そのホテル前のコンビニで購入した缶ビールとヨーグルト飲料。小生、上海で青島(チンタオ)ビールの旨さに感動したが、ここ北京では「燕京ビール」のみを飲んだ。缶でも瓶でもビールはこれが一番飲まれている。青島に比べても値段も手ごろなのだ。味は好みから言えば、青島に劣るが、まずまずの喉越し。またヨーグルト飲料は日本よりも中国が進化している。いや、飲料製品はあまねく中国の方が数段よろしい。日本人は日本メーカーの宣伝に騙(だま)されて不味(まず)いものを日々飲まされている。蒸し暑い夏の日本で売り出せば、大ヒット間違いなしの爽やか飲料を今回の北京行ではガブガブと飲んだ。
北京駅界隈のホテルは足の便が良いことに加え、コンビニが目の前にあるという口コミ情報も選定理由だった。慥かに、部屋から撮った写真のごとく、前には中国風のコンビニ(超市?)があった。大体、なんでも揃っている。
これはどこだったか、故宮の午門前の広場だったか。分別式のゴミ箱を撮ったもの。今回の北京訪問で、こうした環境問題の意識づけはかなり目立っていたが、実効のほどは定かでない。第一、庶民に、リサイクルゴミと非リサイクルゴミの違いを頓着するような雰囲気はまだない。多くのゴミ箱の設置場所では、ペットボトルを放り込むと、すぐ脇に待ち構えるオジサンやオバサンがぶつぶつ言いながら即座に廃品回収していた。面倒だから、ゴミ箱に入れず、オジサンに手渡すこともあった。
郭沫若や宋慶齢、茅盾(ほうじゅん)や老舎といった文化人が好んで住んだという什刹海だが、その俗化、堕落は目を覆うばかり。観光客目当てに、湖畔にはバーが並び、輪タクが我がもの顔に列をなして小路を走り抜ける。そうした大いなる幻滅を胸に、カメラを夜景モードにするのも忘れ、柳の枝先に湖畔の写真を撮った。風に揺れる柳と賑やかな俗化の光が、意外な効果を発揮した。
ああ什刹海に風流なく 頓休
ああ什刹海に風流なく 頓休
そのまま大通りを渡って、什刹海の胡同に入るが、夕暮れも深まり、ざっと流してしまう。胡同にしては小ざっぱりした住宅街風で、奇麗なり。そこが物足りない。箒(ほうき)売りのオジサンに出合った。まだたくさん売れ残っている。
夕暮れに箒売り残すや草臥(くたび)れた 頓休
夕暮れに箒売り残すや草臥(くたび)れた 頓休
景山を下山し、北海公園へ出たが、時間的にも疲労度からしても、白塔がある瓊華島へ渡ることはしなかった。白塔の南側にはチベット仏教の寺院「永安寺」があり、島の北側に全長300㍍の回廊「長楼」があるということだが、湖畔から撮ったこの写真でも、その様はよく分かる。まことに良い写真なり。
チベット偲(しの)びながら畔に佇む 頓休
チベット偲(しの)びながら畔に佇む 頓休
万春亭から北海公園の白塔が見える西方面に眺めようと歩を廻らすと、若い白人カップルがそこで交互に奇妙なポーズを取って、恰好の撮影ポジションを長いこと占有していたので、ついでに女のポーズを頂戴した。
北海公園は、遼・金・元・明・清と代々、皇室の御苑「皇家園林」として発展してきたのだとか。古代神話の海上仙山のイメージで設計された。中ノ島の瓊華島(周囲880㍍)には、清の順治亭が建造したチベット仏塔「白塔」が見える。
黄昏に白塔を望む万春亭 頓休
北海公園は、遼・金・元・明・清と代々、皇室の御苑「皇家園林」として発展してきたのだとか。古代神話の海上仙山のイメージで設計された。中ノ島の瓊華島(周囲880㍍)には、清の順治亭が建造したチベット仏塔「白塔」が見える。
黄昏に白塔を望む万春亭 頓休
景山は高さ43㍍の築山なり。元代には「青山」と呼ばれた丘に、明の永楽帝の時代、風水に照らしてこの山を造成したという。1644年、李自成が率いる農民軍が北京を攻め、明の崇禎帝(すうていてい)はこの山で縊死(いし)した。登るのに難儀した万春亭からは故宮が一望できる。黄昏どきが良いというので、大体時間を合わせて景山に至り山をよじ登ってきた次第だが、本格的な黄昏にはまだ早かったかもしれない。山を下りるとき、望遠カメラを持ったオジサンと出合った。
万春亭に登りて
そこに夕映えの故宮が燃える 頓休
万春亭に登りて
そこに夕映えの故宮が燃える 頓休
実際は、こんなに暗くなかったが、カメラの操作ミスというか、実験的撮影でこういう具合のが撮れた。まあ、幻想的写真だし、時代を千年さかのぼっても、こんな景色があったのではないかと想像すると、もっと幻想的な心持ちになれる。
春の宮幻の中に日暮れるや 頓休
春の宮幻の中に日暮れるや 頓休
これは、中海から景山公園(写真の左上の築山)へ向かう曲がり角、故宮の北西で撮った一枚。北京のアベックはチューチューの接吻族である。特に、この故宮周辺の水辺一帯は接吻のメッカなり。大体、男が顔を傾けて女がじっとしている構図。
柳に隠れぬ故宮の接吻 頓休
柳に隠れぬ故宮の接吻 頓休