、こめかみの周りの部分や上の部分の髪が多くて黒いので、髪を手でかきあげなければわかりません。でも確かに色が薄くなっている。

このまんまにしておきたい気分が強いけれど、この薄い部分が頭全体に広がっていったらイヤだなぁ。そしてそういう悩みが自分にも生じたことが、なんとなくショック。

まあ「悩み」と言うほど悩んではいないし、「ショック」と言うほど落ち込んではいないのだけれど、鏡の前でこめかみのあたりの髪を見上げては、ああ、こうやって人は歳をとっていくのねと思っています。

「歳をとる」というよりは「年齢を重ねる」のほうがステキ。……というようなにことばを選んでいる私も歳よねぇ。で、そうやってぐちゃぐちゃ書いてる私ってば、カワイイじゃないの。……と思いたい。

  「ふけたね」と 話しかければ 「ふけたね」と
     答える鏡 苦笑する我
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「寒いね」

2009年02月21日 16時22分18秒 | 日常
歌人の俵万智さんの歌に、このようなものがあります。

  「寒いね」と 話しかければ「寒いね」と 
       答える人のいる あたたかさ

これ、好きです。私なりに思っていることを書きます。

寒いから暖房つけてよ。寒いから抱きしめてよ。寒いから毛布をもう一枚出してよ。寒いから今日は鍋にしようよ。寒いからお茶をいれてよ。寒いからおしくらまんじゅうしようよ。

そうじゃあないんです。ただ、「寒いね」と口にしたら、それに賛同してくれる人がいる。それがあったかいのだと思うのです。別に熱いお茶をいれて欲しいわけじゃあない。毛布が欲しいわけじゃあない。あたためて欲しいわけじゃあない。

それにね、もっと拡大解釈すると、「寒いね」と答えてくれる人は、遠くにいてもいいのだと思うのです。現在は意思伝達手段が、電話、ファックス、メール、いろいろあります。もちろん切手を貼ったハガキや手紙もあります。「寒いね」と言った相手が、そりゃあすぐ隣にいて、すぐに答えてくれればもちろんあったかいですけど、たとえすぐ隣にいなくても、そういったさまざまな手段で「寒いね」と答えてくれる人が存在する。それだけであったかいのだと思います。

それから、これをもっと展開していくならば、「寒いね」、「寒いね」、このあとに、「それじゃあ今日は鍋にしようか」とか「いつまで寒さが続くんだろうね」とか「明日のお天気はどうだろうね」などと会話が続いていけばもっと楽しい。

もうひとつ。「寒いね」という語りかけに「そうかな、そんなに寒くないよ」というのもありだと思うのです。もちろん冷たく突き放したような言いかたではなくてね。そこから会話がふくらんでいけばまた楽しい。

しかし、この歌、「寒いね」を「暑いね」に変えたら、あまり美しい歌とは言えないなぁ。「寒いね」だから歌になる。「暑いね」だと歌にならない。やっぱり暑さの汗は歌にはしにくいのでしょうかね。
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むぎゅう

2009年02月20日 10時56分23秒 | 日常
今朝、夫と息子と私の3人で朝ごはんを食べていると、日本テレビ「ズームイン!! SUPER」に、お笑い芸人の「オードリー」が出ていました。なんでも、オードリーの春日さんに熱愛発覚とか? 春日さんはインタビューで「接吻」という単語と「抱擁」という単語を使っていました。

小学校5年生の息子、「接吻ってなに? 抱擁ってなに?」と不思議な様子。私は「接吻は『ちゅう』、抱擁は『むぎゅう』だよ」と。「そっか~」と息子は納得。夫は苦笑していましたが、私は我ながらなかなかの説明だと思うのですが、どうでしょう。

それにしても、子どもはいろいろな場所で知識を得ますよね。小学校でパソコンを使う授業があるのですが、「Yahoo」はもうとっくの昔に名前も使いかたも知っているし、先日は「YouTube」も知っていることがわかり、びっくり。なんでも、家で自分のパソコンを持っているお友だちがいて、その子は親が見ていないところでもパソコンを自由に使える環境にあり、ネットについてはなかなかに詳しいとのこと。その子がYouTubeの動画情報をみんなに教えたそうですよ。うーん、大人向けの動画情報なんぞは交換していないでしょうねぇ。

