Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

母親の一周忌

2022年02月24日 21時39分42秒 | Journal
 早いものでと月並みに書くべきか分らないが、昨年の2月23日に亡くなった母親の一周忌で昨日、厚木の墓に行ってきた。浄土真宗の坊さんの読経を聞きながら、空を見上げていた。鳥が上空をゆったり旋回していた。鳶(とび)だろうと思っていたら、「ピーヒョロロッロッロ」と笛(ふえ)を吹くでなく「カーカー」と鳴いたので、なんだカラスがトンビを真似(まね)てやがると思った。子規が「うらゝかになりぬ舞ふ鳶鳴く鴉(からす)」と詰まらない句を詠んだのは、このことかと変に納得した。その墓石に置かれた母親の写真が、煮え切らないでいつまでもはっきりしない頭を持て余している息子を、浜っ子の気っ風(ぷ)のままに様(ざま)あないと見やってニヤリと笑っていた。母親は施設の色紙に「悪いわねぇ、昔はサッサとできたのに、今じゃ気持ちがスタコラサッサ」と書くような人だった。母親の墓前で息子は「なんでェ、鳶が鷹を産まないから、この体たらくだい!」と啖呵(たんか)に威勢(いせい)よく言ってやれなかったのが残念だ。いまだに、母親の死については自分に過失があったのではないかと責任を感じている。母親は、施設でハンガーストライキをしていた時点で、もう十分と余命は望んでいなかったのだ。入院先で余計な延命をさせた挙句(あげく)、コロナで死なせたのは、やはり自分の浅はかな考えの所為(せい)であったかと疑っている。肺炎で苦しそうだったから、栄養を補給して少し息が楽になってから、できれば老衰で死なせてあげたいと考えたわけだが、こうした一見尤(もっと)もらしい思考法も自分自身が「死ぬ」ということをまともに考えてこなかった証(あかし)だったかもしれない。

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