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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

耕治人の「命終三部作」を読む

2019年07月19日 21時27分44秒 | Journal
 北大の教養学部時代に何を思ってか大朝雄二先生の源氏物語を履修した。40年以上前のことだから講義で何を習ったかも忘れてしまったが、あるとき、講義中の雑談に「今、何を読んでいる?」という質問が履修していた10人程度の学生に投げかけられた。小生は何と答えたかやはり忘れてしまったが、ある学生が鞭(むち)で打たれるサディズムの快楽を書いた小説について話しているとき、小生は、大きな声で笑った。途端に、大朝先生が「おかしくない!」と怒鳴ったのである。以来、先生が好きになった。その大朝先生が何かの時、自分が今好きな小説家は耕治人(こう・はると)であると話したことを覚えている。小生は私小説の作家として名前ぐらい耳にしたことはあっても別に関心がない作家だったので、「へえ」といった調子で何とも返答しなかった。40数年して、先日、朝日新聞の朝刊一面にある「折々のうた」に、この耕治人の名前が出てきたので、作品をAmazonで購入して読んでみることにした。「一條の光」「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」「そうかもしれない」を収めた『そうかもしれない―――耕 治人命終三部作———』(武蔵野書房)である。いずれも奥さんとの思い出を綴った作品だが、特に三部作は80歳を超えて作者の最期(さいご)に近い頃に書かれたもので、テーマは妻の認知症発症と自分の病(ガン)である。小説家としてまったくうだつが上がらなかった作者が、そのまま貧しい晩年を迎え死期を前にして枯れた筆に淡々と認知症を病む奥さんとの生活を書いている。どちらかといえば、悲惨な話なのだが、どんな夫婦も老いたらあるいは似たような境遇に諦(あきら)めて生活しなければならないと思わせる。作風に小説らしい少しの想像力も感じないが、ありのままを書き続ける作者の態度に、ある畏敬を抱かずには居られなかった。ところで、大朝先生は、長生きもせず、ずいぶん前に亡くなられたようである。大朝先生は情があったと今も懐かしく思うことがある。

耕治人と奥さん(?)
コメント
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