昨日の日記に「子どもは決して親の所有物ではありません」と書きました。だから、子どもの行動すべてを親が把握できるわけでもない。今日みたいに親に質問してくれればいいのですが、今後はそうもいかないでしょう。外からの情報、お友だちやネットや雑誌からの情報がいかに多くなってくることか。

しかたないことだと思います。でもね、私が願うのは、そうやって得た情報を鵜呑みにはして欲しくないということ。情報を得たあとで、その情報をどうやって自分のものにするか。この情報は信じられる、この情報は信じられない、この情報は信じられるけど自分としては不愉快、この情報は信じられないけどわかる気もする、などなど。自分で考えて判断する力を身につけて欲しいのです。

息子よ、「接吻ってさ、『ちゅう』なんだよ」なんて、学校でみんなに言わないでよね?
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世界からの預かりもの

2009年02月19日 14時12分32秒 | 日常
昨日の日記に書いたのは、「天地人」の感想。第7回「母の願い」。書いていて、いろいろなことを思いました。

私は、息子を出産してから、いろいろな本を読みました。いろいろなところから情報を得ました。そんな私が今思うのは、以前にもこの日記に書いたことがあると思いますが、子どもというのは、社会からの、日本からの、世界からの、地球からの、宇宙からの、大切な預かりものだということ。

親というのは、日々、子どもを育てているわけですが、今はずっと一緒にいるわけですが、子どもは決して親の所有物ではありません。いつかは世界へ巣立っていく。世界へ巣立っていったときに、その子どもがどう世界で生きていくか。どんな分野に生きていくのか、どんな分野で力を発揮するのか、どんな分野にいるのが居心地がいいのか。そしてどんな世界でも自分の力で生きていけるよう、さまざまな力をその子が身につけていくために、親がほんの少し手を貸すのだと思います。

「天地人」の第7回で、兼続の母が言ったセリフ「母は我が子を信じるほかはないのでございます」は、手を貸したあとのセリフに思えます。あのとき兼続は17歳。初陣も済ませている。戦国時代で17歳と言えばもう大人。自分で生きていかなければならない歳です。母が息子にしてあげられることは、もうほとんどない。世界へ飛び立った息子に対してできることは「信じる」だけ。自分の世界で生きていっている息子を、母は母の世界に生きながら、息子を想い信じるだけ。

それでいいのだと思います。私、息子のこと、そりゃあ大好きですよ、いまだに、むぎゅむぎゅぎゅーですよ。でもいつか世界へ旅立つ。預かっていた息子を世界へ返す日が来る。それは覚えておかなければと思います。さて、うちの息子が17歳になったとき、私は兼続の母のように「母は我が子を信じるほかはないのでございます」と言えるかな。そんな出来のいい母ではないけれど、17歳の息子を見るのは楽しみです。どんないい男になってるだろ、なんてね。
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大河ドラマ「天地人」第7回「母の願い」感想

2009年02月18日 16時46分19秒 | 大河ドラマ感想
今日の日記はドラマ「天地人」の感想です。お時間のあるかたはお付き合いくださいませ。

今日は信長も秀吉も出てこず、もっぱら兼続の葛藤とお母さんの話でした。今日一番印象に残ったのはそんな母のセリフ、

  「母は我が子を信じるほかはないのでございます」

ですね。母は兼続が初陣で失敗して上田に帰ってきているのは知っているはず。病気の自分に会いに来ないのは、兼続がいろいろ悩んでいるから。母に会わす顔がないと、兼続はそう思っているとわかっているから。そしてきっと兼続はそうした悩みをひとりで乗り越えていくと信じているから。

そうやって母に会いに行かずにいる兼続に、あの和尚が言うのです。「己のまことを見るのじゃ」と。この場合の「まこと」に当てる漢字は「誠」じゃあないだろうなぁ。「真」でしょうね、きっと。

