ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 2. ルシアと小教区の主任司祭

2018年01月31日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


2. ルチアと小教区の主任司祭

その当時、小教区の主任司祭は荘厳聖体拝領の儀式のために子供たちの準備を始めていました。6歳から私は毎年荘厳聖体拝領の儀式を繰り返していました。しかしこの年は、母は私がそれをしないことを決定しました。そのために公教要理のクラスに出ませんでした。放課後、他の子供たちは主任司祭のベランダに行き、私は家に帰って縫ったり糸を紡んだりしていました。

良い主任司祭は、私が公教要理の授業を欠席するのをよく思いませんでした。ある日、学校から帰宅しようとした時、主任司祭の姉がある一人の子どもを私の後に送りました。この女の子は、アルジュストレルへの道で、「カタツムリ」というあだ名のあるかわいそうな人の家の近くで私に追いついて、神父様のお姉さんが私に話があるからすぐ司祭館へ引き返すように、と言いました。

私はまた何か質問されると思ったので、「すみません、母が学校からまっすぐ家へ帰るようにと命令したの」言って、気が狂ったかのように畑を横切り、誰も私をみつけないように隠れ場を探しました。

けれどもこのことで私はひどい目に合いました。数日の後、小教区に大きな祝日があって、近所の数人の司祭がミサの聖歌を歌うために集まりました。ミサが終わってから、主任司祭は私を呼んで、私が公教要理の勉強に与らなかったこと、自分の姉が来るように私を呼んでも来なかったことを、みんなの司祭の前で厳しく叱りました。つづめていえば、私はすべての過失と失敗が、明らかにされたのです。このおしかりの言葉はかなり長い間続きました。
ついに、どうやってかはわかりませんが、一人の聖なる司祭が現れて、私の弁明をしてくれました。この神父様は私を弁解しようと、「多分、母親が許さなかったかもしれません」と言いました。すると、良い主任司祭は、こう答えました。
「この子の母親ね!何故?この子の母親は聖女だよ!でもこの子について、どんな子になるか見てみないとね!」
その時、私を弁護してくれた良き司祭は、後にトレス・ノヴァスの司祭になった方ですが、極めて優しく私に、どうして公教要理へ行かなかったのかと尋ねたので、私は母がそう決めたからです、と答えました。彼は私の言葉を信じなかったようです。聖堂のところにいた姉のグロリアを呼び、このことについての真理を見極めようとしました。
私が言ったのと同じことを聞き出して、神父様はこう言いました。
「それなら分かりました!この女の子は、初聖体の日まで残っている日に公教要理に来て、その後で私のところに告解に来なさい、そして他の子供たちと共に荘厳聖体拝領をしなさい。さもなければ、この子は、この小教区では二度と聖体拝領をゆるしません!」
姉がこの提案を聞くと、姉は私が姉たちと荘厳聖体拝領の五日前に別のところに行くことになっていること、司祭が言ったようなことは極めて都合が悪いことを指摘しました。姉は更にこう付け加えました。
「もしも神父様がそうお望みならば、私たちは別のところに行く数日前に、ルチアが告白と聖体拝領をすることができますが」と。良い神父様はこの願いに注意を払わず、自分の決定を変えませんでした。
私たちは家へ帰ると、母に全部を話しました。母も神父様のところに行って、別の日にルチアの告白を聞き、御聖体を授けて下さるように願いに行きました。しかし、全ては無駄でした。
そこで母は、小教区の荘厳聖体拝領の日が終わってから兄が私と一緒に移動することを決断しました。丘と小山で起伏の激しい極めて悪い道のりのため難しい長距離の道のりにもかかわらず、この決定がありました。
私は、主任司祭の所で告白することを考えただけでも、恐れて汗を流していたと思います!私はとても嫌で大声で泣きました。
荘厳聖体拝領の前日、主任司祭は、告白のためにすべての子供たちを教会へ呼びました。私も行きましたが、苦しみは私の心をとらえました。教会へ入ったとき、数人の司祭が告解を聞いているのを見ました。リスボンから来たクルズ神父様が入口のそばにいました。私は神父様と以前話したことがあり、神父様のことが大変好きでした。

主任司祭が教会の真中の開け放しの告解場で告解を聞いていたことに気がつかず、私は自分でこう考えました。「まずクルズ神父様に告白をして、私が何をしたらよいかを尋ねよう、それから主任司祭の所へ行こう」と。クルス神父様は私をとても親切に迎えてくれました。私の告解を聞いた後、いくつかのアドバイスをくださり、もしも私が主任司祭のもとで告白したくないのなら、そうしなくてもいい、このようなことのために主任司祭は私に聖体拝領を拒むことができない、とおっしゃってくれました。私はこのアドバイスを聞いてとても喜び輝き、償いをとなえました。そこで、私は教会からすぐに逃げて帰りました。誰から私を呼び戻そうとするのを恐れからです。翌日、白衣を着て教会へ行きました。聖体拝領を拒絶されるのを、まだおそれていました。
しかし、神父様は、荘厳聖体拝領の式が終わってから、別の司祭に私が告白しにいったという不従順のことをよく知っていると私に指摘することで満足しました。

このよい司祭は、聖母ご出現の出来事について、ますます不満を抱きどうして良いか分からなくなりました。そのうちに彼は他の小教区へ転任しました。神父様が私のせいで転任したという噂が広がりました。[注30] 何故なら神父様は聖母御出現の出来事の責任を取りたくなかったから、と。彼は熱心な司祭であり、小教区民に大変愛されていたので、その結果、私はとても苦しみました。

何人かの敬虔な婦人たちは、私に会うといつでも、、私を罵って自分たちの不愉快さを見せつけました。そして時々、私が道で歩いていると、握りこぶしで打ったり、足で蹴ったりしました。

[注30] これが転任の理由ではなかった。むしろ、教会の再建のために自分の小教区のある信者らと困難さがあったためだった。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 1. ルシアは学校に通う

