DK大衆食の旅3

路麺好きがそんな感じで巡る大衆食の旅。

いちげん@羽生

2018年12月24日 | そばうどん
おじいちゃんはそばが大好きだった。でもおばあちゃんはうどん。絶対そばは食べなかったねえ。



ほんのり揺らぎのある、それでいて端正な味わいのそばを、ちょうど食べ終えた頃合いを見計らったように、女将さんはそんな話をするりと自分に向けてきた。



手打ちそば いちげん。

久しぶりに新郷の富士見屋に行ってみようかと秩鉄の線路沿いを歩き始めて見つけた店。



創業から40余年だという。



当時羽生にはそば屋ってなかったのよ。
みんなうどん。なので私が東京に修行に通ってこのお店始めたの。



いろいろと話を伺いながら、自分は思い描いていた。
こちらの家に嫁ぎ、子育てをしながら事務職で働き、週二のママさんバレー、更に東京へそばの修行という日々。
生きる力、思う力、信じる力とはそこまで人を突き動かすものか。



そして線路沿いにあった民家の庭は、羽生で初のそば屋に変わった。



それからまた日々は連なり40年余り。

教科書だけを追っていては決して知ることのない、すさまじい密度の中を駆け抜けた市井のそば名人である。



もう背伸びしなくても80に届いちゃうわよ(笑)
と笑う顔にもどこか芯に据えた強さを感じた。
矍鑠などと言ったら失礼か、今以て元気溌剌そのものであった。



余韻が広がる。
いいそばだった、実に。

大衆そばの世界。
そこには必ずストーリーがある。
そばは人だ。人の生き様、歴史をいただく旅。



商店街の片隅にも。片田舎のぽつんと畑の中にも。そして線路の脇にも。
そば屋がそこにあるのは、決して偶然ではないのである。





第二常盤湯@保土ヶ谷【未浴】【休業】

2018年12月09日 | 銭湯
以前にも書いたコトあるけど、旅先では空を見よう

あっ



こんななんのアナウンスもなき細い路地の奥に



世界がある。



素晴らしき佇まい。



しかしこの世界は、ついこの前、残念ながらその幕を閉じていたのであった。
(廃業ではなく休業とあるので再開もあるかも)



裏手からの佇まいもまたすさまじく最高だわ。







とんかつ いちょう@渋谷【未食】【閉店?】

2018年12月05日 | 大衆食堂
先週の事である。たまたまココの存在を知って珍しく興奮した。

四半世紀前、時々利用させて貰っていた渋谷桜丘のさくら亭。
とんかつ定食500円。ライスお代わりができてカレーをかけるコトもできる。つまりとんかつ定食を食べた後、カレーライスを食べるコトができる店。
でも500円。そんなコトがあっていいのか、という店。

今にして思えば、間違いなく自分の大衆食の旅の原点のひとつである。

しかし当時、ご主人の心意気やその奥底にある計り知れぬ原動力に自分の意識は至っていなかった。なんかすげー変わった店がある。失礼ながらそんな驚きの方が先にあったように思う。



そのさくら亭、火事で閉店したという話は風の噂で知っていた。
そして今やこの一帯の大規模な再開発が襲う。周辺諸共もぬけの殻となった。

そのさくら亭が円山町のラブホ街の中でひっそりと再開されているというのだ。そして現在も尚同じスタイルでとんかつ定食500円を貫いているという。
居ても立っても居られない心持ちでその週末、自分は渋谷へと向かっていた。

東急本店の脇から坂を登る。角を曲がり雑居ビルの角に立つ。



何度も。何度も見返した。怪しい奴と思われようが周辺もうろついた。
そこにとんかつの店 いちょうは既になかった。

さくら亭の、いや、いちょうのとんかつ定食を食べたかった。そして年甲斐もなくライスをお代わりしてカレールーをお願いしたかったのだ。
ご主人に面と向かって言葉にできたかどうかはわからない。でも、あの頃伝えられなかった感謝の心持ちで食べたかった。

場所が変わっても、時代が変わっても、変わることのないスタイルにこだわったご主人の心意気をしっかり噛み締めたかった。

どうだろう。またどこかで新たに続けられているなんてコトもあるのだろうか。
どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。必ず伺います。



帰る道すがら、東京の街は黄色く染まったいちょうがピークを迎えていた。
そんな風景が、自分にとって大切な大衆食の遠い記憶とぐいぐい重なるのであった。