あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群 世界遺産へ ②

2019-05-27 16:47:09 | 百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群 世界遺産へ

 

          写真上:メタセコイヤの美しい樹形とユキヤナギのコントラスト

  

  奈良県の観光振興活動をされている鉄田憲男さん(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事)のブログ「tetsudaブログどっぷり!奈良漬」 を見ると、5/24に次の話があります。

 

  「司馬遼太郎は、母親の実家が磐城村竹ノ内(現在の葛城市竹内)にあり、幼いころはそこに里子に出されていたので、奈良県に対する思い入れが強く、たくさんの文章を書き残している。私は1年ほどかけてそれらを拾い集め『司馬遼太郎と奈良をゆく』という90分の講演に仕立てたところ、とても反応がいい。…」とのこと。ふ~む、司馬さんもあの地域にゆかりが深いのね。

 

  二上山、葛城山、金剛山、大和川、竹内街道…、古代より大阪南部や浪速津(なにわつ、なにわづ)から奈良地域を結ぶ地域や河川・街道がとても重要で、多くの人々がかかわっていたことを想像します。そして人々の暮らしや文化、そして信仰の想いが積み重なっている地域なのでしょう。それが五木寛之さんや司馬遼太郎さんなど小説家の、創作意欲をかきたてるのかな?

 

  そしてどうでもいいよな、おまけのエピソードを。

 

  登校時を見計らったように通学路になぜか大型トラックが停車していたり、痴漢が出たり・・・など「女子大」ということばにひきよせられる男たちもいるのでしょう。

 

  ある遅い登校時のこと。ちょうど御陵の正門にさしかかったとき、歩道を後ろから来た自転車男がすれ違いざまに“おっぱい、おっぱい(実際は1回です)”を掴んで、前を横切り道路を横切って大仙公園内に消えました! えっ?なにかの偶然か?間違いか? 一瞬呆然としたあと、ああそうか、後ろからだと顔や年齢がわからんのだ。(妙に納得)だけどいや~~なカンジは残ってしまいました。

 

  次の日から後ろにも注意しつつ、反対の公園側歩道を使っていた数日後、発見したのです。公園のベンチに脚にギプスを巻いた男が所在なさげに座っていました。その服装、そばにある自転車、間違いありません!

 

  「絶対に痴漢に失敗して、転倒した末の骨折だな」と根拠のない確信を持ち、なにげに溜飲を下げたのです。「きっと仁徳天皇さまのお叱りだ!お怒りに触れたのだ!」 ほんとくせが強く、妄想がひどくてすみません。

 

   ***次回は「2019 東北の桜 宮城県~福島県」***

 

   「さくら山」には約35品種 180本の桜

   桜とフェニックス?の取り合わせがユニーク

     ヤナギザクラ 原産は中国東北部、朝鮮半島北部 落葉低木2~3m

 

         シダレエンジュ 樹形が芸術的

          モクレン 

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百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群 世界遺産へ ①

2019-05-27 16:26:35 | 百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群 世界遺産へ

 

     写真はすべて2019/04/9交野市私市 の「大阪市立大学理学部付属植物園」

           写真上:ヌマスギ(ラクウショウ)の「呼吸根」

              湿地だと空気が不足するので地上に出る

  

  ついにイコモス(国際記念物遺跡会議)は大阪府の「百舌鳥・古市古墳群49基」の登録をユネスコに勧告しました。これまで国内審査で3回も落選したけれど、それにめげないで地道な努力をされた結果です。関係する方々、地域の方々、おめでとうございます! 正式には6/30からアゼルバイジャンで開かれる「世界遺産委員会」で登録される見込みです。

 

  前回ブログで大阪女子大学に社会人入学した、と書きましたが、またまた関連ニュースが出てきたよ。大阪女子大は古墳群の中心である「仁徳天皇陵」に隣接していたので、百舌鳥駅から陵墓の正面鳥居を通り通学していました。※なお埋葬者が不明とされ、「大仙陵」と呼ぶこともあるようですが、やはり「仁徳天皇陵」がなじみ深いです。

 

  かなり長い間、6~8年くらいかな、通学しましたが、この国内最大級の前方後円墳は宮内庁管轄の不可侵地であり、樹木に覆われているので、参拝も鳥居の奥をのぞき込むだけです。だけどいつも整然としたたたずまいとミステリアスな雰囲気が漂っていました。

 

  たとえ朝、外堀に落ち葉が散り積もっていても、夕にはきれいに掃き清められているのです。どうやってお掃除するのかな?一度だけ小舟で集めているのを見ましたよ…。

 

  ところで5/24に大阪府の吉村知事は古墳群を視察後、「気球に乗って古墳群を眺めるプランを早急に検討する」と話しました。仁徳天皇陵の南側にある大仙公園から飛ばすのだそう。ああ、この古墳の上空に気球が飛ぶなんて、想像だにしなかった~!

