久しぶりに相模原障碍者施設殺傷事件の被告の話題を耳にしました。道徳、家族愛、法則面からの批判、現実的問題、新自由主義、効率性視点、弱肉強食適者生存論等、凡そ聞いたことのあるお話をBGMにしながら、彼はウルトラマンに成りたかっただけなのかも知れないなあとかぼんやり考えていました。
自分の体験を、周辺関係者の言動、偏って収集可能なネット情報により「問題提起」として形成、更に善悪に単純化する事によりメッセージ性を構築、誰も手が出せなかった悪を滅ぼす正義のミカタとしてインパクトの強い解決方法を選択、強行し、世間の注目、声援や尊敬を集めたかっただけ・・・なのかも。それは現状において強すぎる自己の承認欲求が全く満たされていなかったことの裏返しだったのかなあとか。
当然にしてホントのところはよくわからないのですが、世の中で起こる事件のある程度はひょっとして「他者へのリスペクト」で回避出来ていたという可能性を感じます。「彼自身が」だけでなく「彼に対して」という意味も含めて。
尤もこの事件にしも「不憫」を理由としたバイアスにより同様の結果を招いた可能性もありますけど。
自分の体験を、周辺関係者の言動、偏って収集可能なネット情報により「問題提起」として形成、更に善悪に単純化する事によりメッセージ性を構築、誰も手が出せなかった悪を滅ぼす正義のミカタとしてインパクトの強い解決方法を選択、強行し、世間の注目、声援や尊敬を集めたかっただけ・・・なのかも。それは現状において強すぎる自己の承認欲求が全く満たされていなかったことの裏返しだったのかなあとか。
当然にしてホントのところはよくわからないのですが、世の中で起こる事件のある程度はひょっとして「他者へのリスペクト」で回避出来ていたという可能性を感じます。「彼自身が」だけでなく「彼に対して」という意味も含めて。
尤もこの事件にしも「不憫」を理由としたバイアスにより同様の結果を招いた可能性もありますけど。