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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

母親の生命力と延命措置、岡本太郎のオブジェ

2020年10月23日 20時58分39秒 | Journal
 昨日、母親が入院する病院へ行き、医者に話を聞いた。炎症度を示すCRPが10日前は17あったものが1になるなど、肺炎が治りかけている。胸のレントゲン写真を見ても、白い雲がかなり晴れて黒い領域が大勢を占めるようになっている。医者によれば、何らかの菌がまだ残っているので結核菌を疑って検査してみると、結核菌ではなく「非結核性抗酸菌」であると判明した。咳や痰が続くが、他人に移す危険はなく、風邪のような症状があっても、すぐに命にかかわることはないようだ。高齢の母親の場合、この菌を殺すための治療は必要なかろうということだった。
 肺炎が治(おさ)まりつつあると知って、「人工呼吸はしない」方針だという話も言い出す機会を失った。ただ、今のように点滴で細々と栄養を体内に入れていても(この時点で入院して20日近く経過、点滴での栄養補給はせいぜい10日程度が目安らしい)、数週間後といずれ持たなくなるという。選択肢は、①そのまま点滴を続ける(1カ月内外で終末を迎える可能性が高い)、あるいは点滴以上の栄養を注入する手段として、②中心静脈栄養、③胃瘻(いろう)がある。実は、第4のオプションとして⓪点滴を止めるというのもあるが(医師も特に言及しなかった)、昨日の段階では考えつかなかったし、昨日来た家族の中で小生が先導してしまった所為(せい)もあるが兄2人と孫2人を交えた話し合いでも話題にならなかった。小生としては、②の中心静脈が現代医学を使って苦痛もなく母親の寿命を少し延伸できる選択肢に思えると話し、他の参加者も同意した。そこで、兄が医者から渡された中心静脈を望む同意書のようなものを出すことになった。
 しかし、家に帰ってから段々迷いが出て、今日になって、インターネットで調べてみると、中心静脈と胃瘻の差も「延命措置」という意味では大差がなく、中心静脈は、口から栄養がとれなくなって寿命が尽きかけている人間の命を心臓に近い太い静脈へ高カロリー輸液を注入することで心臓から血液とともに動脈を通じて全身に栄養分を循環させ人工的に引き延ばすことであり、しかも感染症のリスクに加え、栄養分が過多になる傾向があり、かなり無理がある(身体に負担がある)やり方だと理解する。肺炎を治すために抗生剤を投与するのは明白に医療行為だが、栄養を補給するのは必ずしも医療行為ではないかもしれない。自然に眠るように死なせてあげるには、いっそう点滴も止めて何も延命措置を取らないのが確実な方法だと知る。そうすると、人間は徐々に死ぬための肉体の整理を進め、数週間でそんなに苦しみもなく死に至るそうだ。そう分かると、急いで兄に電話をかけた。すると、今、病院に同意書を提出して帰ってきたところだという。
 おそらく、まだ書類を出していないと言われても、では、中心静脈を止めて、できれば、点滴も止めて、母親を安楽死させようとは兄に対して即座に提案できなかったのではないかと思う。そう言うには、まだ躊躇するものがあった。母親の生きる意志は分からないにしても、たまさか効く抗生剤があったにしても、肺炎が治りかけている事実が、母親にはまだ僅(わず)かでも生命力が残っていることを暗示しているように思われ、それに早めにストップをかける権利(判断する根拠)は自分にはないと思えてくるからだ。施設で短冊に書いた「今じゃ気持ちが スタコラサッサ」という表明が、実際の死に際しての母親の気持ちと本当に言えるのか、そこが分からなくなってくる。
 1カ月以上前、車で20分ほどの生田緑地にある川崎市岡本太郎美術館で見た奇妙な形のオブジェに感じた、死の世界を覗(のぞ)き込んでいるようなグロテスクで逞(たくま)しい生命力が母親の中にもまだ残り火のように残っているかもしれない。この進化の過程でありとあらゆる生命に本能として巣食う怪獣に、餌(えさ)をやるべきか、餌を与えずに動かなくなるまで衰弱させるべきか。文明の利便性や科学技術にすっかり侵(おか)された鈍(にぶ)い頭では優柔不断にも、きっぱり判断できないでいる。「自分で食べられなくなれば、人間はおしまい」とは、医学的延命に対する警鐘のように理(ことわり)のように耳に入ってくる言葉だが、生きることと死ぬことの間にある分厚い壁を人一人通過するだけの穴が突貫(とっかん)であくのをじっと見守るのに、この言葉だけでは納得性が足りない、まだ心もとない気がする。

 岡本太郎美術館

母親の顔(2012)

 入院後、母親の血を2、3日ごとに採取した検査時系列情報には「97歳6ヶ月」との記載がある。当然、戦中世代で、娘の頃は、大空襲の中、狭く暗い防空壕で昼夜を暮らすこともあった。戦後も食べるものを得るために横浜から厚木辺りの山間部へ一人買い出しに出かけた話はよく聞いた。「飢餓(きが)」体験は母親の中に深く刻まれている筈(はず)である。小生には、それがまったくない。戦争もなく経済成長が主流を占める60余年、大して働かずとも餓(う)えずにのうのうと生きてきた。その息子が、今、死に瀕(ひん)している母親に「飢餓」を再度与えるかどうかで、21世紀の文明がどうの科学がどうのと迷っているのである。母親は餓鬼(がき)のような有様で病床に寝ているのに、である。こう考えると、何処(どこ)まで行っても太平な世の呑気(のんき)なような話になってしまう。母親は餓鬼(がき)の形相(ぎょうそう)で病床に寝ているのに、である。
 多分、その母親も心の中で、エンドレスに右往左往(うおうさおう)ばかりしている息子を苦笑しているであろうし、馬鹿息子に苛立(いらだ)って、好い加減早くさっさと決断せんかい、と喝(かつ)を入れたいと思っているであろう。息子は大抵こんなものであり、娘は母親に対してもっと果敢な同調者であるとも聞く。
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