Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

朝、目覚めて映画『空海』は中国の悪夢と悟る

2018年02月27日 16時12分15秒 | Journal
 昨日、映画館で『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』(中国原題:妖猫傳、英語タイトル:Legend of the Demon Cat、2017)を観た。あの『北京ヴァイオリン(和你在一起)』(2002)のチェン・カイコー監督(陳凱歌、1952‐)にして、老いてこの駄作的な娯楽映画か、ああ詰まらないと思って帰宅し、そのまま思い出すこともなく寝てしまった。ところが翌朝、起きたら、今さっき見てきた夢の後味を舐(な)めるように「ははーん、あの映画は、中国の今を反転して唐になぞらえ、夢仕立てにしたもので、現政権の『中国の夢』を悪夢にして描いた作品なのだ」と急に悟った。そう考えると、かなりの暗喩(あんゆ)に満ち、工夫に富んだ傑作である。日本語版では、興行的意味合いからか、映画の主人公はあくまで日本僧・空海(774‐835)とその友人の詩人・白居易(772‐846)になっているが(彼らは単なる歴史探訪のナビゲーターでしかない)、本当の主人公は中国原題や英語タイトルに示されているように、悪魔の猫=妖猫に化ける中国人民(特に民主化運動家?)なのである。映画では、この黒猫(中国ではもともと黒猫に悪いイメージはない)が玄宗皇帝(712‐756)の身代わりに自殺を強いられた楊貴妃(719‐756)の恨みを残酷なまでに晴らす復讐の物語展開になっている。それはまたシルクロードで西欧につながった唐の繁栄に比すべき一帯一路を推進する現代中国における人民の恨みを晴らす話になっているのだ。任期を撤廃した終身国家主席はいわば皇帝のようなものである。多分、われわれ一般の日本人や原作者の夢枕獏氏(1951-)ですら、夢枕にも思わなかった現代中国に対する批判的含意がこの文革世代の映画人によって撮られた映画には込められている。それが正夢になるかどうかは、未来しか分からない。日本で『空海』として上映された絢爛豪華(けんらんごうか)たる歴史ファンタジーの娯楽超大作を観て、こんなことを考えるのは邪推、曲解であろうか。

 

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『薄氷の殺人(白日焰火)』という中国映画

2018年02月14日 21時53分46秒 | Journal
 何日か前だが、『薄氷の殺人(白日焰火)』(ディアオ・イーナン監督、2014、英語題:Black Coal, Thin Ice)という中国映画を観た。とにかく暗いタッチの映画であった。本作は、第64回ベルリン国際映画祭で最優秀作品賞の金熊賞を獲得し、主役の元刑事役のリャオ・ファン(廖凡、1974-)も最優秀男優賞の銀熊賞を受賞している。PG12のかなり暴力的なシーンもあるこの映画を観ていて、根拠もなく「これはもしかして北野武監督に影響されているかな」と思った。根拠がないのは、小生が北野作品を一度もまともには観たことがないからである。しかし、部分的に、テレビで放映されているのを観てきて、そんなことを思った。北野作品がヨーロッパで高い評価を得ており、その下地があって同作も賞を獲得したのではないかと思ってしまった。(なお、イーナン監督自身は、あるインタビューで、本作を撮る上で、ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』(1930年)、そしてオーソン・ウェルズ監督の『第三の男』(1949年)や『黒い罠』(1958年)からインスピレーションを得たと語っている。)ファンの演技について、中国出身の妻はリアリティーのある演技とべた褒(ほ)めだったが、小生は慥かに人間味を出せる芸達者だが別に賞を取るほどかなと思った。女優のグイ・ルンメイ(桂綸鎂、1983-)は、妻によれば東北地方の女性という見立てであったと思うが(妻本人は後で否定)、実は、台湾の女優。妻はこの女優は演技ができないほど下手だと言い、小生はかなり上手いし魅力的と感じた。映画のラストシーンで、かつて夫を守るために殺人を働いた女が、犯行現場の実況見分で以前住んでいたアパートに連行され、終わって建物に囲まれた中庭を出てきたとき、元刑事によって屋上から次々と発射された昼の花火が華々しくビルの谷間の空を爆音とともに賑(にぎ)わした。そのとき一瞬、氷のように冷たい女死刑囚の顔が微笑んだのが、印象的であった。あるいは、イーナン監督は、この女の顔が晴れやかになる瞬間を作り出すために、暗澹(あんたん)としたこの映画を撮ったのかもしれない、と勝手に考えた。