2018年01月30日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


1. ルシアは学校に通う

あらまあ、みんなの使う表現で言うと、私はリズムも理由もなくここに書き留めています。しかも私が言わなければならなかったいろいろなことを既に抜かしています。でも、司教様が私におっしゃったとおり私は書いています。つまり、私が思い出すことを全て単純に書き留めなさい、と。それが私のしたいことです。順序やスタイルを気にせずにそうします。そうすることで私の従順がより完全になると思います。従って私たちの主と聖母の汚れなき御心により気に入るものとなります。

そこで、私は両親の家のことに戻りましょう。司教様、すでに私は母が私たちの羊の群れを売り払わなければならなかったということをお話ししました。私たちはただ3頭の羊だけをそのまま飼っていました。これらを私たちが野原に行くときに一緒に連れて行きました。私たちが家にいるときはいつでも小屋に入れてそこで餌を与えました。母は私を学校に行かせました。私の自由時間には母は私が糸紡ぎと裁縫を学ぶことを望みました。こうして私は家に安全にいて、私を探しまわす時間を無駄にする必要がありませんでした。ある天気の良い日、姉たちは、私に他の女の子たちと一緒に行って、ペ・デ・カン(Pé de Cão)[注29] の裕福な人のブドウ畑の手伝いをするように頼みました。母は私も行くのであるならば他の姉たちも行かせることを決断しました。すでに申し上げたとおり、母は姉たちが私を連れて行かないならばどこにも行くことを許しませんでした。

[注29] この所有地はトレス・ノヴァスの近くにあり、技師のマリオ・ゴディニョ(Mário Godinho)の所有であった。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


トランプ大統領は19日、ビデオ中継で今年のマーチ・フォー・ライフのイベントに参加した

2018年01月28日 | マーチフォーライフ


2018年1月19日、アメリカの現役大統領として初めてドナルド・トランプはマーチフォーライフに生中継のメッセージを送った。

「アメリカ人はますますプロライフになっています。これはどんなときもそうです。事実いつでもできる堕胎を支持しているのは、12%のアメリカ人しかいません。」

「マーチフォーライフは、愛から出ている運動です。皆さんは家族を愛し、隣人を愛し、私たちの祖国を愛しています。皆さんは全ての子供たちを、生まれた子も、まだ生まれていない子供たちも愛しています。何故なら皆さんは生命が神聖だと信じているからです。全ての子供たちが天主からの貴重な贈り物だと信じているからです。」

「私たちは生命が全てのなかで最も偉大な奇跡であると知っています。私たちはそれを全ての新しい母親の目の中に見ています。」

「アメリカ合衆国は、後期妊娠の堕胎が許されるたった七カ国(中国と北朝鮮など)のうちの一つです。これは間違っています。変えなければなりません。」

「私は今日、ここにいる全ての人々に感謝したいと思います。非常に大きな心で疲れを知らない献身をもって、生命を選ぶために親たちが必要な世話とサポートを受けることができるようにしている全ての人々に感謝します。」

「皆さんのおかげで、数万名のアメリカ人たちが生まれてきましたし、天主が与えた可能性に到達してきました。」

トランプ政権になって、「合衆国外国援助 U.S. foreign aid」が、外国で堕胎を促進させることを阻止するメキシコ・シティー政策(Mexico City Policy)が再導入された。
トランプ大統領は、家族計画に予算を与えない法律にサインをし、プロライフの人々を政策の重要な地位に就け、従業員たちが自分の良心に反してでも避妊ピルや堕胎ピルを強制したオバマの健康人間サービス(Health and Human Services)を終わらせた。
トランプは、堕胎やLGBTを支持する国連機関ユネスコから脱退した。
トランプは既に2017年11月こう宣言した。「アメリカの子供は誰であれ、生まれた子であれまだ生まれていない子であれ、望まれない子でもないし、愛されない子でもない。」"no child in America – born or unborn – is unwanted or unloved."

Full text: President Trump’s historic speech to 2018 March for Life



Transcript of President Donald Trump's address to the 2018 March for Life in Washington D.C.

***


トランプが生命の神聖さを訴える、マーチ・フォー・ライフ演説全文

ドナルド・トランプ大統領は19日、ホワイトハウスのローズガーデンから、ビデオ中継で今年のマーチ・フォー・ライフのイベントに参加した。また大統領は、2018年1月22日を人間の生命の神聖さの国民的記念日(National Sanctity of Human Life)として宣言した。

スピーチ全文:

大統領:どうもありがとうございます。とても素晴らしい。ご着席ください。何万人もの人たちがすぐそばの通りで私たちのことを見ています。何万人も、です。おめでとうございます。ともあれ素晴らしい日を選びました。最高に素晴らしい日です。

マイク・ペンス副大統領が素晴らしい挨拶をしてくれたことに、感謝したいと思います。またあなたとカレンが真の命の擁護者であることに感謝します。ありがとう。カレン、ありがとう。(拍手)

今日ここホワイトハウスで、第45回マーチ・フォー・ライフのために大統領として初めて演説できることを大変光栄に思います。(拍手)

これは実に注目すべき集まりです。本日、何万人もの家族、学生、また愛国者–そして実に偉大な市民が–我が国の首都に集っています。様々な背景を持ち、様々な場所から来た人たちです。ですが全員が1つの素晴らしい信念のために来ています。それは生命が祝福され、保護され、大事にされる社会を築くという信念です。

マーチ・フォー・ライフは愛から生まれた運動です。みなさんは家族を愛し、隣人を愛し、国を愛し、生れた後でも生まれる前でもすべての子供を愛します。というのも、生命はすべて神聖なものであり、子供はすべて神からの尊い贈り物であると信じるからです。(拍手)

私たちは生命が最大の奇跡であることを知っています。母親になったばかりの女性が、素晴らしく、純真で、輝かしい赤ちゃんを愛情込めて腕に抱く時、彼女の目を見ればそれが分かります。

今日ここに集まった人全員と、全国で親が生命を選択するのに必要な介護と支援を確保できるように、とても広い心を持ってたゆみなく献身するすべての人に感謝いたします。みんさんのおかげで、何万人ものアメリカ人が誕生し、神が与えた最大の可能性を発揮したのです。みなさんのおかげです。

