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石破茂氏は「決められない人」

2018年08月30日 | 社会、読書
月刊Hanada10月号に掲載された有本香氏の石破茂評を読んだ。
石破氏が自分語りの人であり
日本や私達日本国民の立場でものを言わないという指摘や
石破氏が多くの点で小池百合子都知事にそっくりだという指摘に
なるほどと思った。

だが、それ以上に興味深かったのは、防衛大臣時代の彼を知る防衛省OBの言葉だ。
-----
「石破さんは幕僚なら最適でしょうが、指揮官には向かない人だと思うのです。
総理の参謀役ならいいが、自衛隊の最高指揮官にはなってしほくない人です。」
「右に行くか、左に行くかを決めて、結果、責任を取るのが指揮官です。
判断を誤らないよう、参謀(幕僚)の情報、知見を参考に深慮の必要がある。
但し、適切なタイミングで決断しなければ、どんな有益な情報も無駄になります。
石破さんという人は、「「そろそろご決断を」」という段になっても、
もっともっと情報を、と延々議論・検討を終えない」

しかも、「もっともっと」の追加情報を数時間で用意しろ、
と無理を言うこともしばしばだったと苦笑する。
別の防衛省OBは、石破が官僚や自衛隊の幹部らに、
「兵器知識だめし」の議論をふっかけてくることに閉口した、と述懐している。
つまり石破は「決められない人」なのだ。

石破が「決められない」理由はどこにあったのか。
「矛盾するようですが、
実は石破さんはご自分の中であらかじめ決めているんだと思います。
スタッフの情報を聞くまでもなく、「「こうやりたい」」と。
自分のやりたい方向に合う情報が出てくるまで、
延々と情報を出せと言うのではないかと。」

(62~63頁より引用)
-----

昨年の暮れから今年3月にかけて、
自由民主党では憲法九条改正について議論を深めてきた。
石破氏は当初、
「党の議論の結果として方向性が決まれば、自分はそれに従う。」
とテレビ番組で明言した。
ところが第三項を付け加えることで集約されてくると
「まだ議論が足りない、拙速に集約するな。」と言い
党外でメディアに向けて自由民主党を批判する発言を繰り返した。

そして今回の自由民主党総裁選において
「九条改正は急ぐことではない。他に急ぐべき項目がある」と言い出した。
自分のやりたい方向に合う結論が出るまで、
10年でも100年(!)でも、議論が足りないと言い続けるのではないだろうか。

しかし、それは真摯な態度での議論ではないし
ましてや政治ではない。
政治とは現実であって、必ず期限が設定されるべき事柄だ。
決断して実行して結果を出すのが政治であり現実の社会である。

決められない(決めたくない)人、決断できない人、石破氏。
決断できないということは、結果を出せないということである。
時機を失して有効な手を打てないということである。
同時に責任は取らないということである。

このような人を指揮官つまり総理大臣にしてはならないと確信する。
それどころか国会議員としても退場いただきたいと思う。
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報道しないことも「フェイクニュース」

2018年08月23日 | 社会、読書
甘利明衆院議員のフェイスブックをフォローしている。
重要な情報の中にもウィットを感じさせてくれて、面白い。

8月22日の記事に、次のような記述があった。

-----
 「シンゾーの意見は?」 G7(先進国首脳会議)をはじめとする首脳会議が紛糾し、ステートメントも出せなくなりそうな際、必ず交わされる言葉です。トランプ大統領とそれ以外の首脳はことごとく対立し、最後はいつもこの言葉になります。安倍首相が言葉を選びつつ「・・・という方向では一致出来るのでは」と答えると、双方「シンゾーがそう言うなら・・・」と収まります。

マスコミは敢えて報じようとしませんが、安倍首相がいなければ首脳会議は空中分解しかねません。その存在感は戦後最大と言っても過言ではありません。アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮。これだけ独善的手法の首脳が顔を揃えた時代もかつてありません。 「安倍首相の方が良い」ではありません。「安倍首相でなければ務まらない」のです。
-----

これは日本国民にとって極めて重要な「事実」である。
しかしオールドメディアは絶対に報じない。
報じられないから、新聞・テレビだけを情報源としている国民は
現在の我が国のリーダーがどれほど活躍しているかを知らず
「アベ政治を許さない」「石破茂の方が総理にふさわしい」
と心から思い込んでいるのだ。

メディアの役割はできるだけ多くの正確な情報(事実)を国民に提供し
国民がそれに基づいて間違いのない判断をできるようにすること。
従って報じないこともまたフェイクニュースである。