今回の放送で、謙信第一の家臣、直江景綱が亡くなります。謙信に一途に仕え、その身を上杉家に捧げた景綱。兼続のお母さんが「もみじのような家臣になりなさい」と言っていましたが、もみじは幹に栄養を残しておくため、自分は紅くなって落ちていく。自分の身を幹に捧げつくすということ。亡くなった景綱はまさに「もみじのような家臣」。お母さんのセリフは、ここにつながるようになっていたのですね。景綱はもう出ないのか。残念。宍戸錠さん、とっても良かったです。

戦国時代をこんなにも好きになってしまった私ですが、なかでもあの時代の主従関係に心動かされます。この主君にこそ、と思えるような主君にめぐりあった家臣は幸せものだと思います。今回の放送で謙信は景綱に酒をつぎ「そなたは我が第一の家臣じゃ」と言うのですよ。主君から酒をついでもらうなんて、普段なら考えられないこと。そして「我が第一の家臣」と言ってもらえるなんて。景綱さま、おつかれさまでした。

そう言えば、謙信もそろそろ出なくなりそうです。さみしい、さみしい。「もう泣かない」とちかった兼続、期待しているよ!
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かゆい!

2009年02月17日 16時04分26秒 | 日常
今日は寒かったですね。先週の金曜日、東京は春一番が吹いたようですが、実はその金曜日から、目がかゆくてたまりません。今日は寒いせいか、だいぶかゆみも落ち着いてはいます。

花粉の季節、みなさん毎年いかがお過ごしでしょうか。私はたいてい目がかゆくなるのと、鼻水が少し出るようなかんじです。目のかゆみは、もう我慢できないほどかゆい年と、まあまあ我慢できるほどのかゆさの年と、さまざまです。それでも我慢できないと言っても、目薬をさせば大丈夫。深刻に悩むほどではありませんでした。

それが今年! 金曜日から、土、日、月と、まあかゆいかゆい! たまらず目薬のお世話になりましたが、昨晩なんて夜中に目がかゆくて目が覚めましたよ。そんなの初めてです。まだ2月の中旬なのになぁ。これからひどくなるのかなぁ。それともこのままだらだらといくのでしょうか。今日はまだ落ち着いているとはいえ、心配です。

パソコンもなんだか辛いわ。今日はこのへんにします。コメントいただいていますね。お返事はまたゆっくりにします。
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お笑い芸人の

2009年02月16日 14時51分18秒 | 日常
日曜日の夕方17時からTBS系で放送されている「機動戦士ガンダム00」。放送はおそらく3月末まで。残りもあと少しとなりました。

ガンダムは、乗っている人間の名前と顔、その人が乗っているガンダムの色形と名前、その4つをきちんと記憶していると、放送を観ていても楽です。その人間やそのガンダムが画面に出ていないときに、その名前の話題が出てきても、「ああ、あのガンダムのことを、あの人間のことを話しているんだな」と理解できます。でもねぇ、数が多いと難しいのよね。それにせっかく覚えたガンダムが進化しちゃったりもするし。

昨日、ガンダムを観ながらそんなことを考えていたら、夜、お笑い芸人のかたがたを観ていても同じことを感じました。

私ってば、お笑い芸人のコンビ名、顔、ひとりひとりの名前、それからそのコンビのネタ、それらをきちんと記憶していないことが多いなぁと。顔は覚えているけど、コンビ名がわからないとか、コンビ名は聞いたことがあるけれど顔は覚えていないとか、ネタは知ってるけどコンビ名がわからないとか。コンビ名、顔、ネタ、全部わかっているけれど、ひとりひとりの苗字はわからないとか。ひとりはわかっていても、もうひとりの苗字はわからないとか。ネタもよく変わってしまったり、ネタをやらなくなってしまったりもするし。テレビに出なくなってしまったり。ガンダムを覚えるよりも難しいかも。私みたいに覚えていない人、多いですよね? それともみなさん、お笑い芸人はばっちり把握しておられるかしら。

そう言えば、小学生に大人気だった「藤崎マーケット」、最近観ませんね。ラララライ、ラララライ、どうしてるかしら~。
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昆布たっぷり湯どうふ

2009年02月15日 15時11分03秒 | 料理・家事
昨日の晩ごはんは、「湯どうふ」にしました。北海道に住むお友だちから自家製の昆布をたくさんいただいたので、「昆布たっぷり湯どうふ」になりました。

