First Step

初めてのロンドン生活、初めての育児。前向きに色々な事に「はじめの一歩」を踏み出してみようと思います。

クロアチア旅行~モスタル(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)~

2012-05-17 12:54:55 | 旅行

スプリットを出てドブロヴニクに向かう途中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルに寄りました。「クロアチアからは国境に程近いボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルならびにモンテネグロのコトルへのツアーがあり、観光客にとても人気がある。」との記述がガイドブックにあり、せっかくなので是非行ってみたいと思いました。

とは言え、ボスニア・ヘルツェゴヴィナと聞くとやはり真っ先に思い浮かぶのはボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争です。ユーゴスラビアからの独立を巡って1992年にムスリム系・クロアチア系・セルビア系民族間で紛争が勃発し、各民族が覇権を争った結果、死者は20万・難民および避難民は200万と言われる戦後の欧州において最悪の紛争となった事で知られています。1995年には紛争は終息し、ムスリム系・クロアチア系が中心のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦およびセルビア系が中心のスルプスカ共和国という2つの主体から構成される1つの国家となったものの、それぞれが独自の大統領・政府を有するなど、高度に分権化されている複雑な政治体制となっております。現在の治安はと言うと、民族対立は完全に解消されたわけでないが治安は概ね安定しており、現在は民族を超えた共通の目標である欧州の一員としての道を歩むべくEU加盟を国家の最優先課題に掲げて国際社会の支援を受けながら諸改革に取り組んでいるとの事でした。特にモスタルはクロアチアから多くの観光客が訪れる観光地なので、数時間の滞在であれば問題ないであろうと判断し、未知の国ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルに行って見る事にしました。

スプリットからモスタルまでは車で3時間ほどのドライブでした。クロアチアの国境を抜け、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入ると、そこにはクロアチアとは異なる光景が広がっていました。手入れが行き届いたクロアチアとは違い、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはやや荒れた感じ拭えず、廃墟が所々にあったり草がぼうぼうだったりしました。また、地雷のドクロマークの看板があったり、ガードレールがない道もあるので慎重な運転が要求されたりと、自然と緊張感が高まり気が引き締まる思いがしました。

そんな中、無事にモスタルに到着しました。モスタルはボスニア・ヘルツェゴヴィナにとって重要な観光地となっており、国内外の多くの観光客を受け入れている事で知られています。モスタルは15世紀後半から19世紀後半にかけてオスマン帝国の支配下に置かれた経緯があり、トルコ的な要素が感じられる町でした。モスタルの一番の見どころと言えば、世界遺産にも指定されているスターリ・モストというオスマン朝時代に建てられた石橋です。私達はそこを中心に散策してみる事にしました。

スターリ・モストの周辺にはお土産物屋さんが連なり、多くの観光客で溢れていました。お土産屋さんで売られている物はやはりトルコ的な要素の物が多かったように思えました。
モスタル1 モスタル2

そうこうしているうちにいよいよスターリ・モストに着きました。アーチ型のゲートをくぐり、階段状の道を進んでいくと、緑があまりなく岩が剥き出しの山々が連なる景色が目に入りました。
モスタル3 モスタル4

橋の下にはネレトヴァ川が流れていました。美しい川ではあるものの、この国の色々な歴史を考えると単純に美しい川では片づけられない何か複雑な要素を感じさせる川のように思えました。スターリ・モストも内戦によって1993年に破壊され、ユネスコや各国の協力の元に2004年に修復されたそうです。
モスタル5 モスタル6

橋を渡り切り、少し歩いたところで振り返るとと、スターリ・モストの全体像が見えました。そこで気になったのが山の上の十字架です。調べてみると、ネトレヴァ川を挟んで東側がムスリム系のボスニア人、西側がキリスト教系のクロアチア人と古くから住み分けがされていて、この十字架はキリスト系のクロアチア人が建てたそうです。それはムスリム系ボスニア人との共存を願ってというものではなく、ムスリムに対抗するためだそうで、山の上から見下ろす十字架は今なおムスリム系との精神的なわだかまりの一因となっているそうです。
モスタル7

帰り道にボスニア料理のレストランでランチをする事にしました。料理自体はそこまで変わっている感じは受けなかったものの、スパイスが効いたエキゾチックな味がしました。
モスタル8 モスタル9

モスタルのスターリ・モスト周辺だけを見ればヨーロッパの観光地とさほど変わらない印象を受けましたが、そこを少し外れると爆破されたと思われる建物や銃弾の痕など、町のあちこちに紛争の痕跡が見られました。複数の民族が暮らす町で民族間の対立が起こり、その日を境にそれまで隣人同士や同僚だった顔見知り同士が銃口を向け合うという想像ができない状況が起きたボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪れ、複数の民族が1つの国で共存するという難しさを感じると共に、時間はかかるだろうがいつの日か民族を超えた共通の目標であるEU加盟を是非実現して欲しいと切に願いました。


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