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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

チェーホフ作品を読み終えて

2017年09月13日 11時23分43秒 | Journal
 ようやくチェーホフ(Антон Павлович Чехов、1860‐1904)の戯曲4部作『かもめ』(1896)『ワーニャ伯父さん』(1899‐1900)『桜の園』(1904)『三人姉妹』(1901)を読み終えた。いずれも新潮文庫の神西清(1903‐1957)訳。全作ともロシア革命前夜の、生活力を欠いた没落家族が生まれ故郷や友人たちとの別離の日々を扱ったもので、4作とも一つの作品にしてもいいような、似たような印象を受けた。最近は、小説のようなものでも、心にとまった箇所には付箋を貼り付けているので、幾つか拾ってみよう。自ずと、小生が、なぜ、チェーホフに惹かれるか、分かっていただけると思う。結局、人間というのは、どんなに悲観してもこの世に未練が残る。その残った未練を嫌味なく純に舞台にのせたのがチェーホフだ。



〇『かもめ』から

ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演(や)りにくいわ。生きた人間がいないんだもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少なくて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ⋯⋯

トリゴーリン おれには自分の意志というものがない。⋯⋯おれはついぞ、自分の意志をもった例(ため)しがないのだ。⋯⋯気の抜けた、しんのない、いつも従順な男―― 一体これで女にもてるものだろうか? さ、つかまえて、どこへなり連れて行ってくれ。ただね、一足もそばから放すんじゃないぞ⋯⋯



 なお、『かもめ』は、チェーホフの劇作家としての名声を揺るぎないものにした作品であるが、初演は、1896年に、サンクトペテルブルクの「アレクサンドリンスキイ劇場」で行われ、これは、「ロシア演劇史上類例がない」とされるほどの失敗に終わった、という。その原因は、当時の名優中心の演劇界の風潮や、この作品の真価を理解できなかった俳優や演出家にある、と言われている。そのとき、チェーホフは、失笑の渦(うず)と化した劇場を抜け出すと、ペテルブルクの街を彷徨(さまよ)い歩きながら「二度と戯曲の筆は執(と)らない」という誓いを立てた、とも伝わる。2年後の1898年、設立されたばかりの「モスクワ芸術座」が躊躇(ためら)うチェーホフ本人を説得して再演にこぎつけると、同芸術座の俳優が役柄に生きるような新しい演出が、この劇の真価を明らかにし、今度は、大きな成功を収めるに至った。

〇『ワーニャ伯父さん』から

ソーニャ でも、仕方がないわ、生きていかなければ! (間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申上げましょうね。すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい! と、思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち―― ほっと息がつけるんだわ。わたし、ほんとうにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの。



〇『桜の園』から

ガーエフ どっちみち死ぬのさ。
トロフィーモフ わかるもんですか? 第一、死ぬとは一体なんでしょう? もしかすると、人間には百の感覚があって、死ぬとそのうちわれわれの知っている五つだけが消滅して、のこる九十五は生き残るのかも知れない。



〇『三人姉妹』から

ヴェルシーニン そうですな、ひとつ空想の羽をひろげてみようじゃないですか⋯⋯例えば、われわれのあと、二、三百年後の生活、ということでも。
トゥーゼンバフ ははあ? われわれのあとでは、人が軽気球で飛行するようになるでしょうし、背広の型も変るでしょう。もしかすると第六感というやつを発見して、それを発達させるかも知れない。しかし生活は、依然として今のままでしょう。生活はやっぱりむずかしく、謎にみち、しかも幸福でしょう。千年たったところで、人間はやっぱり、「ああ、生きるのは辛(つら)い!」と、嘆息するでしょうが―― 同時にまた、ちょうど今と同じく、死を怖れ、死にたくないと思うでしょう。

チェブトイキン ⋯⋯ひょっとすると、わたしたちだって、さも存在してるように見えるだけのことで、じつはいないのかも知れない。

オーリガ (ふたりの妹を抱きしめる)楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ! まあ、どうだろう! やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世からわかれて、忘れられてしまう。わたしたちの顔も、声も、なんにん姉妹(きょうだい)だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦(よろこ)びに変って、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思いだして、祝福してくれることだろう。ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きて行きましょうよ! 楽隊の音は、あんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。⋯⋯それがわかったら、それがわかったらね! 



 チェーホフと女優のオリガは、1901年5月25日に挙式したが、その結婚は、突然で、誰も(チェーホフの母と妹、オリガの母ですら)知らされないままの小さな結婚式だったという。それによって、親しい友人と家族の多くが彼らの秘密主義に傷ついたともされる。チェーホフの死で幕を閉じた2人の結婚生活はわずか3年にも満たなかったが、オリガは、その後の生涯、舞台に立ち続けた。

 妻のオリガと


A man and a woman marry because both of them don’t know what to do with themselves. (結婚するのは、二人とも他に身の振り方がないからである。)――チェーホフ

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