 

  さて五木寛之さんの「風の王国」(昭和60年1月、新潮社)は友人に「二上山(にじょうざん)が舞台となっていて、面白い」と勧められ、女子大を卒業後に読みました。最初に「仁徳天皇陵」が登場したので、「おっ、真夜中にあの玉砂利場所に集合するのだわ、主人公の記者は大仙公園に潜んだのね…」といった懐かしさとともに、奈良の物語なのになぜ大阪の仁徳天皇陵?という疑問を持ちました。

 

  物語は大阪南部と奈良県境にある葛城山系の、特に二上山を中心に風のように疾走する民が存在し、戸籍・職業を持たず定住しないなどの理由で差別や迫害を受けたことを伝えています。サンカ=山窩=(西行法師の)「山家集」とつながることや、二上山には運搬・交易の重要地であるゆえの悲しい歴史があることを思いました。

 

  ただし風の王国の民は「サンカと間違われた民」ということです。そしてなぜ「仁徳天皇陵」だったのか?が読み込み不足もあり、わからなかったと思い出しました。

 

     なんだかミーアキャットみたい

     

   写真上下:メタセコイヤ(アケボノスギ)1939年大阪市立大学・三木茂博士が

        化石を発見し、 当初は「絶滅種」と思われたが、1946年に中国四川州

        で現存種が確認され「生きた化石」となる。

   

 

     なぜか心落ち着く雰囲気です 

              写真下:ミツバツツジ

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冬の青い森  ④

2019-05-04 17:53:51 | 冬の青い森

        酸ヶ湯温泉は狩人が、「手負いの鹿が俊敏に逃げ去ったのを見て付近を

   探索すると温泉を見つけ『鹿の湯』と名付けた」由来がある。

 

 

  旅の間は異例に暖かく、雪は相当融けたようでしたが、それでも八甲田山や酸ヶ湯温泉への道路の両側にはそそり立つような雪の壁ができています。だけど道路に雪は残らず、バスは問題なく登っていきます。ああここは完璧な除雪作業があるから「豪雪もなんのその」なのね。

 

 

  青森空港も日本一雪深い空港ですが、「青森空港除雪隊・ホワイトインパルス」と呼ぶ、交代制で除雪を行うプロ集団が組織されています。彼らは積雪3cmで出動し、東京ドーム12個分の広さを40分で正確無比に除雪するそうです。こうしたシステムや技術で、主要道路も楽々通行できるのですね。頼もしい~。

 

 

  4日目2/21は「津軽鉄道に乗ろう!」と思ったけれど、(冬時期のためか?)鉄道の本数が少ないし、移動の電車も時間がかかりそう、結局やっぱレンタカーを1日借りました。もしかして私って結構イラッチなのかしらん?鉄道の旅には向いていないのかな?

 

 

  大好きな津軽三味線をぜひとも本場で、と金木町の「津軽三味線会館」に行きました。なにしろ朝一番でもあり、素晴らしい三味線の実演は独り占めで堪能しました♪♪

 

 

  案内によると津軽軽三味線の起源は、「ボサマ」と呼ばれる盲目の「門付け芸人(かどづけげいにん)※大道芸の一種を家の門口に立ち・行い、金品を受け取る芸人」が各地をまわり、家の前で三味線を弾き、唄を歌い、お金や食べ物を貰うことから生まれました。その後明治に入り民謡の伴奏となり、やがては単独楽器として独自の世界を確立したそうです。

 

 

  激しくリズミカルなバチさばき、強弱多彩な音階のなかに、えもいわれぬ哀調が漂っている音色が心に響きます。津軽三味線の元祖と呼ばれる「神原の仁太坊こと秋元仁太郎」がここ金木町の出身です。

 

  午後は弘前市に向かいます。

 

  パンフレットに「弘前城 冬の桜」とあり、「どんな桜?」と興味津々です。駅で聞くと、案内の人は「雪を桜に見立てたものだけど、雪がないので・・・この冬はもう終わりました」とやや困った表情・・・。つまり雪の花をピンクにライトアップして桜に見立てたイベントだったのね~。

 

 

  すると先日、ちょうどTVニュースで弘前城の満開の桜、花吹雪、そして堀に浮かぶ「花いかだ」の映像を流していました。「あっ、たしかに雪の花もこんな雰囲気になるよね」と納得。

 

 

  ところで弘前市は東北きっての名城「弘前城」がある一方で、洋館も多くフレンチ料理店も人気が高いという個性的な街です。明治から大正にかけて外人教師を招聘するなど、積極的に西洋文化を取り入れて、当時の建物が多く保存されているのも素晴らしいです。駅前に立ったときからレトロでハイカラな雰囲気が感じられるのが不思議でしたよ。

   ***「冬の青い森」旅を終わります***

 

    酸ヶ湯温泉ひとつ手前の「城倉温泉」に除雪隊基地

    最後に花吹雪が舞う津軽三味線の実演

    津軽三味線会館の斜めにある「雲祥寺」の「お化粧地蔵」

    幼くして亡くなったこどもの衣装の着替えをさせるのは

    津軽地方独特の祀り方

        「弘前城近くの洋館」夕暮れ時、いい雰囲気

   弘前城の堀、ここに雪の花があったら確かに「冬の桜」だね~。

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