加山到のハマッ子雑貨飯店

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい雰囲気が伝われば嬉しいなっと。08年11月6日開店!

続々・DTBWBシングル”ジャケ違い”

2023-05-31 | ブギウギ

ダウンタウンのシングル盤ジャケ違いシリーズ はい、これで終わりにします、一応・・・。今後また何か面白ネタがあったら・・・やりますよぉ~

「商品には手を出すな!」(1975年・東芝EMI)

左が初版、右が再発です。タイトルの位置が変わっていますね。

値段が500円から600円になっています。という事はやはり1976年頃にリリースされたのでしょう。

ちなみにこちらは有線放送用のシングル盤のようです

有線放送ですから、ラジオとは異なり、MCによる曲の解説やジャケットのビジュアルは必要ない・・・との考えからなのか、ジャケ写もなければ歌詞もありませんし、盤面のラベルの色が通常版(青)とも違います。通常盤や見本盤とは別にする意図はなんだろう?

 

「サクセス」(1977年・東芝EMI)

下が初版、上が再発のようです。というのも、化粧品コマーシャル・ソングとして作られた「サクセス」がヒットした頃に、同じ商品のコマーシャルで「愛しのティナ」が流れ、これまたお茶の間に浸透したため、「愛しのティナ」をクローズアップした再発盤がリリースされたとか。 当時のコマーシャルを見た方、いらっしゃいますか?

こちらは、その化粧品会社の販促品(非売品)として出たのが「SUCCESS SUCCESS」

タイトルは「SUCCESS SUCCESS」「サクセス サクセス」と表記されていますが、レコード盤自体は通常版と同じもので、B面には「愛しのティナ」が収録されています。

見開きジャケ。コマーシャルに登場したモデルが華々しさを感じさせます。我らがダウンタウンのメンバーは・・・右側に白黒写真でちょいと(笑)

 

という事で、5月も終わりです。10月11日には宇崎竜童デビュー50周年コンサートが行われます。イコールDTBWBもデビュー50周年。何か楽しい事が起こらないかなぁ・・・・・・さ・い・け・っ・せ・い・・・とか

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飲食店で読む物は・・・

2023-05-28 | 日々是充実

今なお残る近所の”昭和の喫茶店”でモーニング。朝のひと時をゆったりと過ごすそのお供は店に置いてある・・・スポーツ新聞

これまた昔ながらの”昭和のラーメン屋”で、ラーメンが出来上がってくるまでの間に読むのは・・・ゴルゴ13

これぞ由緒正しい「日本の飲食店における活字文化」(笑)

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久しぶりに銭湯

2023-05-26 | 温故知“旧”

4年ぶり・・・だな。久しぶりに近所の銭湯に行って来ました。入浴料500円 4年前は480円でした(2019年8月のブログより)が、コロナ禍による利用者減少や物価高騰の中で、大変だろうけど頑張っていますよね

 

明治時代から続くこちらの銭湯。開業当初には、もしかしたらチョンマゲの人もいたかも。あ、女性は日本髪の人、間違いなくいたよね。

 

風呂上りはやっぱりコーヒー牛乳でしょ(笑)。もちろん手は腰に当てて・・・ません。だってスマホで自撮りしてるからな

さっぱりしたなぁ~~~~ 夜風ならぬ夕風が気持ちいい~~~~~

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キャラメルゥゥゥ

2023-05-24 | 温故知“旧”

いつ以来だろ?10年ぶり?20年ぶり?
口の中でふにゃ〜ととろけました〜🩵

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首都高速1号羽田線通行止めだって❗️

2023-05-24 | 日々是充実
2週間も通行止め⁉️マジかーーー💥

🟥横浜市内から羽田空港や成田空港方面、アクアラインを通って千葉方面へ行く方注意⚠️
或いは逆に都内から羽田空港方面やアクアラインを利用する方注意⚠️🟥

🟩1号羽田線の一部が架け替え工事に伴い通行止め。そのためかなりの数の車両が高速湾岸線や一般道になだれ込んで来て、激しい渋滞が発生します。🟩

リムジンバスやタクシー、宅配便やトラックなどの物流に関わる方、利用する方は相当な覚悟を……💦💦💦
横浜から羽田空港まで通常30分→→90分⁉️成田空港まで通常90分が3時間⁉️…というウワサ💢💢💢
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続・DTBWBシングル”ジャケ違い”

2023-05-24 | ブギウギ

ジャケ違い続編です・・・(楽しんで頂けているならありがたいですぅ~)

「スモーキン・ブギ」(1974年・東芝EMI)

右は”恋のかけら”がトップに来て、さらに文字も赤く色づけられています。ちなみにレコード盤面のラベルでは、どちらも”スモーキン・ブギ”がA面です。 下はそれぞれのジャケットの裏面です。

左はメンバーやスタッフの写真+小さな枠に歌詞。右は手書き風の文字による歌詞です。 う~む・・・さてさて。どちらが初版でどちらが再発なのだろうか

「カッコマン・ブギ」(1975年・東芝EMI)

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」がB面の曲だという事はよく知られていますが、大ヒットしたからと言って「カッコマン・ブギ」との順番が逆になってはいません・・・・・・いや、もしかしてもしかして逆パターン盤が存在しているかも

さて、この2枚それぞれのジャケ裏/歌詞です。一見、全く変わらないようですが・・・実はあまりよろしくないマーク(陰部)が・・・。という事はマークがある方が初版、(たぶん指摘があって)削除した方が再発でしょうか・・・