トランプ大統領が言ったとおり、フェイクニュースは国民の敵だ。

反安倍政権の勢力には、
甘利氏の書いたことなど信じられない人もいるかも知れない。
しかし海外のメディアを当たれば、
甘利氏の記事が事実かどうかなどすぐに確認できるはず。
逆に甘利氏の言うことが事実でないという証拠を見つけて反論すればいい。
オールドメディアも野党議員もそれができないということは
つまり、国際社会における安倍総理の活躍と存在感は紛れも無い事実だということ。

これは日本国民が知っておくべき、極めて重要な「事実」である。


以下に甘利氏の記事を全文転載する。

----ここから----
甘利 明
国会リポート第362号「総覧」
----------
 
 9月7日から自民党総裁選がスタート致します。
 
 「シンゾーの意見は?」 G7(先進国首脳会議)をはじめとする首脳会議が紛糾し、ステートメントも出せなくなりそうな際、必ず交わされる言葉です。トランプ大統領とそれ以外の首脳はことごとく対立し、最後はいつもこの言葉になります。安倍首相が言葉を選びつつ「・・・という方向では一致出来るのでは」と答えると、双方「シンゾーがそう言うなら・・・」と収まります。
 
 マスコミは敢えて報じようとしませんが、安倍首相がいなければ首脳会議は空中分解しかねません。その存在感は戦後最大と言っても過言ではありません。アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮。これだけ独善的手法の首脳が顔を揃えた時代もかつてありません。 「安倍首相の方が良い」ではありません。「安倍首相でなければ務まらない」のです。第二次安倍政権の6年間でGDPは493兆円から551兆円へ、失業率は4.3%から2.4%へ、賃金総額は253.1兆円から276.2兆円へ、皆さんの年金運用益は51兆円増、税収は43.9兆円から58.8兆円へ、財政健全化は-5.0(2012年度)から-3.0(2016年度)へと前進・・・。
 
 経済財政は明確な改善をしつつあります。外交も日本のプレゼンスが飛躍的に拡大しています。ここで手を緩めてはいけません。次の3年間も安倍晋三総裁を先頭に世界と日本のために皆さんと邁進をして行かねばなりません。
 
 さて、トランプ大統領の天敵CNNが大統領は就任五百数十日の間に4,200回ウソの発言をしたと報じました。たしかに間違いや思い違いの発言が連日あります。にも関わらず、支持率は常に40%以上を確保しています。今までの大統領であれば数十回は辞任していると言われますが、トランプ大統領に関してはアメリカ国民も慣れっこになってしまったんでしょうか。無きにしもあらずかもしれませんが、実はトランプ大統領は本能的に極めて巧みに陽のあたるマイノリティーではなく、かつての中間層で、現在は没落しつつある層に初めて光をあてました。加えて、道徳的タブーにことごとく挑戦しているかのように見えます。それに呼応している層が熱烈な支持者へとなっているように思われます。偏見を社会規範で押さえ込まれていた人達の不満が噴き出したかの様です。多様性を標榜するアメリカがこういう事態になることは、アメリカの病巣の深さを感ぜざるを得ません。そのトランプ大統領の関心は再選一色です。11月の中間選挙をしくじったらその芽が摘まれる。毎週精力的に地方行脚をするのも自身の再選に向けての布石なのです。世界が向き合わなければならないのは、この大統領と場合によっては今後6年間(残存任期+4年)付き合うことになるということです。それを想定して行動をとらねばなりません。同盟国を信用せず、国際機関に不信感を持つ初めての大統領は世界最強の国家・アメリカの大統領なのです。
 
 そのトランプ氏が現在、相当厳しい局面に立たされています。顧問弁護士のマイケル・コーエン氏がトランプ氏とポルノ女優との件に関し口止め料を払った。そしてそれはトランプ氏の指示によるものだと罪を認めたことです。加えて、かつて選対本部長をしていたマナフォート氏が数千万ドルの資産隠しを行った罪等で有罪を言い渡されたというニュースです。43%あった支持率がどう変化するのかしないのか、幾度となく取りざたされた大統領弾劾に本当に繋がっていくのか注目です。
----ここまで----
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人間ドック

2018年08月22日 | 暮らし、その他
夫と一緒に人間ドックを受けた。

アパートから徒歩圏内の総合病院で、9:00受付。
事前に記入した書類等を提出した。
健診着に着替えて、待合室で待機する。
10分も待たずに名前を呼ばれ
血圧測定、身体計測(身長、体重、体脂肪)、採血。

待合室に戻って、待機すること数分で、また名前を呼ばれ
心電図、呼吸機能検査(肺活量など)。
待合室に戻ったと思ったら今度は内科診察。
さらに、眼圧測定(ぷしゅっと風が当たるもの)、眼底検査(光を当てて撮影)、
聴力検査と続き
健診センターの三階から二階に移動した。

