昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

チィンクエチェントNUOVA

2024-01-31 08:36:49 | 日記
パジェロに乗ってた20代の頃に、しばらく密かに憧れていた中古のFIAT NUOVA500。3ドアハッチバックタイプの奴です。
修理代やらメンテの大変さを知って諦めていたのですが、10年ちょっと前長女がプレゼントしてくれました・・・ちょいチッチャかったですけど。

パソコンもタップパッド操作が基本になり、開封せずに飾ってあったOLD 500 NUOVA、昨晩、初運転となりました。

ヘソを曲げたパソコンを色々いじった結果、大体何とかなったのですがどうしても画面に↓が現れず、思いついたのがマウスの接続。
左Shift+Alt+NumLock同時押しで、車軸タイプに生まれ変わったカーソル復活!やれやれです。

・・・でも、基本が右クリックになっているのは、外車のせいだからなんでしょうか?

シスレーの視線

2024-01-29 08:13:10 | 日記
水上の丸刈りにされ寒そうな田んぼ脇の水路に、曙に照らされた月と雲が映っています。
鏡面反射による再限度は80%程だと、西尾維新氏の「続終物語」でオイクラさんが言ってたような気がしますが、川面ではどれ程か。
いずれにしても無理に100%にしようと頑張らない、できることをできるようにやる姿勢に、気温とは裏腹にほっこりした気持ちになります。

「モネ程の練達の域には達せず、ルノワール程の華やかさはなかったとしても、自然の情調を行き渡らせる才能は、明るさ、純粋さ、魂の安らぎをもたらす」とルクレールは亡くなったアルフレッドシスレーを批評しました。後半生を印象派から離脱した多くの仲間と異なり、生涯自己の印象派絵画を開拓し続けた画家、内気でおとなしかったと伝わる画家の視線は、常に自然への愛情に溢れていました。

普仏戦争により実家事業は事実上破産、その後常に赤貧に喘ぐこととなります。絵画だけが唯一の糧となったシスレー。印象派友人作品が数千フランで取引される中、彼の作品はあまり売れず稀に売れても1点数百フラン。それでも彼が筆を折ることはなく、ただ自己絵画の研鑽に努めます。そしていつも穏やかに。死後の翌年、作品「ポールマルリーの洪水」は4万5千フランの値を付けました。

チェーホフ戯曲「鷗」。裕福な地主の娘で女優志望だったニーナは、名声と栄光にあこがれ恋人を捨てた末全てを失い、ドサ廻り芸人として地元に帰ってきます。しかし彼女は役者は辞めないと宣言、地元を後にします。名声や栄光でなく女優そのものが自身の自然な生き方だと気づいたから。

スヌーピーの作者が「人は皆配られたカードで勝負するしかない」と言ったとか。言い換えれば「既に持っているカードでらしく生きていける」。

新しいスキルや知識を貪欲に求め、常に目標を持ちチャレンジする人生も有りだと思いますが、外から得ることに躍起になるより、今持っているものをどう使いどう生きていくかの方が、視野も狭まらず自分らしい自然に近い生き方ができる気がします。

幼少期から学生時代もずっ~と「向上心がない!」と言われ続けたオッサンの感想ではありますが。

戌の刻

2024-01-28 08:31:04 | 日記
頼まれたから頑張って調べたのに、「結果が一緒なら同じでしょ、クドクドした説明はいらない!タイパって知ってる?」と言われたそうで、怒り未だ冷めやらずのお客様。

どう思う?と尋ねられ、いやあ、同じじゃないですよねと、おそらく期待されたフォローではない、少しずらした方向へ話題を修正します。怒りの対象の方も存じておりますし、内容如何によっては・・・という事もありますので。

結果が同じでも例えば1,知識と体験の違い 2,徒歩か乗り物かといったような過程による経験の違い 3,結果が意味するもの自体の違い等考えられます。「時間は一定ではなく伸び縮みする」という結果も相対性理論とは限りません。

承平四年12月21日(935年1/28)戌の刻、任期を終え高知県南国市の国府からの門出を迎えた紀貫之。「おとこもすなる」で始まる京への紀行物語、土佐日記の始まりです。

さて、戌の刻は何時か。1日24時間を12分割して十二支に当て嵌めますから、20~22時・・・いやいやそうとは限りません。平安時代以降なら都では漏刻(水時計)ありますが地方では線香の燃え残りで時を測るなんて方法もあったようですが、一般的には日時計・・・そう日の出から日の入りで昼夜を分けますから、季節によって刻の長さが変わります。今頃の高知なら日の出7時、日の入17時半で夜は13時間半、これを6分割すれば一刻あたり15分ほど夜は長くなる・・・ある意味相対性ではありますけど、光の速度一定は無関係です。

あれ?あんまり変わんないか。1時間違えば、今なら大騒ぎでしょうけど。
綾辻行人氏のデビュー作パクリ版、異世界転生平安時代殺人事件でも考えてみましょうか。
今より酷い人権格差と律令ですから、殺人にトリックもアリバイも大して意味ないですけど。

シャリアピンステーキ(図はレモンステーキ)

2024-01-27 06:22:07 | 日記
世界共通テストなんかの結果を見るに割と成績の良い日本から、何故か世界を牽引するような製品やサービス、システムが中々生まれないと嘆くお客様。運もタイミングもありますし、そのうち出るかもしれませんし・・・確率は低いかもしれませんけど。

たたいて薄くした牛肉を、タンパク質分解酵素で柔らかくする為マリネ(酢やレモン汁に浸す)し、焼き上げた肉にみじん切りの炒め玉ねぎを乗せるシャリアピンステーキ。実は日本以外では、ほとんど知られていないそう料理だそうです。

世界的バス歌手であったフョードルシャリアピンが来日した時、極度の歯痛に襲われていたのを知った帝国ホテルのシェフが、肉好きの彼に何とか美味しく食べてもらうために考案した一品で、喜んでいただけたとか。

現在の日本社会の基本は減点主義。マニュアル順守が正しいとされますから、良かれと思える臨機応変な対応や新機軸の提案はトライ&エラー的要素を常に含む為、結果良くても認められないケースが多いでしょう。

道徳教本で監督のバンドサインを無視して逆転サヨナラ打を決めた少年の行動について、授業内ではどういう方向に意見が誘導されたか。お勤めする方が社会人構成比の大部分を占める時代であれば、尚更その傾向は強まるかと。

但しマニュアル遵守は合理的効率的であり、安定した品質を保つのには有効で、トラブル時の問題にも即対応可というメリットを持ちます。
なんにせよメリットデメリットの両面は必ず存在しますから、加点主義を追い求めるなら減点主義のメリットは犠牲にする覚悟は必要かと。

ベースは減点主義でも加点主義をも認める方法は個人的に好みでもありますが、どちらかに振り切らない中途半端な施策は、損得的観点においては、おそらく一番利益が少ない選択であるとも思われます。