みなさんは今年のマーチ・フォー・ライフのテーマの生きた証人です。そのテーマとは、愛は生命を救う、です。(拍手)

みなさんご存知のように、ロー対ウェイド事件の結果、世界で最も寛容な人工中絶法のいくつかとして挙げられるものができました。例を挙げるとアメリカは、中国、北朝鮮などの国と並んで、選択的な後期中絶を許可しているわずか7カ国のうちの一つなのです。

現在、多数の州で妊娠9カ月の母胎から赤ちゃんを引き離すことが法律で許されています。間違ったことです。変えなければなりません。

アメリカ人はより一層プロライフになっています。それはいつでも明らかなことです。事実として必要に応じていつでも中絶を行うことに賛成しているのは、国民の12パーセントしかいません。

私の政権では常に独立宣言の最初の権利を守ります。つまりそれは生存権のことです。(拍手)

明日で私が就任の宣誓をしてからちょうど1年になります。そして我が国は実に順調だと言えます。経済はおそらく過去最高でしょう。雇用の数を見てください。国内に回帰しようとしている企業を見てください。株価は過去最高を記録しています。失業率は17年来で最低です。

アフリカ系アメリカ人労働者の失業率は、我が国の歴史上で最低。ヒスパニック系の失業率は史上最低です。女性の失業率はどうでしょう。過去18年で最低です。私たちは自分たちのやっていることを誇りに思います。

また私の就任後最初の週には、ロナルド・レーガン大統領が最初に導入したメキシコシティ政策を復活させました。(拍手)

私は下院のペインケイパブル(Pain-Capable=(胎児が)痛みを感じることができる)法案を強く支持しました。全国で苦痛を伴う後期中絶を終わらせる法案です。また私はこの重要な法案を通過させ、私が署名できるようにするよう上院に求めています。(拍手)

全国祈りの記念日(National Day of Prayer)に、私は宗教の自由を守るための大統領令に署名しました。(拍手)それを心から誇りに思っています。

本日、医師、看護師、またその他の医療従事者の良心の権利と宗教の自由を守るための、新しい提案を行ったことを発表します。非常に重要なことです。(拍手)



また、法律に違反した中絶施設から州がメディケイドの援助をなくすようにする取り組みを前政権では制限していましたが、その政策を無効にしました。(拍手)

私たちは生命と家族の神聖さを社会の土台として守ろうとしています。しかしこの運動は、人々の真心と魂と祈りによってのみ成功し得るものです。

今日はここに、ノースカロライナ州グリーンズボロのマリアンヌ・ドナディオさんが来ています。マリアンヌはどこにいますか?こちらに来てください。(拍手)お会いできてうれしいです。

マリアンヌが妊娠に気づいたのは17歳の時でした。彼女は最初寄る辺なく感じていました。しかし、両親はその話を聞くと全面的に愛情と思いやりをもって答え、支えたのでした。素晴らしい両親ですね。そうですか?

ドナディオさん:はい。素晴らしい両親です。

大統領:そう言うだろうと思っていました。注意しないといけませんでした。(笑)

マリアンヌは勇敢にも生命を選択し息子さんを出産し、ベネディクトと名付けました。祝福という意味です。

マリアンヌは両親の愛と支えにに対する感謝の思いがとても強かったため、自分ほど幸運でない人のために尽くさなければならないと考えました。彼女はコミュニティで妊娠したホームレスの女性のための助産院を始めたのです。素晴らしいことです。それを「Room at the Inn(宿屋の部屋)」と名付けました。

マリアンヌとご主人のドンは、今6人の素晴らしい子供達に恵まれ、長男のベネディクトと娘のマリアもここに参加しています。どこにいますか?(拍手)こちらに来てください。お元気ですか?素晴らしい。

これまで15年間、Room at the Innは400人以上の女性に住居、子供の世話、カウンセリング、教育、そして職業訓練を提供してきました。もっと大切なこととしては希望を与えてきたのです。その希望がすべての女性に、自分達が忘れ去られた存在ではなく、孤独ではなく、成功を手助けしてくれる家族がいるのだということを示してきました。

そのような希望が、私たちが今日ここに集うことになったこの素晴らしい運動の真の贈り物です。それは友情の贈り物であり、指導の贈り物であり、励まし、愛、支えの贈り物です。それらは素晴らしい言葉であり、素晴らしい贈り物です。そして何よりも大切なことは、それが生命そのものの贈り物であるということです。

私たちが行進するのはそういう理由です。祈るのはそのためです。またそういうわけで、アメリカの未来が善良、平和、喜び、尊厳、そしてすべての神の子供の生命で満ち溢れることを宣言します。

マーチ・フォー・ライフに来ていたきありがとうございます。特別な方々です。そして私たちはずっと共にあります。みなさんに神の祝福がありますように。またアメリカに神の祝福がありますように。ありがとうございます。どうもありがとうございました。



[To cheering crowd] Thank you very much, that's so nice. Sit, please.

We have tens of thousands of people watching this right down the road, tens of thousands. So, I congratulate you, and at least we picked a beautiful day, you can't get a more beautiful day. I want to thank our Vice President Mike Pence for that wonderful introduction. I also want to thank you and Karen for being true champions for life. Thank you, and thank Karen.

Today I’m honored and really proud to be the first president to stand with you here at the White House to address the 45th March for Life, that's very very special, 45th March for Life, and this is a truly remarkable group. Today tens of thousands of families, students, and patriots, and really just great citizens gather here in our nations Capitol. You come from many backgrounds, and many places, but you all come for one beautiful cause, to build a society where life is celebrated and protected and cherished.

The March for Life is a movement born out of love: you love your families; you love your neighbors; you love our nation; and you love every child born and unborn, because you believe that every life is sacred, that every child is a precious gift from God.

We know that life is the greatest miracle of all. We see it in the eyes of every new mother who cradles that wonderful, innocent, and glorious-newborn child in her loving arms. I want to thank every person here today and all across our country who works with such big hearts and tireless devotion to make sure that parents have the caring support they need to choose life.

Because of you, tens of thousands of Americans have been born and reached their full God-given potential, because of you. You’re living witnesses of this year's March for life theme, and that theme is, ‘Love Saves Lives.’


As you all know Roe versus Wade has resulted in some of the most permissive abortion laws anywhere in the world. For example, in the United States, it's one of only seven countries to allow elective late-term abortions along with China North Korea and others. Right now, in a number of States, the laws allow a baby to be born [sic, aborted] from his or her mother's womb in the ninth month.

It is wrong. It has to change.

Americans are more and more pro-life. You see that all the time. In fact, only 12% of Americans support abortion on demand at any time.

Under my administration, we will always defend the very first right in the Declaration of Independence, and that is the ‘right to life.’


Tomorrow will mark exactly one year since I took the oath of office. And I will say our country is doing really well. Our economy is perhaps the best it's ever been. You look at the job numbers, the companies pouring back into our country, look at the stock market at an all-time high, unemployment at a 17-year low, unemployment for African workers at the lowest mark in the history of our country, unemployment for Hispanic at a record-low in history, unemployment for women, think of this, at an 18-year low.

We’re really proud of what we’re doing.

And during my first week in office, I reinstated a policy first put in place by Pres. Ronald Reagan, the Mexico City Policy.

I strongly supported the House of Representatives’ pain-capable bill, which would end painful late-term abortions nationwide. And I call upon the Senate to pass this important law and send it to my desk for signing.

On the National Day of Prayer, I signed an executive order to protect religious liberty. [I’m] very proud of that. Today, I'm announcing that we've just issued a new proposal to protect conscience rights and religious freedoms of doctors, nurses, and other medical professions. So important.

I have also just reversed the previous administration’s policy that restricted state efforts to direct Medicaid funding away from abortion facilities that violate the law.

We are protecting the sanctity of life and the family as the foundation of our society. But this movement can only succeed with the heart and the soul and the prayer of the people.

Here with us today is Marianne Donadio from Greensboro North Carolina. Where is Marianne? Hello, come on up here Marianne. Come. Nice to see you, by the way.

Marianne was 17 when she found out that she was pregnant. At first, she felt like she had no place to turn. But when she told her parents they responded with total love, total affection, total support. Great parents? Great? [Trump asked Marianne. She responded in the affirmative] I thought you were going to say that. I had to be careful.

Marianne bravely chose life and soon gave birth to her son. She named him Benedict which means blessing. Marianne was so grateful for her parents love and support that she felt called to serve those who were not as fortunate as her. She joined with others in her community to start a maternity home to care for homeless women who were pregnant. That's great. They named it ‘Room at the Inn.’ Today, Marianne and her husband Don are the parents of six beautiful children. And her eldest son Benedict and her daughter Maria join us here today. Where are they? Come on over. That's great.

Over the last 15 years, Room at the Inn has provided housing, childcare, counseling, education, and job-training to more than 400 women. Even more importantly, it has given them hope. It has shown each woman she is not forgotten, that she is not alone, and that she really now has a whole family of people who will help her succeed.

That hope is the true gift of this incredible movement that brings us together today.

It is the gift of friendship, the gift of mentorship, and the gift of encouragement, love, and support. Those are beautiful words and those are beautiful gifts.

And most importantly of all, it is the gift of life itself – that is why we March, that is why we pray, and that is why we declare that America's future will be filled with goodness, peace, joy, dignity, and life for every child of God.

Thank you to the March for life, special, special people. And we are with you all the way. May God bless you and may God bless America. Thank you. Thank you.




シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 17. 司祭たちに尋ねられて

2018年01月26日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現



ファウスティノ神父

17. 司祭たちに尋ねられて

ジャシンタについて既に書いた中で、私はすでに司教様に、二人の聖なる司祭たちがやって来て私たちに教皇聖下について話をして、どれほどお祈りが必要であるかを教えてくださったことをお話ししました。

その時以来、私たちが天主に捧げる祈りや犠牲には、「教皇聖下のため」という呼びかけが入らないことはありませんでした。私たちは教皇様を愛するように、極めて深く成長しましたので、ある日小教区の主任司祭が母に、おそらく私はローマに行って教皇聖下によって尋問を受けなければならないだろう、と言った時、私は手を叩いて喜び、ジャシンタたちにこう言いました。「教皇様のところに行ってお目にかかることができたら、なんてすてきじゃない?」

二人は涙を流してこう言いました。「私たちは行けない。でもこの犠牲を教皇様のために捧げることはできる。」

主任司祭は最後に私に質問しました。[注24] 質問は、約束の日時にしっかりと終わりました。しかし神父様はこの出来事についてなんと言ったら良いのか分かりませんでした。神父様はご自分の不快を見せ始めもしました。

[注24] この主任司祭の貴重なレポートを私たちは手にしている。同じ出来事は、質問を受けるたびに起こった。

「どうして、あの人々がすべてあんなに砂漠のようなところに行ってひれ伏して祈るのだ?ここには、御聖櫃に置いて私たちの祭壇の生ける天主が、まったく一人ぼっちにされて、見捨てられているのに! あのトキワガシの木の下に、何の目的もなく彼らはお金を残すが、あのお金は一体全て何のためなのか?教会は、修理中なのに、お金がないために、修理工事を完成することが出来ないというのに!」[注25]

[注25] この時期の文書によると、この司祭がこの小教区を去った理由の一つが教会の修理ために直面した困難のためだったことを示している。

主任司祭が何故このようにおっしゃったのか私にはよく分かりましたが、私に何をする事ができたでしょう! もしも私にこれらの人々の心の上に権威を持っていたとしたら、私は確かに彼らを小教区教会へ導いたことでしょう。しかし私にはその権威が無かったので、またもう一つの犠牲を天主にささげました。

いろいろ質問を受ける間、ジャシンタは頭を下げて目を地面に向けてうつむき、ほとんどひと言も話そうとしないのが常だったので、いつも私が巡礼者らの好奇心を満足させるために呼ばれました。それが理由で、私は常に司祭館へ呼ばれました。あるとき、トレス・ノヴァスから私に質問をするために一人の司祭が来ました。[注26] 神父様が質問したとき、余りにも細かいことを質問し、私から聞きだそうとあまりにも一生懸命に試みたので、その後に私は神父様に秘密の内容を漏らさなかったかと心配して小心になりました。

[注26] 教会参事会員のフェレイラ神父(Canon Ferreira)、当時トレス・ノヴァスの司祭であり、ある日、自分がしつこく質問した一人であったと告白した。

私は従兄妹たちと相談しました。私は尋ねました。
「〈聖母が私たちに何か別なことを話しましたか〉と聞かれた時、全てを言わないのは、私たちは悪いことをしているのかしら。私たちが聖母は私たちに秘密を話しましたと言う時、その他の事について何も言わないのは、嘘を言っていることになるのかしら。」

「分からないわ。ルシアちゃん次第よ!私たちが何も話さないように望んだのは、ルシアちゃんよ。」とジャシンタが答えました。

「もちろん、ジャシンタちゃんが何か言うことは望まないわ。だって、みんな私たちがどんな苦行をしているのかって聞くことから始めるんだもの! しかもそんなのは他のと比べたら何でも無いわ。ねぇ!もしもあなたが静かにしていたら、それからひと言も言わなかったら、今ごろ誰ひとりも私たちが聖母を見たこととか、聖母とお話ししたこととか、天使に話をしたことなんて知らなかったわ。誰もそのことを知る必要なんて無かったのよ!」

かわいそうなこの子は、私の言葉を聞くやいなや泣き始めました。ちょうど五月にそうしたように、ジャシンタの生涯についての私の報告にすでに書いたように私の赦しを求めました。そこで私は小心のまま残りました。私の疑いをどのように解決すべきか何も分かりませんでした。

しばらくの後に、もう一人別の司祭が来ました。彼はサンタレムからの司祭でした。私が先に話したばかりの最初の司祭の兄弟であるかのようでした。というか、少なくとも二人は一緒に練習をしてきたかのようでした。同じ質問を氏、私を困らせる同じ試みをしました。同じやり方で笑って、私のことを笑いました。二人の身長も体つきもほとんど同じでした。この質問の後で、私の疑惑はますます強くなり、どんな行動をとるべきか全くわからなくなってしまいました。私は、私たちの主と聖母に私が何をすべきか教えて欲しいと絶え間なく祈りました。
「我が天主よ、我が愛する天のお母様、私がうそをついて御身を侮辱することを望んでいないことはよくご存じです。けれども、御身が私に教えて下さったすべてを、皆に言うのはよくないと御身はよく御存じです!」

この困惑のただ中で、私はオリヴァル町の補佐司祭 [注27] に話す幸せを得ました。
[注27] これはファウスティノ神父(Faustino)であった。

なぜだか分かりませんが、この神父様は私に信頼の念を起こさせてくれ、私は彼に自分の疑いを打ち明けました。この神父様がわたしたちの秘密をどうやって守るかを教えてくれたかについては、私はすでにジャシンタについての報告において説明しました。彼は、霊的生活についてさらにいくつかの教えを下さいました。とりわけ神父様は私たちに全てのことについて私たちの主をお喜ばせすること、数え切れないほどの小さな犠牲をどうやって主に御捧げするか、を教えてくれました。

「我が子らよ、もしも何かを食べたいと感じるなら、それをさしおいて、その代わりに他のものを食べなさい。そうやって天主に犠牲をささげなさい。もし遊びたいなと感じたら、それをせずに、別の犠牲を天主に捧げなさい。人々から質問を受ける時、その質問に答えることを避けられないなら、天主がそれをそのように望んでおられるのです。この犠牲をも天主に捧げなさい。」

この聖なる司祭は、私が本当に理解できる言葉で話して下さいました。私はこの神父様のことが大好きになりました。

そのときから、神父様は私の霊魂を決して見失うことがありませんでした。
度々私を訪ねたり、あるいは、オリヴァルの近くの小さい家に住んでいた敬虔な未亡人エミリアさん[注28]を通して私と会ったりしていました。エミリアさんはとても熱心な方で、頻繁にコヴァ・ダ・イリヤへ祈りに行きました。その後エミリアさんは私たちの家に来て、私が彼女と一緒に行って数日過ごすことを頼みました。

[注28] この場所はソウタリア Soutaria と呼ばれている。エミリアさんの家は今では聖堂として再建されている。

その時私たちは補佐神父様を訪問し、神父様は妹さんの一人といっしょに二、三日をすごすように私を招きました。そんな時、神父様は長い時間私と一緒に時を過ごすほど忍耐深くいらっしゃいました。私に徳をおさめる道を教えたり、ご自身の賢明な勧めで私を導いたりして下さいました。私はその当時、霊的指導について何も理解していなかったにもかかわらず、神父様が私の最初の霊的指導者だったと本当に言うことができます。そこで、私はこの聖なる司祭の感謝に満ちた聖なる思い出を保っております。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 16. 10月13日

2018年01月25日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記
II. 御出現



16. 10月13日

さて、司教様、私たちは10月13日になりました。司教様は、この日に起こった出来事を既に全部ご存知です。このご出現の時に、聖母がおっしゃった全ての言葉のうちで、私の心に深く刻みつけられたのは、私たちの天の母がなさったこのお願いの言葉でした。
「私たちの主なる天主をもはや侮辱してはなりません。何故なら、主はすでにあまりにも多く侮辱されているからです!」

それは、なんという愛に満ちた、なんと優しい懇願でしょうか!願わくは誰かが、私にこの言葉を全世界にこだまさせてくれることができますように!
それは天国の私たちの聖母の全ての子供たちが、聖母の声を聞くことができるためです!
あの噂が広がっていました。それによると、当局は私たちのすぐ近くで、御出現のその時に、爆弾を破裂させるとのことでした。これを私は恐ろしいと少しも思いませんでした。私はこのことを従姉妹たちに話しました。
「なんて、すてきなことでしょう!」と私たちは叫びました。
「あそこから、聖母マリアさまと一緒に天国に行くお恵みが私たちに与えられるなら、素晴らしい!」
両親は、しかしながら、非常に心配して、初めて私と一緒に行きたいと思いこう言いました。
「もしも娘が死ぬのならば、私たちも娘の側で死にたい」と。
父はそこで私の手を握って御出現のところまで連れて行きました。しかし、ご出現のその時から、私がその晩に家に戻って家族と一緒になるまで、私は父を一度も見ませんでした。

