Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

梅と桜を同時に見る。母親の病態、そして死

2021年02月22日 14時35分47秒 | Journal
 昨日の日が落ちる前、妻と散歩がてらに王禅寺ふるさと公園に出かけると、紅白の梅が満開と咲いていた。それは納得と仰(あお)ぎ見ながら枝の下を通り抜けると、梅よりは明るい花が咲く木々が見えてくる。近づくと、どうも桜である。河津桜というのは伊豆で見たが、早咲きの河津かと思って眺めていると、樹の幹に「玉縄桜」と掲示がある。ソメイヨシノの早咲き品種らしい。満開の梅に続いて桜の咲くを同時と見て、それで幸福感が増したかというと、そうでもない。今日、母親の入院する病院に電話をかけると、母親は特に目立った高熱が出るでもなく(37度7分以下)、肺炎の兆候があるでもなく(抗生物質は投与している)、症状は小康しているようだが、痰が多く、尿量が極端に少ないのが心配だと看護師は話した。尿が少なくなり、血圧に異常(低下)が出ると、呼吸に問題が起きるという。インターネットで「尿量、血圧、呼吸」を検索すると、「脳や腎臓への血液供給が不十分なことから、意識障害や尿量の減少が起こる」ということが分かった。母親の意識は、どこにあるのか。看護師によると、2月9日にPCR検査で陽性となったが、10日以上たち72時間以内にコロナの症状がなければ、再検査しないのが厚労省の方針だそうだ。母親は、コロナから回復(寛解)したと言えるのか、死ぬのならばまだコロナ死なのか、そもそも分からない。ともかく、自宅待機だった職員も徐々に職場復帰し、明日、明後日からコロナで閉鎖された病棟を徐々に開放する話になっている。おしっこが思うように出ないで病室のベットに大概とかたく目を瞑(つぶ)っている母親が、朦朧(もうろう)とも夢でもふと薄目(うすめ)を開けて、病院の白い天井を日差しが落ちてくる澄み渡って広く青い空にして枝先の梅と桜を今生(こんじょう)の目出度(めでた)さと垣間(かいま)見ることができるか、それが問題だ。

 梅の花

 桜の花

 母親は、大正12年(1923)の春3月に生れたので名を「はる」という。その年の関東大震災では、ぐらぐら来ると、愛知に住んでいた母親の母親が、赤ん坊の母親をおぶって大きな空鍋(からなべ)を持って家の外に飛び出したそうである。

   陽だまりに梅と桜が手向けなり  頓休

◆追伸 今日2月23日の天皇誕生日の日の午前8時50分、母親は永眠した。享年97。病院からの電話では、8時30分頃から急に酸素飽和度が低下し、呼吸状態も弱くなり、静かに安らかに死んだそうだ。コロナ関連死なので業者によって火葬にされてから遺骨は遺族に引き渡される。コロナ関連死ということでは、新型コロナが猛威をふるいだした1年前から、老人施設で徐々に食事をとらなくなった母親は、骨ばかりと衰弱して、誤嚥性肺炎もあって病院に入院した。自分とは大して関係ないような今回のコロナ禍だったが、最後になって、コロナで母親を失った感じがする。ここ数カ月、点滴のみで余命を永らえていたので、そうした寝たきり状態で余り長くならずに死ねたのは本人にとっても幸いだったと思う。
 ちなみに、母親の遺体は、業者に引き取られて、火葬があるまで、わざわざ東京の阿佐ヶ谷の死体安置所まで運ばれていくそうだ。そこでしか、コロナ関連の死体管理ができない由(よし)。場所は明らかにされないが、グーグルの地図で見れば、小生が幼少期に住んだ中野や杉並にも近い場所と思える。多分、霊柩車に乗せられて、母親は国道246号(?)を通って多摩川を渡り、かつて家族で住んだ場所に連れていかれるのだから、それもありかと考えることにした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« E.T.になった母 | トップ | 母親の骨葬 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Journal」カテゴリの最新記事