胸部レントゲンは約15分の順番待ちで、撮影自体は3分もかからなかった。
腹部超音波検査も済んで、いよいよ胃カメラである。
バリウムよりも直接的に状況が分かるので
苦しくて好きではないけれど胃カメラを選択した。

「胃をきれいにする薬」をコップ半分飲み干して、検査室へ。
2ヶ月前に逆流性食道炎と思える自覚症状があったことを医師に告げて
ベッドに左を下に横たわり、喉に麻酔薬をシュッシュして胃カメラが始まった。
やっぱり苦しいけれど、
看護師の女性の方が最初から終わり近くまで
ずっと背中をさすり続けてくれたのと
若い先生が上手だったことで、思ったよりも楽に済んでほっとした。

カメラが抜かれて、水で口を濯いでから、先生の説明を聞いた。
慢性胃炎で、逆流性食道炎の症状は見られないとのこと。
よかった!
10:40 検査室を出たら、ちょうど夫の名前が呼ばれたところだった。
頑張ってね~~~~(笑)

三階に戻り、検査項目は全て終わったとのことで
私服に着替えて夫を待つ。
10分後に夫と合流して、一階で会計を済ませ、
2階のレストランで昼食(ドック料金に含まれる)。

13:10の検査結果の説明まで1時間近くあるので
アパートに戻り、横になって休憩した。

「わ、大変だ、行かないと!」

夫の声で目が覚めた。
眠るつもりはなかったのに、二人揃ってウトウトしていた。
アブナイアブナイ(汗)。
夫が目を覚ましてくれて、本当によかった。
3分で身支度して、ギラッギラの日射しの中を歩いて病院へ。

医師による結果説明は二人で一緒に聞いた。
3月に禁酒した効果で3kg体重が減った夫は
多くの数値が改善されて、先生にべた褒めされていた。
私の方は、じわじわと数値が悪化している。
要経過観察の項目が増えて、ちょっとよろしくない。

保健師さんの保健指導でも夫は褒められていた。
私はコレステロールが上がっているそうで
保健師さんによると乳製品の摂り過ぎだそうだ。
牛乳・ヨーグルトを合わせて一日に200グラムが適量。
私はタンパク質を多く取ろうと、一日に300グラムは摂っている。
過ぎたるは及ばざるがごとし、ということだ。

二人とも差し迫った健康上の問題は無く、
ただ、もっと体重を減らした方がいいことは明らかになった。

というか、ずっと以前から明らかなのだけれどね^^;;;;
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長男の追っかけで吹奏楽コンクール

2018年08月05日 | 家族
次姉の家に泊めてもらった翌朝である。
8:30に出発して、東戸塚駅へと車で向かった。
往きは姉の運転で、駅で姉と私を降ろし義兄が運転して帰ってくれた。

コンビニで昼食用のサンドイッチを仕入れ


9:16 総武線君津行きに乗った。

今から2時間以上乗るのでグリーン車を利用し
2階席に落ち着いておしゃべりに花を咲かせた。
ちょっとした旅行気分♪

11:00前に早めの昼食を済ませて


11:31 君津着。
房総半島をここまで来たのは初めてだ。

南口からタクシーで君津市民文化ホールへ。

11:50 会場に着いて、入場券とプログラムを買って中に入った。


まずは座席を確保。
休憩時間中で、午後は12:30から演奏が始まる。




何故か朝日新聞(汗)。


12:05 控えの場所で出演前の長男に会えた♪
長男に会ったのは長女の結婚式が最後だから2年半ぶりだそうだ。
数分歓談して、席に戻った。

12:30 演奏が始まった。
音楽コンクールなんて長男が高校時代の合唱コンクール以来だ。
今回は一般の部で、
50人以上の大きな楽団も20人程度のこぢんまりとした楽団もある。
どこも皆上手で、レベルが高いと思った。

合唱と違って楽器も全部入れ替わるので
演奏が終わって次の楽団の演奏まで5分以上掛かるのが面白い。


13:17 いよいよ長男の楽団の出番だ。
長男が参加するのは自由曲。
ハープの音に耳を澄ませ、長男の動きに注目。
失敗した様子もなく、最後までしっかりと弾ききった。

残念ながら演奏中の撮影は禁止。

15:35 演奏の合間に外に出た。


15:40 電話で予約したタクシーを待つ。

16:00 君津駅に到着。
今日は駅南口がお祭りで歩行者天国になっていて、北口に。

お腹が空いたね。
売店でおにぎりを買ってホームへ。

16:32 長男へ:今から帰ります️!演奏素敵でした♪

16:35発の快速東京行きで、帰りもグリーン車。
姉は東戸塚まで、一枚のグリーン券で乗り換えられることを駅で確認した^^

18:03 東京駅着
姉と別れて、新幹線ホームへと向かった。
18:36のあさまの指定券を持っているのだが
電光掲示板に「18:04 はくたか」が表示されているので
20番線に上がった。

