Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

母親の骨葬

2021年03月04日 17時36分05秒 | Journal
 母親の遺体は、火葬にしてから祭壇に祀(まつ)る骨葬となった。斎場の火葬場では、髑髏(しゃれこうべ)と言うには余りに少量までカランカランに徹底して乾燥され、鉄板に横たわった骨は粉末にいたるまで鉄板焼きで使うような金属の箆(へら)で馬鹿丁寧に搔き集められて骨壺に収納された。それでも、何となくその鉄板上の髑髏に親しみというか母親らしさを感じた。最初に骨を会葬者二人で箸の先につまんで壺に入れる。フェースシールドをした太った係の人は、下半身の骨を壺へ先に入れるとゴリゴリと押し潰すように棒で乱暴に押し込んでから(実際、骨が粉砕する音がした)、上半身分を入れ、さらに頭蓋骨を一々、「これは喉仏です」「これは側頭部ですね」「これは頭頂部です」と紹介しながら納め終わり、4名の参列者一同で合掌した。翌朝、セレモニーホールに骨を運んで、浄土真宗の坊さんがありがたいお経を長く読んでくれたが、結論としては、人の一生の理(ことわり)は諸行無常で虚しいだけ、兎(と)にも角(かく)にも南無阿弥陀仏であった。母親は、こうして生涯を正式に閉じた。生前、強がって明るい顔をみせてきた母親を思うと、こんなことかと気の毒で気持ちが真っ暗になる。

 四十九日まで実家の床の間が仮の宿となる。

 遺影は10年前にグループホームで小生が撮った写真を使った。

◆追伸 新聞を読んでいたら新型コロナ感染で死んだ人間の遺骸は病院から「納体袋(ボディバック)」に入れたまま運ばれて火葬されるとあった。一応、火葬場では粗末な棺に入れられていたが、その中はこの非透過性のビニール袋で、母親はそんな完全密封の寝袋に入ったままだったのだ。それが死んだ母親にとって特段嫌なことだったとは思わない。しかし、木の箱に入ってあっちこっち連れまわされるのと、ビニール袋に入って荷物のように運ばれるのとでは、取扱いが違う。この世の最期にしては不当な扱いだ。インターネットを調べていると、「新型コロナウイルスにより亡くなられた方の遺体の取扱いについて」とするお役所文書が、地域医療課食品生活衛生課から出ているのは、ひどくがっかりさせる。そりゃ、あんまりじゃないか!

 12年前の母親「おや、まあ」と言いそうだ。(座間谷戸山公園にて)
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