あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

すもうのこと ②

2017-12-17 05:06:44 | すもうのこと

写真は2017/8/29~9/2「秋田から青森へ:十和田湖、奥入瀬渓流、小又峡…」

写真上:奥入瀬渓谷最大の滝「銚子大滝」(左後方)を望む

 

  12/11、元横綱日馬富士関が「傷害容疑」で書類送検されましたが、メディア報道は収まることなく、最近は加害者・被害者本人たちというより、「相撲協会」VS「貴乃花親方」へと変わってきました。

 

  大相撲のことはまったく知らないのでどちらがどうなのかよくわかりませんが、現在の相撲というスポーツが持つ複雑さ、協会システムのジレンマがあるのだなあ、と答えが見つからない気持ちになってしまいます。

 

  つまるところ相撲はもちろん国技であり、りっぱな相撲道もあるけれど、やはり勝敗を競うスポーツであり、さらには人気の高さや興行も大事という多くの要素を持つから、ということなのですね。

 

  かなり昔の話なので、あいよっこの記憶違いや勘違いがあるかもしれませんが、当時はまだまだ全国的人気はなく、なんとか盛り上げるために、「外国人力士を認めるか、女性(「女ずもう」です)を認めるか」という議論・報道があったように思います。結果はもちろん「外国人力士」だったわけですが。

 

  おそらく最初の外国人関取・高見山のころだったのでしょう。ウイキペディアを見ると「『相撲は国技だから外国人を受け入れるべきではない』との評論がたびたびマスコミに顔を出し、高見山自身もそのような手紙などを受け取ったことがある」と書いていますが、女に関しては見当たりません。その当時「ふ~~ん、おすもうは女性ではなく、外国人を選んだのね~」と思った記憶があるのだけど…。今思うに「女ずもう」も面白そうではありますけどね?(そっち?)

 

  外国の方はもちろん体格もりっぱで強いし、なにより「見栄えする」ので大相撲には欠かせない存在となっています。ですが、横綱になったらなったでそれは「横綱相撲ではない、横綱として恥ずかしい」と言われるのは、文化の共有がないと実際わかりにくいかもしれないです。

 

  ところで外国人力士に対して「国技の精神」とか「武道の作法」などを理解してもらうためにどうしているのでしょう? もし親方からの直伝で、というのであれば、親方の考え方も様々なので、ここは同じカリキュラム?で学んでもらう必要があるかもしれません。外国人と同じく、若い方々も必要かな。   

 

  できれば「ここはこうするのが望ましい」「その場合はこう考えましょう」ときちんと文章にすることも大事でしょう。「暗黙の了解」とか「阿吽の呼吸」というのは今では日本人同士でも難しいことです。外国人力士を選んだ以上、この難しい矛盾・ジレンマに対してどう折り合いをつけていくのかを模索しなければね。

 

  日本相撲協会は12/11に「暴力問題再発防止の研修会を実施する」と発表しましたが、定例的に、あるいは相撲稽古と平行しながら、精神面の研修会強化をお願いしたいです。

 

  そして相撲にかかわる人々の願いが叶うような方向で、問題が解決に向かいますように・・・。

                        

 

 

  奥入瀬は初めてだけど、「さすがっ!!!」です。ブナの巨木もいっぱい!

  下は「雲井の滝」豊かな水量が高くから落ち、迫力満点。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すもうのこと ①

2017-12-13 19:52:53 | すもうのこと

   

  写真は2017/8/29~9/2  「秋田から青森へ:十和田湖、奥入瀬渓流、

     小又峡…」

  写真上:秋田空港~十和田湖の途中にある「抱返り(だきがえり)」は

      小雨と霧で幻想的。

 

  今日は日記「すもうのこと」です。              

 

  数年前のこと、小学生・女子の孫が「おすもうさんの遠藤が好き」などと言っているので「へえ~、なんでおすもうが好きなの?」とすもうに全く関心のないあいよっこは不思議に思えました。

 

  「だってばあばも本に書いていたでしょう?」というので「ああ、そうか!」と思い当たりました。母の自分史「楽天的 ふじたばあちゃん」の中で次のように書いていたのです。こんな冊子でも小さい子たちに影響を与えるのだなあ、と嬉しいような…。実はそのあたりから私自身もすもうに興味を持ち始めたように思えます。

 

*****以下「楽天的 ふじたばあちゃん」より抜粋****

【相撲力士 十七瀬川(となせがわ)】

  ちょっと珍しいのは、(※母の)曽祖父(そうそふ・ひいおじいさん)が相撲力士だったということです。親戚の言い伝えによると「十七瀬川(となせがわ)」という四股名(しこな)で、備前藩主池田候のお抱え力士だったということです。江戸に向かう参勤交代の時には最前列で、「下に~、下に~」と大声をあげながら槍を振る役目だったと聞き、急にすもうの歴史を身近に感じました。

 

  井原市西江原町には弟子が建立したお墓と古い石碑が残り、長兄(浩)は生涯お参りと管理を欠かしませんでした。

  「ふるさと読本・にしえばら」(平成六年発行)には次のように書いてあります。

 ※以下は「ふるさと読本・にしえばら」P125「4・お墓」より抜粋です※

  お墓は、昔を調べる手がかりになる特に大切なものです。わが家の先祖調べに、お墓がよく使われています。西江原には、弓の名人だった那須与一公をはじめ、歴史上、活躍した人のお墓がたくさんあります。ここでは、めずらしいお墓を紹介します。

◎備中の力士…十七瀬川栄吉(となせがわえいきち)墓

 西新町の、日芳橋の東方蓮華寺の西隣に、十七瀬川栄吉の墓があります。 墓碑の表面には、「十七瀬川榮吉墓 門弟中」と書いてあります。

 

 右側には、「備中小田郡西濱(ようすな)村産」。左側には、「慶応四年戊辰三月建、今市石工源助」で、地上より二一五センチメートルの御影石の立派な墓碑です。

 

 小田郡誌の中に、「十七瀬川は力士です。初代十七瀬川は、約百五十年前、抜山と号し内山亀之助といいました。笠岡市金浦西濱のものが初代、井原市西新町のものが二代目のものです」と記録されています。(※以下も小田郡史です)

 

 二代目の十七瀬川は、その頃、青陰城主のお抱え力士で、巡業の途中、この地で亡くなり、お墓は興譲館(こうじょうかん)の裏山の墓地にあり、現在も近くの人が手厚く、お守りしています。

 

 現在ある墓碑は、日芳橋の東の袂にあったものを河川改修工事のために現在地に移されたといわれています。

 

※抜粋ここまで・親戚などのエピソードと少し違っているようですが地名なども含めて詳細はわかりません※

   ***明日に続く***

       「抱返り渓谷の深い谷とそびえる巨岩」

   途中のトンネルは暗くて怖いので引き返していたら、友人を案内しているという女性グループの人に「一緒に行きましょう」と誘っていただき、ワイルドなこの滝に出会えました。

 十和田湖クルーズ船乗り場の鳥さんたち。水の色がビミョー。

 下も同じく鳥さんたち 

   クルーズ船からは赤い色の岩石や柱状節理など、多彩な景観が。

   前日まで長雨で水の濁りが心配でしたが、澄んで美しくほっとします。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする