ノーベル文学賞

[ストックホルム 12日 ロイター] 2006年ノーベル文学賞が12日発表され、トルコ人の小説家オルハン・パムク氏が受賞した

 日本国内の文学賞にもまず無関心な郷秋ではあるが(へそ曲がりな郷秋は芥川賞や直木賞受賞作品のほとんどを意図的に避けている)、今年のノーベル文学賞は気になっていた。なぜなら、日本人作家、村上春樹氏がその候補の一人と噂されていたからである。

 噂の根拠は今年3月に氏がチェコの文学賞「フランツ・カフカ賞」を受賞したことにある。2001年創設で今年で6回目という「若い賞」ではあるが、2004年と2005年の受賞者がそれぞれの受賞年にノーベル文学賞を受賞しているというのだ。たまたま氏が田村カフカと名付け少年を主人公とした「海辺のカフカ」という作品を書いていたこともあって、ノーベル文学賞受賞の期待が更に高まっていたらしい(商魂たくましい出版社、マスコミ各社がその噂を煽っていたのかも知れない)。

 郷秋が村上氏の業績を過小評価しているなどとは決して思って欲しくない。「村上春樹」をキーワードにしてこのblog内を検索して欲しい。むしろ、郷秋は、氏の相当熱心な読者である。しかしだ、氏がノーベル文学賞受賞者としてふさわしいかどうかは、また別な話である。

 郷秋は、遠藤周作こそが、川端康成の次の(日本における)ノーベル文学賞受賞者であるべきだと確信していたが、残念ながら遠藤はその栄誉に浴することなく帰天した。もっとも遠藤の場合には、その作品に描かれていた「キリスト教信仰」がヨーロッパのそれとは余りにもかけ離れたもの(それこそが日本人の「身の丈に合った」キリスト教信仰であると、遠藤は確信していたわけであるが)であったがために、ヨーロッパ人には受け入れ難いものであったためであることが想像されるが、そのことが彼の作品の欧州における評価を低める要因となっていることは想像に難くない


 そんなことを考えるに付け、遠藤でさえも成し得なかったノーベル文学賞受賞を、基本的にはエンターテインメント作家である村上氏が手にしたのでは、遠藤氏の永年の労苦が報われないではないか。当然の結果であると、ここであえて言っておきたい。当の村上氏自身も、まさか期待はしてはいなかったであろうと思いたいと郷秋である。


今日の1枚は、今が旬の柿。
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