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川崎と伊勢佐木町の生姜焼き

2023-05-23 | 生姜焼き&中華

ヨコハマの隣、川崎市・JR川崎駅前の商業ビルの一角にある居酒屋「川崎酒場」

まずは・・・安いんですよ。飲み物もおかず・つまみも。店内も明るいし広めだし。店員はみんな若いし茶髪多いし(笑)。そして何よりも驚いたのが豚モツの煮込みが食べ放題なんですよ。これが美味い(写真撮るの忘れた・・・)

で、ありましたありました。豚肉の生姜焼き ふつーです。ふつーだからふつーに美味しい。パラパラッとかかったゴマがいい感じです

      

地元ヨコハマは伊勢佐木町のメイン通りからちょいと入った場所にある「すゞや」

定食屋?そば屋?いろいろあるぞ?・・・・・・え~と・・・うん!「日本食屋」だ

 

ランチタイムにお邪魔しました~~~ 豚肉の生姜焼き定食。ランチサービスとしてミニ蕎麦付き。わんこそばみたい

 ロース肉は2枚だった わおわお 充実した小鉢+おそば付き+2枚肉。これで880円なんて・・・素敵すぎる~~

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横浜「ロイヤルウイング」

2023-05-22 | ヨコハマ

横浜港を拠点に東京湾を周遊しながら食事ができる大型レストラン船「ロイヤルウイング」が就航を終わらせ、その長い歴史に幕を閉じました。海の街ヨコハマ。その顔ともいえるロイヤルウイング。海上をゆったりと進むその船体を見て気持ちがほっこりしたなぁ

20年ほど前。結婚のお祝いとして、元フジテレビプロデューサーの故・横澤彪さんより、このロイヤルウイング・ランチクルーズ券をいただきました。地元ヨコハマを海上から眺めつつ頂いた豪勢な食事はなかなかのものでした

1980年頃の漫才ブームの仕掛け人であり、「オレたちひょうきん族」「笑ってる場合ですよ」「笑っていいとも」などで、ツービートやB&B、紳助・竜介、タモリ、片岡鶴太郎、山田邦子、明石家さんま、コント赤信号、東京乾電池などなどの芸人・俳優諸先輩を、多くの人たちに知ってもらうチャンスを作った方ですね。2011年に逝去されました。

横澤さん、お元気かな?

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後期ピンクレディー3作品

2023-05-20 | レコード

ピンクレディー 1979年の3作品
1979年には6曲もシングルを発売していたんですね。驚き。どんな戦略だったのでしょうか?

「波乗りパイレーツ」(1979年・ビクター)

この頃のピンクレディーはアメリカ進出を計画していたこともあり、同年5月にはビレッジピープルのヒット曲「IN THE NAVY」を日本語でカバーした「ピンクタイフーン」をリリース。 次作の「波乗りパイレーツ」ではザ・ビーチボーイズがコーラスに参加。 そして遂に9月に全米デビューシングルとして「KISS IN THE DARK」の発売に繋げ、現地を拠点に活動スタート。テレビでは冠番組まで制作されました。

「キッス・イン・ザ・ダーク」(1979年・ビクター)

アメリカでの活動は順調だったようで、更に大人への脱皮という意味もあってか、「阿久悠・都倉俊一のコンビが『そろそろ、子どものお客を無視した、ミーとケイ、ふたりのための曲を作ろう』と話し合った上で作りあげた。」(Wikipedia記)と作られたのが「マンデー・モナリザ・クラブ」。こちらもアメリカのミュージシャンを起用しロサンゼルスで録音されたようです。

「マンデー・モナリザ・クラブ」(1979年・ビクター)

動画サイトで見ると、一見今までの楽曲とあまり変わらないようなリズムや作風、振付と思うのですが、年齢的にも成長した二人のパフォーマンスや雰囲気は、「アラベスクのような大人の色気を感じる」「この頃のピンクは素敵」といった反応が多かったようですね。確かにステキでカッコいいかも

前年の1978年の紅白歌合戦出演辞退、その後の事務所とのトラブル、プライベートでのゴシップ、そしてアメリカ進出に伴う日本での露出減少、更には松田聖子を筆頭とした新たなる歌謡アイドルやニューミュージックの台頭などにより、残念ながら人気が急落。帰国した1980年に解散宣言、1981年3月に解散コンサート@雨の後楽園球場・・・。当時高校生だった私は、「これが”時代の変化”なんだなぁ」となんとなく思った記憶があります。

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女子体操初の金メダル

2023-05-18 | 心静かに

過日の新聞に掲載された池田敬子氏の訃報。

1954年(昭和29年)の世界体操競技選手権で、日本女子体操界で初の金メダル(平均台)を獲得。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは団体銅メダル獲得するなど、オリンピックや世界選手権で活躍、戦後の日本アスリート界に旋風を起こすと同時に、その後も後進の指導をも務めました。

1976年(昭和51年)4月。当時我が家は上海に住んでいたのですが、その時日本体操選手団が訪中された際にサインを頂きました。当時の日記には「上海体育館に日本と中国の試合を見に行った」とあるので日中親善試合だったようです。家族や在住日本人と一緒に見に行ったのでしょう。池田氏はコーチとしてチームに同行。親たちは「オリンピックの選手だった方だよ」「金メダルを取った人なんだよ」とはしゃいでいたのを覚えています。

訃報欄を読んですぐに当時の事を思い出したという事は、やはり子供心にインパクトがあった出来事だったのでしょう

どうぞ安らかに・・・。

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