Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

療養型病院に母親を運び入れて

2020年12月04日 14時29分05秒 | Journal
 これまで母親が入っている病院(急性期病院)から療養型病院へ転院する必要があることから、2つの病院を訪ねて、面談を済ませた。1つは、新百合ヶ丘の家に近い小高い丘の上にあるうような静かな病院。もう1つは南林間の実家により近い駅のロータリーに隣接した便利な病院。丘の上の病院は、待合室もホテルのロビーのような明るい雰囲気があり、良い感じだったが、引っかかったのは病院なのにコロナ対策が皆無なところ。一応、入院予約をとっておいたが、もう一つの駅近の病院を見てから決めることにした。その病院を兄と訪ねると、玄関で検温をし、その体温や健康状態などシートに書き込み、中に入っても消毒液が置いてあるなど普通にコロナ対策はしている。丘の上に比べると、古くて薄暗い待合室である。60年も前、中野に暮らした幼い頃、小さな川を挟んで「組合病院」があったが、その病院は今も古ぼけたままほぼそのままにあり、なんとなくあの「組合病院」のことを思い出す。父親が結核の自分の母親をおんぶして小さな橋を渡って病院に入院させた様子を幼心にも記憶している。また、小生にしても、病院に日参しては待合室で患者さんや看護婦・医者を前に一種の「演芸会」を披露していたようだ。それで、少々、薄暗くて薄汚い病院が妙に懐かしくなる。
 結局、後者の駅近の病院にした。昨日午前中に、中央林間の病院から転院先の相模大野の病院まで救急車で母親を運んでもらった。20分ぐらいのドライブ。多分、コロナ禍が去らない限り、この搬送の間と病院に着いてから病室に移ってからまでぐらいしか、母親を見ることはもうあるまいと思うので、今生(こんじょう)のお別れと救急車に兄と妻と同乗した。本人は、中心静脈栄養のお蔭か、前よりは顔色もよく、そう苦しそうな表情もなかった。午後から担当医との面談もあって、CT検査や血液検査の結果から、やや脂肪肝ぽく肝機能が少し悪いとか、心臓や脾臓は少し肥大しているとか、内臓下垂の傾向があるとか、小さな発疹があるが薬の副作用かもしれないとか、脳は年相応だが、前頭葉に少し萎縮が見られるが、14年前の硬膜下血腫の跡は奇麗になくなっているとか、いろいろ話があった。概ね栄養も足りた状態で、データも「少し悪い」ばかりで致命的なものはなく、すぐに死んでしまうような印象は受けなかった。脳のCT画像を眺めながら「お母さんは男性的な脳をしている」と医者が妙な感想を述べたので、「中身よ 中身」の母親の性格をふと思い出した。最後に、DNR(蘇生処置拒否)について確認した。医者は「転院して2カ月ぐらいは、環境が変わって急変することもあるから要注意期間です」と念を押すことを忘れなかった。それから思ったよりも日差しも燦燦(さんさん)と入って明るい病室を訪ね、4人部屋の窓側に寝ていた母親に「お母さん、また来るね」と呼びかけると、母親が入れ歯のない口で大層嬉しそうに必死になって笑い返してくれた。病室では、各患者の脇に置かれた4台のテレビがつけっぱなしになっている。人間の聴覚を刺激するためらしい。母親は、民放よりもNHKの方がいいと看護の方に言っておくのをつい忘れて帰って来た。



 家に帰って、丸葉の葉が大方、芝生に落ちている様を眺め、家の中に入って母親が以前、新聞紙で作った2体の西洋人形を眺めた。この人形はいつ首がポキンと崩れ落ちてもおかしくないほど弱くなっている。そのうち、顏が自然落下して、何十年も前に敦煌(とんこう)で買ってきたお釈迦様の丸髷(まるまげ)の頭にぶち当たるかもしれない。



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