碁盤と地上

  囲碁は宇宙にも例えられる19×19の盤上に一手を打つ。良い手もあれば悪い手もある。自滅の手を打つことは珍しくない。
  人間一人ひとりは、地上を盤にして一手一手を打って生きているようにも見える。
  あんな小さな盤上でも絶対的な手は無いのだから、地上で打つ手は押して知るべしかもしれない。
  欲にからむとろくなことは無い。
  
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万能な科学は無い

科学的 言わば合理的か否かを判断の基準にすることが多い。科学は文学や芸術と対比されるほど主観ではない客観的事実を指し示したり、事実であることを証明する道具としても用いられる。「科学的・合理的・論理的」は有効か無効か、 能率の良し悪し等の根拠に使われることもある。
これらによって生み出された公式のようなものは 一定の条件下で成り立ち、条件が異なると成り立たないのだが、公式が一人歩きして
 条件が違っているにも関わらず汎用して用いられることが多い。
  
 学習と学習時間の関係にも言える。子供が一定のものを学習するには時間が必要である。これは(公式) のようなものだが、この公式を使って、子供が一定の時間を使っても学習の結果は皆違う。学習には時間以外の多くの条件があり、条件次第では学習時間の長さは学習を阻害する。

 金融工学を使いお金儲けが出来ると言う公式を国が経済政策として用いても結果は見て分かるように経済は壊れただけである。
 何故なら、経済の部分的な法則を産業を基盤に成り立つ経済への政策とするのだから、経済特に大本の産業が壊れたのは当然である。

 これまで、物事を考える基盤に据える視座を空間的に広げることの大切さを考えてきたが、たとえ科学的真実であっても絶対的なもの無く、条件によって皆異なることを付け加えたい。

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先ずはマスコミ論議を

    国民はおろか政治をも専制的に支配するメディアの上に立つのはスポンサーのお金だろう。
    
     ジャブジャブのお金をさらに水増ししてる経済上のお金の意味は別にして、メディアの社会的意味は大きい。

     そして、社会的役割と弊害を
     曖昧にして、社会の進歩は期待できないぐらい大きい。
     全体的な行き詰まり状況下で現在のマスコミの弊害を 
     立場や主義主張を超えてはっきりテーブルに載せるのは良識ある人の最低限かもしれない。
   
     この段階を踏まないで、視座・視野を広げ 行き詰まりを打開するなど望むべくも無い。

      やたらに多いコマーシャルと、こどもに誤解を与える情報は(メディアがよって立つとするスポンサーのお金)では済まされないはずだ。
    
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金儲けと経済の違い

大体、世界に内需を中心とした経済活動をしている国があるのだろうか? 例え、アフリカなどの最貧国でさえ内需を中心にした経済はない。 自給自足の時代にあっても、大漁や五穀豊穣を祈って生産活動を土台に経済を発展させてきた。 今は、先進国や発展途上国の如何を問わず、経済を外需に求め、それを競っている。 各国は輸出を有利にすべく、通貨安競争、金融緩和、為替介入に走る。  結果どうなる?    儲ける国は儲けられる国があって成り立ち、競争は富を奪い合っているに過ぎず、全部が奪う側にはまわれない。 
周りに儲けられる国が沢山あって、お金儲けが成り立った時代は過ぎ去ってはいないか。竹中平蔵氏の間違いはそこにあったと思う。
 世界的に金融工学的お金儲けは残ってはいるものの、その流れは過去のものになりつつある。
 日本のマスコミや政治はその変化を認識することなく、取り付かれたように引きずり」、新しく踏み出せないでいる。
 お金を儲けることと、経済を発展させることは全く意味は異なる。   お金儲けに行き詰まりなお走るのは、経済的には共倒れになるだけではないか。  経済成長の名でやられてる諸々の経済政策が成功するとは考えにくい。      検証するまでも無く、これまでの失敗続きで今日を招いているのだから‥    お金儲けから本当の意味での経済成長へ 変えなくちゃ!    
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気が付く能力

 
   朝一番、
人間の知識や情報を手に入れて得る能力と、(気が付く能力は)は別かな? と考えた。

   現在の状況を伝える知識や情報は無い、何故なら(現在)は そのものが新しい情報であり、それ以外の情報はそれより過去に
   存在していた筈である。
  高度な知識と情報化社会を獲得した人間は、(ちょっとしたら)反比例するかのように気が付く能力を失っていないか?
  
