今、とても気になっている歌人がいる。
佐賀新聞で話題になっていた人なのだが、これまで良くは知らなかった。
隣町の有田に住んでおられて、それも宮野を過ぎた泉山に・・・。
彼は「人さらい」という処女作の歌集を出版して、歌壇に大きな衝撃を走らせ、日本中の耳目が「天才あらわる」と集まる中、忽然と夭折してしまったのである。
掘り下げてゆけばあなたは水脈で私の庭へつながっていた
笹井宏之
彼の作った歌は俳句でいう自由律に命脈が通じており、近いものであろう。
昭和の松尾芭蕉と言われた、漂泊の俳人「種田山頭火」や「尾崎放哉」などの句風で有名な、5・7・5の定型句に捉われない、字余り、字足らず大いに結構という伸びやかな俳句の世界なんである。
歌人ということに一種のカテゴリー的なプライドを彼が持っていたか否かは、今後じっくりと研究していきたいが、彼の歌風を味わうに、少なくとも彼は詩人であるという切り口を意識していたように思えてならない。
それは読み手の直感の世界に、ぐいぐいと力強く入ってくる、センセーショナルな言葉の使い回しと、その内裏に潜む、根源的な人としての優しさ、そして思うようにならぬ、自身の体への一種の諦観などがとても深い所で入り混じって、表層で一気に噴火している作風とも相俟って、独自の笹井宏之の世界を構築しているのだ。
彼の写真は今、お父上に借用を願い出ているので、ご許可が降りれは、このブログ上に掲載したいが、音楽好きのご両親の影響なのか、大町煉瓦館でフルートを吹く彼の写真は、とても知的で、胸に迫るものがある。
彼は武雄市ととても縁が深い。武雄高校に通っていたことも勿論であるが、桜山の写真とか、武雄のいろんな場所に愛着を感じていたらしい。
若すぎる死ゆえに、惜しんでも、悔やんでも、惜しみ悔やみきれないのだが、彼がかっての詩人「金子みすず」のように短い生涯の中で、病と闘いながら、文字通り身を削ってでも作歌した、短歌の断片をこれから少しづつご紹介していきたいと思う。
彼は今年の1月24日にインフルエンザによる心臓麻痺で急逝されたのであるが、彼がコツコツと足跡を刻んできた貴重なブログ「些細」において、新しい年に寄せる思いが刻まれているのでご紹介したい。2009年1月9日のブログから・・・・
わたしのすきなひとが
しあわせであるといい
わたしをすきなひとが
しあわせであるといい
わたしのきらいなひとが
しあわせであるといい
わたしをきらいなひとが
しあわせであるといい
きれいごとのはんぶんくらいが
そっくりそのまま
しんじつであるといい
◆
あけましておめでとうございます
今年もすてきな1年になりますように
まえや、うしろや
うえや、したや
ななめよこらへんを見ながら
あたたかいものや、
ふわふわしたもののほうへ
ごりごりと歩いてゆきたいです。
2009年もよろしくお願いいたします。
笹井宏之
このわずか半月ほど後に彼は26歳の若さで急逝したのだ・・・・・・絶句
その後彼のあまりにも短い生涯にNHKの取材が入ることとなった。
興味本位ではなく、しっかりと彼のいきさまを冷静に取材していて、ありのままをあるがままに映像に収めている秀逸のNHKらしい番組に仕上がっている。
反響の大きさに再放送が相次いでいるらしく、この10月3日にもNHKBShiで
「あなたの歌に励まされ~歌人・筒井宏之 こころの交流~」
アンコール 10/3(土) 8:00~8:43 (BShi 全国) 是非観て下さい。
私はこの番組を偶然観て、脳天を金属バットで打ちのめされたのでした。
筒井とは彼の本名・・・・
そして彼のブログは現在お父さんが引き継いでくれていて、彼の足跡を護って頂いているのである。
鞄からこぼれては咲いてゆくものに枯れないおまじないを今日も
笹井宏之
この若き天才の死を悼むと共に、いつの日にかゆかりのあった母校武雄高校に彼の歌碑を建てさせて頂きたいものである。
本当は誰かにきいてほしかった悲鳴をハンカチにつつみこむ
笹井宏之