ここのところ、料理メニューにもよりますが、お豆腐はお豆腐屋さんで買うようにしています。1丁、170円。よく行くスーパーだと1丁55円。ほぼ3倍のお値段。でもね、お豆腐屋さんのお豆腐って、やっぱり、おいしいのですよ。私がよく買いに行くお豆腐屋さんは、年配の夫婦がふたりでやっているらしくて、昨日はおじちゃんのほうがお店にいました。お豆腐を2丁買おうと思ったら、カウンターに「湯どうふつゆ」というものを発見。一緒に買いました。

昨日の湯どうふは、湯どうふと言っても、ほぼ普通のお鍋状態です。いただいた昆布を2本分、はさみで切って鍋に入れて、お水を入れてしばらく置いておきました。そして、はくさい、ねぎ、にんじん、えのき、しいたけ、たらを入れて、少し煮ます。その後、春雨と豆腐を入れてできあがり。お料理の本を見てみたら、いろいろな薬味を用意してあったので、私もいろいろ用意。鍋からお豆腐や野菜を手元に取って、その上に薬味をぱらぱら。そしてお豆腐屋さんで買った「湯どうふつゆ」をたらり。他にもぽん酢やごまだれを用意。

用意した薬味は、小ねぎ、白ごま、おかか、七味とうがらし、ゆずこしょう。七味とうがらしはいまいちだったかなぁ。小ねぎは必須ですね。白ごまを入れると味がやわらかくなるような気がします。ゆずこしょうは辛さがグー。おかかは「湯どうふつゆ」にぴったりでした。鍋の最後にはうどんを入れました。大満足でした。

いただいた昆布は、よく買うスーパーの昆布とは全然ちがいました。まず、鍋のなかが、昆布しか入れていないのに、昆布の味がたくさんしみ出て、まろやかな味、昆布の甘さがいきわたった味になりました。昆布自体は、噛むと、「つやつや」したかんじ。噛む感触に「つやつや」というのも変だけど、本当に「つやつや」なのです。ぱさぱさしてない。ぐっと噛める。噛むと甘い味が口のなかに広がり、本当においしくて幸せ。あんなにちがうのか~、びっくりです。

本当におしかったよ、どうもありがとうね。Stちゃん。
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風邪ひかず

2009年02月14日 15時51分07秒 | 日常
今日はバレンタインデー。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

2月もなかば。今日の東京はとっても暖かいです。厚手のジャケットだと暑いです。ジャケットなしでもOKなぐらい。ぽかぽかと暖かく、しゃかしゃか歩いていると汗をかくほどです。このまま暖かいまま春になるとは思えないけれど、春ももうすぐ。そこでこの冬を振り返ってみると、私、今シーズン、風邪をひいていないんです! これは私にとってはとても珍しいこと!

今年11歳になる息子は3月生まれ。3月に息子を産んでからちょうど1年たったころ、1年たって気が抜けたのか、かなり重い風邪をひき、それから毎年のように風邪をひいています。ひかなかったシーズンはないのではないかというほど。たいてい、最初に喉が痛くなり、そこですむこともあれば、咳がひどくなることもある。咳までですむこともあれば、熱が出たり、寝込んでしまったり、咳がひどくて眠れないときもあったり。重い軽いあれど、毎年のように冬シーズンになると体の調子をくずしていました。2007年の初冬は、インフルエンザになってしまい、大変な思いをしました。

ところが、今シーズン、11月にちょっと「あれ、喉が痛いかも」と思った日がありました。やばいぞ、やばいぞ、ひどくなるかしら、気をつけなきゃ。なんて思っていたら、それ以上ひどくならず、それで終わり。それから早くも2月中旬。まだまだ油断はできないけれど、この分だと今シーズンは風邪をひかなくてすみそうかも。

エクササイズとジョギングのおかげかなぁ。体力、少しはついたのかなぁ。ニゲロオリゴ糖のおかげかなぁ。はちみつレモンのおかげかなぁ。どれが効いているのかはわからないけれど、風邪をひかずに今シーズン乗り切れそうなのはうれしいことです。春まであと少し。油断せず行こう。

コメントいただいていますね。どうもありがとう。レスはまたゆっくり。
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