その日の午後は、私はジャシンタとフランシスコと一緒に過ごしました。私たちは、群衆が見て観察したいと思った見せもののようでした。その夜になると、たくさんの質問や尋問を受けて、本当に疲れました。

夜になっても、質問はまだ終わりませんでした。ある人は、私に質問することができなかったので、翌日まで、自分の順番を待っていました。その夜に私に話しかけようと試みた人々さえいました。しかし、私は疲労に負けて、床に眠り込んでしまいました。天主に感謝!まだその時分は、世間体とか自己愛というものを知りませんでした。そのために、私が両親と一緒にいたかのように、誰に対しても緊張することはありませんでした。

その翌日、いえ正確に言うと、その後数日も、人々の質問は続きました。ほとんど毎日、その時以来、人々はコヴァ・ダ・イリヤへ行き、私たちの天の母のご保護を乞い願いました。皆は聖母を見た者である私たちを、見たいと思いました。それは、彼らに質問をして、彼らと一緒にロザリオを唱えるためでした。あるときは、私は毎日、何度も何度も同じことを繰り返して話し、また祈るのに、とても疲れました。そこで、何かの良いわけを見つけて、お詫びして逃れようとしました。

けれども、これらの可哀想な方々は、あまりに願ったので、彼らを満足させるために努力をしなければなりませんでした。実に大変な努力をしなければなりませんでした。

そこで、私はいつもの祈りを心の奥底から繰り返し唱えました。「わが天主よ、御身を愛するため、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うため、罪人の回心のため、教皇様のためにこれを捧げます!」と。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


カトリックについて知りたいならば、「カトリックの信仰(岩下壮一著)」  ポール・ド・ラクビビエ 書評「キリスト教を世に問う!」より

2018年01月08日 | カトリック
書評「キリスト教を世に問う!」
里見日本文化学研究所特別研究員 ポール・ド・ラクビビエ

新著紹介 【国体文化】平成 30 年 1 月号 30
〔書評〕奥山篤信『キリスト教を世に問う!』/ポール・ド・ラクビビエ より転載


はじめに

物事の醜さよりも美しさに目を向けたいと思う私からすれば、このような憎しみに溢れた文章を読むのは本意でない。「嘘や虚構は一切ない」(はじめに)という彼の記述が正しいなら、そんなものが長続きするわけがなく、そうであるなら、こんな本を書くだけ無駄ではないか。

それより問題だと思うのが、奥山氏が自身を保守派と考えており、そう周囲も捉えているらしいという点だ。彼は、無神論の一種であるヘドイズムに共感しているようだが、それは敬虔さを欠いた傲慢なエゴイズムである。そうした思想に依りつつ、超越性や精神性と堅く結びついている天皇への尊崇を守り、伝統を守ると云えるのか。カトリック信者である私からすれば、「天皇に対する反逆者」としか見えない。


結論先にありき

いきなり、ジョン・レノンの「イマジン」が登場する。「国なんて無い」・「宗教も無い」という歌詞を含む曲だが、この歌に筆者は共感するらしい。さらに、カント、フォイエルバッハ、カール・マルクス、ニーチェなどの言葉が引用されているが、彼らは皆、自己を絶対化する近代主義者であり、社会主義やグローバリズムに連なる者すら含まれる。悪い冗談としか思えない。

さらに、奥山氏は、一神教・カトリック・プロテスタントという全く異なるものをキリスト教という一つのカテゴリーに押し込めて「悪」と決めつける。その上、キリスト教の何たるかを知らぬ人々に対して教義を体系的に示すことなく、自説に都合の良い引用を列挙して事足れりという書き振りは知的に不誠実ではあるまいか。

第三章では、「山上の垂訓」を「実現不能な妄想の世界」と批判するが、その全文を引用しないのは何故か。また、キリスト教を批判するというなら(神・子・聖霊の)三位一体や(信徳・望徳・愛徳の)三対神徳といった根本書評的な教義をこそ取り上げたら良いだろうに、それを回避するのは何故か。

第五章で示される「隣人愛」に対する奥山の批判についても異論がある。「隣人愛」について「自分を善人と見せかける愛」と論難するが、隣人どうしが憎み合った方が良いというのだろうか。そもそも、「隣人愛」とは眼前の苦しんでいる人を助けることであり、第三者に見せつける必要などない。軽い笑顔で接するだけでも助けになるのであり、金品の問題ではない。その点からすれば、全く会ったことがない、見も知らぬ人のためになされる国際的な募金活動は「隣人愛」と無縁のものだ。さらに言えば、「隣人愛」は自己に対する愛があってのものだ。自分にとって一番近しい存在であるから、自分自身を肯定することなしに他者を愛することなど不可能である。


また、奥山氏は聖職者の一部に見られる「偽善」を殊更に取り上げる。

第六章ではヴァチカンとナチスとの蜜月関係が取り上げられているけれども、一面的な記述に終始している。カトリック教会は、ナチスの全体主義に批判的であった。とは言え、ドイツに居る多くのカトリック信者をナチスの迫害から守る責任がヴァチカンにはある。つまり、国家としてのヴァチカンが外交という手段で信者を守ったということに過ぎず、カトリックの教義とは関係がない。

さらに言えば、聖職者にしても信者にしても、人間である以上は罪から免れることはできない。奥山氏が思っているのとは逆に、カトリック信者は自らを完璧な存在などとは思っていない。罪深い存在であると自覚しているからこそ、自らの過ちを悔い改めて再び繰り返さぬよう神に祈り、赦しという秘蹟が与えられるのだ。教皇猊下であろうとも例外ではない。重要なのは、悔い改めて天主に近づこうとすることなのだ。