はくたかが入線していて、乗車は始まっていない。
早歩きで自由席の方へと移動し、座れたらこれで帰ろうと考えた。
自由席は満員だったが三人掛けの真ん中に座ることができた。
5分遅れで発車。

今夜は花火大会で、
予定より30分早い列車に乗れたので、途中から見られそうだ♪
19:35 U駅に到着。

駅前広場は花火見物の人達が、所狭しとシートを広げていた。
そこから雑踏の中、堤防道路へと歩いて
別所線の踏切を過ぎたところに座れる場所を見つけたので
腰を落ち着けて花火見物をした。


20:02

終了後は帰る人々で混み合うと思われたのでU橋まで移動。


フィナーレはU橋から楽しんだ。

21:04 帰宅。お疲れ様でした!

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8月の紀尾井町会議

2018年08月04日 | 社会、読書
紀尾井町会議で東京へ。
今日は一泊するので、駅まで車ではなく、別所線を使った。
今日も暑く、じりじりと焦げそうな日射しの中を
キャリーバッグを引っ張りながら10分歩いた。

最寄り駅11:05発でU駅11:08着。
新幹線「はくたか」は11:11発だ。
別所線に乗るときに、はっと気が付いた。

「乗り換え、厳しいかも。」

頭の中で乗り換えをシミュレーションすればするほど
実は相当まずい状況であることに気が付いた。
別所線から新幹線への乗り換えは、
ホームから改札を出て階段を下りて、50m先の新幹線改札を通り
エレベータ-、エスカレーター、階段のいずれかで
2階のホームへ上がらなくてはならない。
どう考えても普通に歩いていては間に合わない(大汗)。

別所線到着と同時に速歩で新幹線改札へと向かう。
途中から小走り。
改札を抜けて、キャリーバッグを抱えて上りエスカレーターを駆け上がった。
降りる人は全て降りた後で、発車前のアナウンスが聞こえたので
思わず「待ってぇ~~」と叫びながらホームに飛び出し
一番近いドアに転がるように駆け込んだ。
心臓バクバク、膝はガクガク、汗びっしょり。
その20秒後にドアが閉まった。

後から思えば、なぜこんな行動予定にしたのか信じられない。
おそらく11:05発と11:11発が頭に入ってきて
乗り換え時間が6分あると勘違いしたのだろう。
あるいは別所線と在来線の乗り換えを
無意識にイメージしてしまったのかもしれない。
間に合ったからよかったようなものの、
転んで怪我でもしていたら目も当てられないところだった。

十分に気をつけよう。

というような危機を乗り越えて、13:00過ぎに今日の会場に到着。


今日はピンチヒッターで、初めて司会進行役を務める。
タイムキーパーとして講演者に残り時間なども知らせる。
だから絶対に遅刻してはいけない日だったのだ(改めて冷や汗)。

13:30 開会

英霊の言乃葉は高村光太郎の詩「一億の号泣」。
昭和20年8月16日に作られたこの詩は次のように結ばれている。
-----
鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのづから強からんとす。
真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん。
-----

馬淵睦夫氏がしばしば言われる
「私達日本人に今必要なことは精神の再武装です。」
という言葉は、このことだと思った。


13:40~14:48 闘いの最前線からでは
まず小川先生の新著「徹底検証 安倍政権の功罪」について
批判点として、日露外交と労働政策を取り上げたことの解説。
杉田水脈氏の論文問題では
一部を切り取ってのバッシングは、議論を否定することであり
決してやってはいけないことである。
それなのに自民党が「指導」したのは最悪で
それによってこの問題を「政局化」してしまった、と指摘された。
また東京医大の不正入試にも触れら、大変興味深い話を聞くことができた。

休憩を挟んで
15:00~15:35 和歌創作講座。
今日のお題は「光」で次回までの宿題となった。
次回は各自が筆ペンを持ってくるようにとのことだ。

15:45~16:45 小林秀雄の後の二十一章
前半は新著の解説の続き、
後半はカラヤンとフルトヴェングラーの<<第九>>について。
門外漢の私はただただ拝聴するのみである。

集合写真を撮ってから懇親会へ。
大体の方角に歩いて行き、迷いかけたときにお仲間に会えて
無事に会場に着くことができた。

いつものように話が弾み、楽しい会だった。

19:15 散会して、銀座線で新橋。
20:00 新橋から横須賀線で、20:40東戸塚。
次姉が車で迎えに来てくれた。

20:55 次姉の家に到着。
今夜は泊めてもらって、明日は二人でお出かけだ♪
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