  気が付く能力が落ちていて当然、予測はなお難しい。
  
  人間活動によって起きたとされる温暖化、生物の多様性の消失、抗体を持ったウイルスの発生、バブルは崩壊してから気が付く‥挙げればきりが無い。 生き物としてはえらく能力を失っているのかもしれない。
 
   人間活動で環境が悪化し生物が消失し始めているのだから、逆説的に生物である人間の能力に異常を来たしていていると言えるのかもしれない。


 ‥そうだとすれば、景気対策でお金を印刷するのも理解できる。
  権力や学識経験者や専門家の権威が(彼らが立場上持っている全体的認識のハンデ)を周りの人も本人をも、見えなくしているかもしれない。
  今一度、自然に立ち返って考えた方が良い。

   
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ひどい勘違いのまま

 
   経済を成長させるのに外需を中心にするかを内需を中心にするかを国の在り方や中心的な経済政策として語られる。
   多くの先進国は外需を中心とし、為替介入や金融緩和等して展開する通貨安競争の背景になっている。
   外需にしろ内需にしろ、生産したものの需要であり消費である。
   国の内外を問わず者やお金を使って豊かになるだろうか?
   子供に渡したお小遣いでさえ無駄使いせず、貯めるように躾けるのに、国や世界いは反対をやり、そのことが 景気を良くするかの如き情報ばっかりなので、実際に経済は良くなっていないのに、いまだに勘違いしたまま動いている。
    豊かになるには、一生懸命働いて、物を生産する《生み出す》しか無い筈だが
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マスコミの責任


   村木さんは、真相究明を望んでいると言う。
 
   逮捕・起訴した検察の責任に対するものだろうが、検察情報を喧伝し関係者に迷惑をかけ、国民に多大の誤解を与え惑わした責任は
   マスコミにないか。
   どこかがマスコミを訴えない限りその責任は発生しないのかもしれないが、腑に落ちない。
   マスコミの被害を受けた話は 後を絶たず 野放に近い。 口数と声の大きさは追随するものが無く、超特別な権力のようだ。
  
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「今、何が一番大事なニュースなのか?」

 目に留まった番組名だった。さらに「賢人16人が選ぶトップ16▽1位は日銀?小沢氏?中国反発ノーベル賞は、河村市長は」と穂苦している。ニュースのランキングも気になったが、「賢人16人は 誰だろう?」と興味をそそられチェックしていた。
 番組が始まってみると、16人の賢人は各局のニュースなどに登場する学者やコメンテーターだった。結果は ほぼあらかじめ局が予想して通りだった。司会の小宮悦子さんが番組の補佐焼くで常連の朝日新聞の編集委員 星野正弘氏の予想が見事に的中しているのに感心すると
 当の星野氏は「20数年新聞記者をやってるから」と照れ笑いをするおまけまでついていた。
  新聞jテレビの論調は1方向にあることは以前から知っていた。コメンテーターは 局に請われて出ているのだから、社論に沿った形で番組の役を果たすのは当然である。どこでどう取りまとめるのかマスメディアの発するニュースは似たり寄ったりでそれに同調してきた人を賢人と称し、ニュースにランキングをつける。
 こんな自作自演の番組で印象付け世論に仕立て上げる。こんな仕掛けが視聴者にばれないと踏んだ上での番組だろう。個人も組織も傲慢な感覚や体質は根が深い。
 
これでは「賢人政治」ではなく「衆愚政治」に他ならない。しかもポプリュズムというより、人々を衆愚に至らしめてする政治ではないか。視聴者は衆愚扱いされてよくぞ、メディアへの不満の声が上がらない。 考えればメディアが取り上げなければニュースにも声にもならないのだから、当然と言えば当然なことである。 人々はこんなメディウム《情報の培養液》の中で生きている。地球や世の中がおかしくなるのも当たり前である。
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 勘違いでは済まされないのに

 
   国会で(円高対策)の質問や答弁を聞いていると、その原因は(世界の景気不振)によると言う認識で一致し、その上で為替介入や金融緩和や景気対策を講じていると言うことだった。
   果たして、円高の認識はそれで良いのか? 世界の不景気は単に循環的な不景気ではなく、世界の産業の行き詰まりを、円高は日本の国際競争力の位置の入れ替えを意味しないか?
   与野党とも、日本のおかれてる状況と位置を2~30年前と同じ認識でいないか。滑稽でなければ良いが‥
   
   
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自然と情報

   いろんな出来事は自然と情報の関係よって成り立っていないか?
   自然は事実、情報は人の認識や思いと言い換えても良い。(趣味の囲碁で言えば、19×19の碁盤が自然、置いた石が情報。置いた    石の意味は19×19の盤面の如何で決まる。)
   自然(事実)と情報のズレが目立つ。 情報の良し悪しを測るリトマス試験紙は自然ではないだろうか。
    

 
    
   
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