そもそも、本当にカトリック教会を批判したいのであれば、マザー・テレサのような、カトリックの内部でも評価が分かれている人物ではなく、誰もが聖人と認める人物を俎上に載せるべきではないか。また、奥山は言及せぬが、これまでの歴史において少なからぬ殉教者が存在した。それは聖職者に限らなかった。また、貴族も居たが、聖ジャンヌ・ダルクのような農民出身の女性騎士も居たのである。そうした多様な聖人について、どうして奥山氏は何も語らないだろうか。

「赤ちゃん殺し」を正当化している第四章も呆れるばかりだ。奥山氏は、「堕胎とは男女平等の普遍的原理からして当然の女性の権利である」と革命主義者まがいの科白を口にして恥じない。本誌平成二十九年十月号にも記したが、堕胎は殺人であり、それは親たる大人の許されざる我が儘である。その非を説くのは、宗教として当然のことだろう。

そして、「キリスト教の本質」と題する第七章も誤解だらけだ。奥山氏は、ニーチェに倣ってキリスト教を「ルサンチマン宗教」と見なすが、そうではない。自らの人間性を見据え、その罪深さを認めた上で、自らや周囲を哀れみ、そして愛するところにキリスト教の本質がある。

ただ、「愛」という概念は誤解されやすい。三大神徳の中でも至上である「愛徳」は、イエスを私たち人間のために送った天主の愛に由来する。つまり、人間的な愛着ではなく、天主との一致と定義できよう。天主の御姿に擬えて創造された人間(それゆえ、人間は被造物世界である宇宙において愛徳の実現化の可能性がる存在として特別な存在とされる)が宇宙の本質かつ創造者である天主を受け入れるにあたり、天国において成立している天主との関係を正しく理解し、「道」として実践することを通じて、他の人間や大自然(被造物世界)と繋がることこそ「愛」なのだ。そうした「道」としての「愛」を人間に示したのがイエスであり、その御姿にならうことが人間に課されているのである。

キリスト教を「禁欲主義」とする理解も間違いだ。少なくとも、カトリックは違う。霊魂と身体とは区別できるものの不可分であり、身体を否定しない。もちろん、乱れを容認はしない。過剰を抑え、節度を保ち、人間としての「道」を歩もうというのだ。

奥山は復讐を禁止するキリスト教を欺瞞に満ちていると主張するが、厳密に言うと、復讐は禁止されていない。イエスは、律法の破壊者ではなく、昇華せしめた存在であるから、報復を否定しているわけではない。しかし、復讐しても何の良いこともないので、敵であろうと愛しなさいと説いているのである。それは、昔の騎士のように十分な力を有していることを前提として、その上でもなお「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と言うことなのだ。イエスは、ただ説くだけでなく、自らの受難という形で、このことを示された。そもそも、全能なる天主の子であるイエスは、その気になれば、容易に世界を破壊することが出来るのだ。にもかかわらず、頬を差し出した。そこに意味があるのだ。これの何処が欺瞞か。

以上、簡潔に疑問点を示したが、誤った事実・歴史観・先入観に基づき、神学に対する言及もないまま独善的な議論を展開している。「十字軍」や「魔女裁判」などに関する最近の研究動向も御存知ないらしい(これらについては改めて紹介したい)。奥山氏はキリスト教を「反知性的」と難ずるが、彼の言う「知性」は近代合理主義である。その相対的な人間中心あるいは自己中心的な屁理屈に過ぎない近代合理主義が、如何に人間を不幸にしてきたか。そのことに、奥山氏は思いを致しているのだろうか。

要するに、この本を読んだところで、カトリックのことは何も分からない。そう言うだけでは不親切だから、日本語で書かれたカトリック神学に関する体系的な著述を紹介しておきたい。


岩下壮一「カトリックの信仰」(二〇一五年・ちくま学芸文庫)


「敵」を間違えてはならない

「道」に背く人間が存在することは確かだ。真理は真理として存在することに変わりはないが、それと霊魂とが切り離されるという面において、そのような存在は極めて有害と言わざるを得ない。カトリックにおいて、「道」に外れた行為をなし、最期まで悔い改めなかったのであれば地獄行きは免れないが、それを裁くのは天主であって人間ではない。人間に出来るのは、天主が示された「道」から逸れまいと努力することだけだ。

奥山氏は「道」が天主の存在抜きに成立すると考えているようだが、それは不可能ではないか。天主の存在を否定し、人間を基準とする近代主義が社会に蔓延すると、宗教のみならず権威・主権・伝統・習慣・歴史といったものは悉く食い潰されてゆく。その最初にして最大の犠牲者が、わが祖国フランスだが、日本もまた同様の道をたどりつつあるように見える。撃つべきは、フランス革命に象徴される近代主義なのだ。奥山は、第九章において教育勅語を持ち出すが、そこに示された徳目を成り立たしめているものは何か。個人を超えた存在ではないのか。

教育勅語の徳目を賞賛するならば、まず個人を超えた存在に対する認識を深める必要があると思われる。その観点からすれば、フランス王室とカトリック教会との関係に目を向けて貰いたい。フランス正統派の苦闘にこそ、近代主義との闘いにおいて参考となる点が少なくないと私は思う。当然のことながら、天皇を戴く国家が続いてきた日本の国体主義者に、私たちフランス人が学ぶべき点も多い。両者は互いに良きところを取り、足らざるところを補う関係を形成すべきであろう。

この本について私が最も疑問に思ったのは、奥山氏のキリスト教に対する強い悪意が何処から生じたかという点だ。聖書を紐解けば、堕天使ルシファーやイエスを裏切ったユダを初めとして、我欲のため天主に背いた例が幾つも見える。天主にとって、私たちは必要不可欠な存在ではない。私たちの存在は、天主が創造した宇宙の秩序に何ら影響を与えない。だが、私たちは理性を通じて宇宙の秩序を知り、それに従って行動することは出来る。そうしたチャンスを活かせるか否か、死に際してなされる裁きにおいて天国に昇るか地獄に落ちるかは、自己の責任である。ただ、天主は私たち人間を愛しているので、イエスを地上に遣わし、受難の果てに磔刑にされ、復活するという奇蹟を表すことによって宇宙の秩序を示したのだ。ゆえに、カトリックの正統信仰においては、奇蹟と理性とは矛盾しないのだ。