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『ブルースカイ(Blue Sky)』というアメリカ映画

2018年02月14日 09時44分48秒 | Journal
 映画『ブルースカイ(Blue Sky)』(Tony Richardson監督、1994)を観た。観たのは、ジェシカ・ラング(Jessica Phyllis Lange、1949‐)という女優が本作の演技によってアカデミー主演女優賞などを受賞した、との触れ込みがあったからでもあり、大好きな男優トミー・リー・ジョーンズ(Tommy Lee Jones、1946- )がラングの亭主役で出演していると知ったからだ。映画の口コミをチェックすると、日本人には、ラングが演じた妻が誠実な夫を裏切って刹那的な浮気に走る自堕落さがモラルに反し、好感度を悪くしたようだが、小生は、この妻の自分の性的欲求を衆人の前で大胆に開放したがる傾向、見せたがる奔放さこそが、アメリカ文化の中心点にあることを知っているから、このラングの演技がアカデミー主演女優賞に輝いたことがよく理解できた。この女性像は、アメリカ大衆文化がインテリを巻き込んでマリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926-1962)の無垢(むく)で痴的なセクシーを支持したのと共通なのだ。映画を観ていて、ラングが演じた女房はアメリカ陸軍の少佐である夫を実に愛していることは、その夫の上官の大佐との浮気の最中でさえ、小生はまったく疑わなかった。彼女が、そこのところを演じ切れた点が批評家に高く評価されたのだと思う。ハーバード大学の寮で後にアメリカ合衆国副大統領となるアル・ゴア("Al" Gore)と同室だったトミー・リー・ジョーンズは、日本では缶コーヒーのコマーシャルに出てくる宇宙人のような変な外人オジサンだが、やはり演技が上手い。自分を裏切ってしまう妻を見つめる眼鏡をかけたインテリ風の目が、どこまでも理知的で優しいのが、不思議な男らしさを感じさせる。




ハーバード時代のジョーンズ(1968)

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『Remember(手紙は憶えている)』という映画

2018年02月13日 15時08分41秒 | Journal
 ホロコースト(Holocaust)の映画ということで妻に誘われて気乗りせずに観ることにした映画『Remember(手紙は憶えている)』(2015、Atom Egoyan監督)。最近は、ばんばん人が死んでいく映画を夜観ると寝れなくなる。不眠症もあって、夜9時以降はテレビの画面を余り見ないようにしている(平昌オリンピックはつい見てしまうが)。まして刺激の強い映画なんて観たくない。しかし、この作品は、これまで観てきたホロコースト映画とは一味どころか大分違う。別に睡眠に誘(いざな)いはしないが、怖くて眠れなくなることはなさそうだし、実際、よく寝れた。むしろ、ある感慨を抱いて安眠できた。その感慨とは、一つは、皮肉な結末だとしても人生は等価で自己完結的であるということだ。アウシェビッツで人を殺してきた元ナチの男が、アメリカで認知症の老年期を迎え、妻にも死なれて失意の中、アウシェビッツの生き残りというユダヤ人男性から手紙を渡され、アウシェビッツで自分らの家族を抹殺した元ナチ党員を殺すように依頼される。奇妙な話だが、主人公の老人は、認知症の結果なのか、自分もナチに家族を殺されたユダヤ人であると洗脳されてしまったのだ。それから老人は、ピストルを購入し、4人のナチ党員と同姓同名の男を訪ねて旅に出る。4人目で、やっと元ナチ党員を探し当てるが、その男から自分もナチだったという意外な真実を告げられ、家族の前で元ナチ党員を撃ち殺し、自分も探しに来た息子の前で頭に銃口を向け弾丸を撃ち込む。つまり、ホロコースト映画につきものな不条理が、ここでは自己完結的に見事に解消されている。ホロコーストの話は、大抵、思い出したくない記憶をたどる苦しい旅になるのだが、この映画では、一人の老人が忘却のはざまを向こう側へ行こうと果敢に旅している。その自死は、何故だ!と自分に問う一瞬の困惑はあっても条理があり結論があり爽やかでさえある。怖いという感じはなかった。
 第二の感慨深さは、主人公の老人を、小生が長崎・佐世保で過ごしていた小6の頃に兵庫・尼崎の高校のブラスバンドでチューバを吹いていた長兄が夏休みに帰省していて連れていかれた映画館で観た『サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)』(1965)で、ジュリー・アンドリュース(Dame Julie Elizabeth Andrews、1935)の相手役トラップ大佐を演じたクリストファー・プラマー(Arthur Christopher Orme Plummer、1929-)が扮していたことだ。あのギターを爪弾きながら「Edelweiss」を歌った格好良すぎる大佐が、50年後、ここまで見事に老人になったかという感慨と、曾祖父は第4代カナダ首相のジョン・アボット(John Abbott)であるというさすがの品格とちょっと喰えない感じのする白人ぽい貴族的威厳(我が国にも首相の息子が俳優になっているケースはあるが)、加えて、自身、俳優になる前はピアニストになろうとしていただけに老いてもピアノを巧みに弾きこなす姿と演奏自体が、いずれも素晴らしかった。その「自分をユダヤ人と思い込む元ナチの老人」が演奏した楽曲が反ユダヤ主義者として名高いリヒャルト・ワーグナーの作曲であったことが、なかなかの皮肉だった。






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