㈱釣春秋の創立30周年パーティに出席した。
福岡市のホテル・ニューオータニに集う釣り関係者その数なんと750名、端から端まで誰がどこにいるのか見えないんである。
この大パーティの発起人代表はあの梅宮辰夫兄い、九州の磯釣りをこよなく愛するお方で、私も何度かお付き合いをさせて頂いたことがあるのだ。
とても気さくな俳優さんで、佐賀の真蟹漬が大好き
私はかって月刊釣春秋に「尾形風竿」のペンネームで12年間連載を執筆したことがある。もう10年も昔の話である。
「風竿の釣師烈伝」や「怪しい真鯛釣師は西へ」などを書き綴った。原稿用紙20枚、A4見開き4ページが私の活動スペースであった。
連載100回を機に筆を折ったのであるが、今でも連載を書けという有難いリクエストがあっていて、それはそれで嬉しいものではある。エッセイを再び書きたいのだが、残念ながら磯釣りに行く時間がなくなってしまったのであるが、本音はちょいと違う。
因みに「列伝」と書くのがほんとうなのだが、私は釣り人が子供のように純真無垢になる児童回帰の瞬間にスポットをあてていたので、その瞬間の激しさを文字って「烈伝」としたんである。
従ってこの拙いブログもそれを踏襲しているのである。
私も準レギュラーでよく出演したRKBテレビ「フィッシュ・アイ」レポーターだった永田裕美子女史と・・・彼女のブログは強烈ですよ
当時一緒に執筆していた「豪華人気作家」の仲間のみんなと再会、理屈ぬきで嬉しかった。宮原赤竿ちゃんとは特に心を通わせていただけに、本当に懐かしかった。
クッキング・パパの漫画家うえやまとち氏も釣りの仲間なんである。昔は上山家のクリスマスパーティにも呼ばれていたくらい。
控え室で辰兄いと・・・・目の前にはアンナさんが居るのだ。
人のご縁とは実に不思議なものである。川藤社長との出会いがなければ、私は釣りエッセイなんぞ絶対に書いてはいなかっただろう。
書くことによって随分と観察力と表現力を訓練されたものだ。
自分の筆の弱さも思い知らされた。
感動のファンレターも多く頂いた。
プロという概念のない世界だが、テレビにも多く出演して、フィールドテスターも身分と実力不相応に契約させて頂いた。
段々と有名釣師となっていき、あちらこちらで、釣り人から、もてはやされることになっていたのだが、そんな自分に違和感があって仕方がなかったから、派手な世界を離れ少し距離を置くことにしたのであった。これが筆を置いた真相。
身を引いて10年余りにもなろうというのに、それでも川藤社長は以前と何も変わらず可愛がっていただくんである。
感謝以外の何ものでもない。
釣春秋30周年おめでとうございます。また川藤社長といつの日にか一緒に石鯛竿を並べたいものである。