なぜ、この点に拘るのかというと、かく云う私自身、幼くしてカトリックの洗礼を受けたものの、長年にわたり教会と距離を置いて来たからだ。当時の私は、今の奥山氏と同じだった。そうなったのは、自分自身の傲慢さによるが、愚かな信者や聖職者に対する嫌悪感ゆえでもあった。また、物事の良き側面ではなく、悪しき側面を強調する近代社会の風潮も相俟って、私は理屈を弄び、キリスト教を欺瞞と偽善に満ちた宗教だと思い込み、嫌ってきた。そうした体験を有するからこそ、この本に厳しい評価を下すのである。


では、いったい如何にして私がカトリックに回帰したか、という点に興味をもたれる方もあるだろう。

それは、真のカトリックを知ったからだ。日本ではあまり知られていないが、一九六二年から一九六五年にかけて開催された第二ヴァチカン公会議の問題点に気付いたからだ。これは、教皇ヨハネ二十三世の提唱によって始まり、次のパウロ六世の下でも続けられたが、この会議を通じてカトリック教会に近代主義が浸透してしまった。教義には何の変更がなされなかったものの、「現実世界に妥協する必要がある」という名目で牧師の活動において今まで禁じられていたことが色々と許されるようになった。とりわけ、信仰の根幹に関わることが曖昧にされた。

キリスト教の教派を超えた団結を主張である「エキュメニズム」が教会内部で力を得るばかりか、ラテン語による伝統的な典礼に代わって各国語による典礼が行われるようになるなど、「自由・平等・朋友愛」というフランス革命の理念に相通ずる「信仰の自由・聖職の劣等化・権威者の不用」を是認する施策が推進された。信仰とは頭ではなく体で受け入れるものであり、その意味において典礼は非常に重要なものだ.現代人が受け入れ易いか否かにばかり目を向けた結果、現在のカトリック教会におけるミサは本来のミサでなくなってしまった。

そのことに気付き、私は伝統的な典礼によって行われたミサに参列するようになった。ここ30年ほどの間、欧州を中心としてカトリック教会は大きな打撃を受けだが、昨今、こうしたカトリック教会における近代主義的な動きは収まりつつあり、伝統的な典礼も自由に行われるなど揺り戻しが起きている。その点に関して興味がある方は、是非ともルフェーブル大司教(一九〇五~一九九一)の歩みを辿ってみてほしい。大司教の人生を描いた映画もインターネット上で見られる(https://vimeo.com/112910346)。

奥山氏におかれては、我欲に塗れ、近代主義に毒された多数派ではなく、たとえ少数であっても伝統的な神学や典礼を固守し続け、天主の忠実なる僕たらんとしてきた一団にも目を向けて頂きたい。伝統的な典礼で行われるミサに御案内し、本物の聖職者に面会する機会を喜んでセッティングしたい。その上でもなお、キリスト教は非難すべきものであるのか、改めて御見解を伺いたい。

【お知らせ】 ファチマの聖母に平和を求めるために。聖母行列(明日2018年1月6日)にどうぞご参加ください!

2018年01月03日 | ファチマの聖母
2018年1月6日、正午12時より大阪で、ファチマの聖母行列が行われます。

ファチマの聖母に真の平和を祈り求めるために、

胎児への大戦争を集結させてくださる平和を祈り求めるために、

ファチマの3人の子どもたちに、ファチマの天使が教えてくれた犠牲の精神で、

「イエズス様への愛のため、罪人の回心のため、聖母の汚れ無き御心に加えられる冒涜を償うために!」

どうぞ聖母行列にご参加ください!



↓以下は聖ピオ十世会のトマス小野田神父様からの投稿です。↓

【投稿されたコメント】
2018年1月6日(初土)正午12時より ファチマの聖母行列にご招待いたします。
「天主は平和を聖母に委ねたからです」 (Fr Thomas ONODA)
2018-01-02 17:52:02

アヴェ・マリア・インマクラータ!

「ファチマの聖母の会・プロライフ」の皆様、

新年のお喜びを申し上げます。
いかがお過ごしでしょうか。

聖ピオ十世会日本では、2018年1月6日(初土)正午12時より 大坂で、ファチマの聖母行列を行います。

もしもよろしければ、この聖母行列について皆様にお知らせくだされば幸いに思います。

何故なら「天主は平和を聖母に委ねたからです」(聖ジャシンタ)。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂
(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

聖堂の地図

▼記事のリンク▼
2018年1月6日(初土)正午12時より ファチマの聖母行列にご招待いたします 「天主は平和を聖母に委ねたからです」


2018年新年のご挨拶

2018年01月03日 | ファチマの聖母の会とは?
ファチマの聖母の会プロライフをご訪問くださる皆さま、

旧年中はわたくしどものファチマの聖母の会のブログをご訪問して応援してくださり、ありがとうございます。

ファチマの聖母の100周年に合わせて生まれたわたくしどもの会は、ファチマの聖母と共にマーチフォーライフに参加することができ、

たくさんの方がマーチフォーライフを応援くださり、2017年は大変実りの多き年となりました。皆様に心から感謝申し上げます。

今年の「うみの日」では皆さまとマーチフォーライフを一緒にさせて頂きとう存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

2018年はファチマの聖母のお取り次ぎで、もっともっと、多くの胎児の小さな生命が守られ、胎児への大戦争が終戦を迎えることができますように!

大きな苦しみを耐えている国民に、緊迫した世界に「真の平和」が与えられますように!

ファチマの聖母プロライフの会は、ファチマの聖母に真摯にお取り次ぎを祈りつつ、

ファチマの聖母と共に、皆様の祈りと温かい応援によって、ファチマの聖母がお与えくださる「真の平和」のために

ますますファチマのマリア様のよき道具となりたいと存じます。

新年も、わたくしどものファチマの聖母の会のブログをよろしくお願いいたします。